大人になるということ
すやすやという寝息が両隣から聞こえてくる。魔族が来る前まではひっついていた二人は、離れて寝ている。恐らく、後ろめたさからなのだろう。それでも、ニーナが俺の服の袖をがっちりとホールドしていたのには笑ったが。自分の胸を見下ろせば、すっかり傷が塞がっていた。ニーナが必死に魔法を使ったのだ。起きたときは傷口が開くかどうか、ひやひやしていたくらいだというのに。聖属性魔法もなかなかにチートだと思うんだ。
ニーナの手を起こさないようにして、優しく外す。そして、階段を降りて家の外へと出た。空を見上げれば、月が浮かんでいた。今夜は満月に近い。どこか不格好なそれは、どうしてか元の世界を思い出すものだった。色も大きさも、数も地球のものと同じだったからかもしれない。
「起きてたの?」
「ああ、まあな」
後ろから急に聞こえた声に驚くことはなく応える。振り返れば、やはりシルフィがいた。その顔はどこか心配そうだった。そのことについては何も言わず、再び夜空へと視線を戻す。
「ここは星が綺麗だな」
「そだね」
「傷も治ったと言ってもいいな。明日にはここを出るか」
「うん」
珍しく言葉が少ない。ただ肩に移動してきて、そこに座っているだけだ。理由はわかってはいるが。
「……昼間。エルフたちにあいつを……ニーナを責めるな、っつったんだ」
「うん」
「けどな。責める資格は俺にだってねえさ。あいつは失敗したとはいえ、なんとかしようと動いた。それだけでも、褒められるべきなんだよ」
「うん」
一度、深呼吸をする。シルフィはただ黙って俺の話を聞いていた。夜空を見ながら。
「俺は肝心なときにいてやれなかった。そんな俺があいつを責める?笑える話だよな」
「……仕方ないよ。あのときは、不幸が重なっちゃったわけだし」
「それでも許せねえよ。昼間のエルフたちに言ったセリフだってそうさ。必要なときに力がなかったのは俺なんだ」
前世では失敗続きだった。勿論、成功し続けるなんてことは夢物語でしかない。だが、今は失敗など許されないのだ。失敗すれば、ニーナは悲しみ、傷つき、そして命を落とす。そんなことは許せなかった。それでも失敗した。知らず知らずのうちに拳を握っていた。昨日も同じことをしていたはずだ。同じ行動なのに、抱いてる感情はまったく違う。
「……兄貴ってのは辛いよな。妹の前じゃ、どんなに苦しくても耐えなきゃいけねえしさ。ひどい役回りだって受けなきゃいけない。俺には向いてないのかもな」
「そんなことないよ。レオンは頑張ってるじゃない。今回のことだって、ニーナのことを考えてのことでしょ?」
そう。俺があいつを叱ったのだって、いわば必要な処置だったからだ。
「アカネもエレナも責めなかったのは、負い目があるからだろうな。止められなかった、ってさ。でも、その気遣いがあいつにとっては苦痛だったんだろうさ」
「と言うと?」
「誰も責めなきゃ、あいつ自身が自分を一番責める。それで、どれだけのことをすればいいのかがわからなくなっちまって……最後には潰れちまうんだ。俺がそうだったみたいにな」
誰も彼もが優しいままだと、それはかえって自分が辛くなるものなのだ。それは自分自身がよくわかってる。前世で俺のことを責めてくれるやつなど、誰もいなかったのだから。そして、良心の呵責に潰された。俺は生きる屍となっていたのだ。
シルフィはやはり、俺の方を向かない。その気遣いがありがたかった。今の俺はひどい顔をしているから。
「……やっぱり、俺なんかじゃあいつの助けにはなれねえな」
ただぼやいただけの声だった。が、その声は唐突な第三者の声によって否定された。
「そんなことないです!」
驚いて振り向けば、まだ寝ているはずのニーナがいた。
「お前、どうしてここに………?」
「その、トイレに行ったときにたまたま聞こえたので………」
少し申し訳なさそうな顔をする。そして、そのまま俺の隣に腰を下ろした。
「レオン君は確かにめんどくさがり屋で、いつもからかってきて、困ってる人も普通に見捨てるような、そんな人です」
……いきなりディスられてる?複雑な表情でニーナを見る。けれど、話はまだ終わってなかった。
「でも、私が困ってるときはいつも助けてくれます。他の人だってただ見捨てたりしませんし、強くて、優しくて、頼りになるような人です」
「それはお前の勘違いだろ。俺はそこまですごいやつじゃないし、誇れるような人間でもねえよ」
「それはレオン君が自分のことをよく知らないからです」
俺をまっすぐに見つめてくるニーナ。その瞳には、嘘や誤魔化しなんてものはまったくなかった。
「レオン君は面倒なことが嫌いって言うのに、いつも無茶ばっかりします。昨日だって、ヘカルトンにいたときだって、孤児院にいたときだってそうです。なのに一人で抱え込んで、大変な目に合って。そして、一番傷ついて。見ている私の方が辛いです。それなのに、どうしてまた同じことをするんですか?どうして一言でも相談してくれないんですか?私じゃ頼りになりませんか?」
「それは………」
「頼りにならないなら、それでもいいんです。でも、誰かに相談してもいいじゃないですか。頼ったっていいじゃないですか。自分の気持ちを押し殺してまで、私の幸せを願わないでください」
透明な雫がこぼれ落ちた。泣いているのだ。泣かせてしまったのは……俺だ。
「私、レオン君の人生を奪ってまで幸せになりたくないです。いくら私に嬉しいことがあっても、それと同じだけレオン君に辛いことが降りかかってたら、全然嬉しくないです」
「ニーナ………」
「お願いです。もう頑張り過ぎないでください。もう一人で全部を抱え込まないでください。我が儘くらい言ってください。私が幸せだって思うのは、嬉しいことをレオン君も一緒に味わってるときなんですから」
話はそれだけです、と頭を下げる。そして、そのまま部屋へと戻っていった。俺に考える時間をくれたのだろう。
「……なあ、シルフィ」
「なにー?」
「女ってのは、こうも簡単に大人になっちまうんだな」
自嘲するように笑った。シルフィもようやく俺の方を向いた。
「そうだよー。女の子は男の子よりもずっと早く大人になるものなんだから。そして、なかなか大人になれない男の子をじれったくなりながら待ってるんだよ」
「お前もか?」
「そうかもねー」
そうか、と小さく呟き、その場に腰を下ろした。現実が見えてなかったのは、俺なのかもしれない。俺だって人間だ、ミスすることくらいある。それを見ないようにしていた俺の方がよっぽど子供だ。これはもうニーナのことを子供だと笑えないな、と思う。
「レオンはさ。過保護なんだよ。ニーナだって、自分で体験しなきゃ何がいけなかったのか、次からはどうすればいいのかなんてわかんないよ」
「放っておけってか?」
「そうじゃないよ。ただ、見守ってあげればいいんだよ。あと、どうしようもなくなったときに助けてあげれば。それだけで十分だよ」
シルフィの話を聞いて、そうかもしれないと思う。俺があいつを守れているのは、前世で散々失敗してきたからだ。失敗して、死にかけて、辛い思いをして、今の俺がある。嫌なことがあったからこそ、成長できる。そんなことがわからないほど、俺も子供ではなかった。それに。
「……辛いことがねえと、自分が幸せかどうかもわからねえ、か」
「ん?なんか言った?」
「いや、なんにも?戻るか」
「りょーかーい!」
その場から立ち上がり、家の中に入っていく。ああ、そうだ。入る前に。
「シルフィ」
「んー?」
「これからもよろしく頼むぞ」
「うん」
(……俺は弱いからさ)
心の中ではそう呟く。最後に一度だけ振り返れば、月が変わらず俺たちを照らしていた。




