嵐の予感
時間は少し遡る。学園へと向かっている俺たちは、別にこれといったトラブルに出会うことはなく、道中を移動できていた。……おい、誰だ、今意外とか言ったやつ。ぶん殴るぞ。
まあ、気を取り直して、だ。魔物との遭遇率はやけに高かったものの、急に魔族が襲ってくることもなければ、道が分断されていただの、行き倒れの女がいるわけでもない。概ね平和な方だった、と言えなくもないだろう。
そんなこんなで、今俺は馬車の中で横になっていた。というのも、夜の見張りで疲れているからである。昼間での周囲の警戒は、アカネたちに一任してるのだ。ニーナたち、と言わなかったのは……察してくれ。額の上には重さを感じるし、シルフィがいることだろう。ただ、どうにも眠そうになく、ぼんやりと考え事をしていた。
そこでふと思い出したことがあり、ポーチの中をガサゴソと探る。目当てのものはすぐに見つけられ、取り出すことができた。ポーチから引き抜いた手には、二枚の書類と一枚の青色のカードがあった。
(はあ、やっぱりか。夢ならよかったんだがなあ………)
内心でため息をつく、という芸当までするようになったようだ。自分の行為に半ば呆れながら、取り出したそれらを見ていると、頭の方から声が掛かった。
「レオン?起きてたの?」
「ん、まあな。なんか眠れそうもねえからさ」
そう言って、肩をすくめる。するとシルフィが俺の前へと回って来て、嫌そうな顔をした。
「えー、ほんとに?レオンが眠れないときって、大体変なことが起こる前兆じゃん」
「まあ、そりゃそうなんだが……意外だな、お前なら喜んで突っ込んで行きそうなのに」
俺の意外そうな視線に、シルフィは苦笑している。自分でも自覚はあるのだろう。
「まーねー。そりゃあ、あたしだって戦闘系のトラブルならどんと来い、なんだけどさあ」
「おい」
思わずジト目になった。お前は楽しくても、俺は何も楽しくねえんだよ。やっぱりこいつはいつも通りなのか、と一人で肩を落とした。が、シルフィの話は終わりではなかったようだ。
「……前にほんと嫌なのがあったじゃん?」
「どれだ?」
「ほら、ヌメヌメ事件」
「ああ、あれかあ………」
二人して遠い目になった。ヌメヌメ事件、というのはヘカルトンであったことである。魔族が襲来してから、周辺に残った魔物を掃討するために俺も駆り出されたのだ。大抵の魔物は瞬殺できるため問題なかったのだが、厄介な魔物もいた。それがスライムである。とはいえ、ただのスライム程度ならやはりなんとかできた。俺たちが厄介と感じたのは、スライムのうちの一種である。それがジャイアントスライムの亜種である。
ジャイアントスライムとは、スライムが何らかの要因で巨大化をしたものである。打撃、斬撃攻撃は意味をなさず、唯一倒せる手段は体内にある核を破壊することだけである。まあ、銃撃でどうにかできるので、それは問題ない。問題だったのは、その亜種を倒した後のことである。その亜種はなんと倒した後に爆発するのだ。別に大爆発をするわけではない。単に自身の粘液をあちこちに撒き散らすだけである。だが、それが問題だったのだ。
その亜種の粘液は、ヌメヌメして生暖かく、その上ちょっと変な臭いがするのだ。悪臭、というほどではないが、放っておくにはなんだかなあ、というような臭いである。しかもこの粘液、なかなか取れない。ドラム缶風呂を創り、30分がかりでようやく取ることができた。それでも臭いは残り、さらに1時間かけたのだが。倒した俺とシルフィはもろに被ったので、大変な思いをしたのだ。群れで現れたときは、二人して絶望したほどである。
「そうだな……あんなことがないとも言い切れんからな………」
「うん。あれきっかけで、バンバン来いとは言えなくなったよ………」
二人揃って身震いをする。あれだけはマジでもう遭遇したくない。感触がヌメッとくるのだ。なんかもう嫌とかじゃなくて、生理的に無理だ。頭を振って、無理矢理その記憶を追い出す。
「でさー、何考えてたの?」
「まあ、これのことと、学園のこと。あとはエレナのことだな」
「エレナ?意外だねー、ニーナちゃんじゃないなんてさ」
驚いたような表情をしているが、俺だって年がら年中ニーナのことを考えているわけでもない。そう思われるのは心外だな。ニーナのことを考えているのが多い、っていうのなら否定はせんが。
「いや、あいつの正体なんだが。なんとなく予想がついてな……間違いなく、面倒事に発展しそうなんだよ」
はあ、とため息をつく。依頼についての書類を見れば、とんでもない額がついている。さらに、今乗っているこの馬車。横になっているというのに、振動が背中に伝わってこない。普通の馬車ならこんなことはあり得ないだろう。ここから推測できることは………
『……もしかして、エレナっていいとこのお嬢様?貴族だったりしちゃうの?』
流石に気を遣ってか、念話で話しかけてくる。素直にその気遣いに感謝して、シルフィに返答する。
『十中八九そうだろうな。で、このクラスの馬車を用意できる辺り、まず騎士位、男爵位はないな。人員を見て、王族ってこともねえだろうし……伯爵位なのかもな』
伯爵位ともなれば、十分に偉い貴族様だ。王族、公爵位、侯爵位と上がそれだけしかいないのだから。この書類を見るまでは、予想もしていなかった事態だ。今も思わず額に手をやっていた。頭がいてえ問題だよ、まったく………
「んー、それはわかったとして……なんでギルドカードまで?いいじゃん、ランクが高いのなんて」
不思議そうにシルフィが言ってくるが、俺としては嫌としか言えない。たぶん、今俺は顔をしかめているだろう。
「馬鹿言うんじゃねえよ。面倒事に巻き込まれる可能性が上がるじゃねえかよ。正直、下げてほしいくらいだね」
「そういうのはレオンくらいだろーねー」
俺らしい、と笑うシルフィ。だが、その考えを否定することはなかった。他のやつだったら、そんな考えでいいのかだのと言ってきそうだ。書類からギルドカードへと視線を移す。
ギルドカードはランクによって色が変わる。一番下のGは白、Fは薄いピンク、桜色っぽい色だ。Eは橙、Dが黄だ。Cは緑、Bは青で、Aは赤。Sは銀で、SSが金と続く。で、俺は青なわけだから、Bランクとなるわけである。なんでも、魔族を一人で壊滅させ、魔物相手にも負けなしだったからだそうだ。ギルドマスターは正直もっと上げてもいい気はするが、とも言っていたが、流石に辞退した。面倒だし。
ちなみに、ニーナとエレナがD、アカネがCランクである。一年ちょっとでここまで上がるのにも驚きではあるが。
「で?最後のそれは?」
「これは向こうに着いたら話す。あまり軽々しくする話でもねえし」
「りょーかーい」
俺の渋った様子に、何かを感じたらしく追及はしてこなかった。こういうところは相棒らしくなってきてるのかもな。感心しつつ、外へと目を向ける。空はあまりいい天気とは言えず、曇っていた。もしかすると、一雨降るかもしれないか。そう思いつつ、遠くへ目を向けるとそれに気付く。
(雲が渦を巻いている?)
あまりにも急速な渦。視力強化をすれば、はっきりとわかる。あれは嵐なのだろう。しかも、進路はどうやらこちらを向いているようだ。やっぱり順調とはいかなかったかとため息をつき、御者へと声を掛けようとして………
「ぐっ………!?」
「れ、レオン!?」
いきなり蹲った俺に異常を感じたらしい。シルフィが飛んできた。だが、軽口を返せないほどに目の痛みがひどかった。そして、何かの映像が痛みを訴える目に流れる。
吹き荒れる雨。轟々と音を立てる風。何かを叫ぶアカネとエレナ。泣き崩れているニーナ。見覚えのない、剣を持った魔族。その剣は赤く濡れている。その色は、間違いなく血の色だった。魔族が斬ったと思われる地面に倒れ伏した人影は……間違いなく、俺だった。




