弱肉強食
あれは何歳のことだっただろうか?あの世界ではもう年号も日にちも、名前でさえもなかった。そんなものには何の意味もなかったのだから。たぶん、お前とかあんたとか、適当に付けられた通り名くらいで普通に通じていた。まあ、そのことはいいんだ。
確か、そんなに年を取っていなかった。5歳くらいのことだったと思う。歩くことはできるようになっていたから。突然、師匠に仕事場に連れていかれた。答えは聞かれなかった。強制だった。断っていたとしても、無理矢理引き摺られて行かれたであろうことは想像するに容易い。そして、その日がきっと境だったのだろう。元に引き返すことができたのは。
目の前の光景を見て、俺は絶句していた。そして、目を逸らした。どう見たって人が殺し合うところは、子供が見る光景ではないだろう。鮮血が舞っていくその光景に、嘔吐していないだけでもよくやっただろう。今殺し合っているのは師匠と、師匠に依頼を下した依頼主が殺すように命じた人物の護衛たちだった。いや、殺し合うという表現は間違っているかもしれない。護衛たちは、師匠に傷一つ負わすことができていないのだから。それは撃ち合いが続いていることからわかった。あと、護衛たちの怒声と罵声からも。
やがて、静かになった。誰かが近づいてくるのがわかる。ちらりと目をやると、師匠だった。師匠は護衛のうちの一人を引き摺ってこちらに近づいてきた。終わったのだから、とっととここから離れたい。見ていて気分のいいものでもない。だが、師匠は無慈悲であった。
「こいつを殺せ」
引き摺られていた護衛が俺の目の前に放り出される。見ればか細くはあるが、まだ息をしていた。
「じょ、冗談きついですね、殺せだなんて。またまた、あはは~……」
言ってる途中で気付く。師匠は本気だ。目が、態度がそれを物語っている。
「なんで………なんで殺さなきゃいけないんだよ!僕はまだ子供だ!それにターゲットを殺せば報酬は貰えるだろ!この人を殺す必要なんかどこにもない!」
「あるさ。この世界では殺せないやつは殺される。他人を殺して自分が生きるか、自分が死ぬか。それだけだ。俺だっていつまでも生きていられるわけじゃない。今のうちに『殺し』に慣れろ」
冷酷な瞳が揺らぐことはなかった。淡々と紡がれる言葉に俺は恐怖を覚えた。
「正気じゃないよ、アンタ………」
「だとすれば、今の俺を創ったこの世界が狂っているのだろうな」
「僕は殺さないよ………殺したくない」
「そうか、なら……」
師匠は手に持った銃をこちらに向ける。ガチリ、と音がして俺のこめかみに銃口が突付けられる。
「何をッ……」
「どのみちここで殺せないのなら、この先長くは生きられん。ならば、俺が引導を渡してやろう」
「嘘……だろ………」
「殺すか、生きるか。お前が選べ」
勿論死にたくない。だが、殺したくもない。殺せば俺は人殺しになってしまう。
「あと、30秒以内に決めろ。さもなくば、撃つ」
死にたくない。殺したくもない。どちらを選ぶ?どちらが正しい?
「あと15秒だ」
どうすればいい?どうしてこうなった?
「10,9,8,7,6」
時間がない。時間が足りない。思考がまとまらず、時間だけが過ぎていく。
「5,4,3,2,1」
無慈悲な声は鳴り響く。
「0」
そして、一発の銃声が鳴った。