後悔と決意
こうしている間にも、魔族たちは俺の村へと近づいている。そう言い切れるにのには理由がある。俺の村はへカルトンへ行くための最短ルート上にある。これが1つ。また、俺の村は他と比べて居住している人が多い。皆殺しにするにはいい所ではある。ほとんどの魔族は人間を殺すのが好きだと言われている。やつらは喜んで村を襲うだろう。おまけに、警備も今はいないしな。
どうする?魔力強化をかけ、本気を出して最短距離を進めば、間に合いはする。ただ……
(そうした場合、俺も一緒に殺されるのがオチだ)
それでは意味がない。孤児院のみんなを、ニーナを魔族から助けるには、魔力の温存は必要不可欠だ。だが、そうでもしないと間に合わないのも事実。手詰まりと無力感を感じる。こんなにも力がないのか、俺には?あんなことはもう味わいたくなどないというのに!
※ ※ ※
少し、昔話をしようか。俺がまだ前世で生きていた頃。それも20を過ぎたころだと思う。少しでも師匠の近くにいるのが嫌だった俺は、仕事のない日はよく釣りに出かけていた。趣味になっていたのかもしれない。釣りをしている間だけは少しだけ。そう、ほんの少しだけ気が安らいでいたのだ。
その日もいつもの通り、川で釣りをしていた。釣れる釣れないはどうでもよかった。ただただ、釣りがしたかった。そして、その帰り道。その川のすぐそばの建物を、これまたいつものごとく通ったときのことだ。不意に1人の少女が飛び出してきた。そんなことは俺に予測できるはずなく、俺はその子にぶつかってしまった。
「あ……悪い、不注意」
だった、と言う前に彼女は俺の服を掴んで懇願してきた。
「お願い!助けて!」
その子の後ろを見ると、怪しげなやつらが追ってきている。今時珍しい、警備員の服。数は5人。まあ、どう見たってそいつらの方が悪そうなので、問答無用でぶっ飛ばした。余裕だった。
「ありがとうございます、助けてくれて」
「いや、別にいい。それにしても、どうして君はここに、そんな恰好で?」
頭を下げた少女を改めて確認し、そう質問した。こっちも珍しい。彼女が着ているものは病院着と言ってもいいものだった。だが、その問いに困った様子で少女は口を開いた。
「それは……」
目もウロウロとさせている。話せないようなことなのだろうか?
「話せないのなら、無理に言うことはないが……話してもらえると助かる」
「は、はい………実は私、ここで人体実験の素材にされていたんです」
「そう、なのか………?」
少女の口から出てきた言葉に絶句する。いや、こんな世界では当たり前のことなのだろう。現に兵器としてそういう研究をしているところがあると風の噂に聞いたこともある。ただ、俺としては許せなかった。何か俺にできることはないかと言葉を探した。
「素材とされていたのは君一人なのか?」
「いいえ、他にもいました。でも、逃げる途中でみんな……」
悲しさで顔を歪めてしまった。酷い話だと思う。でも、俺に責めることはできない。できない理由があるのだから。どうしたらいいのか言葉をかけあぐねている俺に、少女が話しかけてきた。
「すみません、お願いがあるんですけど」
「何だ?」
「いろんなところに連れていってくれませんか?ここ以外の景色は知らないので」
「まあ、それぐらいなら……」
そう言うと、その子はとても嬉しそうな笑顔になった。やっぱり、子供は笑って過ごせるのが一番だ。
次の日、俺はその子を色々なところに連れていった。川やら海やら山やらに。一つ一つに驚き、感動する彼女を見ていると、助けてよかったと思う。知らず知らずのうちに俺も微笑んでいたと思う。
そして夕方。綺麗に夕日が見えるところに連れていくと、その子は突然こう言った。
「私のわがままを聞いてくれて、本当にありがとうございます」
「いや、喜んでもらえたなら何よりだ」
「これで満足して死ねますね」
「え?」
突然の言葉に声を失った。今、この子はなんて言った?
「今日までの命なんです、私。薬がないと1日生きてられるかどうか。死ぬ前にこんな綺麗な景色を見れました。もう十分すぎるほどです」
「待て……どういうことだ?じゃあ、なんであんなに笑顔だったんだ!もうすぐ死ぬんだぞ!」
たまらずに叫ぶ。道中、俺はこの子を住処に連れて行ってもいいかとまで思っていたのだ。思考がぐちゃぐちゃになる。
「外の世界を見たかったんです。私が知っているのは研究施設の中だけ。外はどんなところかなって、想像することが生きがいでした。私のほんの細やかな願いでした。それが叶ったんですよ?満足しない方がおかしいです」
「もっと他にもあるだろ……ないのかよ………」
あまりにも過酷な現実に、俺は自分の無力さを呪うことしかできなかった。俯く俺に少女はただただ微笑むだけだった。
「じゃあ、もう少しだけいいですか?」
「ああ」
「私のことを忘れないでください」
「?」
何を言うのかと思った。たったそれだけのことなのだろうか?訝し気な俺に言葉を続ける。
「私のことを知ってるのは、多分もうあなたしかいないと思います。みんなから忘れられるのはつらいです。あなただけでも私のことを覚えていてくれたら、嬉しいです」
「わかった、他には?」
もっとできることを探すために言葉を続ける。
「お兄ちゃんって呼んでもいいですか?兄がいたら、こんな感じなんだろうなって思ったので」
「いいよ、他は?」
「死ぬ時まで手を握っていてくれますか?誰かが一緒にいてくれるだけで落ち着きます」
「わかったよ、ほ……」
かには?そう言おうとした。でも………
「ありがとう、お兄ちゃん」
そう言ってその子は、まだ10歳にもなっていないだろう女の子は息を引き取った。俺が自分のことしか考えなかったばかりに。あの釣り場には1年も前から行っていた。そのとき、通り道にあるあの建物に興味を持っていれば、この子は死ななかったはずだ。それどころか、もっと多くの子を救えた。同じなのだ、俺も。あの研究員たちと。自分のことしか考えずにいて。あいつらを責める資格など俺にはない。この子に感謝される理由などどこにもない。その日、俺は久しぶりに涙を流した。
あの子は丁重に埋葬した。墓もちゃんと作った。転生したのなら、もっと幸せになれるように願いを込めて。そして、俺はあの日以来修羅となった。不幸な子供たちがいれば、進んで助けるようにした。助けるために手を汚すことも厭わなかった。限界という言葉は潰して潰して、潰し続けた。《死神》が有名になったのはこれがきっかけかもしれない。だが、どんなに頑張っても、罪滅ぼしをしてもあの子はもう帰ってこないのだ。
※ ※ ※
あの時の様な間違いは繰り返さない。そう、絶対に見捨てたりしない!