アザミの前世
「前世、っていきなり言われても、信じられませんよね。でも、確かにあるんです。私の知らない記憶が。それも、この世界じゃない別の世界のもの。そこで私は生きていたみたいなんです」
「別の世界、か………」
実は俺も同じような経歴の持ち主なのだが……話の腰を折ってまで、言うようなことでもないだろう。黙って先を促した。
「私が愛してた人も、そこにいたんです。その人もあなたのように一人で無理をして、今にも潰れてしまいそうな、そんな人でした」
「だから俺を助けた、と?」
「そうですね。今度はちゃんと助けてあげたかったので」
アザミの気持ちは嬉しいし、確かにあのままでは早かれ遅かれ潰れていたであろうことは、想像するに易い。前世のことを覚えてくれていたことに、感謝すべきなのだろう。
「ちゃんと、と言っていたな。そいつは助けられなかったのか?」
「……はい。死んじゃいましたから」
「……そうか」
それは無念だっただろう。俺に似ているのかもしれない。何も守ることができなかった俺と。
「……ひどい世界でした。隣人どころか、家族さえ信じ合えないようなところ。誰かを信じれば、馬鹿を見る。そんなところだったんです」
「それはひどいな」
とはいえ、俺も同じような環境で育った。彼女と俺は、意外と似ているところがあるのかもしれない。
「その世界でも、私は娼婦をしてました。普通の仕事じゃ、生きていけませんでしたから。幸い女でしたから、体を売れば生きていけたんです」
(……重い話になってきたな)
思わず、半眼になる。いや、アザミが悪いわけではない。悪いわけではないんだが……いかんせん辿ってきた人生が人生だ。そうぼやきたくもなる。
「そんなときに、あの人に出会いました。名前はなかったんですけどね。通り名のようなものはありました。その人はなんだか辛そうで、無理をし過ぎてるみたいに感じたんです。それを……癒してあげたかったんです」
「……優しいんだな、君は」
「ふふ、ありがとうございます。あの人は迷惑そうでしたけどね」
アザミは何かを思い出すように、遠い目をしていた。彼女の瞳には、愛していたやつのことが映っているのだろうか。……それは、どこか寂しげにも見えた。
「しばらくその人と暮らして、1年ぐらい、ですかね。私が捕まっちゃったんです。その人の力を恐れた人たちに。人質にするつもりだったんだと思います」
再び俺に視線を合わせたときには、先ほどと同じ笑顔だった。誰かを安心させるための笑顔。俺を包み込むような、そんな表情だった。
「迷惑そうだったから、来ないだろうな、って思ってたんですけど。予想に反して、来ちゃったんです。それに、私を助けようとしたせいで、危なくもあったんです。怪我もいっぱい作っちゃって。だから、私はその場で自殺したんですよ。あの人を助けるために」
彼女はあっけらかんとしているが、全然笑えない。相手のことも考えてやれよ。お前を失って、そいつはさらに辛い思いをしたんじゃないのか?
ただ、それだけではなく、俺は何故か違和感を覚えていた。何に感じていたのか、疑問に思っていたが、アザミの話をはじめから思い出していくと、気付いた。俺の額に汗が流れたような、そんな気がする。……魔族も冷や汗を流すのかまではわからなかったが。
「ごめんなさい、暗い話になっちゃいましたね。今日はもう寝ましょうか」
アザミが慌ててその場から離れ、部屋の明かりを消そうとした。そんな彼女の腕を掴み、引き留める。
「1つ。1つだけ、聞いていいか?」
「はい?なんでしょう?」
「……君が愛した相手には、通り名があった、と言っていただろう?」
「はい、言いましたよ?」
俺は一度深呼吸をし、気付いてしまった事実を確認する。
「そいつの名前は、何と言うんだ?」
「ああ、そんなことですか?彼は《死神》、って言う通り名をしていたんです」
俺の心臓が跳ね上がる。動揺を顔に出すまいとしながら、なんとか声を絞り出す。
「そう、か………」
「……?どうか、したんですか?」
「いや……なんでもない。寝ようか」
「はい、そうですね」
部屋の明かりが消えた。
※ ※ ※
(……そりゃ、懐かしいはずだわな………)
隣で寝息を立てる少女に目を移す。よくよく見れば、確かにあいつの面影が残っている。雰囲気もあのときと同じ、お節介なあいつと同じだった。
そう、俺はこいつを知っている。前世で出会った、一人の娼婦だった。
最初の出会いは、人殺しに慣れ過ぎて、心が疲弊しきっていた頃のことだった。たぶんであるが、30に入ったか入ってないかぐらいだったと思う。まあ、あのときは師匠がまだ生きてた頃だった。
彼女はいきなり俺に近づき、泊まっていけと言ったのだ。娼婦であったのは一目瞭然だったので、断ったのだが、金は取らないから泊まっていけとさらに言う。いつまでも問答を続けるのが面倒だったこともあり、仕方なく泊まった。
一晩泊まったのだが、また帰って来るように言われた。食事を作って待っているから、とも。断ることもできず、なし崩しに一緒に暮らすことになった。
一緒に暮らしていてわかったのだが、あいつはやたらと世話好きだった。俺を癒そうとして一緒に寝たり、食事を作ったり、掃除をしてくれたり、と。口では文句も言っていたが、彼女に安らぎを得ていたのも事実だった。
そんなある日だ。彼女が攫われたことを知った。俺は彼女を助けに乗り込んだのだが、人質にされていた。嬲り殺しにするかのように、わざと急所を外しながら銃で撃たれ続けた。俺はここが潮時か、と諦めていた。
だが、彼女は違った。俺を生かそうとしていた。自分で舌を噛み切り、その場で死んだのだ。
そこから先は記憶がない。気付いたら彼女を抱え、攫ったやつらを皆殺しにしていた。俺の中には、また守れなかったという思いだけが残った。
あのとき、守れなかった女が隣にいる。あのときと同じく、俺を助けて。
(俺は……どうしたらいいんだ………?)