生と死の狭間
「……また、あの夢か」
目を開ければ、眠る前と変わらない天井があった。一つ違うところがあるとすれば、辺りはすっかり暗くなってしまったということぐらいだ。
上半身だけ起こし、部屋を見回す。俺の周りに集まっていたやつらは解散し、この部屋には俺一人となっていることがわかる。そのことに笑い、再びベッドへと倒れ込んだ。
(そりゃそうだよな……こんだけ情けねえ姿見せれば、幻滅されても当然さ………)
声を押し殺したかのようにくつくつと笑い……すぐにやめた。何も面白くなどなかったからだ。
仰向けのまま、腕を目を覆った。寝たとしても、あの夢をまた見ることはわかっている。それなら、寝るだけ無駄なのだ。
(これから、どうしたもんかな………)
死ぬことは怖くない。慣れたというのもおかしな話だが、理解できると同時に恐れるものではなくなった。ならば、何が怖いのか。そんなものは決まっていた。
(あの子に……ニーナに、嫌われるのが怖いんだ………)
師匠と戦えば、まず間違いなく魔皇帝を越えるぐらいの激しい戦いとなる。そうなれば、必ず未来は決まってしまう。……俺は、魔族へと変わってしまうのだ。そのとき、あの子はどう感じるだろうか?
何故騙していたのか、俺を詰るだろうか。
どうして黙っていたのか、ただひたすらに泣くだろうか。
それとも、それでも俺と共にあろうとするだろうか。
もし。もしも、また一人で生きていくことになれば、俺の心は耐えてくれるだろうか。今もこんなに痛いのに。彼女の傍にいれなくなるだけで、こんなにも傷ついているのに。
俺には何が正しいのか、知ることはできなかった………
※ ※ ※
無数の腕が追ってくる。俺はそれから逃げ続ける。心のどこかでは、これが夢だとはわかっているのに、逃げることをやめることはできない。まるで、永遠に逃げ続けろと言われているように。
「あらあら、《死神》さん?頑張って逃げないと、追いつかれてしまうわよ?」
「……上機嫌だな、アリス」
逃げる俺に、付き纏うかのようにアリスがくっついて来る。狂ったかのようなこの笑みは、もう慣れてしまった。いつも俺の背中に張り付いているかのようなアリス。最初は恐ろしく思ったものだが、今となってはそれが当然と思えるようになっていた。慣れというのは怖いな、と冷静な部分がそう考える。
「ええ、嬉しいわ。あなたがとても滑稽だもの。そんなあなたを観察することが、唯一の楽しみなのよ」
「……そう、か………」
終わらない逃走。消えない罪。これが俺に課せられた罰なのかもしれない。お前はずっとその闇を抱えて生きていけ、という。
しばらくすると、いつものように段々と意識が覚醒に近づいていく。あまりの悪夢に、体が起きようとしているのだろう。ここ最近はこれがほとんどだ。
「あら、こんな時間。またね、《死神》さん?私たちからは逃げられないわよ?」
「……わかって、いるさ………」
どれだけ善行を積み上げようと、一度してしまったことが消えることはない。だから俺は苦しみ、もがき、無様な姿を見せている。
(いったい、俺は………)
どうして生きているのだろう。最近はそう思うようになった。勿論、ニーナを守るため。そう決めていたはずなのに。アリスに、あの世界の人間に、俺が殺してきたやつらに。会うたび、思ってしまうのだ。
――――俺は本当にここにいていいのか、と。
ふと、情景が変わった。真っ暗で何も見えないところから、ぼんやりと明かりがついている河原へと。俺は目の前に流れる大きな川に驚きながら、砂利の上に立っていた。
「……こんばんは。隣、いいですか?」
「え、あ、ああ…………!?」
隣に座った人物を見て、俺は絶句してしまう。だって、その人物は………!
「お久しぶりですね、お兄ちゃん。それとも、私は覚えていませんか?」
「……忘れられる、わけないさ………」
あのときと変わらない幼さ。あのときと変わらない儚さ。あのときと変わらない可愛らしさ。
俺を兄と呼んだ、あの子がそこにはいた。
「やっぱり、覚えていてくれたんですね」
「ああ……君は、どうしてここに?君も………」
俺に復讐しに来たのか?その先を言おうとしたら、口を塞がれていた。小さな手の平で。
「その先は言っちゃ駄目ですよ。ここは生と死の狭間にある場所ですから。言霊もとても強くなるそうです。行ってしまったが最後、実現してしまうかもしれないんですよ?」
俺が口を閉じたのを確認すると、手を放した。もう一度よく見れば、ほんの少しだけ変わったところがある。
「背が、伸びたんだな………」
「あれ、そうですか?自分じゃよくわからないんですけど……それにしても、よく気付けましたね」
「まあ、な………」
それっきり、二人で黙り込んでしまう。俺としては非常に居心地が悪いので、さっさと退散したいのだが。そういうわけにもいかないだろう。……これは俺の問題なのだから。
「……君はどうして俺のところまで来たんだ?憎かったり、怒っていたりするからか?」
少女は驚いたような顔になったが、優しい笑みで首を振った。
「いいえ。そんなことは思っていませんよ?」
「なら……何故?」
「ただ、会いに来ただけです。本当にそれだけ」
今度は俺が言葉を失う番だった。俺に恨み辛みがないはずがないのに………
「私はあなたを責めません。仕方がなかったのも知っていますから。でも、応援もできません。私ができるのは、ただ会うことだけ。その先の道は、あなたが決めなくちゃいけないんです」
「それは………」
言われなくてもわかっていた。けれど、知らず知らずのうちに、誰かに求めてしまっていたのだろうか。俺が行くべき道はどこなんだろう、と。それを見透かされたんだろうか。
「あなたが生きる道です。他の人の意見は聞いてもいい。でも、それに流されないで。あなたの幸せは、あなたにしか決められないんですから」
「俺、は………」
再び少女の方を見ようとして……そこで目が覚めた。起き上がれば、寝る前と変わらない部屋だった。誰もいないことも含めて、寝る前と何も変わっていない。
「失礼しますわ。具合はどうですか?」
少女の言葉を頭で反復させていると、エリーゼが部屋の中へと入って来た。
「……まあまあ、かな。どうした?」
「いえ……ニーナさんの姿が見えないもので。どうしたのかと思ったのです」
「そうなのか」
俺は念話でシルフィに頼み、ニーナを探してもらうように言った。だが、様子は芳しくないようだ。いつもならばすぐに答えが帰って来るのに、返事がなかなか来ない。
『レオン!大変!』
『どうした?』
『ニーナちゃん、グリフォンに乗ってどこかに行っちゃった、って!もう城の中にいないらしいよ!』
『…………え?』
パキッ、と。何かが割れたかのような、そんな音が聞こえた気がした。