上がった悲鳴
決闘(いや、1対1じゃなかったし、その言い方は語弊があるのかもしれないが)が終わったあの日から、俺の扱いは劇的に変わった。平民のやつらからは英雄だなんだと祭り上げられ、貴族のやつらからはスカウトの話が出てきた。それについてはエレナのことがあるので、公爵家にでも直談判しに行ってくれと言っておいた。こういうのは同じ貴族の方が上手く立ち回るだろうしな。
一部の貴族はいまだに睨みつけてくる。それもそうか。すぐに気持ちを切り替えるなんてことはそうそうできることでもない。まあ、ちょっかいを出してこなくなった分、マシだと思うようにしよう。
教師のやつらは相変わらずだった。俺に突っ掛かってきたあの男は、あの後もしつこく退学を迫ったようなので、どうやら退職させられたようだが。どれだけ無属性が嫌いなんだ、という話だな。
「ふあ……今日はどこで寝るかねえ?」
「口開いて、一言目がそれなレオンに驚きだねー」
「ほんとに驚いてんのか、お前?」
「場所が場所だから、ちょっとは。学校なわけでしょ、ここ?」
それもそうか、と頷き、適当に足を進めていく。今は寝るのに適した場所を探し、彷徨っているところなのだ。屋上がいいのだろうが、そろそろ戦闘科の訓練が始まる。うるさくて寝れないかもしれない、ということでぶらついているのだった。ちなみに、寮だと誰かが押し掛けてくるかもしれないため、候補から即座に捨てた。
廊下には今誰もいない。それは仕方ないのかもしれない。研究科は確か体力作りのために外で運動した直後だから、今更衣室にいるはずだし。戦闘科は前述した通り、次から訓練のためにこれまた更衣室にいるはずだし。開発科は今実習中で、終わらないと教室から出れないし。外に出ているやつがいるわけがないのだ。俺?朝に提出しておいた。すぐにできたし。
「キャーッ!」
どこかで悲鳴が上がる。高めの声で、普通なら何かあったのかと無視していただろう。そう、普通なら。
「ニーナ!?」
悲鳴を上げたのは、間違えようもないニーナの声だった。悲鳴のした方向へと、先ほどの声の大きさと反響音だけで探る。
駆けつけた場所には、一つの扉があった。恐らく、いや、間違いなく、この中にニーナがいる。さらに、追い打ちをかけるように叫び声が上がった。
「いやあああぁぁぁぁぁ!」
今度はアカネの叫び声。ここまで恐怖を感じるような声を、あいつが出すのは珍しい。最悪の事態を予測し、その部屋へと飛び込んだ。
「あ、ちょっ、レオン!?そこは………!」
「どうした!?」
部屋に足を踏み入れた瞬間に、何かが迫って来るのを感じた。敵意がなかったために、反応が遅れ、まともに受ける。なんとか倒れることは逃れたものの、それよりも今顔に当たっているものの方に気が行ってしまう。
何しろ、それはとても柔らかかった。の割には弾力もあり、温かい。それに、どことなく懐かしささえ感じて……
「……なんか、息苦しいんだが」
「ふあっ!」
そして聞こえる艶めかしい声。それだけで、俺はすべてを悟ってしまった。今、俺に当たっているこれは間違いなく。
『……よかったね、レオン。人生初のぱふぱふじゃん』
『……今、嬉しいように見えるか?』
『いや、まったく』
なんで人前でぱふぱふされなきゃならんのだ。単なる辱めにしかならない。いや、感触は楽しんだよ?そりゃ、俺も男なわけだし?でもさ、タイミングとか場所とか、こういろいろあるはずじゃん?なんで今なんだよ……本気で頭を抱えたくなる。
「うわああん!レオン君ー!」
腕に追撃。ささやかだが、確かな膨らみが押し付けられてくる。戦うために感覚を鋭敏にしたことが、裏目に出てしまった。
アカネの匂いをゼロ距離で嗅ぐことになり、ほんの少し汗のせいで湿っている肌がより詳細に感じられる。柔らかさと温かさが全身の力を弛緩させ、俺の呼吸のせいで変な感じになっているのだろう。時折、聞こえる声が妙にエロく感じる。そのせいで、何かやばいことをしている気分になってしまう。
ニーナもニーナでまずい。俺の腕をしっかり掴んでいるせいで、胸の形が朧げながら想像できてしまう。それを頭から追い出そうにも、ちょうどニーナの吐息が俺の耳にかかるもんだから、頭の中がちょっと見せられない状況に陥っているのだ。これは非常に危険である。
「師匠」
「うえっ!?あ、ああ、エレナか……何があったんだ?」
最初は魔族が来たのかと思ったが、戦闘音もしないし、敵意のようなものも存在しない。……いや、嘘だ。不特定多数の敵意を感じる。
とりあえず、それは置いておいて。状況を確認するために、首だけ回転させて、エレナの方を向いた。エレナはコクリ、と頷くと……
「二人に追い越されはしない。私も行く」
「そうじゃねええええ!今、マジにヤバいんだぞ!必死で耐えてんのに、てめえは何やってんだ!」
二人だけでも襲いかけそうになっているのに、さらに増えたら洒落にならない。必死に振りほどき、なんとか脱出することに成功した。……少し名残惜しかったのは否定しない。
脱出したことで、やっと状況を確認することができた。どうやら、女子生徒たちが皆こちら側に集まっている。否、それは正しくないか。一人だけ、部屋の中央に人がいる。それは俺が知っているやつだった。
「先輩?どうかしたのか?」
「……!レオン!?どうしてここに!?」
うん、まあ、誰だってそう思うだろう。先輩は下着姿だし、アカネも下着……というより、生の感触だったので、上は下着をつけてなかったのかもしれない。つまり、ここは女子更衣室だった、というわけだ。そりゃあ、敵意も向けられるよ。自分は半裸なんだし。
「いや、ニーナとアカネの悲鳴が尋常じゃなかったもんで。どうかしたのか?」
ひょい、と顔を覗かせると、理由がわかった。というか、すごく呆れてしまった。あいつらの悲鳴は、こいつのせいだったのか。あと、先輩が躊躇っている理由も少しだけわかってしまった。何も知らなければ、確かに怖いかもしれないしな。
「……アカネ。お前、虫嫌いだったのか………」
目の前にいたのは、10cmほどの足が大きい蜘蛛だった。地球にいた頃には見たこともある。こいつはアシダカグモだろう。
「ほいよ、っと」
手をお椀のようにして、片方の手でそちらへ追い込む。完全に乗ったことを確認し、窓へと近づいた。
「お勤めご苦労さん。ここはいいらしいから、他のところで働いてくれよ?」
壁に近づけると、カサカサと歩いていった。確かに礼も受け取らずに去るところは、軍人そっくりだなと苦笑する。
「レオン、ありがとう。でも、覗きに来たのは感心しない。それに、噛まれたらどうするつもりだったの?あんなに大きかったのに」
「覗きのことに関しちゃ、悪いと言うしかないな……ニーナの悲鳴で、冷静さを欠いちまったらしい。噛む方に関しちゃ問題はないな。あれは毒ないし」
蜘蛛は見た目から誤解されがちだが、人間にとってはかなりの益獣なのだ。害虫を殺してくれるし、やろうと思えばしつけもできる。加えて、人体に害を与える毒を持つ蜘蛛は全体のたった0.1%と言われている。見た目さえ目を瞑れば、これほどいい虫もいないと思う。あのタランチュラでさえ、噛んだところで人体に影響を与えることはないのだ。
さて、今回出てきたアシダカグモ。こいつは意外に有名な蜘蛛で、『アシダカ軍曹』の名前で親しまれている。というのも、この蜘蛛は家の中の虫を皆殺しにしてくれる。それこそ小バエに始まり、シロアリ、ゴキブリに至るまで。この蜘蛛を3体解き放つだけで、3ヶ月以内には家中の虫が全滅すると言われている。さらに、この蜘蛛は餌がなくなれば、勝手に他の家へと移っていく。その礼を求めず、ただ黙々と仕事をこなす姿が軍人らしく見えたので、『アシダカ軍曹』と言われているのだ。勿論、この蜘蛛も人間には無毒である。また、巣を張らないため、蜘蛛の巣の処理もしなくていい。もしアシダカグモを見かけたのなら、そっとしておいて害虫駆除を願うのがいいだろう。
「まあ、蜘蛛は大体大人しいんだよ。捕食対象さえいなけりゃ、じっとしてるくらいだしな」
むしろ、噛まれれば凄まじく痛いムカデや病原菌を媒介するゴキの方がよっぽど嫌だ。魔物の蜘蛛?あいつは俺らが捕食対象だからあかんやつだろう。
「そう、なんだ。知らなかった………」
「……知ってたら、そいつは蜘蛛マニアだな」
仕入れたのは地球でのことだし。使ってたのは前世でだし。世話になったなあ、あいつらには。使ってたらだんだんと愛着が持ててきたんだよな。慣れって怖い。
先輩に一礼して、すたすたと扉から出ようとする。できなかったけど。
「師匠。蜘蛛のことはお礼を言う。ありがとう」
「……そう思うのなら、この手を放してほしいんだが」
「それとこれとは話が別。私たちの下着姿を見たのは事実」
「……いや、俺はガキ相手に興奮したりせんのだが」
一応、反論らしき反論も言ってみたのだが、エレナの手が放れることはなかった。いや、むしろ強くなってきているような………?
「見たものは見た。だから、代償は払ってもらう」
「ですよねー………」
ドナドナー、と子牛が運ばれていく姿が脳裏によぎる。女子たちに連行されながら、今回はアカネと先輩のあれが見れたのでよしとするか……と思い込ませにかかるのだった。
レオンにしては珍しいラッキースケベ回でした。ただし、その後はいつも通りなトラブルが起きた模様………