~四話 魔法の道具~
あれから暫くの時が経ち、私の目も随分ハッキリと見えるようになってきた。言葉も一音一音がハッキリと聞こえるようになった。
赤ん坊の学習能力は高いと言う。それを私のような、精神年齢の高い者が感覚として理解出来るとは思いもよらなかった。
さて、今日は魔法について考えていこうと思う。
この世界にも魔法があるのだ。慣れ親しんだものに触れると安心出来るのは私だけでは無いはずだ。
もっとも、この世界では魔法よりも、魔道具の方が流通しているようだ。
魔道具というのは魔法を扱えない人でも、少量の魔力で魔法の恩恵を受ける事が出来る道具の事を言う。
その特性上総じて高価な物だが、あると生活をするうえで非常に便利になる。
それをこの家では惜しげもなく、色々な場所に使っている。流石は貴族様である。
例えば私の頭上に吊るしてある飾り。ただ煌びやかなだけではなく、魔道具として使えばクルリクルリと回り始めるのだ。……はたしてこれになんの意味があるのだろう。全く持って分からないが、恐らく風の魔道具だと思う。
微風を羽に当てて回転させているのだろう。貴族の考える事は分からない。
天井に吊るされているのは他にもある。光を放つ魔道具だ。
これは高い。絶対に高額な物だ。考えても見てほしい。我々は普通、日が昇る前に目覚め、日が落ちる時に一日を終える。夜は蝋燭に火をともし、或いは自前の魔力で光の珠を浮かべ明かりにしている。それにしても光量はここまで多くない。
それなのにこの魔道具を付けると、まるで昼間と錯覚するほどの明かりが周囲を覆うのだ。
これがどれほど凄い事か分かっていただけるだろうか。人々の生活を根本から変えてしまうかもしれないのだ。
さらにこれは発展型なのだろう。ただ明るくするだけではなく、光量を自在にコントロールし、光の種類までも変える事が出来るのだ。
流石は貴族様である。このような魔道具、一体いくらしたのだろうか。少なくとも前世の私の収入で買えるとは思えない。
光魔法というものは使用出来る者が限りなく少ない。故に研究も広がらず、他の属性の魔道具に比べると一歩も二歩も遅れてしまう。同じくして闇魔法の魔道具も発展が遅れているが、闇魔法はあまり便利では無いので特に魔道具を作る必要が無い。
この世界の魔道具は凄い。それを痛感する。
そのかわり魔法は余り得意ではないようだ。少なくとも私の両親は魔道具こそ使うものの、魔法を直接使っている事を見た事が無い。
ただし、同時に扱う魔道具の量が多いので、精密な魔力のコントロールはお手の物と見ていいだろう。
魔道具は魔法よりも使用する魔力は少ないが、微妙な力加減で状態が変化する繊細なものだ。一定の出力を維持するためには精密な魔力操作が必要なのだ。
物によっては調整時ではなく、発動するタイミングで精密な魔力操作を必要とする魔道具もある。一度大量に魔力を流せば流した魔力が尽きるまで一定の働きをする魔道具もある。件の『デンキ』とやらがそれに当たるのだろう。
魔法もコントロールは必要だが、それ以上に重要なのは魔力の量だ。放つ魔力量が大きければ大きい程強い魔法となる。
逆に言えば、大雑把に術式を編んでも、魔力量さえ十分ならば魔法は発動するということだ。
繊細な魔力操作技術が必要な魔道具、膨大な魔力量が必要な魔法。そう覚えてもらって構わない。
勿論例外はあるが、それを語っても仕方ないだろう。
兎に角、そんな魔道具を同時にいくつも完璧に管理している両親は凄いの一言で有る。
コンロという炎を生み出す魔道具。デンキという光を生み出す魔道具。エアコンという火と風の複合魔道具。レイゾウコという冷却する空間を生み出す魔道具。
どれも素晴らしい発明で、それを同時に使いこなす技量は素晴らしい。
父に至ってはテレビという、遠くの映像を映し出す不思議な魔道具を使っている。こればかりは私の知識が及ばず、一体どのような複雑な魔術式を編み込んだ魔道具なのか見当もつかない。
いや、私の国にも確かにあった。だがあれは一国にたった一つしかない、至高の宝玉とも言えるものだった。それは遥か昔の聖遺物であり、結局どうなっているのか理解することが出来ずじまいだったのだ。
なによりあれは一度発動するのに何十人もの魔術師を必要としていたはずだ。勿論そのための人件費で莫大な費用が飛んでいく。緊急時に何度か見た事があるが、滅多にお目にかかれるモノでは無かった。
それを手軽に使っている。一体どれだけの上流貴族なのだろうか。それとも、このテレビが量産されるほどの魔法技術を持っているのか。
あぁ、凄い。なんて凄いのだこの世界の魔法技術は。
私はこの世に生まれた事を感謝する。
学ぶべきことが多く、全く退屈しない。
人生とは果てなき追及である。そう私は思うのだった。
魔法の道具(機械)
貴族勘違いはまだ続きます。常識がずれてるんだもの。