樹海の闘い(1)
樹海を進んでいるうち、見覚えのある風景がチラホラ眼につくようになってきていた。
樹海内部はどこもかしこも同じ景色に見えるため、方向感覚がなくなり迷うのだが、こう戦闘痕が見え隠れしてくると嫌でも先の戦闘を思い出すし、迷う事はなさそうだ。
自分の背丈ほどもある熱帯性植物をかき分けて道無き道を進むと、いびつな円形状に地面がえぐられ、捲り上がった状態の箇所がいくつもある場所に出た。爆発痕だ。
その一つについに今夜初めての死体を見る。
捲れ上がった土が背中の上に堆積した、下半身のない死体・・・マンティコア兵だ。
死体の前にしゃがみこみ、顔を覗き込む。
あの混乱した戦闘中には敵兵の顔等見る余裕などなかった。いや、いつも、殺した敵の顔を確認することなどなかった。だからなのか、何故か確認してみようという気になったのかもしれない。
死体の顔にかかった土を掌でそっと拭う。
自分たちよりも少しだけ年上の若い男の兵士だった。
その顔は、まるで地獄を眼前に突きつけられたように絶望に歪んだまま息絶えていた。
下半身を失った身体の方に視線を移すと、その身体はまだほとんど機械化されていなかった。
今のマンティコアの機械化部隊で一部分しか機械化が施されていないと言う事は、即ち入隊後間もない新兵だということを意味していた。
「初めての戦場やったんかもな・・・」
そう呟いて、そっとその絶望に歪んだ顔の見開かれた眼に掌をやると、瞼を閉じてやる。それも初めての経験だった。
ふう・・・と小さく溜め息をつき立ち上がると、翡翠は辺りを見渡した。
いくつかの死体が眼に入る。
戦闘服から察するに、全員マンティコア兵だ。それも機械部分が一見目立っていないことから、ほぼ新兵だと思われる。
翡翠の頬を一雫の汗が流れ落ちた。
翡翠は気分がすぐれなかった。
草葉の上の雫から察するに午後にスコールが降ったのであろう影響で涼しい風を感じる事が出来たが、湿度は非常に高く蒸し暑い。既に腐乱が始まっている死体もいくつもあった。だが、原因はそれではなかった。
ここ最近、翡翠の心の奥深くに、何か得体の知れない、今まで経験したことのない感情が蠢いているのを感じていたのだ。
その得体の知れないナニかは、今夜、樹海に入ってからさらに大きく実感できた。
いつからや・・・翡翠は考える。
薬が切れた時か・・・いや、あの時も経験した事の無い不安定な精神状態だったが、ナニかの気配はなかった。
崖で仲間が殺られた時か・・・あの時は命令通り戦場から退避するのに必死で、そんなのを感じれる状況じゃなかった。
聖域・・・そう、聖域だ。
あの場所で大腿部を切断寸前まで斬りつけられた後、パールの腕にぶら下げられたダイヤとサファイアの無惨な死体の一部を見たとき、傷のせいで動く事の出来ない自分の中に初めて得体の知れないナニかを感じたのだ。
そう、あの時あの場所で、ナニかは産まれたのだ。産声もあげずに。
翡翠は眉間を指でほぐした。
いつからか・・・それが分かったところで、気分が良くなるわけでもない。
「根本的な解決にはならんわな・・・」
そう独り言を言って、大きく溜め息をつくと大きく伸びをし、再び自分の背丈ほどもある草をかき分け進み始めた。
しばらく進むと、草を踏み倒したような獣道に出た。
翡翠の顔に少しだけ悲しみの表情が浮かぶ。
そう、この道はピースフロンティアが最後に歩いた道だった。
この道を進めば、自分達が野営していた広場に出る。最初に爆撃された場所に。
翡翠はとてもその場所に行く気にはなれなかったが、ひょっとしたら生き残った仲間がいるかもしれないという僅かな可能性を信じて道なりに歩いた。
10分程歩くと、踏み均された道の両側に生い茂る草の背が低くなり、ぽっかりと開けた広場に出た。
芝生のような背の低い草が所狭しと生い茂るその広場の中央奥に、大きな爆撃痕が大穴を開けている。
翡翠は、息苦しさをおぼえながら、その爆撃痕に近づいた。
そして、その光景を目の当たりにし、思わず口を抑え涙ぐむ。
初めて見た仲間達の死体だった。
そのほとんどは原形を留めず、無惨にバラバラになっている。よく見ると、獣にかじられたような痕もあることから、樹海の死肉を漁る獣たちに良いように食い散らかされたのかもしれない。
この樹海で形成される生態系では、ごくありふれた当たり前の事なのかもしれない。
しかし、いままでさんざ敵兵を殺し、死体を見てきたにもかかわらず、それが仲間のものとなると、憤りを感じずにはいられないのだから勝手なものだ。
最早誰とも区別のつかない仲間達の死体ではあったが、せめて欠片を集めれるだけ集めて、埋葬してやろうと思い、翡翠は散らかる欠片を拾おうと前のめりになった。
その時、その欠片が半分浸かった大きめの水溜まりを視界に捕らえ、身体が硬直した。
「なんでや…」
翡翠の顔に、身体に一気に脂汗が浮かび、動悸が激しくなる。
「なんでウチ、笑ってるんや…」
水溜まりの水面には翡翠の顔が写っていた。
その顔は、快楽を貪っている最中のような卑しい笑みを浮かべていた。
咄嗟に水溜まりから飛び退き、顔を押さえる。
手探りで自分の表情を確認しようとしたが、どうにも上手くいかなかった。
「ありえへん…」
翡翠は荒い息で呟く。
仲間達の無惨な死体を目の当たりにし、怒りや憎しみ、悲しみといった感情は自覚していたが、その中にはあんな卑しい笑みを浮かべる要因はなかった。
翡翠は息を整え、恐る恐る水溜まりに近づき、その水面を覗き込む。
そこに写るのは、神妙な顔をした翡翠であった。
翡翠はほっと胸を撫で下ろす。
初めて見る仲間達の無惨な死体に幻覚でも見たのかもしれないと自分を納得させるが、それでも嫌な気分からは解放されなかった。
「ごめん、また今度…」
一刻も早くこの場所から離れたい衝動に駈られた翡翠は、仲間達の死体にそう呟くと、踵を返して足早に草木を掻き分け広場を後にした。
コーラルは、迷っていた。
実のところ、コーラルはピースフロンティアいちの方向音痴である。
部隊で行動するときや、あらかじめ地図や設計図を用意されているときは、それを完全に記憶することで対応していたが、今回のように樹海の中を好きなルートを通って目的地に向かう場合、高確率で迷う。
そして今回も例に漏れず、迷子になっていた。
コーラルは何処をどう歩いたのか、鬱蒼と生い茂る樹海において何故か枯れ木が一帯に広がる地帯に来ていた。
コーラルは口元に指をあてがう。
仲間に通信して迎えにきてもらうか…。
いや、きっとバカにされる。特にガーネットにはきっと1年くらいネタにされる。
クォーツにコネクトして、どうにかしてもらうか…。
いや、それも結局、クォーツ経由で他の仲間に助けを求めることになるので、結局は結果は変わらない。
「八方塞がりじゃん…」
コーラルはわざと標準語で呟いた。
「とりあえず、先に進むしかないやんな…」コーラルはそう自分にそう言い聞かせて、枯れ木群を進む。
比較的背丈の低い枯れ木群は隙間が狭く、身体を横に向けてすり抜けたり、屈みながら進んでいたのだが、それでも枝や幹に身体の一部分が引っ掛かり、その度に「もうっ!!」とイライラしながら独り言を言いながら進んだ。
特に、彼女の豊かなFカップの乳房は身体を横に向けても、屈んでもよく引っ掛かり、その度に柔らかいその乳房は柔軟に形を変えて障害物を包み込み、その形をコーラルに伝えていた。乳房越しに伝わるその感覚が、特に彼女をイライラさせていた。
「もうっ!!」
コーラルは肩にぶら下げたライフルのグリップの底で枝を叩き折る。
「なんでこんなに大きく育ったんかなぁ…このおっぱい…」
溜め息混じりに自分の胸を見下ろしたコーラルは、諦めたように空を見上げる。
「つるぺたはさすがに嫌やけど、ひとなみ人並みで良かったのに…みんなと同じ訓練受けて、なんで私だけ…」
そう言って翡翠を少し羨ましく思う。
そんな事を考えてる自分に対し、はっと我に帰ったコーラルは頭を左右に大袈裟に振って、再び崖を目指して歩き始めた。
鬱蒼と生い茂る樹海のど真ん中をまるで大蛇のようにくねくねと曲がりくねった大河が流れている。川幅はある場所では狭く、ある場所では対岸が見えない程広い。流れも早い所もあれば、緩やかな所もあるが、透明度は驚く程低い。
大河の岸よりには大量のマングローブが群生しており、より一層、本来の川幅を分かりにくくしていた。
その曲がりくねる大河に沿うように、ガーネットは短い木の枝を振り回しながら、口笛を吹きつつ歩いていた。何も知らない人が端から見れば、ご機嫌にピクニックしているようだが、この魔物の巣窟のような樹海においてソレは異質極まりない状況に見えるだろう。
実際のところ、ガーネットの気分はさほど悪いわけではなかった。
まだ敵も味方も死体を見ていないからかも知れないが、仮に見たとしても、そう気落ちしない自身があった。心の何処かで戦争とはそう言うものだと、以前から割り切っていた自分がいたからだ。
ガーネットは半分河に浸かった岩に座ると、腰のベルトから水筒を取り外しキャップを外し、口に僅かな量の水を流し込む。そうして一息つきながら、透明度が低い河の流れをぼんやりと眺めていた。
その時、ガーネットの体内のオリハルコン粒子を使った策敵レーダーが動く物体を感知した。
「大きいな・・・2メートル、いや、3メートル?」
ここまで来る途中に小さな小動物のような物体は幾つも感知していたが、今回のは大きい。
「ここまで大きいと・・・マンティコアの重量火器系半機械化兵か。」
ガーネットはさらに感覚を研ぎすます。
大きな物体の周りに小さな物体が感知出来るが、大きな物体が大きすぎるせいで、イマイチ小さな方の大きさは感知しきれない。
「距離、20・・・25メートル?こっちに来よるか?」
ガーネットはオリハルコン粒子を策敵に使うのが苦手・・・と言うより、下手くそだった。
とりあえず岩から飛び降りたガーネットは膝上まで河に浸かり、マングローブの隙間に身体を捻じ込んで自らを隠すと、グレネードランチャーを構える。そのまま静かに息をし、その物体が姿を現すのを待った。
1分・・・2分・・・・3分過ぎた頃、背の高い雑草を薙ぎ倒しながら、その物体が姿を見せた。
ソレは青黒い体毛を全身に生やしており、両肩にファーを纏ったように金色の長いたてがみのような体毛を蓄えている。
「なんや、ガルダベアかいな・・・」
ガーネットはそう呟くと、グレネードランチャーの銃口を下ろし、ゆっくりと息を吐き出した。
「ガルダベアの事は出撃前のブリーフィングで聞いとったけど・・・なるほど、結構な迫力やわ。」
そう、ガルダベアの事は、今回の作戦のブリーフィングで上官から聞かされていた。
ガルダベア・・・成体は最小でも体長3メートル以上で現存する生物の中では地上最強の動物の1種に数えられる。しかしその性格は穏やかであり、その美しい体毛のせいで密猟者に狙われる事も多々ある。この樹海の生態系のトップであり、一生を決まったつがいで過ごす。獰猛な見かけとは裏腹に非常に穏やかな性格であるが、繁殖期と養育期には非常に獰猛になるため、遭遇した場合は速やかにそのテリトリーから離脱する事が厳守である・・・・だったっけ?と、ガーネットは頭の中でブリーフィングで得たガルダベアの情報を思い出していた。
川岸に現れたガルダベアは二本足で立ち上がると、鼻をフガフガ言わせて辺りを確認すると、きゅっきゅっと可愛らしい声を出した。
すると、雑草を掻き分けて、3匹の1メートルに満たない小熊が姿を現した。その小熊達の体毛は灰色がかっており、金色のたてがみもまだ生えておらず、非常に愛らしい顔をしていた。
「おお・・・可愛いなぁ・・・」
初めてガルダベアの子供を見たガーネットは、素直に感動していた。しかし、ハッと我に帰る。
「って事は、今、養育期ってことやんけ!!凶暴化中ってことやんけ!!!!」
ガーネットは声を噛み殺しながら独り言を言うと、気づかれないようにその場から離脱しようと行動を開始する。その時、ひとつの疑問が生じた。
「ガルダベアって、常に決まったつがいと行動するんちゃうかったっけ?」
そう呟いたガーネットの首筋に、生暖かい空気が吹きかけられた。
ガーネットの顔に脂汗が滲む。
ガーネットが振り返るとそこには、母熊よりもさらに一回り大きな父熊であろう個体が河に浸かりながら立っていた。
「よ・・・よぉ。」
挨拶するように右手を挙げたガーネットに向かって、荒ぶるガルダベアの右手が降り下ろされる。
咄嗟に身を翻しその一撃をかわしたガーネットは、ガルダベアから距離をとったが、その場所はつがいのガルダベアに挟まれる格好となった。
「さて、どないしたもんかな・・・」
ガーネットは苦笑いを浮かべながら、前後のガルダベアの動きを伺う。
「動物愛護の精神ってわけやないけど、なるだけ動物は殺したないねんなぁ・・・」
そんなガーネットの言葉とは裏腹に、つがいのガルダベアが牙を剥き出しにして威嚇する。
「とりあえず、突破口を開かなな。」
ガーネットは父熊に背を向けると、一回り小さい母熊目掛けて突進する。
「悪いけど、やっぱ弱そうな方を狙わせてもらうで!!」
ガーネットは母熊の前で跳躍すると、左膝を顎に叩き込み、勢いそのままに眉間目掛けて右拳を振り抜いた。
「普通の人間なら即死やろけど、お前らなら気絶程度でいけるやろ!?」
得意の近接戦闘術をふるって自慢気顔のガーネットに猛スピードで爪が迫る。
「うわっとぉっ!!」
ギリギリ紙一重で身体を反らしてかわしたガーネットだったが、巨漢に似合わない速度で距離を詰
めてきた父熊の攻撃を背中にくらって、吹っ飛ばされる。
なんとか体勢を立て直し着地したガーネットだったが、背中からの衝撃に息が詰まり咳き込む。
「気絶どころか・・・全く効いてへんやん」
2匹の親熊は子供を隠すように寄り添いながら、牙を剥き出しにガーネットを威嚇し続けている。
ガーネットは背中に強烈な痛みを感じ、視線はガルダベアに向けたまま、左手で背中の状態を確かめる。
防弾・防刃のベストがパックリ割れて、そこから生暖かいぬるっとした血液が流れ出していた。
見ると掌が血で真っ赤に染まっており、血と共に流れ出したオリハルコン粒子がラメのように煌めいていた。
「防刃ベストが効果なしって・・・どんな爪しとんねん。」
ベットリと脂汗が浮かんでテカる顔で、ガーネットは痛みをこらえ苦笑いを浮かべる。
そんなガーネットに向かい、つがいのガルダベアは2本足で立ち上がると、上半身を前に突き出す格好で咆哮する。
空気が震えるようなその咆哮は、さすが地上最強のひとつに数えられるだけあって、聞くものの筋肉を強張らせ身体を萎縮させる。
「不本意やけど、俺も死ぬわけにいかんでな!!」
ガーネットはマシンガンを構えると、つがいのガルダベアの直前の足元地面に向け、引き金を引いた。
連続した射撃音と共に薬莢が放り出され、銃弾がガルダベアの足元の地面を抉る。
つがいのガルダベアは牙を剥き出しにした威嚇体勢のまま、子供を守るように後退る。
ガーネット踵を返してガルダベアに背を向けると、その場から離脱するため走り出した。父熊のガルダベアがすぐにそれに気づき、追いかけようとしたのを察したガーネットは走るスピードを落とすことなく腰のベルトから発光手榴弾を2つ取り出すと、後ろを見ることなくガルダベアに向けて放り投げた。
発光手榴弾が地面に当たり、転がる音がした直後、漆黒の樹海の風景がとてつもない光量の光に包まれた。
ガーネットはそのまま全力で走り、生い茂る草木の中に姿を消した。
おそらく発光手榴弾の強烈な光をまともに浴び、一時的に視界を奪われたであろうガルダベアの荒ぶる咆哮が、樹海に反響していた。
翡翠は樹海の遠くの方から大型の獣の咆哮が微かに聞こえた気がして足を止めた。
眉間にシワを寄せ、周りの気配に耳を澄ます。
樹海において、大型肉食獣の存在はある意味、敵兵士よりも厄介で驚異だ。不意をつかれれば一撃であの世行きにされかねない。
「オオカミか?いや、確かこの森にはガルダベアってのがおったな・・・」
翡翠は背中に背負った状態の2本で鋏のように見えるシザーブレードの1本の柄を握り、警戒態勢のままオリハルコンセンサーで周囲をうかがう。特に周囲に危険を感じさせる獣の存在は無いようだ。
翡翠は張りつめた肺から大きく息を吐き出すと、握りしめたシザーブレードの柄から手を離す。
翡翠はピースフロンティアが初めに襲撃を受けた広場を後にした後、なるだけ交戦の形跡が残る場所を避けながら、とある場所を目的に進んでいた。翡翠の記憶が確かならば、自分の目的の物がそこにあるはずだからだ。時折、仕方なく出くわしてしまう死体は兵士ばかりではなく、この樹海で迷い遭難した挙げ句、不幸にも命を落とした者、樹海の極太の大木の枝のひとつにロープを巻き付けぶら下がっている自殺体など様々であった。そういう人の命と共に感情まで飲み込みながら、この樹海は魔物のように変貌していったと考えると、自然としっくりきた。
大河の支流のこれまた支流にあたるのであろう幅5メートル程の河を何食わぬ顔で飛び渡る。
道無き道を目的の場所に向かって進む翡翠の前にぽつんと1本だけ生える孤独を表したような樹が現れた。
その樹の幹はグロテスクに曲がりくねり、表皮は爬虫類を思わせる質感で深いシワを刻んでいるようにも見えた。
その魔界の植物のような樹のミイラのような枝の1本に結ばれた汚れ劣化したロープの切れ端が風に揺れている。
翡翠はその風に揺れるロープの切れ端の真下に視線を移す。
そこには白骨に腐乱した肉片をところどころ張り付かせた死体が転がっていた。首には腐乱した肉に取り込まれるように輪状になったロープが巻き付いていた。
この樹で首つり自殺をはかり、死後、劣化し千切れた結果地面に落ち、朽ち果てて行っている途中なのだろう。その死体は奇跡的に屍肉を漁る獣達の嗅覚をすり抜け、自然と土に還ろうとしているようだが、その腐乱した肉片には蛆やミミズのような虫達が群がっていた。飛虫も群れながら八の字を描いている。どうやら、虫達は獣達よりもしたたからしい。
「獣だけでなく、虫にも気をつけんとあかんなぁ・・・」
敵兵と獣のみに警戒を絞っていた翡翠は、気持ちを引き締めながらその死体を見下ろしていた。
その時、また身体の奥底から何か得体の知れない感情がざわめきながら湧き上ってくるような気がした。
水溜りに映し出された卑しい笑みを浮かべた自分の顔が脳裏にフラッシュバックする。
心臓が激しく脈打ち、息が出来なくなる。額に脂汗が浮かぶ。
翡翠は咄嗟に顔に手を当て、自分の表情を確認すると、そのまま死体から顔を背け足早にその場を後にする。
「大丈夫や、あれは初めて見た仲間の死体に混乱した脳みそが見せた幻覚や。なにビビっとんねん、ウチ・・・」
翡翠は顔から放した手を左胸に当てると、その掌サイズの小振りな乳房を力強く鷲掴みにする。
そうして自分に何度も何度も大丈夫だと言聞かせながら、闇雲に樹海の中を歩いた。
何処をどう歩いたのか、身体の底から湧き上がり続けた嫌なナニかが治まった頃、翡翠は目的の場所に立っていた。
そこは草木が薙ぎ倒され、捲れ上がった地面が何カ所もあり、焦げ臭い臭いが未だ微かに漂っているような場所だった。
そこは、ルビー隊が大半を失った激戦地の痕だった。
そして翡翠がルビー隊から離脱を余儀なくされた場所でもあった。
ここでの戦闘中、翡翠は視界の片隅で見た物を探し始めた。
なるべく死体らしき物の全容は視界に捕らえないようにしながら、そこかしこと熱心に身を屈めて探す。まるで落としたコンタクトレンズを探すように。
「やっぱりや・・・」
自分の見た物が思い違いだったかと諦めかけた頃、捲れ上がった地面の側の雑草の中からソレは見つかり、翡翠は満面の笑みを浮かべる。
雑草の中に横たわる、上半身の吹き飛ばされたマンティコア兵の死体。翡翠の記憶では確か、上半身に機械化を施された半機械化兵だったはずのその下半身に巻かれたベルトには2本のブレードが腰の両サイドに取り付けられていた。
翡翠は下半身のみのその死体から、ブレード付きのベルトを丁寧に取り外すと、まじまじとその2本のブレードを観察する。
「やっぱりや。」
そのブレードの鞘の底は銃器になっており、片方がプラズマ砲、もう片方が荷電粒子砲になっていた。マンティコアが最近開発した最新鋭の武器だ。世界最強特殊部隊であるはずのピースフロンティアを殲滅する作戦なのだ。最新の強力な武器を惜しみなく投入してくるのは当然と言えよう。
翡翠はブレード付きのベルトを自分の腰に巻き付けると、鞘とベルトの固定部のボールジョイントをフリーにして、ブレードの柄が掴みやすい位置に調整し、固定する。
そしてブレードを鞘からブレードを引き抜くと、満月の光が包み込む夜空に向けて翳してみせた。
満月の光を浴びて美しく黒光りするそれは、マンティコアが最近開発した金属性鉱石で、人類未解明物質であるオリハルコンを除いては世界最硬度を誇るネオカーボナードで出来ている高周波ブレードだった。いや、硬度だけで言えばネオカーボナードはオリハルコンより上とさえ言われる事もある素材である。翡翠が持つシザーブレードがカーボナード製であることから、それよりもさらに固く、高周波であることから、攻撃力も格段に上のブレードと言えよう。
たっぷりブレードの刀身を吟味してから、翡翠はそれを鞘に戻した。
そして凛とした姿で立つ月明かりに照らされた翡翠のシルエットは、大きな鋏を背負い、両腰から下方斜め後ろに伸びるブースターを取り付けられた闘神を思わせるものだった。
月明かりに照らされた翡翠の瞳が一瞬、怪しく妖艶に、琥珀色を浮かべたように見えた。
アンバーは記憶を頼りに、自分達の逃走経路を着実に逆に辿りながら崖を目指していた。
初め、聖域を目指して進んでいたのだが、聖域での戦闘後、気を失ってしまったために村までの道を覚えていないせいか、どれだけ探しても聖域に辿り着くことは出来なかった。
そうこうして樹海内を彷徨いているうちに、聖域に辿り着く前に村を迂回するために通った道に出たので、そこから崖を目指すことにしたのだ。
逃走中、戦闘がなかはずだが、逃走経路を戻りながら、いくつかの死体を発見した。
それは敵兵のものばかりだったが、そこかしこにこびりついた血痕にラメのように煌めくオリハルコン粒子を見つけたことから、自分達とは違う部隊が戦闘したことは容易に理解できた。
血痕や死体を見るたびに、自分の中のオリハルコン粒子の濃度が上がり、目覚めたキラーDNAの本能による虚無に飲まれる恐怖を感じたが、なんとか精神を強く持つことで、支配権を維持することが出来ていた。
あの聖域での戦闘で、虚無に一度飲まれている経験があったからこそ、何とか一歩手前で踏み留まれているとも言えた。
アンバーが見つけた死体達は、どれも損傷が酷く、同じくパワードスーツも損傷していることが原因で、未だ手に入れる事は出来ずにいる。
逃避路を崖に向かって半分程進んだころ、激しい戦闘痕が残る開けた場所に出た。
いや、捲れ上がり、いくつもの穴の開いた地面、薙ぎ倒されたいくつもの樹木、焼け焦げ無惨な姿を晒す背低い植物、激しい戦闘の結果として本来無かった開けた場所になった感じだ。
その場所の中央まで足を進め、アンバーは立ち止まる。
太股に巻いたホルダーからオートマチックの銃を取り出すと、腕をだらりと垂らして、自然体の構えで呼吸を整えた。
少し前から何者かにつけられている気配を、体内のオリハルコン粒子が感知していたのだ。
眼を閉じ、呼吸を整えながら、アンバーは集中する。
僅かな音、僅かな匂い、僅かな空気の流れすら逃さないといった風に。
その時、樹海の静寂を破って、激しいマシンガンの銃声が鳴り響いた。
背後から地面を抉りつつ迫る銃弾群を振り向きもせず、アンバーはその場から動かずにいる。
マシンガンから発射されたであろう銃弾は、数センチ間隔で地面を抉りながら、アンバーの踵の直前まで来て止んだ。
アンバーは眼を開くと、ゆっくりと銃弾の射線本の方に身体を向ける。
アンバーの視線の先の変わり映えしない雑草達が不意に分かれ、そこからゆっくりとした動作で大男が現れた。
「怖くて動けなかったか、お嬢ちゃん…いや、ボクか?」
アンバーの小柄な身体と中性的な顔立ちに白ばんだプラチナブロンドを見た大男は、一瞬、性別が判断出来なかったようだ。
「威嚇丸見えの射線やったからな。動く必要なかっただけや。」
アンバーは見下すような表情で吐き捨てる。
その様を見て不敵に笑う大男は、異常にビルドアップされた身体の大半を機械化しており、両腕には幾つもの銃火器が取り付けられている。足に展開出来るアンカーのような物が取り付けられていることから、重火力も装備しているのであろう。
頭部には、後頭部から顔の輪郭に沿うようにヘッドギアが取り付けられており、ちょうど両耳の前辺りに3つづつ小さな砲門が開いている。
その移動砲台そのままの男は、半機械化兵と言うには、機械化されている部位が多過ぎた。
「剥ぎ取って使えそうなもんは、なんもなさそうやな。」
アンバーがさも残念そうに言う。
「ボクちゃんに剥ぎ取る事なんて出来ないよ。せめてあっさり死んでくれるなよ、ピースフロンティア!!!!」
大男はそう叫び、両腕を前に突き出すと同時に折り畳まれていた銃身が展開し、マシンガンとグレードと火炎放射器が一斉に火を吹く。
アンバーは思いっきり横に跳び、樹の幹の裏に身体を滑り込ますと、男の機械化されていない顔を狙って引き金を引いた。
大男は飛んでくる銃弾を首を回すと、アンバーの放った超硬材の弾丸をヘッドギアの顔の輪郭沿いに付いている部分でいとも簡単に弾く。
「カーボナードか!?身体の装甲も、カーボナードと思った方がええな。」
アンバーの隠れている樹の幹が、乱射されるマシンガンの弾丸によって削られ、みるみる細くなっていく。
「じいさんの野櫻があれば、装甲ごとぶち抜いたるのに・・・」
アンバーは舌打ちして、樹の影から一気に走り出す。
大男の右肩が迫り上り、そこに現れた砲門からロケットが発射された。
アンバーは標的を絞らせない為に、体内のオリハルコン粒子の濃度を上げながら高速で乱立した樹々を盾にランダムに動き回っていたため、ロケットはアンバーの現在地とは見当違いの場所に着弾し、爆音と共に地面に大穴を開けた。
アンバーの位置を特定しきれない大男は舌打ちすると、眼を覆っていた暗視スコープを輪郭に沿った器具に収納させると、代わりに赤外線スコープらしき物で眼を覆わせた。
しかし、その赤外線スコープは機能しる事無く、アンバーの放った銃弾によって破壊された。
破壊された衝撃で大男の頭部が黒煙を上げながら若干後ろにのぞける。
「やるな、ボクちゃん!!ならコレならどうだ?」
大男は叫ぶと、両足のアンカーを展開させると同時に、エビのように身体を前方にくの字に折り曲げる。背中に継ぎ目が入り、それが展開を始める。
脊髄と肩甲骨が一体になったような部分が上から頭部を包み込むように反転し砲身の上部を形成すると、背中の残った両側が脇の下を通って反転し、砲身の両サイドを形成する。最後にくの字に折り曲がった腹筋が反転して迫り上り、砲身の底面を形成した。
頭部を飲み込み展開されたそれらのパーツは金属音を立てて連結すると、大男の両腕が、砲身の両側に突き出したグリップを握り、トリガーに指をかける。
足のアンカーに固定され、前方に大きな砲身を突き出した大男は、人の形をしておらず、まんま砲台と言った感じだ。
トリガーを引かれた砲台から、チャージ音と共に光が漏れ始める。
「プラズマ砲!?冗談やろ?半機械化どころの騒ぎちゃうやんけ!!」
大木の幹に身を隠しながらそう毒づいたアンバーに、異変が襲った。
濃度の上がったオリハルコン粒子に共鳴するかのように、キラーDNAの凶悪な本能が目を覚まし、巨大な虚無となって身体の奥底から湧き上ってきた。
虚無は艶かしく粘液に艶めかした女性の秘部のように亀裂のような裂け目を開き、魅惑的な感覚で誘惑しながら忍び寄る。アンバーは拒絶する隙も与えられず、その粘膜を纏ったヒダに絡めとられると、呑み込まれてしまう。そして虚無は亀裂のような穴を閉じた。
前回と違い意識ははっきりしているが感情は消え去り、身体に自分の意志は反映されそうもない。その意識も目の前で起こる現実を受け入れるのみで、考えると言う事は欠落しているように感じた。完全にキラーDNAに支配されたアンバーの眼が琥珀色の輝きを放つ。
と同時に、プラズマ砲台と化した大男の身体から磁界に閉じ込められたプラズマ火球が放たれた。
プラズマ火球は目にも止まらない速さで1本の樹の幹に到達すると、その強力過ぎる威力を解放し、耳を劈く轟音と共に周囲を一気に火の海に変えた。
「どうだ、ボクちゃん!!死んだか?」
徐々に小さくなっていく火の光を浴びながら、砲台への展開を解き、人型に戻った大男が目を見張る。
「はははははははっ!!!!!回収され損なった甲斐があったってもんだ!!ピースフロンティアの生き残りを1対1で倒したんだからな!!!!良い土産話が出来たわ!!!!!!!!!!!!」
アンバーの反応が無いのを確認した大男は、機械のパーツを擦り合わせる音を立てながら、腹を抱え大声で笑った。
「なんだ、お前。置いてけぼりくらったんか?」
パチパチと音を立てる焚き火程度の火がそこかしこに存在する程度になった焼け野原に、感情の籠らない静かで冷たい声が透き通った。
完全に始末したと確信していた大男は、ギョッと眼を見開く。
「逃げれたはずはない!!躱せたはずはない!!!!」
半ば半狂乱に陥ったような声を上げながら、アンバーの姿を探す。
すると、煙を上げ続ける焼け野原の一部が盛り上がり、地面の中から身の丈程もある鉄板の切れ端を片手に持ったアンバーが這い出てきた。
「こいつ・・・地面の中に!!!!」
「イキった馬鹿が、考え無しにミサイルぶっ放してくれたおかげで、良い隠れ家になったわ。」
『死』そのものを象ったような虚無に満ちたアンバーの瞳を見て、僅かに残った人間の皮膚部分に大量の脂汗を浮かべる大男に、アンバーは身体に付いた土を払いながら言う。
「指定時刻にサルベージポイントにたどり着けないなんて、3流もええとこや。」
アンバーは、さも馬鹿にしたような台詞を吐いているものの、その言葉からは全く感情が感じられない。
「お前らの生き残りを探してる途中に、異常磁場ポイントに入っちまって、抜け出すのに時間がかかっただけだ!!」
大男は、イライラを隠そうとせずに答える。
「そんなポイントに迷いこむ時点で3流や。マンティコアはお前なんか、とうに見捨てとる。」
「黙れ!!ガキがっ!!!!」
大男は唾液を飛ばしながら叫ぶと、アンバー目掛けてマシンガンを乱射する。
その1発がアンバーの眉間を貫いた。
貫いたはずだった。
確かに貫いたように見えた。
が、そこにアンバーは、相変わらず感情のない顔で立っている。
「なんや?残像でもみたんか?」
大男は理解する。
アンバーは、射線を読み、必要最低限の動きでかわしたため、さも弾丸が身体を貫通したように見えたのだ。
そして大男はアンバーの雰囲気が変わったことを敏感に感じとり、いいようのない不安感に襲われる。
「ガキがぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
明らかに焦りの表情を浮かべた大男は、半狂乱になったかのような叫びを上げながら、両腕に取り付けられているマシンガンを乱射する。
アンバーはその直前に、錆び付いた鉄板片を左手に持ったまま、サブマシンガンの引き金を引きながら、高速度で駆け出していた。
大男から乱射される弾丸が、アンバーを追うように地面を抉り続ける。
対してアンバーのサブマシンガンの弾丸は正確に大男の胸にヒットしていたが、カーボナードの装甲に弾かれ、ダメージを与えられない。
アンバーは感情のこもらない視線でその様子を見ながら、大男から一定の距離を保ったまま、
銃弾に追い付かれることなく走り続け、やがて寄生植物が絡まり、無数の蔦がロープの様に垂れ下がった、曲がりくねった大樹を見つけると、方向を変えて、大樹に向かって全力で走る。
銃弾に追われながら大樹に辿り着くと、スピードを落とすことなく魚の鱗を思わせる樹皮の幹にコンバットブーツの爪先を器用に引っ掛けながら、大樹を駆け上がる。
半狂乱になり、最早、理解出来ない言葉を叫び続ける大男の放つ無数の弾丸が、アンバーの後を追い、大樹の幹を無惨に抉る。
5、6メートル程登ったところでアンバーは、大男の方向に向かって伸びる太い枝に飛び移ると、その上を枝に巻き付き垂れる蔦に足を取られないように注意しながらも、ほぼ速度を落とすことなく走り、急速に大男との距離を縮める。
アンバーを追って乱射し続ける大男の弾丸は、地面から幹に、そして枝へと誘われるまま、自然と見上げる形になり、今や弾丸は、アンバーの走る太い枝の底面を蔦をちぎり飛ばしながら削っていた。
充分な距離まで近づいたアンバーは、枝のしなりをも利用する形で、大男の方へ飛び出した。
大男が月を背負ったアンバーの影にすっぽりと覆われる。
大男は両肩のロケット砲を競り上がらせ、顔の輪郭に沿って開いているバルカン、そして両腕に取り付けられている全ての銃火器を自分目掛けて舞い降りてくるアンバーに向け、迎撃体勢をとる。
今まさに大男の両肩からロケットが発射される直前、アンバーは持っていた身の丈程の錆び付いた鉄板を大男の方に投げつけた。
「そんな鉄板で、防ぎきれるつもりか!?消し炭にしてくれるわ!!」
血走った眼で、唾液を撒き散らせながら叫ぶ大男を他所に、大男の視界から鉄板の影に入ったアンバーは、手榴弾を3つ鉄板に向けて放ると、その1つに狙いを定め、オートマチックの拳銃の引き金を引いた。
アンバーの放った銃弾は、正確に3つの手榴弾の内の1つを貫通し、残る2つを巻き込んで大爆発を起こす。
鉄板の影、視界の死角からの思いもよらない銃声に一瞬、筋肉を強張らせてしまい、反応が遅れた大男は、目の前で鉄板ごと巻き込んだ大爆発の爆炎に飲み込まれる。
その炎起因で、今まさに発射される寸前だった両肩のロケットが誘爆を起こし、大男の肩が首の付け根ぐらいまで吹き飛ばされ、千切れた両腕が爆風に煽られ、空高く舞う。
手榴弾に発砲した刹那、枝に無数に垂れ下がる蔦の1本を掴むと、ターザンよろしく器用に爆心地を回り込み着地したアンバーは、別の大樹の幹の裏に身を隠すと、そこから爆煙と爆発によって舞い上げられた粉塵と土煙に視界を遮られている、大男がいた位置にサブマシンガンの銃口を狙いつけた。
どれだけ時間が流れたか…数分か、数十分か、アンバーが無感情な眼差しで銃口を向けるポイントの土煙が薄くなり、ようやく視界を確保できるようになってきた。
体内のオリハルコン粒子のセンサーによって位置を把握し、狙いつけていた銃口の先で、大男は膝立ちのまま、俯いていた。
両腕はなく、左右とも、首の付け根から胸骨付近を通り、脇下15センチくらいまでロケットの誘爆によって抉られており、そこからは血と共に、大量の錆び水色の液体が無数の管から滴っていた。
アンバーは、銃口を向けたまま足早に近づくと、ほぼ胸骨だけの太さになった大男の胸を蹴り、仰向けに倒す。そして虚空の眼差しで樹海の空を見る大男の顔に銃口を向けた。
「お前、なんや?」
「完全機械化兵に至る、テスト兵の1タイプさ。」
アンバーの雑な質問の意図を理解した大男は鼻で笑い、答える。
「カイザータイプってヤツと同じ流れか?」
アンバーは、聖域で闘った、全身の皮膚をダイヤモンド鉄鋼化した兵士を思い出し訊く。今にして思えば、アレも半機械化兵の範疇を超えたモデルだ。
「カイザータイプを知ってるのか!?」
大男は驚いた表情を浮かべる。
「カイザータイプが破壊させたとの報告を受けてはいたが、まさか坊主が殺ったのか?」
アンバーは無言で大男の顔にサブマシンガンの銃口を向け続ける。
「全く、とんだガキを造ったもんだな、ニーズヘッグも・・・」
大男は脂汗でびっしょりになった顔に、苦笑いを浮かべる。
「ダイヤ、サファイア、ルビーを殺ったのも、お前等テストタイプか?」
大男はアンバーの質問に対し、じっと真剣な眼差しを向けると、首を横に振った。
「ピースフロンティアのリーダー格は半機械化兵達で充分だったみたいだぜ。安心しろよ、報告データと比べてお前はそのリーダー格のスペックを遥かに超えてる。」
「俺がダイヤよりも上やと?」
アンバーは大男の言った言葉が信じられなかった。
ダイヤ、サファイヤ、ルビーはアンバー達にとって憧れだった。ピースフロンティア内において最強のリーダー格であり、訓練でも1度も勝ったことがない。そんな猛者より自分が上だと言われても、信じられる訳が無かった。
しかし、キラーDNAに支配されているアンバーは感情を無くしており、その言葉を訊いても特に、感情が揺さぶられると言った事は無かった。
大男が急に咳き込み始め、大量の血液と錆水色の液体を口から吐き出した。
破壊された部位と口から血液と共に流れる錆色水の液体、これは四肢や外装だけでなく、内臓の一部も機械化されている事を如実に表していた。
フルメタルソルジャー(完全機械化兵)もあながち夢物語とちゃうわけや・・・アンバーは感情を無くした脳で感じ取っていた。
その様子を荒げた息で見ていた大男が、ふいに笑い始める。
その笑い声は初めは小さく、そして徐々に大きくなり、最後には狂気じみた笑い声になって樹海の樹々に反響した。
アンバーの眉間に怪訝な皺が浮かぶ。
「いずれ世界の覇権は、我がマンティコアが握る!!完全機械化兵の完成と共に、お前達は単なる軍事産業国としか見ていない国に世界は支配されるのだ!!ギーヴルもケートスも、そして貴様等ニーズヘッグも軍事大国なんて言われているが、我が国から武器の提供を受けられなくなれば、いくら手を組もうが所詮、烏合の衆!!!!世界はマンティコアによって支配され、世界の秩序は、マンティコアによってもたらされるのだっ!!!!!!!!!」
大男が高笑いと共に吐き出す負け犬の遠吠えを黙って訊いていたアンバーは、感情の籠らない、静かでよく通る声を大男にかける。
「そんな事は、させへん・・・。それに、俺達はもう、ニーズヘッグとちゃう。」
アンバーは静かにゆっくりとサブマシンガンの引き金を引いた。
連続した銃声と共に、無数の銃弾が大男の剥き出しで生身の顔に叩き込まれる。
アンバーはサブマシンガンの弾倉が空になるまで弾丸を大男の顔面に叩き込むと、ミンチ状と化し血と錆水色の液体を肉汁のように溢れさせたソレを無表情に見下ろす。
その琥珀色の瞳は、満月の蒼い光を反射させ、無慈悲な死神を連想させた。
アンバーは、弾切れになったサブマシンガンを雑草群に投げ捨てると、踵を返して目的地の崖の方向へ歩き始めた。
再び樹海の樹々の中に入ろうとした足を止め、大男の方を振り返ると少しだけ哀れんだような表情をし、その半機械化兵でもなく、完全機械化兵にもなれなかった亡骸に最後の声をかける。
「おやすみ、blockhead(半端者)」
大男との戦闘から10分くらい経過しただろうか。
樹海を集合ポイントの崖に向け歩みを進めていたアンバーは、体内のオリハルコン粒子の濃度が薄くなるにつれ、身体の重さと、言いようの無い気分の悪さを感じていた。
キラーDNAに支配されていた感情が戻ってきたのだ。
突然、胃がシェイクされたようになり、口内に唾液が溢れ、抑え切れずに嘔吐した。
「くそっ!!」
アンバーは毒づくと、重い身体を引きずるようにして、崖を目指す。
しかしその状態も、時間の経過と共に消え去り、普段の状態に戻ってきた。
アンバーは腰のベルトから水筒を取り、少量の水を飲むと、腕時計を見る。
「もう、みんな、とっくに着いてるころやなぁ。」
アンバーは軽さの戻った身体で思いっきり伸びをすると、速度を上げて歩き始めた。