越時(2)
時間は午前10時をまわっていた。
アンバーは熱いシャワーを浴び、肩下まである白っぽいプラチナブロンドの髪を乾かすと左サイドを丁寧に編み上げ、全体をポニーテールにまとめてリビングフロアに戻る。
黒地にピンクのドッド柄のトランクスの上から、濃紺で細身のストレートジーンズを履き、黒いタンクトップの上から赤いチェックのネルシャツを羽織るとソファーに腰掛ける。
鞄から9口径と11口径のオートマチックのハンドガンをテーブルに取り出しバラバラに分解すると、丁寧に元の形に組み直した。続いて白金地に金色で桜の花弁が舞う中を飛ぶ龍の装飾が施された大口径のリボルバーを取り出した。
そして弾倉に1つ1つ丁寧に弾を込めて行く。
このリボルバーは通常のシリンダーを振り出すスイングアウト方式ではなく、シリンダーの付け根辺りから銃身が折れるトップブレイク方式だ。68口径と言う馬鹿デカイ威力を発射するのにソリッドフレーム方式でなくトップブレイク方式でも強度が保たれるのは、オリハルコン製だからとしか言いようが無い。
射撃操作はシングルアクションでもダブルアクションでも可能な作りになっている。もっぱらアンバーはダブルアクション方式で使っているのだが。
弾を込め終わったリボルバーの折れた銃身を、手首のスナップで元の状態に戻す。ガチリと音がして、リボルバーがリボルバーたる形状に戻る。
アンバーはリボルバーを背骨と腰骨の付け根くらいの位置にあるホルスターにグリップが上を向くように横向きに差し込むと、残りの2丁のハンドガンを両脇にぶら下げたホルスターに差し込んだ。
そして立ち上がると、対面のソファーの背に無造作に放ってあったネイビー色のN-3Bタイプの、左肩に国連加入国のみで構成された世界地図のワッペンの付いたミニタリーコートを羽織った。
そしてポケットから小瓶を取り出すと、キャップを開け、錠剤を1錠掌に転がして、口に放り込み一気に飲み込んだ。
これは強力な精神安定剤だった。
通常病院で処方される最も強力な安定剤よりも3倍ほど強力なものだ。一般の人が飲めば、すぐさま昏倒すること受け合いだろう。
ピースフロンティアの生き残りで安定剤を必要としなくなれたのはクォーツだけだった。それ以外は相変わらず安定剤に頼っている。薬が切れたとしても8年前のような状態にはならなかったが、それでも断薬は出来ずにいた。
アンバーはそのまま目を閉じ、軽く深呼吸すると、部屋のカードキーを手に取りコンバットブーツを履いて部屋を出た。
ホテル『ウォーターヘブン』を出て目の前の4車線の広い道路を渡ると、植物や水路と建築物がバランスよく設計された広大な広場に入る。
『マーメイド広場』、観光が主な収入源のひとつのウンディーネの人気観光スポットのひとつだ。
広場には多国籍の人々が和気あいあいと思い思いの行動をとっており、桜の群れに囲まれた広場の中心に設置されたマーメイド像を囲むように噴き出る噴水にはカメラを抱える人々で溢れ返っている。
もう春とは言え、まだ風が冷たい。アンバーは首周りのファーを少し整えると、マーメイド広場を真っ直ぐ突っ切る。そしてホテルから広場を挟んで反対側の4車線道路を渡ると、道路沿いに並ぶショッピングモールに沿って歩く。朝食兼昼食には、モールに並ぶ店の中から1軒のステーキハウスを選んだ。入り口付近の窓際の席に座り、ことさら胸を強調したユニフォームの若い店員にヘレステーキのレアを注文すると、煙草に火を点け、窓の外を眺める。
観光目的に整備された町並みは美しさそのものだった。モールに沿って流れる水路には、なかなかお目にかかれないくらいの美しい水が穏やかに流れている。
電柱や電線は全て地下に収納されているため、空も広い。そんなモールを、ファッション雑誌を鵜呑みにしたような若者達が、ファッションモデルのコピーのような服装に身を包み、それを個性とばかりに行き交っていた。
「カオスやな・・・」アンバーはぼそりと独り言をこぼす。
ステーキハウスを出て、そのままモールを進む。何気にジャンクフード店のウインドウに貼られたポスターが目に留まり、足を止めた。
そのポスターでは、オレンジ色のロングヘアを緩いウェーブにした綺麗な顔立ちの女性がハンバーガーを両手で持ち微笑んでいる。商品コンセプトにマッチした女性に思えた。
そんなポスターを何の気無しに眺めていると、後ろから声をかけられた。
「瑞穂くん?」
アンバーは振り返ると、そこには道路に止まった、スモークガラスの黒いワンボックスの後部座席の窓から顔を覗かせるオレンジ色の緩いウェーブのロングヘアを2房に分けた女性がいた。
ジャンクフードのポスターの中にいた女性だ。
「やっぱ、瑞穂くんだ!!」女性は後部座席の窓から身を乗り出す。
それを見たモールを行き交う人々は、意外な人気モデルの登場にざわめき立った。
女性は”志津みなと”と言う。今晩食事する予定のクォーツの友人だ。
面倒だと思いつつも、さすがに無視するわけにもいかず、アンバーは黒いワンボックスに近付いた。
窓から見えた志津みなとは、まだ肌寒い初春だと言うのに、青いチューブトップにショートパンツ姿だ。チューブトップからは無節操に豊満な胸の谷間が自己主張している。細身で引き締まった身体をしており、腰も必要以上にくびれている。いかにもスポーツジムによって創られた身体と言う印象だ。
「よく分かったなぁ。」
「瑞穂くん、軍人みたいな立ち方と歩き方するから、すぐ分かったよ。」と笑う。どうやら一般人を装っていても、馴染んだ仕草は滲み出てしまうらしい。アンバーの過去について志津みなとは知らないから、軍人と言う例えは、彼女の勘の鋭さを現していた。
「それにしても、季節感の無い子供みたいな格好やな。」アンバーがみなとの服装に目を移して言う。
「オシャレは我慢だよ、瑞穂くん?」みなとが教師が生徒を諭すように言った。
アンバーには時折耳にするその理屈が全く理解出来なかった。軍人生活が長いせいか、服装は防寒や機能性が重要であり、それを無視すればそれは装飾ではないか・・・と思う。
そうこうしてる間に、まわりのざわつきが大きくなってきた。
人だかりが出来始め、カメラモードにした携帯電話を取り出す若者が多数見受けられた。みなとが最近人気急上昇中というのは本当らしい。アンバーはみなとがカメラの死角になるように身体を移動させる。
「なんか賑やかになっちゃったね?」自分が原因だと分かってないといった風に、みなとが言う。
「もう、行きや。」アンバーが野良犬を追っ払うようにシッシッと手をヒラヒラさせる。
みなとは不満そうな顔を浮かべたが、後部座席のスモークガラスのパワーウィンドウを閉めた。ウィンドウが閉まりきる直前、「今晩の食事の約束、忘れないでよ!!」と大声を出した。
それを聞いた人混みの視線が、一気にアンバーに注がれる。まるで不審者を見るかのように・・・。
「いい迷惑や・・・」アンバーは大きな溜め息をついて、走り去る黒のワンボックスを見送った。
アンバーは自分に注がれる嫉妬や疑惑の視線を受け流すように涼しい顔で人混みを抜けると、しばらくモールに沿って進み、脇道に入った。人通りの少ない脇道を水路に沿って進み、車の交通量の多い道路下の高架の下へと3叉路を左折する。アンバーに続いて、見るからに観光客風の中年夫婦が高架下へと左折する。
アンバーは左折し高架下へと入った中年夫婦の夫の首を出会い頭に掴むと、高架下の壁に力一杯押し付ける。それと同時に反対の手で脇のホルスターから9口径のハンドガンを抜き取ると、鞄に手をつっこんだ妻の太ももに神速で弾丸を叩き込んだ。妻は悲鳴をあげ、地面を這う。銃声も悲鳴も高架上の車の音に掻き消され、外にはまるで漏れていない。
撃たれた妻の太ももから流れた血が、脇を流れる水路に落ちて水を薄い赤色に染めた。
「ニーズヘッグの諜報部の工作員やな?」アンバーは夫の顔を壁に擦りつけながら訊く。
「いつから気付いとった?」夫役の工作員が、呻くように言う。
「ホテルのロビーにおったやろ?バレバレや。」アンバーの言葉に工作員の顔に汗が噴き出した。
アンバーがスイートルームに泊まる事にしているのは、なにもセレブを気取ってるわけじゃない。スイートは高いだけあって、セキュリティーも比例するように高いからだ。これで超A級の敵以外の襲撃リスクは減らす事ができる。そう言う理由でアンバーは国連の経理部門に小言を言われながらも、スイートに宿泊する事にしていたのだ。工作員レベルであれば、ロビーで待ち伏せして、後を付けて、人混みに紛れて殺すか、人気の無い場所で殺すか・・・アンバーにとっては予想しやすい状況になる。
アンバーは夫役の工作員の顔を壁から引き剥がすと、足を引っかけ、投げるように地面に転がした。
「そこに転がる女ぁ連れて、とっととニーズヘッグに帰りや。」そう言ってアンバーは工作員に背を向け、高架下を奥に進んで行く。
「もう止めや、格が違い過ぎやわ。」そう言って立ち止まったアンバーの背後では、夫役の工作員がサイレンサー付きの銃を構えていた。自身の実力を全否定された男の顔は、怒りに歪んでいる。
「この国にはクォーツもいる事、知ってるんやで。クォーツが大事やったら、大人しく・・・」夫役の工作員がここまで言ったところで、構えた銃が弾き飛ばされた。男の手の甲を赤い血筋が這い落ちて行く。
アンバーのハンドガンの銃口からは微かに硝煙があがっていた。
アンバーが発砲したのだが、工作員は構えどころかアンバーの身のこなしすら見えなかった。
アンバーの眼が琥珀色に染まっていた。放たれる殺気に工作員は肺が圧迫される感覚を覚えた。
「クォーツは国連の重要保護人物に指定されとる。それを手にかけるゆう事は、国連軍、しいては国連を主体とした連合軍を敵に回すっちゅうこっちゃ。今のニーズヘッグにそれが出来るとは思えんけどなぁ・・・」
無感情に工作員を見下ろしながら言うアンバーに対し、工作員は震えるだけで何も言い返せない。そんな工作員に背を向け、再びアンバーは歩き始めた。
高架下を抜けて人気の無い裏道を進む。
暫く進むと、街の水路が一カ所に集まった場所に出て、その先が滝になっていた。その滝の脇の薄汚れたフェンスを抜け、古びた長い階段を降りる。
滝から落ちた大量の水が叩き付けられ水飛沫を上げている。その先に広がる廃墟の様な町並みに向け、水は再び無数の水路に分かれて流れて行く。
アンバーはその廃墟のような町並みに歩を進めて行く。
進むにつれ水路の水は薄汚れて行き、異臭を放ち始める。手入れがされず捲れた地面のタイルは汚れ、ところどころに娼婦が立ち、廃墟のような家にさえ住めない路上生活者達も目立ち始める。
通り過ぎる人々は皆、貧困に飢え、破れた服を縫い合わせながら生活していた。
どんなモノにも表と裏がある。
それはこの美しい水上国家ウンディーネにも言える事であった。
美しい景観の観光国家の裏には、決して観光客の眼には触れる事の無い、旅行ガイドにも載る事のないスラム街の存在があった。
このスラムは通称B地区と呼ばれ、ウィンディーネの表舞台である通称A地区には決して出る事の無い人々だ。
元は下級階級の人々の住む、それなりの地域だった。6年前にマンティコアのガルダ侵攻に端を発したマンティコアと国連連合国軍との世界を巻き込んだ戦争の折には特需の恩恵による戦時バブルによって、それなりにここの下級階級の人々も活気に溢れていた。
しかし2年続いた戦争が終わり、戦時バブルも2年前に弾け、世界は今、不況の真っただ中だ。
当然ウンディーネもその煽りを受け、失業率も信じられない状態になった。不況の煽りをもろにくった人々は下級層に移る結果になり、このB地区に集まった結果、当然のようにココは犯罪の温床になり、スラムになるのにそうそう時間はかからなかった。
ウンディーネの政府は効果的な結果を出す事ができず、観光事業への影響を考慮した結果、B地区を封鎖し、A地区から完全に隔離する道を選んだのだ。
政府に見捨てられたB地区のスラム化は止まる事を知らず、マフィアが流れ込み、麻薬と臓器売買のシンジケートが根を張り、結果完全にウンディーネの闇と化した。
そんなスラムを進むアンバーに、見るからに小学生の少女が声をかけてくる。マッチ箱を差し出し、にっこりと笑いかけてくる。売春の合図だった。
アンバーは少女に無感情な視線を送ると、無視して歩き去る。
少女は大きな舌打ちをして、汚れた地面に唾を吐き捨て走り去って行った。
アンバーとて同情の感情はある。不遇な環境に産まれ育った少女に自分を重ね、思わず金を渡しそうになる。しかし、そんな事をすればすぐに貧困な人々に囲まれ、身動きが取れなくなる。そんな事態は避けなければならなかった。本格的に政府がこの闇を抑えきれなくなって、闇がA地区を飲み込むような事態になれば、国連が動き自分達が介入する事になる。それはすなわち、武力の行使を意味する。アンバーは、せめてそんな事態にならず、なんとか自力で復興してくれる事を望んだ。甘い望みと知りながら・・・。
しばらく歩いたその時、奥の行き止まりの壁の向こうから小さな悲鳴が聞こえた気がした。
アンバーは行き止まりの壁に置かれた大きなダストボックスに飛び乗り、静かに最低限顔を覗かせて、壁の向こうの状況を窺う。
そこにはさっきの小学生くらいの少女がいた。その少女がみるからにチンピラの男3人に囲まれている。どうやらアンバーに声をかけた後、このチンピラ共を誘ったようだ。
一人の男が女の子に馬乗りになり、少女が身につけている薄いワンピースを無理矢理脱がしにかかる。抵抗する少女の頬を男が殴る。乱れたワンピースの胸元からほんの僅かに膨らんだ下着に包まれていない少女の胸が覗いていた。
必死に眼に涙を浮かべ抵抗する少女を歪んだ笑みで見つめるもう一人の男は、自分のズボンのベルトをゆるめ、ファスナーを下ろす。
「ヒデ、ちゃんと見張ってろよ!!」もう一人の男が、袋小路の入り口の角に立つ若いモヒカンヘアをピンクに染めた男に言った。
馬乗りになっていた男が女の子の下着力ずくで脱がし女の子の口に詰め込むと、ベルトを外しファスナーを下ろす。もう一人の男も既に準備万端の様子だ。欲望の先端から粘り気のある透明な液体が滴り落ち、糸を引いていた。
もう一人は壁にもたれ、煙草をふかしている。行為そのものには興味がない様子だった。
声すら出せず、涙を流す事しかできない女の子を囲む男達の顔が欲望の笑みに歪む。ヒデと呼ばれた男だけが、言われた通り必死に通りの様子を窺っていた。
男の剥き出しの股間が滑り気のある液体を垂らしながら、女の子の未成熟の股間に近付いていく。もう一人の男が我慢出来ないと言わんばかりに、息を荒げる。
股間同士が接触する直前、大きな音がその袋小路に響いた。
男達がビクッと反応し、辺りを見回す。
そこには、いつの間にか壁を飛び越えたアンバーがアルミで出来たダストボックスを蹴って転がしていた。
突然の出来事に袋小路を静寂が包む。自分達しか居なかった筈の場所に突然見知らぬ人間が現れたのだから当然と言えば当然だった。
「なんだ、てめぇは!!」欲望を露にした下半身を丸出しにした男が叫ぶ。
「見せもんじゃねぇぞ、坊主!!」これまた下半身を丸出しにした男が少女に四つん這いになったまま顔だけこちらに向き、叫んだ。
なんとも滑稽な状況やな・・・とアンバーは思う。
「ヒデ、てめぇ、何処見てやがった!!」涼しい顔で煙草をふかしていた男が怒鳴る。
怒鳴られたヒデと呼ばれた若い男は慌てて走り出すと、壁に立てかけてあった鉄パイプを手に取り、奇声をあげながら背後からアンバーに振り下ろした。
アンバーは後ろも見ずにそれを受けとめると、そのまま肘をヒデの顔面に叩き込む。肘にはっきりとヒデの鼻が折れた感触が伝わる。ヒデは顔面を押さえてその場に崩れ落ちた。
男がまだ欲望全開の下半身を露出したままで、アンバーに近づこうとする。
それより速くアンバーは行動を開始し、一瞬で距離を詰めると、男の股間を蹴り上げた。そしてそのまま空中で回転し、後ろ回し蹴りを四つん這いの男の横顔に蹴り込んだ。
股間を蹴られた男が泡を吹いてうずくまるのと横顔を蹴られた男が吹っ飛んで倒れるのはほぼ同時だった。
ヒデの鼻が折られ、横顔を蹴られた男が倒れるまで、あっと言う間だった。
アンバーはそのまま乱れたままの姿で横になったままの少女に背を向けて、男達と向かい合う。
地面にうずくまる男三人が、状況を飲み込めず、怯えた表情でアンバーを見上げていた。
「調子にのんなよ?女みたいな顔しやがって・・・。お前もついでに可愛がってやろうか?ああ?」煙草をふかしていた男が言う。
やられ役の典型的な台詞やな・・・と、男の方に視線をやると、男は銃を向け、既に勝ち誇った顔をしていた。
たかが銃を手にした程度で、自分の勝利を疑わず、その上、余裕までぶっこく・・・戦場経験のある人間なら、有り得ない事だ。アンバーは呆れ過ぎて大きな溜め息をこぼした。
その様子が男の勘に障ったらしい。男は額に数本の血管を浮かべ、怒りに充血した眼球でアンバーを見据えると、意味不明な言葉を叫んで引き金を引いた。
アンバーは無表情で身体の前で大きくはらうように右手を動かした。
男の顔が理解不能と言った表情を浮かべる。
握られたアンバーの右手がゆっくり開かれる。
開かれる右手から、何かがこぼれ落ち、地面を跳ねて転がった。
その場にいた少女とアンバーを覗いた人間の表情が、地面に転がる物体を視界に捕らえた瞬間に凍り付く。有り得ないといった恐怖の表情に一気に染まる。
地面に転がった物体・・・それは銃弾だった。一瞬前に男の一人が怒りに任せて発砲した銃弾。
アンバーは男達に向け、殺気を解放した。
男達を取り巻く空気、風景、全てがぐにゃりと歪んだと錯覚する程の殺気。
ヒデを除く男達が悲鳴を上げ、涙を浮かべ、よだれを垂らし、叫びながら一目散に逃げ出した。内二人の男は恐怖に縮こまった下半身を露出したままだ。
ヒデはと言うと、その場に腰が抜けた状態で恐怖で小便を漏らしていた。その歯がガチガチと音を立てている。
「お前、あかんわ。さっさと足洗えや。でないと死ぬで。」アンバーがそんなヒデを見下ろし静かに言う。
ヒデはようやく立ち上がると、何度も足をもつれさせ転びそうになりながら逃げて行った。
ふぅ・・・と軽く息を吐き出したアンバーのミニタリ―コートの裾を少女が引っ張る。振り向くと少女が乱れたワンピースそのままに、突っ込まれていた自らの下着を口から取り出し、潤んだままの瞳とまだ乾いていない涙で頬を光らせながら無理に笑顔を作ってマッチ箱を差し出していた。
「1万5千円でどうですか?」
決して自分の身体を安売りしている訳ではない。このB地区に堕ちてきたのか、それとも産まれながらにここの住人なのか、それは定かではないが、この少女はこれしか生きる方法を知らないのだ。
感情を押し殺し、偽りに塗り固めた笑顔を造り、安金でどこぞと知らぬ男に抱かれる・・・それしか今日を生きる術を持っていないのだ。
アンバーに同情の感情が浮かんだが、なんとか抑え込み、無表情で少女を見下ろす。
少女はその様子を見て掴んでいた裾を離すと、俯いて通りの方へとぼとぼと歩いて行く。「ありがとう」小さくそう言い残して。
”自分の力では抜け出せない状況にいる、罪もない弱い人達を一人でも多く助けてあげてね”
アンバーの古い記憶が蘇り、脳内に反響する。
「おい、両親はどないした?」アンバーは歩いて行く少女の背に問いかけた。
少女は歩みを止めると「死んだ・・・」と聞こえるか聞こえないかの声で答えた。
「パンツ履き。」アンバーは言うと、少女の隣に並ぶ。少女が訳も分からず言われた通り下着を履くのを待って、アンバーは少女のささくれた手を握って歩き出した。
「1万5千円・・・」アンバーに手を引かれる少女がワンピースを整えながら言う。
アンバーは何も言わずに少女の手を握り、B地区を突っ切るように歩いて行く。その姿を見るB地区達の住人の視線は、彼らの眼球そのままに濁っており、アンバーが少女を買ったとしか思ってないようだった。
それほどまでにここでは日常茶飯事の光景なのだ。時折この地区の存在を知った観光客が少女達の身体を買いにくるのだ。
B地区の端に着き古く錆ついた鉄の長い階段を上ると、A地区とB地区を区切るフェンスの扉にアンバーは手をかけた。
そこで少女は足を棒にして立ち止まると、俯いて言う。
「だめなの・・・私はその先には行けないの・・・」
アンバーはそんな少女の頭を少し力を入れて撫でると、扉を開け、強引に少女をフェンスの外に連れ出した。
「おい、お前、何やってる!!!!!」
フェンスの外、A地区に足を踏み入れた途端怒鳴られ、制服に身を包んだ男が二人走り寄って来た。
腹に中性脂肪がたっぷりと蓄えた中年の男と、見るからに仕事が出来なさそうな線の細い鼻下に疎らな髭を生やした中年の男。この二人はウンディーネの警察で封鎖地区担当課の人間だった。B地区の人間がA地区に出て、観光客の眼に触れさせない事を生業とする者達。それで金を貰い、A地区にしがみついて生きているB地区予備軍。それ故、B地区の人間に対して必要以上に厳しく嫌悪の感情を抱く。明日は我が身かも知れない人間。
「国連交渉部特別交渉課交渉員、東雲瑞穂や。」アンバーが国連の縦開きの身分証明書をポケットから取り出し封鎖地区担当官の二人に向ける。
国連交渉部特別交渉課交渉員、それが国連における今のアンバーの立場であった。
「お前みたいな若造が国連関係者ぁ?」メタボの中年があからさまに疑いの眼差しを向ける。
「その証明書、貸してもらっても?本部に問い合わせますので。」線の細い中年が面倒臭そうに言う。アンバーは無言で身分証明書を手渡した。
線の細い中年がだるそうな足取りでパトランプの付いた地区管理車両に向かって歩いて行った。
「おい、兄ちゃん、口調から察するにニーズヘッグからの観光客か?どうやってこの地区の事しったか知らんが、幼女売春は犯罪だぞ?その上、B地区の人間をフェンスの外に連れ出したとなれば重罪だ。覚悟しろよ?」メタボの中年が肥え太った腹をボリボリ掻く、見るからに不快な仕草をしながら続け、欲望の籠った粘っこい視線を少女に向ける。
「お嬢ちゃんもたっぷりお仕置きしてからフェンスの中に戻すからなぁ・・・悪い事したらお仕置きしないと、立派な大人になれないからなぁ。」
少女がその視線に耐えられないと言った風に震えながらアンバーの手を握る。アンバーは無言で少女の手を強めに握り返した。
そうこうしてる間に、線の細い中年の男が車に積んだ無線で本部に確認をとると、慌てた様子で走って戻って来た。
「し、失礼しました!!」アンバーの前に立つと背筋を伸ばし敬礼する。その姿をメタボの中年の男が何事かと見つめる。そんなメタボの中年男を線の細い中年男は引っぱりひそひそと耳打ちする。
メタボの中年男の表情が固まり、見る見る青ざめて行く。
「無礼な言動、申し訳ありません!!先の戦争の英雄とは知らず、とんでもないことを・・・申し訳ありません。」メタボの中年男が何度も頭を下げる。
弱いものに対しては権力を振りかざし、強いものにはへりくだる・・・こういう人間達とマフィアが癒着して闇が表舞台を侵し始めるのも時間の問題かもしれない、アンバーは思った。
「戦争の英雄?」少女がアンバーを見つめる。
「戦争なんて一部の権力者の道楽や。無意味で無価値な場所に英雄なんておらん。」アンバーは少女の方を見ずに答える。
戦争で英雄視されるのは、その人物が勝利国に属していて、その上数えきれない人間を殺したと言う証明なのだ。そんな英雄潭にはアンバー自身吐き気を覚える。
「それで、その少女は?」線の細い中年男が尋ねる。
アンバーは少女をチラリと見ると自分の前に立たせ少女の両肩に手を置いた。「この少女をウンディーネの副都心にある国連児童保護施設に連れていってもらえませんか?」アンバーが丁寧な口調で頼んだ。
それを聞いた中年男が二人揃って増々恐縮した感じで「も、勿論です。必ず無事に送り届けます。」と言うと、二人揃って車に駆けて行った。
「国連の児童保護施設?私、もうフェンスの中に戻らなくてもいいの?」少女が突然の事に呆気に取られて言う。そんな少女の前にアンバーはかがみ込むと目線を合わせ、自身の名刺を少女に手渡した。その名刺にはアンバーの国連に置ける立場と名前、そして連絡先が書き記してある。
「施設長にこの名刺を渡すんや。別にこれで優遇してくれるわけやないけど、無条件で受け入れてもらえる。」アンバーは少女に初めて微笑みながら続ける。「そこで新しい人生を手に入れるのも、またフェンスの中に戻るのも君の自由や。」フェンスの中には沢山の助けを求める人々がいる。この少女一人助けるのは平等ではないのは確かだ。しかし、チャンスを与えられる人は不平等でも存在する。この少女はアンバーと出会う事によってそのチャンスを得たのだ。そのチャンスを生かせるか殺すかは少女次第。そんな気持ちをアンバーは少女を見つめる瞳に込めた。
少女はアンバーの気持ちを察したのか眼に一杯に涙を溜め、震える身体でアンバーに抱きつくと顔をアンバーの胸に押し付け「ありがとう・・・ありがとう・・・」と何度も言った。
この少女は今日までに多くの男の欲望をその身体に受け入れて来た。その事実は決して変わる事は無い。それが成長の過程において大きな影を落とす事もあるだろう。それでも乗り越えてフェンスの中の闇を振り切って生きて欲しいとアンバーは望んだ。
ブレーキとタイヤが地面の砂利を擦る音がして車が止まる。助手席のウインドウが開き「用意出来ました!!」とメタボの中年男が言った。
アンバーは後部座席のドアを開け、少女を押し込むと運転席に向かって「お願いします。」言っとてドアを勢いよく閉める。
中から後部座席のウインドウが開かれ少女が顔を覗かせる。
「私、望美って言うの。小岩井望美。お兄ちゃん、覚えててくれる?また会える?」少女が精一杯の涙声で言った。
「ああ、頑張るんやで。」アンバーは少女と握手を交わす。
車がゆっくりと走り出した。
少女が後部座席の窓に貼り付いて何度も何度も『ありがとう』と口を動かしていた。やがて車が角を曲がるまでアンバーは少女を見送った。
「あつっ!!」アンバーがそう呟いて掌を見つめる。
「やっぱ銃弾なんか素手で掴むもんやないな・・・」そう呟いたアンバーの掌は軽い火傷を負っていた。