街へ
今回も絵を入れようと思ったのですが、余裕がありませんでした。
せめて想像しやすいように、主要メンバーくらいは描きたいのですが・・・。
次回をお楽しみにという事で。
最後に、貴重なお時間を割いて、こんなつたない文章の小説を読んで下さって、ありがとうございます。
よろしければ、また次回もよろしくお願い致します。
アンバー達が村長に拾われて村に居候し始めて六日が経とうとしていた。
翡翠が暴走したあの日以来、アンバー達は樹海の捜索は打ち切り、夜間の村の警備を買って出て、交代でそれを務めていた。
日中は、主に大紀に付き合ってもらい、『聖域』で、禅を組み、精神の訓練を行い、その合間を縫っては、村人の手伝いを進んで行うようになっていた。
徐々にではあったが、村人とも打ち解け、戦場から離れたごく普通の生活の中で、心安らかな生活というものを肌で感じ始めていた。
翡翠は依然として、ショックから完全には立ち直っていなかったが、アンバー達の、誰しもに暴走の可能性があり、あの時はたまたま翡翠だった、という言葉に、少なからず救われたようだ。今では翡翠の救世主である大紀を連れて、畑仕事に精を出していた。大紀とクォーツが子供らしく遊んでいる時にも、その傍らで姉のように見守っていた。そう、いつの間にか、翡翠は大紀に対して姉のような感情を抱いていた。
コーラルは、村の狩人衆と狩りに出掛ける事が日課になっていた。
鳥や獣を狙撃する腕はさることながら、時に水中の魚をも光の屈折率をものともせずに正確に打ち抜く様には、村の狩人衆も目を見張り、今では狙撃の指導も行っているようだ。
コーラルが狩猟に出た時は、必ず大量であったため、村の人々にもあてにされている。
ガーネットは、その性格から、面倒くさがりながらも、村人の応援の依頼に応え、村の中を走り回っていた。
それと同時に、村の男連中から麻雀などの博打遊びを教えてもらい、始めのうちこそ良い的にされていたが、飲み込みの早さと天性の勘の良さでめきめき腕を上げ、今ではかなりの勝率を誇ってた。しかし、最終的にはわざと負けたりして誰かが大きく一人負けしないように調節していたため、ガーネットが参加する博打では、誰か一人が泣きをみることはなかった。おかげで、村人も純粋に博打を楽しめているようだった。
アンバーはと言うと、村の仕事を手伝ってはいたが、大半を村長と会議じみたことをしていた。
この先の身の振り方や、マンティコアや母国の動向など、村長と共に樹海に行ったり、村長宅に籠ったりである。隊を預かる者として、やらなければいけない事が多かったのだ。
この日も、アンバー隊の面々は、それぞれの村クエストをこなし、村長に借り受けている家に戻って来ていた。
既にテーブルの上には、コーラルと村の狩猟衆が狩って来た鹿や野うさぎを村の女衆が調理したものが豪華に盛りつけられている。調理と言えば、コーラルも翡翠も女性だからという理由で一度、村の女衆に調理室に連れて行かれた事があった。しかし、初歩的な料理を丁寧に教えられたにも関わらず、二人が手がけた料理はおよそこの世のモノとは思えない出来であった。見た目もさることながら、味は一気に意識を持って行かれる状態だったと聞く。そこにフラッと現れたガーネットがその器用さを活かして試しに作った料理が、意外に絶品な出来であったため、翡翠とコーラルの落ち込みようは半端なく、そして、村の女衆からは当たり前のように声がかからなくなった。
話を戻そう。
テーブルの上には豪華な料理が並んでいるのであるが、未だその料理には誰も手をつけていなかった。
いつの間にか、暗黙の了解というか、全員揃っての食事が当たり前になっていたのだ。食事時に、ミーティングを行う事も多かったので、それが大きな理由だったのかもしれない。
コーラルは、自分の猟銃のメンテナンスはあっさりと終わらせ、村の狩人衆の猟銃のメンテナンスに取りかかっていた。
対人軍用スナイパーライフル(特にコーラルが好んで使う、超ロングレンジスナイパーライフル)に比べれば、村の狩人衆の使う猟銃は簡単な作りであるにも関わらず、メンテナンスが行き届いていなかった為、精度が歪んでしまっていたため、コーラルが丁寧に調整しているのだ。その傍らでは、ガルダベアの子グマが、ライフルのストラップにじゃれついている。
ガーネットは、今日は村の老婆の依頼で、老婆の家の修理をしていたらしい。
今日もガルダは暑く、強烈な日差しが村にも降り注いでいた為、炎天下での修理作業は、さすがのガーネットにもこたえたらしく、帰ってくるなり床にナメクジのようにへばりついていた。ピースフロンティアで活動していた頃は病的なまでに白かった肌も、村の生活で日に焼け、赤を経て、気持ち褐色になって来たような気がする。日焼け自体、ガーネットには初めての経験らしく、初日焼け後の風呂の時は、浴場の外にまで聞こえる程の絶叫を発していたが、今はもう、ほぼほぼ慣れたものらしい。
クォーツはと言うと、今日も大紀と翡翠と共に農作業をした後,大紀と遊び回り、疲れたのか、テーブルの前に座ったままコクリコクリとうたた寝ている。
翡翠はと言うと、土壁にもたれ掛かりながら、何やら楕円形状の薄い金属プレートを嬉しそうに眺めている。
指と指の間で器用にクルクルと回してみては、室内灯にかざしてみせる。まるで誕生日プレゼントを貰った子供のようだ。
「何やねん、にやにやと気持ち悪い。」
ガーネットがナメクジよろしく床に貼り付いた状態で、首だけこちらに向けて訊いてくる。
「今日、大紀が遊びに行った先で拾ったんやってさ。それを丁寧に磨いてサビや汚れを落としてからくれたんよ。お守りに、て。」
翡翠は金属プレートの中心の穴に、縄を通しながら応えた。
「へー、そりゃ、たいそうなモンやなぁ・・・。で、その金具は、いったいぜんたい何やねん?昔の通過か何かか?」
そう訊くガーネットの姿は、怠惰そのものだ。口からは今にも涎が垂れそうだし、いつ床と一体化しても不思議じゃないように見える。
ガーネットの質問を訊いた翡翠の顔に、信じられないといった表情が浮かぶ。
「知らんの?これは刀の刀身と柄の間につける鍔や。」
翡翠は阿呆を見るような目をガーネットに向けて応える。
「知らんの?って、那国の侍の持つ武器のパーツまで把握しとるかいな。そもそも那国自体が諸外国との交流を拒絶しとるんやし、情報も限られるわいな。それに刀なんか、近代武器に比べたら、骨董品やんけ。」
そう呟くガーネットの顔は、阿呆扱いされた悔しさ等微塵も感じていないかのように、だらけたままだ。
それを訊いた翡翠は無言で縄を通した鍔を首からかけた。翡翠は刀を持っていないし、ブレードに取り付けるにはサイズや形状が合わない。
そして首からぶら下げた鍔を見ながら、自分自身、昔の記憶が戻ってなければ、鍔なんて物は知らなかっただろうな、と思う。
「それにしても、なんで鍔がガルダなんかに落ちとったんやろ・・・那国の侍がガルダにおったんかなぁ?」
「那国は度々、内乱状態になる国やから、クーデターに失敗して国から逃げた連中がガルダに来ても不思議やない。そもそもガルダの樹海はそういうところやからな。」
翡翠の呟きに応えたのは、今、帰ったばかりのアンバーだった。今日も、今まで村長とミーティングをしていたらしい。
「アンバー、おかえりぃ!!」
アンバーの声に目を覚ましたクォーツがアンバーに駆け寄る。
「やっとお帰りかぃ!!はよ、飯にしよや。背中と腹が二次元になりそうや。」
そう言ってガ―ネットはナメクジ状態から飛び起きると、勢いそのままに箸を握る。
「その前に、ひとつ訊いてくれ。」
クォーツの頭を撫でていたアンバーの一言に、ガーネットの飯への勢いは殺され、ガ―ネットは低く呻いてうな垂れた。
「なんなん、あらたまって?」
コーラルの問いかけと共に、全員が引き戸の前に立ったままのアンバーに視線を集中させる。
「明日から村長が、ガルダを訪れている国連の馴染みに会うため、街へ行く。それに護衛という形で俺と翡翠が同行する事になった。戻りの予定は3日後。その間の隊長代理はコーラルに任せる。その間、村の手伝いはしなくてええから、村の警備に集中してくれ。」
隊長に相応しい態度と口調で任務を告げるアンバーを皆が静かに見つめる中,口を開いたのは翡翠だった。
「お爺ちゃんに、護衛なんかいる?」
その翡翠の問いかけに、全員が大きく頷く。自分達で対処出来なかった翡翠の暴走を難なく制して見せた村長を、自分達に護衛出来るとは思えない。もし、村長が苦戦を強いられるような相手ならば、とても自分達では敵わないのが現実だろう。まぁ、盾にくらいはなれるだろうが、そんな事は村長が許すはずもない。ましてや、あの村長が苦戦するところを想像すること自体、酷く現実味に欠ける気がした。今現在の知識で村長が苦戦するような相手で想像できる人物と言えば・・・、村長の話に出て来た村長の息子、つがいの巫女を殺され、断罪の銃で自害する事すら出来ず、行方不明になっている現ザクセンくらいだろうか。面識自体無く、村長の話を聞いても、余りにかけ離れた強さであるため想像すら難しいが、現ザクセンである村長の息子が、ユグドラシルの村を壊滅させた犯人を村長と疑い、探しているとすれば、いずれ必ず村長に辿り着く、そんな気がした。そして、その時、戦闘になれば、村長は勝てないように思うのだ。村長の語る息子の強さ自体眉唾ものに感じていたが、何故か、それは確信が持てるのだ。
「俺もそう言うたんやけどもな、背中に傷を負ってる老人を一人で行かすのか?と意地悪に言われてもうたわ。」
溜め息混じりに言うアンバーの言葉に、その傷を負わせた本人である翡翠は呻く事しか出来ない。
「私はぁ?」
上目遣いに問いかけるクォーツにアンバーは軽く微笑むと応える。
「クォーツには村と街とに離れる俺達を脳通信で繋いでもらう大役を果たしてもらわなあかん。頼めるか?」
「了解であります、隊長殿!!」
幼い身体で胸を張り、敬礼するクォーツの姿は実に微笑ましかった。
「出発は明朝早く。今日は明日に備えて早く休もう。」
アンバーのその言葉を待ってましたとばかりに、ガ―ネットはテーブルの上の料理に貪りついた。
小さな軽トラックが、樹海の整備されているとはお世辞にも言えない悪路を、車体をガタガタと揺らしながらゆっくりと進んでいる。
樹海内の村や集落と街とを繋ぐ道はこの悪路しかないので、嫌でもここを通らざるを得ないのが現実であるある。しかし、この悪路も数年前に、当時、都市開発に力を入れていたガルダ政府が、予算を割いて、ガルダ全土に幹線道路を築こうとした際に切り開いたものであり、それまでは、徒歩で街に向かうか、何らかの方法で街に連絡をとり、ヘリを飛ばしてもらうかしか街へ到る方法は無かった為、樹海の人間にとっては、なかなか重宝されているのだ。まぁ、クーデターのおかげで、政府は都市開発等言ってる場合ではなくなり、こんな状態でほったらかしにされているのだが・・・。
ちなみに、樹海に潜む、ゲリラやテロ組織達もこの悪路を使用するのだが、そのならず者達がここを通る樹海の住人達を襲う事は、まず無い。
それというのも、樹海に住み着いたならず者達の間に、とある噂が流れていたからである。
『樹海の善良なものを手にかけた者は、例外無く、人の形を模した悪魔に滅ぼされる』
この噂は、今までいくつもの粗悪組織が樹海内でこつ然と姿を消した事から、ならず者達の間で異常な信憑性を持って怖れられており、結果、樹海の住人達はある程度、安全に生活できていた。
アンバー達も、ガルダへの出撃前のブリーフィングでこの話を聞かされた時は、くだらない伝承か何かと鼻で嗤ったものだが、今となっては、その噂の元になった人間に心当たりがある為、全然嗤えない。
その人物は現在、運転席に座り、煙草をふかしながらご機嫌にこの小さな軽トラックを操っている。
アンバーはというと、軽トラックの荷台で座り込み、身体が浮く程の振動の連続にしかめっ面をして耐えていた。
翡翠はアンバーの隣で、顔面蒼白になっている。人生で初めて経験する車酔いと言うやつらしい。
軍隊の車両というものは、乗り心地など無視されているのが普通である。エアコンもなければ、座り心地など、空気イスの方が幾分、マシなのでは?と考えてしまう程だ。
勿論、翡翠は今まで、その軍用車両に数えきれない程乗り、移動してきた。その経験の中で、車酔い等、ただの一度も経験しなかったのに、現在、人生初の絶賛車酔い中である。
いかに、この道が酷い状況なのか、いかに、村長の運転が粗悪なものなのか、解ってもらえると思う。
「このままじゃ、トラウマになる・・・帰りたい・・・」
さっきから、幾度となく呟いている翡翠の言葉を聞いていると、アンバーも何だか、胃がムカムカしてきたように感じた。
早朝に村を出て、既に7時間以上経過している。その間、休みらしい休みもなく、振動に揺られ続けているのだから、車酔いでなくとも、体調が悪くなるのも当たり前である。
アンバーは、荷台と運転席を隔てる小窓を開けると、村長に声をかける。その声は、自分でも驚く程、かすれていた。
「村長、街までは、まだかかるんか?」
「もうすぐじゃ。」
くわえた煙草を上下に振りながら、村長は軽く答える。確か、2時間程前に同じ質問をした時にも、村長はそう答えた。アンバーがそれを指摘しようとした時、村長がおもむろに、窓の外を指さした。
村長が指さした先にアンバーと青い顔の翡翠は視線を向ける。
そこには、今まで見慣れた風景とは一変して、人工物が乱立した都市とも思える街が見えた。実際、先進国の都市と比べれば、それは遥かに貧しい。しかし、ここしばらく樹海と村しか見てないアンバーと翡翠には、それは、先進国と比べても遜色ない都市に見えた。
しかし・・・、街と、ガタガタと今にも壊れそうな音を立てて進む軽トラとの間には、樹海から流れてきている支流の河がある。支流なのだが、思いのほか川幅は広い。そして、そこそこ、流れも早い。そして・・・その河を渡るのに必要な橋は、見える限りの範囲には、無い!!
アンバーがそれに気付いた時、一瞬、生き返ったような顔をした翡翠が、再び俯き、乾いた笑いを漏らしていた。
古びたコンクリート建築の建物が、まるで無計画に建てられたように、視界に映っていた。そのコンクリート製の建物に、ところどころ点在する色褪せた煉瓦作りの建物が色を添えている。樹海のすぐ傍だというのに、緑は恐ろしく少ない。
大通りに面した場所では、祭りの屋台のような店が軒を連ね、行き交う人々も賑やかで、そこそこ栄えてるように見える。先進国内でしばしば見られるゴーストタウンのような雰囲気は、間違っても感じられなかった。
しかし、ひとたび、大通りから伸びる、細い路地に目を向ければ、暗くどんよりした雰囲気が、今にも、平和な生活を一転させるように滲み出ていた。
アンバーは、大通りに面した古ぼけた喫茶店の中から、通りを挟んだその路地を見ていた。
そのアンバーの視界の奥、路地の暗がりの向こうを、みすぼらしい身なりの薄汚れた中年が横切った。どこにでも、スラムと言うモノは存在するものだ。と、アンバーは何と無しに思う。
アンバー達がこの街に到着したのは、結局、あれから一時間後の事だった。
その頃,翡翠はもう、まるでガーネットの怠惰を真似たように、床にナメクジ状態になっており、顔からは生気が消え失せ、今にも喉の奥から、何かがコンニチワしそうな勢いだった。
日が暮れるにはもう少し時間があったが、翡翠の状態もアレだったので、宿をとり、その日は身体を休める事にしたのだ。村長は、そんなアンバー達を放って、街に繰り出して行ったが・・・。
カランカランと木製ベルの乾いた音を鳴らしながら、喫茶店のドアが開いた。
アンバーと翡翠が視線を向けると、そこには、仕立ての良さそうな黒のスーツに身を包んだイカツイ2人の男を引き連れた村長が大股で店に入ってきたところだった。
アンバーは村長の連れてきた二人の男を見る。
姿勢、歩き方、視線の置き方から、相当な訓練を積んでいる人間のそれが現れていた。身体の重心のズレから、スーツの下、左脇には、拳銃があるだろう事も想像できた。
「軍人あがりかな?」
翡翠が、アンバーの耳元で囁いた。
「案外、現役かもしれんで。」
アンバーも囁きで応えた。
その時、アンバーの眼が、ある違和感を捕らえた。
「子供?」
その声に、翡翠もアンバーの視線を追って、顔をしかめた。村長とイカツイ男の隙間に、確かに子供が歩いている。よく見ると、男達の位置取り、そして視線の動きは、その子供を護るように存在している事が見て取れた。
「なんや、あの子供・・・」
翡翠が違和感を言葉にした時、村長がアンバー達の方に手招きした。
村長は、アンバー達が立ち上がるのを待たずに、店内を奥の方に進むと、男達と共に、隅の観葉植物に囲まれた、店内の客と隔絶されたような個室じみたテーブルに腰を下ろした。
「なんで、街に来てまで植物に囲まれなあかんねん・・・」
翡翠が呟いたが、それを無視して、アンバーは村長の座るテーブルの方に移動を開始した。翡翠は、無視された事に別段腹を立てる様子もなく、それに続いた。
村長に促されるまま、観葉植物によって個室化したテーブル席に腰を下ろす。
すぐに、若い、アルバイトと思われる女性店員が、オーダーを取りに来る。
男二人が無愛想にホットコーヒーを、子供がアイスコーヒーを、アンバーはアイスカフェオレ、翡翠はグレープフルーツジュースを注文した。村長は、その若い女性店員に対し、セクハラともとれるような冗談でのやりとりを2、3したあと、アイスコーヒーを注文した。
「この暑いのに、ホットコーヒーとはの。」
村長が、2人の男に呆れたような視線を送る。
「冷たい飲み物で身体を冷やし、腹痛でも起こしては、ボディーガード失格だからね。」
応えたのは、2人の男に挟まれて座る子供であった。子供特有の、声変わり前の幼い声質が、場に違和感を浮き出たせる。
アンバーは、その場違いな子供を、改めて、観察するように見る。
左目が隠れるように分けられた長い前髪のボブヘアーに、子供ながら整った端正な顔立ちは中性的で、おそらくだが、少年なのだとは思う。濃紺色のスーツは、高級ブランドもののように思えるが、いかんせん子供の外見から、七五三感が否めない。それだけならば、SPを引き連れた、裕福な家庭の御曹司なのだろうとも思えばよいのだが、浮かんだ表情は、多くの経験を積んだ者特有の余裕が感じられ、その小さな身体から発せられる雰囲気もまた、およそ子供が出せるものではなかった。ならば、自分達と同じ少年兵・・・とも考えたが、目の前の少年からは、血なまぐささよりも、知的さが表立っていた。
アンバーと翡翠が、理解出来ないものを前に当然のように警戒するのに気付いた村長が、さほど重要でもないような口調で、少年をアンバー達に紹介した。
「コレは、国連諜報局『A-BLAHAM(エイ-ブラハム)』局長の、アブラハム・ゲンガーじゃ。国連元老院のメンバーでもある。ようは、国連の偉いさんってやつじゃの。」
「東雲氏、コレ呼ばわりとは、また失礼ですね。」
コレ扱いされた少年が、遺憾の意を表明するが、その表情や口調は、まるで気にしていないようだ。
「元老院?こんな子供が?」
翡翠が、驚きの声をあげた。アンバーは黙っていたが、翡翠と同じ意見だ。
その言葉に少年は、一瞬、身を引くような素振りをすると、テーブルの上に肘をつき、顔を乗せる。
「物事を見た目で判断するのは褒められたものではないですね。ピースフロンティアの価値を下方修正することになりますよ?」
咎められたことよりも、超極秘扱いのピースフロンティアの名があっさりと出てきたことに、アンバーと翡翠は、より警戒を強める。
アンバーの右手は、いつでも後腰部のハンドガンを抜ける位置に移動し、翡翠もまた、椅子に立て掛けられた、超振動ブレードをちらりと見た。
それを敏感に感じ取ったSP2人も、すかさず、スーツの懐に手を入れる。
古びた喫茶店の一角に、戦場の緊迫感が生まれ、空気が張り詰め、酸素濃度が低下した。
「なんですか、こんなところで殺し合いでも始める気ですか?お嬢さんが怖がっているじゃありませんか。」
その言葉に、咄嗟にアンバーと翡翠は横に視線を走らせる。そこには、怯えた表情の女性店員が、注文の品を持って立ち尽くしていた。
「あ・・・」
咄嗟に何も言葉にならないアンバー達を制するように、少年が口を開く。
「すみませんね。この人達は役者でして、今、役の練習をしていたんですよ。殺伐としたハードボイルドものでしてね。」
なんて、嘘臭い言い訳かとアンバーは思ったが、女性店員は、納得したように安心した笑顔を浮かべると、役者の台詞合わせを目の当たりにした事が嬉しいよう、きゃっきゃ言いながら、品物を置いて立ち去って行った。立ち去り際、少年が、練習に集中したいから、この周囲には人を寄せ付けないように、と言った事で、女性店員の興奮は最高潮になったらしく、興奮に顔を赤らめて、まるで撮影スタッフの一員にでもなったかのように、責任感一杯で歩いて行った。
「嘘臭くてもね、人は自分の理解出来ない境遇に接した時、安心出来る説明にすがろうとするものですよ。」
少年はそう言って、アイスコーヒーにストローをさし、一口含んだ。多くの経験を経た人間が言えば、さぞ説得力があるのだろうが、幼いお子様が言っても、生意気にしか聞こえない。まぁ、この年齢で国連の主要局を任され、その上、国連の最上機関である元老院に入り込む以上、相当な天才なのであろうが。
そこで、このやりとりの間、腕を組み、静観していた村長が口を開く。
「アブラハムは、見た目通りの年齢ではない。ワシよりも、長く生きておる。」
アンバーは思わず目を見開いた。この外見で、60を超えているであろう村長よりも年上だと言うのか?
「今年で、135歳になりますね、確か。ここまで生きると、歳など興味もなくなるので、確か・・・ですが。」
「130!?成長せぇへん病気かなんかなん?そんな病気、聞いた事ないけど。」
さらりと言う少年に、翡翠が思わず大声を上げたので、アンバーが慌てて翡翠の口をふさぐ。
アブラハム少年は、翡翠の狼狽ぶりに満足げに微笑む。
「この身体で、3体目の身体ですよ。恥ずかしながら、脳移植を重ねて生きながらえているのです。元々の性別は女性だったのですがね。」
脳移植が技術的に可能などと、聞いた事が無い。とんだデマカセに聞こえたが、少年の異様な存在感が、その考えを否定する。
「世間に出せない、オーバーテクノロジーってやつか?」
アンバーが、アブラハム少年を牽制するように、慎重に言う。
「かつて、太古に栄えた文明の技術ですね。しかし、完全には再現されているわけではありません。それなりにリスクも高いのです。それに、こんな技術が世に出ればどうなります?これだけで、世界は混乱に包まれる事になるでしょう。国連は世界のバランスを正す組織です。世界のバランスの為にも、封印しておく技術ですよ。」
アブラハム少年の目が細くなり、薄い月のように割れた笑みが浮かぶ。その表情に、アンバーは背筋に冷たいものを感じた。
「アブラハムは、国連創始者の一人じゃ。」
村長が、補足するように付け加える。
「そうまでして、生きたいってことなん?」
そう訊く翡翠の言葉には、侮蔑の色が隠れているように思えた。
しかし、アブラハム少年は、その色を受け入れるように薄く笑う。
「国連は、まだ、組織として未完成です。世界各国への影響力も、まだ充分とはいえません。この段階で、次の世代に引き渡してしまえば、高い確立で、汚職や癒着に汚れるでしょう。エゴだと言われようとも、どのような非難や侮蔑を向けられようとも、今、国連をダメにするわけには行かないんですよ。国連の名の下に世界がまとまり、世界の子供達が笑い暮らせるその時まで・・・ね。」
「まるで、国連がなければ、世界に平和は訪れないとでも言いたいみたいやな。」
アンバーは、自分でも驚く程、嫌悪感を剥き出しに言った。
「それが、事実であり、真理です。事実、貴方達は、笑えなかった子供達でしょう?」
アンバーは、その言葉に反する言葉を持っていなかった。それでも、アブラハム少年の言葉を受け入れたくないと言う思いが心を占めていた。横を見ると、翡翠も同様に、何か言い返そうと言葉を探している。
そこへ、村長が、掌で場を制した。
「やめんか、アブラハム。挑発が過ぎる。」
その言葉で、アブラハム少年の表情が、我に帰ったように子供のそれに戻った。
「すみません、東雲氏。貴方達も申し訳ない。ついつい熱くなってしまうのが、私の悪い癖なのです。長く生きていながら、情けない。」
その時のアブラハム少年は、さっきまでのアブラハム少年が嘘のように、受け入れやすい雰囲気になっていた。
こっちこそ、ごめん。と、翡翠が思わず言ってしまった程である。
しかしの・・・と、村長が付け加える。
「わしは、人間を、お主より少しだけ、過大評価しておるよ。」
その言葉にアブラハム少年は、目を丸くすると、アブラハム少年特有の薄い笑みを浮かべ、「私も、そう願いますよ」と、言った。
どうやら、アブラハム少年は、村長に対し、特別な何かの感情を持ってるのかしれないと、アンバーは思う。
その場の皆が、それぞれのオーダーした飲み物を口に含んだ。
次に口を開いたのは、翡翠だ。
「アブラハムさん、なんで、ピースフロンティアの事、知っとるん?超極秘扱いのはずやけど。」
アブラハム少年は、ちらりと翡翠を見ると、姿勢を正す。
「国連を舐めてもらっては困ります。ニーズヘッグ軍部には、さもそれが伝統でもあるかのように、昔から、非人道的な研究が噂されていました。それを受けて、何年も前から、『A-BLAHAM』のエージェントが軍部に潜入しています。当然、今回の国連の査察に対し、ピースフロンティアを破棄するため、マンティコアと密約を結び、ガルダに送り込む情報も入ってきていました。しかし、あまりに時間がなかったため、対策がとれず、諦めざるを得なかったのです。ピースフロンティアの子供達には、本当に申し訳ありませんでした。しかし、東雲氏から、ピースフロンティアの子供達を保護していると連絡をいただいた時は、心底、驚きました。エージェントの情報からして、全滅は必死と思われる戦力差だったものですから。元ザクセンの東雲氏が偶然遭遇した事を加味したとしても、想定外でした。貴方達は、国連軍のクラスに置き換えれば、Aプラス級、状況次第では、Sマイナス級はあるかもしれません。非常に良い人材だと思います。」
Sマイナス?と、翡翠が怪訝そうな顔を浮かべる。最強部隊であるピースフロンティアのさらに上がいるとでも言いたげな言い回しに、不快感を感じた為だ。それに気付いたかのように、アブラハム少年が続ける。
「残念ですが、国連軍の中には、貴方達を超える兵士は、多くはないですが存在します。もっとも、その大半は、平時は『A-BLAHAM』のエージェントですが。」
翡翠が、露骨に不機嫌な表情を浮かべた。それが間違えである事を、今ここで証明してやるとでも言いだしそうな程、身体から殺気が漏れだしている。当然、アンバーとしても、ピースフロンティアを馬鹿にされたようで、不快なのだが、なんとか心を鎮め、翡翠を制し、疑問を口にした。
「なぜ、村長がザクセンだと知ってる?村長も『A-BLAHAM』なんか?」
「いいえ」
アブラハム少年は、即答で否定した。
「アブラハムとは、情報を交換する関係じゃ。わしの故郷の里を滅ぼした犯人と、息子、現ザクセンの情報を集めてもらっとる。」
「私は、友人と思っていますよ?」
アブラハム少年の言葉に、村長は、フンッと鼻を鳴らした。
「それにしても、初めて東雲氏が私の前に現れた時の衝撃は、今、思い出しても鳥肌が立ちます。あの圧倒的な死の匂いには、私でさえ、死を覚悟しました。私の中の、価値観がひっくり返りましたよ。おかげで、S級の上にザクセン級というランクまで作った程です。」
アブラハム少年は、昔を懐かしむように笑う。
「そんな事よりも、どうなんじゃ?こやつらを国連は保護してくれるんか?」
若干、いらいらしたように問う村長を、アブラハム少年は一瞥する。そして、薄い下弦の月のような笑みを口元に浮かべる。
「勿論ですよ。なかなかの人材ですし、正直、ニーズヘッグへの釘刺しにもなるでしょうしね。」
その台詞に、翡翠の顔色が変わった。ウチ等を政治に利用するんか?と、口に出る直前、アブラハム少年が先手を打つ。
「そんな顔しないで下さい。私達、国連は、世界のバランスを取らなければならない。時に、非人道的な行いをする国家に対しては、圧力もかけなければならないのです。貴女達に黙って利用する事も出来ますが、それだと、私の信用は得られないでしょう。貴女達への誠意として、口にしたのですよ。」
翡翠は、何も言えず、気に入らないといった表情で、口を真一文字に結ぶしかなかった。アンバーも思わず、舌打ちを漏らす。
「すみません、綺麗事では、世界のバランスは適正に出来ないのです。堪えてもらえませんか?その代わり、私は、貴方達を騙すような事はしないと約束致しましょう。」
アンバーが堪えられずに漏らした舌打ちを聞き、下弦の月のような口元の笑みを困ったような笑みに変え、打診した。見た目は子供であろうが、国連諜報局の局長であり国連元老院のメンバーでもある地位の人間にそう言われてしまえば、アンバー達に返す言葉は無い。
その時、ふと、アブラハム少年の視線がアンバー達から外れ、店内の一点に留まった。
アンバー達も、つい、それを追うように、つられて視線を動かす。そこには、棚と天井の間にちょこんと、テレビが置かれている。そのテレビからは、ガルダから遠く離れた国のデモの様子が流れていた。
その国の政治の中枢の建物の周囲を大勢の人間が取り囲み、デモを先導しているとみられる学生達が、マイクで汗を流しながら必死で演説している。
この国は、三大軍事大国のひとつである『ギーヴル』と同盟を結んでいるのだが、その同盟内容のひとつが今回の騒動の原因なのだ。その内容とは、その国が侵略などの脅威に瀕した際、同盟国のギーヴルが自国同様に軍を出し、その国を護ると言うものである。その代わり、その国の軍隊は自衛のみの存在し、他国での軍事行動を禁じる旨、憲法に明記されているのだ。しかし、それは裏を返せば、ギーヴルが危機に瀕した際、その国の自衛軍はギーヴルを助けに行く事は出来ない。それに対する不満がギーヴル国内で高まった結果、ギーヴルは、その国に圧力をかけ、憲法の改正を要求してきたのである。外交上、その要求を受けるしかないその国は、当然、条件が満たした場合のみ自衛軍が他国で軍事力をふるえるように、強引に憲法改正を押し進めた訳だが、その改正が、後々、戦争を引き起こす危険性があるとして国民が反発、学生の若いパッションにより反発はさらに膨らみ、今回の事態に至ったのだ。
学生の言う事は、確かに的を得ている。可能性があれば、人間は必ず実行してしまう生き物であることは、歴史が証明している。近いか遠いか解らないが、その国が戦争をする確率は非常に高いと言わざるを得ないだろう。
しかし・・・だ。
憲法改正しない場合、ギーヴルは自国民の不満を抱えきれなくなり、同盟内容を変更する事になるだろう。そうすると、今までその国の後ろで強大な軍事力をちらつかせていた用心棒がいなくなるのだ。それはすなわち、その国の周辺国家の侵略を躊躇わせる要員が無くなると言う事だ。結果、待ち受けているのは、戦争である。
つまり、今回の事態に陥った時点で、その国の未来は、どちらを選んでも結局、戦争が待ち受けているわけだ。
テレビから流れてくる学生の演説は、なるほど、確かによく的を得ているし、理屈が通っている。しかし、戦争とは、不条理の極みなのだ。残念ながら、非の打ち所の無い完璧な理屈であっても、その不条理の前では通用しない。
「綺麗事です。理屈は通っていますがね。」
アンバーがニュースを見ながら考えていたのを見透かすように、アブラハム少年が口を開いた。
「戦争を知らないや、しゃーないやろ。」
翡翠がムッとしたように応える。翡翠はどうやら、アブラハム少年を嫌う事に決めたようだ。
那国の人間は命を落とそうとも、自らの心と信念に従うと聞いた事がある。翡翠も、戻りつつある過去の記憶によって、那国の志を取り戻しつつあるのかもしれない、とアンバーは思う。つまり、翡翠の心はアブラハム少年を拒絶しているという事だ。軍に属しており、かつ特殊部隊であった以上、今まで目的のためならば、人を物のように扱うようなミッションでも文句一つ言わずにこなしてきた。それはもちろん、薬で精神を鈍化させられていたせいでもあるだろう。しかし、今、翡翠は、世界のバランスをとるために、平和を願う人間の理屈を綺麗事と呼ぶアブラハム少年を拒絶している。それは、ここ数日で翡翠の中に芽吹き始めた確かな意志と言えた。だが・・・アンバーは考え、口を開く。
「あんたの道は、成すんか?」
アンバーの言葉に、翡翠が弾かれたように顔を向ける。アブラハム少年は、一瞬考えるような素振りを見せ、応える。
「世界から紛争をなくすという理想論よりは、世界のバランスを取る事で、紛争をコントロールする方が今現在においては現実味があると思いますよ。」
確かにそうだと思った。
現に、世界大戦後とほぼ同時に国連が設立されて後100年。それまで頻繁に起こっていた戦争は、年を追う毎に減少している。それまで100年の長きに渡って世界大戦が行われなかったことはないのだから。それは、不完全ながらも国連が世界のバランスを調整した結果といえる。確実に、戦争によって不幸になる人間が減っている以上、それは確かな国連の成果と言えた。
「どうですか?私と共に、世界のバランスをとりませんか?」
アブラハム少年の申し出に、アンバー達は目を丸くした。
アブラハム少年は、自分達を政治的に利用するだけでは飽き足らず、その上、自分の戦力として自分の手ゴマにしようと考えているらしい。見た目は少年だが、100年以上生きているだけあって、さすがに狡猾である。いささか節操がない程だ。
一瞬、怯んでしまったアンバー達に、アブラハム少年はさらなる言葉で畳み掛ける。
「貴方達は戦場以外で生きれますか?普通の人として、普通の世界で普通の人と同じように生きれますか?その気になれば、一般人等瞬殺できる力を持ちながら、それを行使する事無く、普通の社会の不条理を受け入れて生きる自身がありますか?殺人兵器として創られた貴方達が。私なら、貴方達に相応しい場所を提供できます。貴方達の存在価値を充分に活かせるんですよ?」
アブラハム少年の発した殺人兵器という言葉に、アンバー達は胸が締め付けられた。なにより、アブラハム少年が言う、普通の社会の普通の生活というものが、まったく、絶望的なまでに想像出来なかった。
自分達が人間では無く、その体内を流れる血すら純粋な血液ではなくオリハルコン粒子が混じっているという事実が、自分達が殺人機械なのだという思いを加速させ、その心に重い澱のような物が溜まって行くのを感じる。そして、その重さに捕われ、気持ちが深い深海に沈んで行くような気がした。アブラハム少年の浮かべる下弦の月のような不快な口元が、深海に射し込む一筋の怪しい月明かりのように思え、縋り付きたくなる。
刹那、心に響くような打撃音が、アンバー達の沈んだ気持ちを引きずり戻す。見ると、テーブルの上に叩き付けられた、村長の拳があった。その拳は、強固に握られ、小刻みに震えている。
店内の客も、店員も、爆弾でも爆発したのではないかと言った表情でこちらを見ていた。
「いくらお主でも、わしの友人を愚弄するとあらば、許さんぞ。」
アブラハム少年を睨む村長の目に殺気が宿る。
テーブルの上の食器が地震でも起きているかのように、ガタガタと振動し始める。
テーブルを取り囲む観葉植物の葉が、風もないのに、ザワザワと音を立てる。
この席を見つめる客や店員が、異常な現象を目の当たりにし、その顔に明らかな恐怖の表情を浮かべている。
村長の中から漏れ出した深く凝縮された殺気が、物理的な影響を与えているのだ。アンバーは、暴走した翡翠が、その冷たい殺気で、樹海の葉を凍らせたのを思い出したが、村長の内に固く秘めた殺気が、その僅かな隙間から漏れ出した程度のものでもこれほどの物理的な影響を与えている事から、村長のそれは、翡翠のものと比べて桁違いだと思った。それはすなわち、そのまま戦闘力の違いに比例する。
「お前達、俺と戦争をやらかす気か?」
村長の口調が変わった。それは、まるで、天災を前にした人間の無力感を誘発するようだった。事実、歴戦の敏腕SPである筈のアブラハム少年の両脇に座る二人の男は、固まったまま微動だに出来ないでいる。
アブラハム少年の不敵な笑顔も、村長を前に、掻き消えていた。さすがに100年以上濃密な人生を歩んできた証拠か、なんでもない顔をしているが、その瞳には、恐怖の色が隠しきれていない。
「すみません、悪気はなかったんです。交渉事になるとついつい、イニシアチブを自分がとろうとしてしまう性なのです。普段、そんな仕事ばかりなので。本当に申し訳ない。」
アブラハム少年が、心からの謝罪とばかりに、真顔で深く頭を下げた。
村長は何も言わずに腕を組み、目を閉じた。
「お客様、騒動は困ります」
若い女性店員が、おどおどとした恐怖を隠しきれてない様子でテーブルに近づいてきた。おそらくは、店の店長か上の人間に言われて仕方なく注意しに来たのであろう。本来、上の人間が動くべき場だというのに、上の人間は自分可愛さに、バイトに押し付けたというところだろう。気の毒な事だ。
「すみません、少し、仕事の議論が白熱してしまいまして。もう大丈夫ですから、何卒、ご勘弁下さい。」
この丁寧な言葉を、見た目子供なアブラハム少年が吐いたものだから、女性店員は度肝を抜かれてしまったようだ。アブラハム少年が珍しく、しまったという表情を浮かべた。
女性店員は、今まで生きてきた価値観がひっくり返されて狼狽しているかのように、心ここにあらずで去って行った。
「で、頼んである情報の方は?」
憮然とした感じで、村長が訊く。
未だ、村長の機嫌は治っていないらしかった。その理由が、自分達が侮辱されたからだという事に、アンバーは少し喜びを覚える。翡翠も、まんざらではないようだ。
「貴方の故郷を襲撃した犯人についてですが、いくら調査しても、尻尾すら掴めません。持ち去られたオリハルコン成形の武器の特大包丁『鈴蘭』が闇市に出回ればそこから追跡できると思い監視していましたが、『鈴蘭』が闇市に流れた形跡もありませんでした。『鈴蘭』は貴方が現役時代に使用していた武器でしょう。ご自身で何か感じないのですか?」
村長がザクセンであった頃の武器を聞き、アンバーはそれを持つ村長の姿を想像してみた。超特大な包丁を振り回す村長・・・恐ろしい程に似合い過ぎる。
「何度か瞑想し呼びかけてみたが、なんの反応もなかった。考えられるのは、既に解体され、この世に存在しないか、もしくは、自らが認める新たなる使い手を見つけたか・・・。」
「現ザクセンは、『鈴蘭』に対する適正は無かったんでしょう?現ザクセンの次の世代が不在である以上、新たなる使い手の可能性は低く思います。そんな者が存在すれば、高い確率で裏世界で力を振るうでしょうから、情報が入ってくるはずですよ。解体も、どうでしょうか。いかにオリハルコンが希少物質であるとはいえ、オリハルコン単体での成形技術は失われた技術です。コレクターからすれば、いくらでも値をつけるでしょう。バラして売るよりも、そちらの方が高く売れますよ。確かに、バラした方が足は付きにくくなりますが、バラすにしても、オリハルコンを扱える高度な設備と技術者が必要となりますから、そちらから足が付くでしょうし。」
なにやら、専門的な話になってきて、アンバー達は、首を捻るしかない。いくら体内に、粒子化されたオリハルコンが流れているとはいえ、オリハルコンそのものに対する知識は、入門書に記載されている程度の知識しかない。
次にですが・・・と、アブラハム少年が義務的に、次の報告にうつる。
「現ザクセンの貴方の息子、東雲瑞雲の行方についてですが・・・こちらも相変わらず、足取りが掴めずです。彼も、故郷を襲った犯人を追っているでしょうから、手っ取り早く国連に接触するかとも思いましたが、今のところ接触は確認されていません。私の眼の届かない、下の方の職員と接触した可能性もありますが、その位置の職員からは重要な情報など得られないことは分かっているでしょうから、その可能性も低いかと。当然、生存していない可能性もあります。」
アブラハム少年の報告は、口を挟む余地のない完璧さだった。その内容からも、人物の優秀さがうかがえた。
「自害は有り得んよ。ザクサンが自害するのは『野櫻』でと決まっておる。『野櫻』が無い以上、それは、ない。残る可能性は、犯人に単独で接触し、殺されたというものじゃが、歴代最強ともいわれる瑞雲が負けるとは、どうも考えられん。親の贔屓目と思われるかもしれんがの。」
村長の言葉を静かな表情で受けとめ、アブラハム少年は続ける。
「では、次。今度はこちらからの要望になります。ガルダに、『スネークテイル』が入りました。」
その言葉に、刹那にして村長の表情が険しくなる。
「すねいくている?」
翡翠が空気を読めずに疑問を口にした。
「世界的人身売買組織の末端組織の総称じゃ。」
「10年前に貴方が壊滅したはずの組織と同一組織と思われます。」
自身の気を落ち着かせようとするように応える村長に、アブラハム少年が追記した為に、村長の表情がさらに険しくなる。
「貴方、あの組織のボスを、きちんと殺しましたか?」
アブラハム少年の言葉に、村長は眼を瞑り記憶の糸を手繰り寄せる。
「とどめはさしておらんが、樹海の奥地で、脊髄を破壊し、内臓もいくつか潰して放置した。充分、致命傷じゃった。」
「生きていたんですよ。彼は、どんな方法かは知りませんが、生還し、下半身不随になりながらも再びガルダに死体漁りに現れたんです。」
その言葉には非難の色は全く見えず、淡々と事実だけを無感情に伝えていた。それがゆえに、非常に響く。
「わしに、今度はきちんと殺してこいと?」
村長の眼に、静かな殺気が宿る。場の酸素濃度が低くなった気がして、アンバーは若干の息苦しさを覚えた。
「いいえ、なにもしないで結構です。いえ、むしろ、なにもしないでいただきたい。貴方はただ、ご自身の村民を護っていただければ結構です。」
いやにはっきりとした口調で言ったので、なに?と、村長は混乱してしまう。
「私達は今回、『スネークテイル』から『スネークヘッド』への足がかりを掴むつもりです。そのため、我が『A-BLAHAM』のザクセン級『雷速』を送り込んでいます。元ザクセンが出てあっさり壊滅させられて、『スネークヘッド』への足がかりが消えてしまうのは、なんとしてでも避けたいのです。」
村長は厳しい表情でアブラハム少年を睨むが、今回はアブラハム少年も譲らないとばかりに村長を睨み返す。
アンバーは、自分達をA級かS級と判断した人物が言う最上級のザクセン級『雷速』の実力が想像出来ない。単純に村長と同格かとも思うが、村長と双璧をなす人間が多数存在するとは考えられなかった。
「基本、彼らは、樹海のアウトロー共や、戦死者をターゲットにしているのは知ってるでしょう?罪の無い樹海の住民は、本来、彼らはターゲットにしていないのです。運の悪い住民がたまたま被害を被るわけです。いくら彼らが秀一な臓器を欲するとはいえ、彼らも『悪人を罰し、世界の不幸な大病を患う善良な人々にその臓器を提供する』という嘘臭い正義を振りかざしている以上、一般市民を手にかけるような暴挙は表立って出来ないわけです。ですから、今回は、貴方には、その善良な市民が巻き込まれる事のないよう、護っていただきたいのですよ。」
SPの男達が怯むほどの村長の放つ圧力を全身に受けながら、非戦闘員にしか見えないアブラハム少年は屈しない。それほどまでに、今回、『A-BLAHAM』は本気で『スネークヘッド』への照準を定めている。
ついには、村長が折れた。
「『スネークヘッド』を潰さねば、堂々巡りになる以上、仕方あるまいな。」
村長が、諦めを滲ませた口調で漏らす。
大を生かす為に、小の犠牲を容認する事は、現代においての真理の一つである。アンバー達も、村長その判断を支持出来た。アンバー達にしてみれば、正直、村長の村の村民さえ護れればそれで良いと思っているのであったので、村長よりも葛藤は少ない。いや、皆無とさえ言えた。
「賢明な判断に感謝します。」
アブラハム少年が感謝の意を述べると同時に、アンバーと翡翠の脳内に緊急通信を呼びかけるアラームが響いた。クォーツが、リンクを求めているのだ。
アンバーと翡翠はこめかみに掌を添え、リンクを許可する。
「大紀が、昨日から戻れへんねん!!」
途端に、クォーツのテンパった大声が頭蓋骨内に響き、アンバーは軽い頭痛を覚える。
その様子に気付いた村長が、何事かという視線を向けてきていた。
「大紀が昨日から戻ってへんらしい。今、村人総出で探してるらしいが・・・」
アンバーが、今聞いた情報を簡潔に伝えた。
アブラハム少年は、それがただの通信機器による通信と思っているのか、黙って静かにストローに口をつけている。さしたる興味もなさそうだ。
「あいつは、森の探索が好きじゃからの。度々、それに夢中になる事がある。困ったヤツじゃ。森に愛されとるのも考えもんじゃの。」
村長は、いつもの事と言わんばかりの軽口で応える。アンバー自身も、そんな大事には捉えていない。大方、仲の良い友達が帰ってこなかったから、クォーツが大慌てで捲し立てた結果、仕方なく村人が探しに出たと言うのが、事の真相だろう。そう思い、同意を求める意味で、アンバーは翡翠に顔を向けた。しかし、そこには、予想外の翡翠がいた。
翡翠は青ざめ、小刻みに震えていたのだ。
訳が分からないという風に見るアンバーの肩を、翡翠が勢いよく掴むと、口を開き震える声を出した。
「帰ろう、アンバー。今すぐ。なんか、嫌な予感がするんや。」