帰還
今回、初めて、扉絵を描いてみました。
アンバーですが・・・劇中の年齢より少し後の姿になってます。
すみませんが、この絵よりも、少し幼い姿を想像していただけると、しっくりくると思いますので、よろしくお願い致します。
ちゃんと、絵、載せれてるかしら・・・
空間に降り注ぐ月の柔らかい光が舞い踊るオーヴに反射し、辺りを優しく包み込んでいた。
先の戦闘で傷つけられた地面には既に苔や芽吹いたばかりの草が生命力溢れる緑をたたえ、空間の中心に位置している大樹も、砲撃の後は生々しいものの、その存在感は生命力に満ち満ちていた。
空間を流れる清流の音と光溢れるそれは、見る者に問答無用の癒しを強制していた。
『聖域』
樹海に住む人間はもとより、ガルダ国民にその存在が囁かれ、しかし、足を踏み入れた情報の真偽の不確かさから都市伝説として語られるその場所にアンバー達は再び立っていた。
ここで戦闘をし、村長・東雲和泉に救われてから僅か数日というのに、『聖域』に残された戦闘の爪痕は驚くべき回復力で小さくなっており、この空間に溢れる力(村長風に言えば、生命力か)の偉大さを感じずにはいられない。
しかし、この幻想的な風景に今なお残る確かな戦闘の爪痕が、パールの裏切りを、ダイヤ達の死を、そして国の裏切りをアンバー達の心に確かに刻んでいた。
ここに向かう道すがら、村長に『聖域』に寄ると言われた時、アンバーは、パトロールに樹海に入ってすぐに、ここを目指したが、辿り着けなかった。村のすぐそばにあるはずなのに・・・と話した。
村長は鼻で軽く笑い、『聖域』には森に選ばれた者、招かれた者しか意図的に入り込めることは出来ないと聞かされた。
ならば、自分達は森の気まぐれでここに招かれたとして、マンティコア兵、パール達も招かれたということなのか?それともまさか、森に選ばれたとでも言うのか?感情を抑えられぬという風に尋ねるアンバーに対し、村長は懐から何かを取り出すと、その握った拳をアンバー達の前に差し出し、開いた。小さな蜘蛛のような物体が8本の足を丸め、掌に転がっていた。アンバー達はこの物体に見覚えがあった。マンティコア製のGPSだ。
村長曰く、このGPSが、アンバーとコーラルの戦闘服にくっついていたらしい。おそらくは、樹海の戦闘中、薬切れの朦朧とした意識の時に、付けられたのだろう。
村長曰く、認識出来ないだけで、『聖域』確かにそこにある。よって、GPSで追えば、辿り着くことも可能という訳だ。
森に選ばれた、招かれた者しか入り込めない割に、そんな事で辿り着けるのか・・・と、アンバー達は呆気にとられたが、案外、蓋を開けてみればそんなものなのかも知れない。
今、アンバー達がこの『聖域』に立っている事にしても、森に選ばれた訳でも招かれた訳でもないのだ。単純に、大紀と村長の後に着いて行った結果、この場所に立っているのだ。
事実、この『聖域』に入る時には度肝を抜かれたのだから・・・。
「大丈夫から、付いて来てねっ」と、スキップしながら大紀の進んだ先は、切り立った崖であった。いや、自分達が崖と認識していた場所というべきか。とにもかくにも、大紀はなんの躊躇いも無く崖から一歩踏み出すと、重力に従い落下する事無く、2、3歩空中を歩いて、そして消えた。その後進んだ村長も同様であった。
アンバー達は、目の前で起こった事を頭では理解しつつも、気持ちでは理解しきることは出来ず、もし落下した場合に備えていつでも戦闘スーツからアンカーを射出できるよう確認してから、崖に向かって意を決し飛び込んだのだ。
すると崖と認識していた景色は消え去り、そこには今までの草木生い茂る地面が続いていた。その少し先には、柔らかい光と優しい空気が溢れていた。
しかし、アンバー達がマンティコア兵から逃走している際、いくら必死に、やみこみに走っていたとはいえ、崖に飛び込んだ記憶はなかった。なかば混乱したように話すアンバーに村長は面倒くさそうに、「『聖域』はその都度、擬態の態形を変えるからの」と言った。
今までピースフロンティアの兵士として、薬で意識を鈍化させていたとはいえ、ミステリーやロマンなど入り込む予知がない科学的な現実を生きて来たアンバー達には受け入れがたい現象ではあったが、事実目の前に突きつけられれば、それも現実として受け入れるしかない。それどころか、どこか心が高揚している自分を自覚していた。アンバーは叶うなら後々、いつか神秘的な現象を求め歩く冒険家になったみたいとさえ思った程だ。そしてそれは、アンバー以外の隊員達も少なからず、同じ様な思いを心に描いていた。
という事で、アンバー達は、現在『聖域』に立っていた。
アンバー達は、中央に位置する神樹たる大樹の根元に腰を下ろした村長を尻目に、『聖域』内をくまなく歩き回っていた。心労著しいのだろう翡翠だけは、大紀と手を繋ぎその様子を見守っていた。
正常に戻った翡翠は、その後、気丈に振る舞ってはいたが、やはり、自身の暴走、そして、仲間に凶刃をふるい、コーラルに対しては惨殺一歩手前まで行ったのだ。そのショックは隠しきれない様子であった。それを敏感に感じ取っているのか、誰に言われるでも無く、大紀も出来る限り翡翠の側にいるようにしているようであった。その様子を見たガーネットが「仲間の俺達よりも頼りにされとるやん」とぼやいたほどだ。まぁ、暴走している翡翠を元に戻したのは大紀なのだから、それは仕方ないなと呟いてもいたが。それを聞いたアンバーは、ひょっとしたら、暴走翡翠の活動限界と大紀が翡翠の前に飛び出したのが偶然重なったのではとの推測も考えたが、その偶然の確立を考えた場合、どの程度の確立になるか、アンバーには解らなかったが、大紀の不思議な力によるものと考える方がしっくりくる気がした。どちらが真実にしろ、現実として、大紀の前で翡翠が正気に戻ったことは確かだ。
『聖域』に残る戦闘の生々しい爪痕を見ながら歩いて回るアンバー達は、ある事実に気がついた。自分達がこの『聖域』で倒したマンティコア兵の亡骸の中に、パールのものだけが見当たらないのだ。他のカイザータイプの亡骸は放置されている。そして、『聖域』に入る前から予想していた通り、当たり前のようにダイヤ、ルビーの首も、見つける事は出来なかったのだ。マンティコア軍に急襲され追い詰められた崖からピースフロンティアの兵士達の亡骸だけが姿を消していたことからも、何処かの何者かに回収された事は疑いようの無い事実であることから、『聖域』においてダイヤやルビーの亡骸も回収されている可能性が高い事は予想していた。おそらくは、マンティコア兵に取り付けられていた発信器を辿って『聖域』に入ったのだろう。しかし、パールに至っては、すでにマンティコアによって隅々まで解析され、必要なデータは既にバックアップもとられているだろう。だとすれば、いまさらパールの身体は必要ないはずである。なのに何故、パールの亡骸をも回収したのか。同タイプである他のカイザータイプについては、無惨に放置されているのだ。まだ、パールに使い道が残されているということなのか。だとすれば、ピースフロンティアの兵士達の亡骸が回収されたのは、その身体を解析しデータを得る以外の目的もあるということか。アンバーはマンティコアという軍事産業国家にいいようのない不安を抱かずにはいられなかった。アンバーの見下ろす足元には、自身が葬ったカーザータイプの亡骸というよりも残骸が『聖域』の回復力に巻き込まれ、その作り物の皮膚に、身体に、その亀裂や隙間に、苔や草を生やしながら転がっている。なにも語る事も無く・・・。
一通り『聖域』を見て回り、ある程度納得したアンバー達は、一人一人神樹に集まり、その根元に腰を下ろし煙草をふかしている村長を囲むように座った。
健全なお子様には辛い時間なのであろう、大紀は翡翠の膝を枕に眠りについていた。なにも知らずにそれを見れば、大紀が翡翠に甘えているように見えるが、その実は、大紀が翡翠を思って側についていることは、その場の全員が理解している。それは、翡翠本人にしても同様だ。そして、コーラルに抱かれたガルダベアの子グマも、コーラルの豊満な胸に顔を埋めるようにして寝息をたてていた。
翡翠が正常に戻ったあと、皆でガルダベアの亡骸を埋葬し(そのための大穴は、村長がサイコキネシスによって一瞬で作ったのだが)弔ったのだが、残された子グマの処遇に悩んだ面々は、さすがにこの過酷な弱肉強食の樹海に置き去りにすることも出来ず、とりあえずの処置として、連れ帰ることにしたのだ。その判断に行き着いたヒトツの理由として、その子グマが何故か、コーラルに異常に懐いているということもあった。その反面、子グマは翡翠に対して、ずっと歯を剥き、唸り声をあげていたわけだが、親兄妹を無為に惨殺されたことを考えれば、それは当たり前といえる。正気でなかった等の言い訳は成り立たない。翡翠も自覚しているのか、子グマに視界になるべく入らないような位置取りで行動していた。
「さて・・・と。今晩は皆、お疲れじゃったの。」
村長・東雲和泉は、自分を取り囲むように座るアンバー達を見回すと口を開いた。翡翠に斬られた背中は深いものではなかったが、それでも痛むのか、ときおり顔をしかめている。
早速じゃが、と前振りすると村長は懐から数枚の書類の一部と思われる紙を取り出した。それは?と訊くアンバーを慌てるなと言わんばかりに軽く手で制する。
「わしは今晩、樹海の散歩途中にマンティコアのベースキャンプと思われるものに出くわしての、紳士的に会話しようとしたのじゃが、やはり大半がロボットじゃからかのぉ、いきなり襲いかかってきおったもんじゃから、ちょっと優しく撫でてやったんじゃ。大紀も護らなならんし、周囲の集落のことも考えると、そのままにもしておけんかったからの。これは、その時の戦利品ってやつじゃ。」
優しくって・・・その軍の資料を持ってるってことは、全滅させてきたって事とちゃうんか?と呟くガーネットに対し、それが出来る力を持ってる、と、アンバーは返す。
「これには、ニーズヘッグ軍研究部ピースフロンティア部門と記載されておる。ざっくり言うと、ニーズヘッグの極秘資料じゃの。」
これをマンティコアが持っている時点で、祖国に売られた事は確定・・・と、コーラルは呟いた。
その呟きを聞いた村長は、僅かに哀れむような表情を浮かべ、続ける。
「どういう事情があったのか、ニーズヘッグとマンティコアの間にどのようなやりとりがあったのか、それは残念ながら不明じゃ。しかし、この資料には、ピースフロンティア全員のデータが記載されておる。お主等とて、自分達の事を知らんのではないか?」
アンバー達は息を飲む。確かに、自分達の事等、軍部から何も知らされていない。知ろうと思った事さえなかったのだから。
しかし、知りたいかと問われれば、知りたいような、特に知る必要もないような・・・という感じだった。
「それ、どんな内容なん?」と、アンバーの思考を断ち切ったのは、翡翠だった。つとめて冷静を装っているが、その表情や口調からは、焦りの色が滲み出ていた。内容次第では、暴走を抑制する糸口に繋がるのを期待しているのだろう。そう思った時、アンバー自身も他人事ではないと言う事に気付き、軽く頭を掻いた。アンバーばかりではない。現在、まだアンバーと翡翠しか暴走状態には陥っていないが、コーラルとガーネットもこの先暴走しないとは言い切れないのだから。
村長は、その様子を見守り、そして、手元の資料を老眼によって合わない焦点を合わすように頭を引いて目を細めた。
「この資料によると・・・まず、プロジェクトピースフロンティアの人員資格じゃがぁ、んー、遺伝子解析の結果、そのDNA内に、殺人遺伝子『キラー因子』を持つもの。と、なっておるの。」
アンバー達は皆、少なからず、自身の中に殺人に対するハードルが低いという思いはあった。兵士として教育・訓練されてきた以上、それは当然だろう。しかし、それは、兵士としての教育・訓練過程で自身の中に形成されたものではなく、生まれついての資質というべきものであるという事が、資料によってはっきりさせられた。しかし、それについて、アンバー達は特にショックを受けるという事はなかった。村長は続ける。
「ふむ・・・キラー因子をオリハルコンの受容体とし、オリハルコンとキラー因子の共鳴効果によって、身体能力の飛躍的な向上・・・か。全く、ろくでもない事を考えおるわ。ん?どうやら、プロジェクトの初期段階で、事故がおこっておるようじゃの。」
事故?アンバーは首を傾げる。
「ふむ、この事故は、第一世代となっておるから、お前達が知らんのも無理はあるまい。この資料によると、お前達は第三世代じゃ。」
第三世代?初耳だ。
「内容は!?その事故の!!」
翡翠が急に喰い付いた。声が若干裏返り気味だったことからも、咄嗟の声だったのだろう。
村長は一瞬、目を丸くしたが、低く唸ると、資料に目を落とす。そして、ハッとしたような顔をした後,翡翠を真っ直ぐに見つめた。
「・・・暴走じゃ。」
その言葉に、翡翠は、やっぱりと言う顔を浮かべ、先を促すように村長の目を真っ直ぐに見つめる。
「その第一世代の被験者は、オリハルコンとキラー因子の共鳴を制御することが出来なくなり、体内のオリハルコン濃度の無減増幅、自我喪失、暴走に陥ったようじゃ。結果として、その被験者を活動停止・・・殺したということじゃろうの、するのに、多くの研究者や警備兵に損害が出たらしい。その後、原因を特定できなんだ研究チームは、第一世代を失敗と断定し、破棄、処分したらしい。」
やはり、軍は暴走の事を知っていた・・・翡翠は呟き歯を食いしばった。特に破棄という響きは、翡翠のみならず、アンバーやガーネット、コーラルもやるせない思いを抱かずにはいれなかった。
「第二世代は、主に、第一世代での問題を究明・解明するための存在であったようじゃ。これも、酷いの。キラー因子を持つ者、持たぬ者にまでオリハルコン粒子注入術を行い、経過を観察。その後、健在な被験者にありとあらゆる人体実験を行い、オリハルコンと個人の意志や精神に密接な関係が疑われるという結果を導き出したとある。多くの悪魔のような実験の果てに得た答えは、この程度の物とはの・・・。オリハルコンが人の意志や精神に多くの反応を示す事など、わしからするば常識じゃと言うのに。第二世代での暴走実験では、骨格そのものを変化させる者まで現れたらしい。これは、驚きじゃ。ここまで肉体に影響を与えるとは、わしにも、予想出来なんだ。まぁ、粒子状のオリハルコンを血管に入れる事自体、正気の沙汰ではないがの。そして、その対策として、過去を喪失させる程強力な精神安定剤を定期投与することで、暴走は抑えられるとし、当初の目標能力値を下方修正することになるが、一応の基準をクリアしてることから、採用されたらしい。第二世代では、暴走の抑制方法と、オリハルコンを注入後のキラー因子の変化のパターンと特性を解明された事で成果とし、破棄、処分。」
また・・・再び破棄という言葉が出たところで、コーラルが怒りを噛みしめるように呟いた。
村長は、いったん資料から目を離しコーラルを見たが、かける言葉がないといったふうに再び資料に目を落とす。
「第三世代は実戦実験という位置付けになっておる」
その時、地震が起きたかと思うような轟音が辺りに響いた。村長は、その轟音を発生させた人物、拳を地面に叩き付けた状態で小刻みに震えているガーネットを静かに見た。
「実験?で、俺達から実戦のデータが取れたから、またお得意の破棄・処分ってか?」
表情こそ笑顔だが、怒りに震えているのは明らかだった。
「お前、あんまり軍の安定剤を飲んでおらんかったのではないか?」
村長が優しく問いかけた言葉に、アンバー達は目を見開いた。ガーネットは応えない。
「ここでの戦闘の後、村に連れ帰った時から、お前からは他の者達よりも幾分強い意志を感じておった。おそらく、マンティコアに急襲された時も、他の隊員に比べ、お前は薬切れの影響が少なかったのではないか?もはや隠す事は無い、ここは軍ではないのじゃ。むしろ、お前が他に比べ冷静であれたお陰で、このチームが生き残れたとも言えるのじゃぞ。」
村長の口調は、どこまでも優しかった。
ガーネットは強く奥歯を噛みしめると、顔を上げ苦しい笑顔を浮かべた。
「おそろっしい爺さんやで、なんでもおみとおしかいな!!」
「ホンマなん?」
戯けた口調のガーネットに、コーラルが驚きそのままに問う。
「俺、あれ、苦手やってん。やから、検査とかがあるとき以外は、飲んだふりして、後で便所で吐き出しとってん。まぁ、飲まんようにし始めた時は、ボーッとしたりモヤモヤしたりしたもんやけど、皆と一緒の訓練を死にもの狂いでやってるうちに平気になったわ。」
あっけらかんと、とんでもない事を言ってのけるガーネットを、まるで化け物を見るようにアンバー達が見つめる。その視線に、ガーネットは少したじろいだ。
「この先、お前達も、薬がない事に慣れなければならん。ガーネットからコツとか聞けば良い。」
そう発した村長を、驚きに満ちた目でガーネットは見ると、コツなんてないんやけどな・・・と、呟いた。
さて、と一呼吸おいて、村長は次の煙草を取り出すと、右手人差し指に火を灯し、煙草越しに息を吸い込んだ。煙草にはきちんと火が点き、その先端から紫煙を立ち上らせる。便利なものやな・・・とアンバーはその様子を見つめていた。反則や、と呟くガーネットは無視する。
「第二世代で解明されたオリハルコンとキラー因子が結びついた結果生まれる特性じゃが、研究者達はそれを8パターンに分けているようじゃ。そのうち7つには皮肉のつもりなのか、世界的な宗教の教えにある最も罪深いとされる七つの原罪の名が与えられておる。そもそも信心深い人間は、こんな神をも恐れぬ悪魔の所業を行わぬと思うが・・・悪魔であるが故の、神への冒涜のつもりなのかの?」
「七つの原罪ってことは、憤怒、嫉妬、色欲、暴食、怠惰、傲慢、強欲か?」
アンバーが村長の話に割って入った。
「よく知っとるの。そうじゃ。まぁ、研究者共はそれぞれの罪に結びつくとされる悪魔の名前の方で呼んでおったようじゃがの。つまり、ルシフェル(傲慢)、サタン(憤怒)、レヴィアタン(嫉妬)、ベルフェゴール(怠惰)、真モン(強欲)、ベルゼブブ(暴食)、アスモデウス(色欲)じゃ。そして、その7つの特性全てを持つと同時に7つのどれにも当てはまらない8つ目のパターン、虚無。これは、他に呼び名は無く、そのままじゃ。むしろ、解明しきれなかったんじゃろう、虚無は危険物扱いで怖れられていた節がある。虚無特性の者は、データが取れ次第、優先的に処分されたようじゃからの。」
虚無・・・その言葉を聞き、アンバーは自分の内から身体を支配しに浮上して来た漆黒を思い出した。あれはまさに、虚無そのもののように思えた。
「ここには、お前達のパターンは元より、血液型、プロジェクト参加時の年齢、国籍に到るまで明記されておる。知ることに抵抗が有る者は、おるか?」
村長はアンバー達に配慮するように尋ねたが、誰一人として手を挙げる者はいなかった。それを見て村長は軽く頷く。
「では、読み上げる。前から順に、コードネーム、国籍、参加時の年齢、血液型、因子パターンじゃ。いいの。
翡翠 那国 10歳 B アスモデウス(色欲)
ガーネット ニーズヘッグ 8歳 AB ベルフェゴール(怠惰)
コーラル ネクロマンティス 5歳 A ベルゼブブ(暴食)
クォーツ エンシェント 0歳 A ルシフェル(傲慢)
アンバー エンシェント 2歳 O 虚無
以上じゃ。」
翡翠は、これを聞き、自分の思い出した記憶が間違えではない確信を持つと共に、子宮の辺りから滲み出て身体を支配したモノが色欲というのにしっくりくるものを感じた。
アンバーは、虚無と聞き、やはりと言う思いと共に、何故2歳から参加している上に優先的に処分されるはずの虚無である自分が今まで生かされたのか、疑問を覚えた。
「暴食やって!!お前、アホみたいに食うもんなぁ。まぁ、栄養の大半、乳に持って行かれてるみたいけどなっ!!」
「はぁ!?あんたこそ怠惰って、そのままやん!!そのまま怠惰こじらせて死んだらええねん!!」
ガーネットとコーラルのやりとりが場の緊張をぶち壊した。
ほんまにこの二人は緊張感の無い・・・と呟き、これみよがしに溜め息を吐く翡翠を横目に、ガーネットの事だから、意図的に場の緊張を解したのでは?と、アンバーは勘ぐった。
そう言われれば、確かに、ガーネットはだらだらしてる面倒くさがり屋だし、コーラルは、下手をすれば、男性よりも食が太い。翡翠は下ネタ好きだし、自分は普通の人間より感情が乏しい気がする。因子と正確には因果関係があるようにアンバーには思えた。因子が正確に影響を及ぼしているのか、それとも生まれ持った性格気質が因子に影響を与えたのかは不明だが。しかし、そうなると、クォーツと傲慢とが全く結びつかない気がした。クォーツとの付き合いも相当に長いが、今までクォーツが傲慢な振る舞いや発言をするところを見た事が無い。アンバーは口元に手を置き、考え込む。それを、制するかのように、村長の声が発せられた。
「以上じゃ。『聖域』の効果でお前達の精神も充分回復したじゃろうし、帰るぞ。」
そう言うと、村長は立ち上がり、アンバー達の輪を割るように歩き出す。
アンバーの横を通り過ぎる時、村長はふと足を止めると、先程まで目を落としていた資料をアンバーの胸を叩くように押し当てた。
「これは、お前達が持っておれ。他の隊員達のデータも勿論載っておる。読むも読まぬもお前達次第じゃ。自分の意思に従うが良い。」
アンバーが受け取るのを確認すると村長は、複雑そうな表情を浮かべ、再び歩き出す。
ガーネットが、子グマを抱いたコーラルが、大紀をおぶった翡翠が、最後にアンバーが、村長の歩いた跡を辿るように帰路についた。
『聖域』を出る直前、アンバーは振り返った。
そこには、数多のオーブに月明かりを反射させ、柔らかい光に包まれた幻想的な風景が変わることなく、アンバー達を見送っていた。