惨劇(1)
国土の大半を樹海で埋め尽くされた国、『ガルダ』。
ニーズヘッグの南西に隣国する、軍事大国ニーズヘッグと機械工学が盛んな軍事産業国マンティコアに挟まれた、熱帯雨林気候の国である。
治安は決して良いとは言いがたく、樹海を隠れ蓑にするために世界中から密入国したテロリスト達によって、ほぼ無政府状態のようになっていた。
その『ガルダ』の樹海南部で、上空に立ちこめた雲を紅く照らし続ける大炎と、もうもうと巻き上がる黒煙が上がっていた。
そこは大規模な宗教テロリストの本部施設・・・、否、施設と言うよりも要塞であった場所で、何者かの部隊が強襲・壊滅させたことは一目瞭然であった。
テロリストの要塞を壊滅させた部隊は、要塞から14km離れた開けたポイントで、お迎えを待っていた。
部隊21名は、定期的に降るこの国独特の豪雨によって遅れているであろう撤退用のヘリを待つため、ポイントから少し奥まった木々の下で、矢のように地面を穿つ大粒の雨を凌いでいた。
その部隊はニーズヘッグの秘密資産であり、部隊名を『ピースフロンティア』と言った。
ニーズヘッグでは軍事大国と言う性質上、古くから最強の兵士を造る研究が盛んに行われており、この『ピースフロンティア』も例に漏れず、その研究の成果のヒトツだった。
広大なニーズヘッグの国土の中の貧しい地方やスラムから、子供を買い、時に誘拐し、素質のある子供を莫大な金と薬と洗脳と徹底した戦闘の英才教育によって最高のキリングマシンに育て上げていったのだ。
そして素質の無い子供達は、キリングマシンが製作される過程で、素質ある子供達の標的として、幼い命を散らせていった。
主にこの部隊は概ね15~20歳の若者で構成されている。
この『ピースフロンティアプロジェクト』こそトップシークレット扱いだったため、存在自体隠されていたが、似たような研究を複数行っていたニーズヘッグに対し、国外はもとより、国内からも人道的批判が大きくなっていた。
この国家批判は今や毎度世界のニュースペーパーを騒がせており、国連が動くのも時間の問題であった。
そんな渦中の状態で『ピースフロンティア』は13回目のミッションを言い渡されたのだ。
『ガルダ』の樹海に巣食う、過激派宗教テロリストの壊滅と指導者の殺害・・・。
ミッション自体、『ピースフロンティア』は1人の犠牲も出す事無くコンプリートし、指定時間に撤退ポイントに到達した。
しかし、予定外の豪雨により1時間近く足止めを喰うはめになってしまったのだ。
「ウチのヘリは優秀やろに、この程度の雨も飛ばれへんのかいな?」
21人の部隊員達が思い思いの体勢で休息をとる中、赤毛の髪を短く刈り込んで、赤い顎髭を蓄えた色黒で大柄の屈強な男が呟いた。
この男は名を・・・いや、この部隊に自分の出生を知る者は皆無である。与えられたコードは『サファイア』であった。
「ここは一応他国やからな。毎日のように警告飛行はしとるけど、こんな飛行に危険を伴う気候状態で飛んどったら、さすがに怪しまれるで。」
黒髪の前下がりボブの白人の男が答えた。
この男の与えられたコードは『ルビー』だった。
「そんなん言うたかて、このままじゃ、薬、切れてまうで・・・」
サファイアが毒づくのも無理はなかった。
司令官は今回のミッションは短時間で終了すると説明し、部隊員が常用している精神安定剤を供給しなかったのだ。
「今は待機する以外、方法はない。周囲の警戒を怠るな。」
金髪のベリーショートをツンツンに立たせた白人の男が言った。
この男のコードは『ダイヤ』で、実質ピースフロンティアの隊長を務める男だ。
サファイアはそんなダイヤを一瞥すると、拗ねた子供のような口調で「そんなん言うたかて、薬切れたらどぉなるか俺達にも分からんのやで?いままで薬切らした事なんかないんやから・・・」と言うと、
「なぁ、アンバー?」と大木の幹を背に片膝建ちで座っている男に話を振った。
『アンバー』と呼ばれた男は小柄で肩下まで伸びたプラチナブロンドのストレート髪の左サイドの部分を前から後ろに編み込んでいた。
顔立ちは童顔で色白の黄色人種で一見少女と見間違えてしまいそうな優男だった。
アンバーは樹の幹に背を預けたまま、樹海の奥を見つめていた。
お前達は弱いな・・・意志が無い・・・。
アンバーはこの言葉の意味を考えていた。
ターゲットの砦に向かう途中に樹海の中腹の集落で出会った老人が、この特殊部隊に言い放った言葉・・・。
ピースフロンティアは今回のミッションを含め、全てのミッションで1人の犠牲者も出す事無く圧倒的な武力でターゲットを制圧してきた。
心を殺し、自己を殺し、躊躇いをなくし、引き金を軽くしてきたのだ。
極秘部隊のため存在こそ公表されない都市伝説のような部隊だが、現存するどの特殊部隊よりも最強の名が似合う部隊と言っていいはずだ。
ほかの隊員達は、この老人の言葉を気にもとめていないようだった。
軍に体する嫌味や皮肉のヒトツ・・・アンバーもそう思おうとした。しかし、どうにも引っかかる一言に感じられたのだ。
「おい!アンバー!!」
サファイアの声に、アンバーは我に還った。
「わりぃ、聞いてなかった。」アンバーは感情のこもらない緑色の瞳をサファイアに向け言った。
「おいおい、しっかりせぇよ。まだミッション中やぞ?薬切れとんちゃうやろなぁ?」
アンバーはサファイアの言葉に反応せず、自分の太ももを枕代わりに眠っている小学生か中学生くらいの女の子に眼をやった。
「クォーツはまだ眠ってるんか?」
茶髪のショートボブで色白、大きな目とアヒル口が特徴のモデルのようなスタイルをした女性が聞いた。
手には超ロングレンジスナイパーライフルをぶら下げている。
この女性のコードは『コーラル』。
「俺達と敵の通信を傍受・中経するのは脳に多大な負担がかかるから、しゃあないやろ。」アンバーはそう言うとクォーツの頭を優しく撫でた。
クォーツはもぞっと微かに動き、にやにやしながら眠り続けている。
「クォーツはお子ちゃまやからな、アンバーお兄ちゃんも大変やなぁ」
『ガーネット』のコードを与えられた黒髪のパンクヘアーの男が茶化した。
この男の病的に色白の顔には、趣味の悪いビジアル系のメイクが施されていた。
アンバーはガーネットを無視し、再び樹海の方に顔を向けた。
あの老人がいた集落の方向へ・・・。
すでにお迎えの来るはずだった予定時間から2時間が経過しようとしていた。
降りしきる雨は依然その強さを保っていた。
「そろそろ迎えにきてもらわんと、ほんまシャレにならんで・・・」
サファイアがぼやいた。
ダイヤも同意見だった。
自分も含めた全隊員が、身体に気怠さを感じているのだ。薬が切れて来ている証拠だった。
経験が無い事だけに、薬が切れた時にどのような事態がこの身に起こるのか分からず、不安を掻き立てた。
始めに樹海の異変に気付いたのは、ルビーとコーラルだった。
ルビーとコーラルは立ち上がり、銃を樹海の別々の方向に向けた。
「どないした?」サファイアが尋ねた。
ダイヤも異変に気付き、立ち上がると、樹海の方向を睨みつける。
その様子に気付いたアンバーは精神を集中した。
実験で身体の中に投与され、血液中を流れるオリハルコン粒子が五感を飛躍的に高める。
爆発的に高まった空間立体把握能力が肌を通して周囲の状況を伝える。
アンバーは眼を見開き、未だ眠り続けるクォーツを抱きかかえると立ち上がり、すばやく大樹の幹に身を隠した。
同時に全隊員が異変に気付き、各々戦闘態勢をとる。
「なんか来るなぁ・・・」コーラルが呟いた。
「この雨でヘリが飛べんから、歩いてお迎えが来たんかなぁ?」ガーネットがオチャラケて言う。
「いや、等間隔で距離を詰めてきとる。訓練された兵隊さん達っぽいで。」コーラルが苦笑いを浮かべる。
「この辺りのテロリスト達か?」アンバーはクォーツを抱きかかえながら、肩からぶら下げたサブマシンガンを構えた。
「テロリストがここまで訓練を積んでたら、今回のミッションももっとキツかったやろなぁ・・・」サファイアがアンバーの隣で戦闘態勢をとる。
「来るぞ!!あと10mで戦闘射程距離だ。先制攻撃はこっちがいただく!!!!」ダイヤが激を飛ばした。
ダイヤ、サファイア、ルビーを先頭に、少し下がった位置にガーネットとコーラル、そこから横に8m離れてクォーツを抱えたアンバー、その後ろの広範囲の位置に残りの隊員達が陣取った。
豪雨のせいで物音はかき消されているが、緊迫した空気が肌を突き刺す。
距離を詰めてくる敵部隊の殺気がプレッシャーとなって、息苦しさを与えてくる気がした。
戦闘射程距離まであと5mとなったところで、ピースフロンティアを異変が襲った。
後ろの隊員達が呻き声を上げて、膝をつき始めたのだ。
アンバーは何が起こったか分からなかった。
見ると、クォーツも息を荒げ、小刻みに震えている。
アンバーは何が起こっているのか理解出来ずにいた。
しかし、その異変はすぐ自分の身にも襲いかかってきた。
激しい動悸と酸欠のような息苦しさ、皮膚からは滝のように脂汗が流れ、全身が痺れたような感覚に陥った。
異変は身体だけに留まらなかった。異常な不安感と恐怖感が精神に広がり、今まで殺した人間達の死に際の表情が走馬灯のように浮かび、後悔と罪悪の念が溢れ出した。
今にも崩れ落ちそな身体を大樹の幹にもたれかかせ、周囲を見回す。
この異変は最早、全隊員に訪れていた。ルビーも、サファイアも、ダイヤでさえも・・・。
薬が切れた?
アンバーは即座にその可能性に思い当たった。
次の瞬間、樹海の木々の隙間を抜け、ロケット弾頭が姿を表した。
気付いた時には、もう弾頭は後ろで轟音を響かせでいた。恐ろしい熱を振りまきながら。
熱に眼を細めながら見ると、大勢の隊員達が地面に倒れていた。
ある者は肩から胸を抉られ、ある者は下顎から上を失い、そしてある者は下半身を失い血と腸を撒き散らせていた。
身体から大量に流れ出て造られた血溜まりには、オリハルコン粒子がラメのように煌めいている。
今まで1人の犠牲者も出さなかったピースフロンティアは、たった1発のロケット弾頭で、4人の隊員を失った。
呆然とするアンバーの腕を、ダイヤが強く引っ張った。
「退くで!!」言うのが早いか、ダイヤはアンバーを引っぱり、自由に動かない身体で、樹海の中を駆け出した。
「3班に分かれる!!俺、サファイヤ、ルビーをリーダーに残った隊員は均等に分かれて続け!!」ダイヤが叫ぶ。
「俺達は・・・?」アンバーは曇った思考をなんとか振り絞り、聞いた。
「戦闘は俺達がやる。アンバー、ガーネット、コーラルはクォーツを護りながらデンジャーゾーンから脱出しろ!!」ダイヤが指示を出す。
「でも・・・」コーラルが苦しそうに息をしながら困惑の表情を浮かべる。
「これは命令だ!!!!」ダイヤが怒鳴った。
そして「頼んだぞ。」と、微笑むと、アンバー達を残し、部隊は3方向に分かれ、樹海に姿を消した。
重い身体に鞭を打ち、アンバーとガーネット、コーラルは必死に樹海の中を走っていた。
時折、遠くから銃声と爆発の音がこだましている。
ダイヤ隊とルビー隊、サファイア隊が敵と交戦しているのだろう。
そして逃げるアンバー達の背後にも急速に敵が近づいているのを、身体を流れるオリハルコン粒子が教えてくれていた。
数はおそらく3人。正確に、急速に距離を詰めて来ている。
「こりゃ、都合良く逃げ切るんは難しそうやな。」コーラルが息苦しそうに言った。
「ガルダの軍かいな?」ガーネットも苦しそうだ。
「ガルダは実質無政府状態や。一応軍はあるけど、こんな統制がとれた動きが出来るとは思えへん。」アンバーは痺れる身体と頭を、今にも爆発しそうな心臓をなるべく意識から遠ざけて言った。
「第3国ってわけや・・・」ガーネットが精一杯の苦笑いを浮かべる。
敵が視界に捕らえられるであろう距離まで近づいた事を、体内のオリハルコン粒子を通じて感じた。
アンバーはベルトから手榴弾を3つ取り外すと、ピンを抜き、振り向き様に後方に投げ捨てた。
数秒おいて、樹海に爆発と共に轟音が響く。
それを合図に、アンバーはサブマシンガンの、コーラルはスナイパーライフルの、ガーネットはアサルトライフルの引き金を引いた。
3者3様の銃声を轟かせ、銃弾が螺旋の回転で空気を切り裂いて敵に向かって飛んで行く。
その銃弾を弾きながら、金属製の巨大な両腕で顔をガードした巨漢が樹海から現れ、突っ込んで来た。
眼を見開いたアンバーの右の樹の上から腕に長く鋭いナイフを取り付けたひょろ長い男が降って来て斬りつけて来た。
アンバーはサブマシンガンの銃身でそのナイフを受けとめたが、いともあっさりと切断され、クォーツを抱きかかえたまま、なんとか身体を捻って飛び、紙一重で斬撃を躱した。
「アンバー!!」コーラルがアンバーの方に顔を向けた瞬間、コーラルの左の樹々を掻き分け、獣の様な男が現れ、両腕に取り付けられた合計10本の巨大な爪を振るった。
コーラルは重い身体で反射的に後ろに飛び退き、抉られるのを避けた。
しかし、防刃・防弾のベストはいとも簡単に切り裂かれ、白いレースの装飾があしらわれた薄い水色の下着に包まれた形の良い白い乳房があらわになった。
乳房の上部に一筋の線が入り、そこから血が乳房の曲線に沿って流れ落ちている。
アンバー達は敵から一定の距離をとると、驚愕の表情を浮かべた。
敵の一人はバズーカー砲付きの巨大な金属のシールドを両腕に移植した一見肥満にも見える巨漢。
敵の一人は右腕に長く鋭いナイフと左腕に中口径の銃口が取り付けられた金属製の腕を移植した痩せてひょろ長い男。
敵の一人は両腕に金属製の馬鹿でかいクローを移植した獣のような男。
「・・・マンティコアの半機械化兵やんけ・・・」ガーネットが呻いた。
「なんでや・・・マンティコアとニーズヘッグは協力関係にあったはずやろ?」コーラルは額の汗を拭った。
アンバーは眠るクォーツを大樹の幹にもたれかかせると、振り向き、マンティコアの兵士を睨みつけた。
「マンティコアは軍事産業国、俺達は兵士でなく兵器。金さえ積まれれば、なんでもするさ。」ひょろ長い男が金属製の指を器用に使い、煙草に火をつけた。
「お前達は国に捨てられたんだよ、けけけ・・・」獣の様な男がクローをガシャガシャ動かしながら、心底楽しそうな笑顔を浮かべた。
アンバーは無言で腰のホルスターからハンドガンを抜き、睨み続けている。
「ニーズヘッグにはまもなく国連の調査が入る。世界の非難の的になるような公表されていない非人道的な資産については、早めに消えてもらおうって訳だ。国外でひっそりと・・・な。」巨漢の男はその風貌に似合わず冷静な口調で言った。
「ええんか?そんな大事な事ペラペラ喋って。」アンバーが言う。
「いいさ、どうせお前等は1人たりともガルダから生きて出られない。」そう言うとひょろ長い男は煙草を空に放り投げた。
煙草が回転しながら、ゆっくりと地面に落ちた。
コーラルが素早くスナイパーライフルを構える。
それより早く、獣の様な男が飛びかかり、スナイパーライフルをクローで掴むと、銃口を下に向けさせた。
「その乳、もぎ取ってやるぜぇ!!」獣の様な男のクローが、コーラルの胸部目掛けて飛んでくる。
そのクロー目掛けてアンバーはハンドガンを3連射し、クローを弾き飛ばした。
そのアンバーの隙をつき、ひょろ長い男が長く鋭いナイフをアンバー目掛け突き出す。
アンバーはそれをバックステップをし紙一重で躱すと、素早くひょろ長い男の頭部に狙いを付け、引き金を引いた。
ひょろ長い男は、肩に被弾しながらも、金属製の左手をアンバーの顔目掛けて突き出すと、手の平にぽっかり開いた穴が火を噴いた。
アンバーは足を滑らせたように身体を倒し炎を躱すと、地面に寝転がったまま、相手の股間目掛けて引き金を引く。
ひょろ長い男は、アンバーの頭に手を着き、まるで跳び箱を飛び越えるようにして、銃弾を躱した。
アンバーは転がり起きると、コーラルの方を確認する。
コーラルは獣の様な男の側頭部をスナイパーライフルの銃床を叩き付け距離を取ると、よろめいた標的に狙いをつける。
そこへ巨漢の男が巨大なシールドを振りかぶって突っ込んで来た。
ライフルを引き、後ろに下がるコーラルの横を、ガーネットのアサルトライフルに取り付けられたグレネードランチャーの弾頭が通過する。
巨漢はガードスタイルをとると、シールドでショットガンを受け止め、大きく後ろの弾けた。
巨漢に狙いを付けるコーラル目掛けて、獣のような男がクローを振り下ろす。
再びガーネットのグレネードランチャーが鳴り響き、コーラルの頭部直前でクローが粉々に砕け散った。
「チッ!!」舌打ちし、後ろに飛び退いた獣の様な男のこめかみを、アンバーの銃弾が打ち抜いた。
同時にコーラルがライフルの引き金を引く。
ライフルから飛び出した銃弾は狙い澄ましたように、巨漢のガードする腕の隙間をすり抜け、眉間を打ち抜いた。
二つの兵器は血と脳漿を撒き散らせ、ほぼ同時に崩れ落ちた。
それを待たず、ひょろ長い男のナイフがアンバー目掛けて降り降りる。
アンバーはハンドガンのグリップの底でギリギリのタイミングでナイフを受けた。
同時にコーラルとガーネットの銃から銃弾が発射される。
ひょろ長い男は、素早く後ろに飛んで、それを躱した。
距離をとり着地したひょろ長い男の眼が、驚いたように見開かれ、その視線がゆっくりと自分の胸部に降りて行った。
ひょろ長い男の視界は、自分の胸部を突き破り、血を滴らせているブレードを呆然と捕らえていた。
ブレードが引き抜かれると同時にひょろ長い男は、口から泡混じりの血を吹き、崩れ落ちた。
そこには、大きなブレードを両手にもった、小柄で長い黒髪を頭の天辺でお団子にした、幼児体形の女性が立っていた。
その身体は多数の擦り傷や切り傷から血が滲み、軽い火傷の数カ所あるようだった。
「翡翠!!」コーラルが叫んだ。
翡翠と呼ばれた女性は2本のブレードを背中の鞘に戻すと、大きく息を吐いた。そのシルエットはまるで、大きなハサミを背負った少女のように見えた。
この女性に与えられたコードは「ジェイド」だった。
しかし、男のようなコードが気に入らなかった彼女は、ジェイドの意味する翡翠の方をコードにしてしまったのだ。
彼女はニーズヘッグの顔立ちではなかった。おそらく、他の国から移民、もしくは亡命してきた一族の出生だったのだろう。
そんな境遇を臭わせる隊員は翡翠以外にも何人かいた。
「お前は、サファイアと行ったんとちゃうかったんか?」アンバーがハンドガンをホルスターに戻しながら言った。
翡翠は肩で息をしながら、俯いていた。
「サファイアになんかあったん?」コーラルは翡翠に近づきなが言った。
「サファイア隊は、事実上壊滅や・・・」翡翠は樹の幹にもたれ掛かりながら、投げやりに呟いた。
「壊滅って・・・サファイア隊が?なんやねん、それ。」ガーネットが詰め寄る。
豪雨から傘のように地面を護っている樹海の樹々の葉から水滴が滴り落ち、涙のように翡翠の頬を伝った。
その滴を手の平で拭いながら、翡翠は口を開いた。
「マンティコアはウチ等を殺す為に、半端ない数を投入しとる。アンタ等はまだ完全には薬が切れてないみたいやけど、大半の隊員はもうあかん。なんやもう、わけ分からん状態になってもうた。」翡翠は声を震わせながら続ける。
「血に流れるオリハルコンもコントロール出来んようになってもうたから、状況も把握でけへんし・・・そんな時に強襲くろうてもうて・・・みんな頑張ったけど・・・あかんかった・・・散り散りになってもうた・・・。」
その場に、樹海の葉を叩く雨の音だけが鳴り響いていた。アンバーも、コーラルも、ガーネットも、サファイア隊がいとも簡単に壊滅するなんて信じられなかった。実際、サファイア隊にいた翡翠でさえも。
アンバーは何も言わず、死体の方に歩み寄った。後頭部に真っ赤な花を咲かせたようにしてうつ伏せで死んでいる巨漢の死体を見下ろした。
「見たらあかん!!」それに気がついた翡翠が電気ショックでもくらったかのように身体をビクつかせ、叫んだ。
その時、後頭部に花を咲かせた死体を見た時、後頭部に咲いた花びらが血と脳漿に彩られ、妖艶にテラテラと艶めいている状態を視界に捕らえたその瞬間、アンバーの全身の筋肉が硬直した。
全身、氷水に浸けられたような凍えを感じ、鳥肌が立ちガクガクと震えた。同時に全身から脂汗が溢れ、痙攣し始めた。脳からの命令を身体が拒否するように、力が抜けその場にへたり込むと、身体の中から、怒り、哀しみ、不安、恐怖、悔恨の念、罪悪感がごちゃ混ぜになったようなものが膨れ上がり感情を支配した。
眼からは涙が溢れ、胃の内容物を全て、死体の脇に吐き戻した。
翡翠は駆け寄ると、力無くし震えるアンバーの脇を抱え、死体から力任せに引きはがした。
「アンタ等も見たらあかんで!!」
アンバーの様子を呆然と眺めるコーラルとガーネットに向かい、翡翠が叫ぶ。
死体に何か仕掛けがしてあったのかと重い近付こうとしていたコーラルとガーネットが死体の方を一瞥し、口惜しそうな表情を浮かべて、アンバーの方へ駆け寄った。
アンバーは樹木の隙間を縫って落ちた雨や、葉から滴り落ちた雨粒でぬかるんだ地面に横たわり、薄い意識下で息も絶え絶えに小刻みに痙攣していた。
「サファイア隊の皆もこうなったんや・・・」翡翠は悲壮な表情を浮かべて話し始める。
コーラルとガーネットは、不可解な物を見せつけられたような顔で、翡翠を見つめた。
「始めは善戦しとったんや。でも、自分の倒した相手の死体を見た途端、皆、今のアンバーみたいになってもうた。その後はもう・・・ただの一方的な虐殺やった・・・。」
公表されていれば間違いなく現在存在しうる特殊部隊の中で世界最強部隊のヒトツに名を連ねるであろうピースフロンティアが、ただただ一方的に虐殺される・・・そんな事が有り得るのかと、ガーネットは信じられないでいた。
「サファイアも・・・死んだの?」
ピースフロンティアのNo.3の男の一方的な死・・・その事について信じられない気持ちを抑え、コーラルが聞く。
「わからへん・・・。サファイアとは戦闘が始まってから、撤退まで会えずじまいやった。けど・・・無事で済んでるとは思われへん・・・」翡翠は悲痛な表情で答える。
「ごめん・・・」コーラルは何か悪い気持ちになって、咄嗟に口に出した。
「とりあえず、デンジャーゾーンから撤退しよう。」
コーラルと翡翠が声の主の方を向く。そこには、苦しげながらもなんとか呼吸を整え、痙攣しつつもなんとか身体を起こしたアンバーがいた。
「大丈夫なんか?」ガーネットが振り向き聞く。
アンバーは樹の幹にすがるようにして立ち上がる。しかし、足元がおぼつかない様子だった。
「大丈夫であろうがなかろうが、ここを離れないと、ホンマに全滅してまう。・・・翡翠、悪いけど、肩をかしてくれへんか?」アンバーの言葉に翡翠が頷き駆け寄る。
「ガーネット、クォーツを頼む」
「わかった」アンバーに言われると、ガーネットは眠るクォーツをおんぶした。
アンバーが虚ろながらもなんとか絞り出した意識で3人を見る。
コーラル・ガーネット・翡翠は表情を引き締めて頷くと、再び樹海を歩き出した。
木の根や地面の隆起に気をつけながら、アンバー達は樹海を進んでいた。
先頭をクォーツをおぶってアサルトライフルを構えるガーネットが進む。
次いで、アンバーに肩を貸しながら翡翠が、コーラルは周囲に警戒しながらしんがりを務めた。
もう体内のオリハルコン粒子はほぼ使用できない状態になっていた。これは、ピースフロンティアにとって致命的な欠陥を意味していた。
ピースフロンティアは策敵能力や地形把握をほぼ体内を流れるオリハルコン粒子任せにしていた。それが使えなくなった今、方角、敵の気配、状況がまったく把握出来なくなっていたのだ。
その状況が不安感を加速させたが、だからと行って、立ち止まるわけにはいかなかった。一刻も速くデンジャーゾーンである樹海を抜ける必要があるのだ。
あれからどのくらい歩いただろう・・・アンバーは腕時計を見る。1時間近く歩き続けていた。その間、敵からの攻撃は一切皆無だった。
ひょっとするともう作戦完了と判断して引き上げたのかもしれない・・・そんな冗談のような期待にも縋りたくなる。
爆弾のような雨粒の一斉砲火を行っていた豪雨は、もう嘘のようにやんでいた。それでも高温多湿の気候が気力と体力を根こそぎ奪って行く。
ガーネットがライフルを持つ手の袖で、溢れる汗を拭う。
その時、100m程先の視界が開けているのが見えた。樹海の中に、光が射し込んでいる。まるで後光のように・・・。
ようやく樹海を抜けた・・・生きて樹海を抜けられた・・・このデンジャーゾーンを。
誰もが、安堵を覚え、自然と歩みを早めた。
樹海を抜け、光に全身包まれた。あまりの光量に、一瞬視力を失う。
身体に吹き抜ける風の感覚が、ここが開けた場所であることを伝える。
徐々に光りに眼が馴れ、視力が戻ってきた。朧げな風景がゆっくりと形を成して行く。
・・・愕然とした・・・
樹海を抜け辿り着いたそこは、何かを威嚇するように凶悪に突き出した崖だった。
崖の先端の遥か下方を風が吹き抜ける音と、滝があるのであろう、大量の水が水面にその身を打ち付ける音が微かにしていた。
全員の身体に大量の脂汗が滲む。
セーフティーゾーンに辿り着いたと思ったそこは、最低最悪の逃げ場のないデンジャーゾーンだった。
「戻ろう・・・」アンバーが呟いたと同時に、後ろの樹海から人間が数人現れた。
樹海から息絶え絶えに現れた人間達は全員歓喜の表情で現れ、そしてすぐに絶望の表情に変わった。
ピースフロンティアの生き残り達だった。その数は嘘のように少ない。
アンバー達はうなだれへたり込む隊員達を見回した。ダイヤ、ルビー、サファイアの姿はどこにもない・・・。
まさか隊員達を生かす為に犠牲になったのだろうか・・・。首を少し振り、その不吉な考えを振り払う。
アンバー達が崖に背を向け、再び樹海に向かって足を進めたその時、崖の下からヘリのローター音が聞こえて来た。
不吉な予感が全隊員に襲いかかる。不吉な予感ほどよく当たる。世界は得てして、そういう風に出来ている。人間は不吉な出来事に対し、敏感に出来ているのだ。
その不吉は崖の下から突如形を纏って現れた。
1機の兵士運搬用の軍用ヘリ・・・
その中にいる半機械化兵達が、自分の愛すべき銃火機を構えて、自分たちに狙いをつけていた。
後ろの樹海からも、多数の敵兵達が樹海を抜けるため、地面を踏みしめる足音が聞こえる。
チェックメイト・・・完全に詰みの状態だった。
最早逃れられぬ、迫り来る死という現実に、全隊員の戦意が根こそぎ持っていかれる。
絶望は混乱して銃を乱射するという気力さえ奪い去っていた。
ただただ棒の様に力無く立ち尽くし、訪れる死の瞬間を待つだけだった。
ヘリの1人の兵士が自分に狙いを定めたのを悟った。アンバーは静かに眼を閉じる。刹那の時の後、訪れる死を感じながら・・・。
その時、樹海からロケットランチャーの弾頭が猛スピードで現れ、スピードそのままにヘリの横っ腹に突き刺さった。
ロケットランチャーの直撃を横っ腹に喰らったヘリは、黒煙を吐きながら訳も分からず錐揉み状態で崖下に姿を消した。
「ギリギリ間に合って良かったわ」
樹海から草木を掻き分けて現れた声の主に全隊員の顔が向けられる。
アンバーはその人物を視界にとらえると、安堵の表情が浮かんだ。再び戦意が意識下から湧いてくるのを実感した。
きっと他の隊員達も同じ気持ちだったろう。眼に力が宿ってきている。
声の主は、ダイヤだった。
金髪のベリーショートのツンツン髪は血と汗を含み、ベタっと寝そべった状態になっている。彼も披露困憊の状態だった。
しかしピースフロンティアNo.1のダイヤ、それに続いて現れたNo.2のルビー、No.3のサファイアの存在自体が隊員達に力を与えるに充分だった。
例え彼らが、3者3様に血と汗にまみれ、披露困憊な状態だったとしても・・・。
「全員物陰に隠れ、陣を組め!!樹海から出てくる敵兵を一斉放射後、隙を見て、散開して再び樹海に入る!!!!」ルビーが大声で命令を出す。
皆、疲れを忘れたように素早く動き、命令に従うべく配置についた。
アンバー達も、ボロ切れのような身体に鞭打ち、配置につくべく動き出したその時、ダイヤに肩を掴まれた。それにコーラル、ガーネット、翡翠も気がつき、立ち止まる。
「お前達はアンバー隊として、隙を見て撤退するんや。」ダイヤがアンバー隊だけに伝わるように小声で言った。
アンバーは正直面食らってしまった。それほどまでに自分達は戦力外なのか・・・と。
「何言うてますん、ダイヤ!!俺達だって・・・」喰ってかかるガーネットの口先に掌を向け、ダイヤは続きを拒んだ。
ダイヤはアンバー隊の一人一人の顔を真剣な眼差しで見つめていった。まるで記憶にしっかりと焼きつけようとしているかのように・・・これが最後になるかのように・・・。
そして、静かに口を開いた。ゆっくりと、心の奥底にまで響くような声で・・・
「お前達が最後の希望だ、ピースフロンティアを終わらせるな。」
ピースフロンティア全隊員が樹海の入り口に向かって、狙いを定めていた。
各個の顔を疲労と緊張の汗が伝う。
アンバー隊は樹海の入り口に近い大きな岩の裏に隠れ、それぞれの得物の銃口を樹海に向けていた。
アンバーは11口径ハンドガンのスライドを引き、薬室に薬莢が装填されているのを確認する。そして、ベストのポケットの中の予備の弾倉の数を手探りで確認した。
・・・残り3本。このデンジャーゾーンを突破するには、びっくりする程少ない物足りない量だ。弾も、人も。アンバーは静かに舌打ちした。
「チッ、チッ、チッ、チッ・・・」と舌を鳴らし、ガーネットがタイミングを測っている。
コーラルは、敵の呼吸に合わせるかの様に、ゆっくりと呼吸をし、スナイパーライフルの照準を覗き込んでいる。
翡翠は左肩をアンバーに貸しながら、仲間から貰ったサブマシンガンを右肩から掛け、銃口を樹海入り口に向けている。大きなハサミを背中に背負い、サブマシンガンを構える彼女のシルエットは、見ようによっては滑稽に映る。
クォーツは相変わらずガーネットの背で、幼く可愛い寝顔を晒していた。
ゆっくりと、しかし確実に空気が緊迫し、硬直するのが感じられた。オリハルコンが使えなくなっている状態でも、きっと素人にでも、この空気の変化は感じられただろう。それほどまでに、殺気と言うのは、主張が強い。
野草を踏みにじる音・・・
地面を踏みしめる音・・・
枝の折れる音・・・
背丈程の高さの草を掻き分ける音・・・
音が徐々に大きくなる。
全ての音が混じり合って、確実な敵の接近を知らせる。
場の空気が緊張の糸が切れるギリギリの張力で引っ張られている。
誰かが生唾を飲んだ音さえ、聞き取れるような気がした。
そして遂に、樹海と崖の境界に敵のシルエットが浮かんだ。
ダイヤの左手が振り下ろされ、ピースフロンティアの一斉放射が始まった。
樹海の中から呻き声や断末魔の声が聞こえる。同時に敵からの対抗射撃も始まった。
「行けっ!!!!」ダイヤがアンバー隊に向かって叫ぶ。
アンバーは強く頷き、樹海に向かい銃のトリガーを引きながら走りだした。アンバー隊全員がそれぞれの得物を乱射しながらそれに続く。
アンバーが最後に見たダイヤの顔は、笑っていた。
自分達に向け、戦場に相応しくない程の優しい、愛情溢れる笑顔を・・・。
アンバー隊は走った。それぞれの銃のトリガーを引き続けながら。エジェクションポートから投げ出された空薬莢がアンバーの頬をかすめ、軽い火傷をおった。
樹海の入り口が目前に迫った時、強い殺気が彼を襲った。
振り向くとそこには、自分達にマシンガンの銃口を向ける敵兵がいた。
しまった、反応が遅れた・・・アンバーは自身を盾に、仲間を護ろうと判断し、両手を広げ、敵の方に身体を向けた。
敵の銃口がその凶暴さに見あわない小さな銃声を響かせて、無数の銃弾を吐き出した。まるで銃弾1つ1つが意志を持ったかのように全て、アンバーに向かって飛んで来ていた。
アンバーは眼を力一杯見開いた。覚悟なんてものは、決めようとすら考えなかった。
そんなアンバーの前に、両手を広げた大きな影が滑り込んだ。
銃弾はその影に全て喰い込んだ。赤毛の短く刈り込んだ髪に顎髭を生やした、色黒で大柄の屈強な男の身体に。
「サファイア!!!!!」
アンバーは狂ったような声で叫んだ。その声で、アンバー隊の全員が状況を理解し、足を止めた。
血を吐き、よろめいた身体が倒れるのを足が拒否するように踏ん張る。サファイアは無数の銃創から血を噴き出させながら敵目掛けてロケットランチャーをぶっ放した。
弾頭が着弾し、大きな爆発が起こる。それに合わせ、数人の敵兵が吹っ飛んだのが見えた。
サファイアがオリハルコン粒子がラメのように光る血を大量に吐き出し、膝をついた。アンバー隊がサファイアに駆け寄る。
サファイアはアンバー隊を右手で制し、血が滴り落ちる充血した眼で睨みつける。
「止まるな!!行けぇ!!!!」
アンバーに向かって、断末魔の叫びの様な声でそう叫ぶと、サファイアは血を溢れさせながらも力強く立ち上がり、ライフルを乱射しながら敵兵目掛けて突っ込んで行った。
アンバーは奥歯が陥没してしまうかと思うくらい歯を食いしばり走り出し、樹海に姿を消した。アンバー隊も、それに続いた。ピースフロンティアを終わらせないために。
サファイアが死んだ・・・
致命的な傷を負ったことは、素人でも理解出来た。
自分達を生かす為に、サファイアはその身を差し出してくれた。
訳の分からない、初めての感情が浮かんできて、涙が浮かんだ。食いしばった歯から、血が滲んだ。
それでもアンバー隊は走った。地面の隆起や樹木の根に足を取られそうになりながら、披露困憊で満身創痍な身体を精一杯動かし走り出した。
ひときわ大きな樹の根を飛び越えた時、樹々の向こうに視線を感じた。
走りながら何気なく視線の方向を見た。そこには女性のシルエットが浮かんでいた。
銀髪のロングヘアーで武装した女性・・・顔は確認出来ない。
「パール?」アンバーは呟いた。
「なんやて?」アンバーに肩を貸し走る翡翠が聞く。
「いや、なんでもない」アンバーは再び視界を戻し、走った。
ピースフロンティアのNo.4、パールがこんな所にいるはずがない。半年前に病気を患い、研究所で療養と再調整を受けているハズだからだ。
走り去るアンバー隊を見送り、白い艶のある肌の銀髪の女は妖艶な笑みを浮かべた。
そして、崖の方向にゆっくりと歩き出した。