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からからと嗤う孤塔の鬼

作者: 短小マン

「俺の中身はからっぽだ」

 昔はこんな事はなかった。製造された当初は中身がたっぷりと詰まっていた。身体を振ってからからと、腹に入れた石がもの悲しい音を立てる事もない。腹にはみっちりと『何か』が詰まっていた。それは俺の七割を占めていた。俺の体重は百キロだから、『何か』は七十キロだった事になる。

 それだけ詰まっていたから、ビル風に吹かれてもびくともしなかった。

 全質量の七割を占めている『何か』がなんなのか知らなかった。労働者である俺には知る権利がなかったし、知る必要もなかった。労働者の仕事は労働をする事で、思考する事ではない。物を運んだり、削ったり、設置したりと、労働するのが労働者の仕事だ。そこに思考が介在してはいけない。考えるのはホワイト達の仕事だ。仕事中に無駄な行動を取ることは許されない。労働者が思考する事は、全体国家のあり方に反する。それに知らなくても俺は労働する事が出来た。

 だから、気にせずに働いた。

 働く場所は高所だった。C型の労働者はバランス感覚に優れて、高所作業に向いている。土木専門のD型や、汎用性は高いが専門性の低いB型にはできない。彼らが高所作業をすると、十人中三人が転落死する。だが、俺達C型はそもそも落下する事も少ないし、落下したところで衝撃緩衝機構によって生還率も高い。骨組みを飛び回りながら作業をするC型は、工事現場の花形だ。

 仕事場と宿舎を往復するだけの毎日だったが、別に不満はなかった。仕事は面白いし、同僚とも上手くやっていた。

 B型の連中は、労働者としてのスペックは平凡だが、中身は個性的で色々な趣味を持っていた。ネジ虫釣りや姫写真の蒐集、雑巾破き競争といった多彩な趣味を持っていて、休憩時間になると食堂に集まって、趣味の話で盛り上がる。

 D型は殆どが米道楽だった。休みに米屋の食べ歩きをして『あそこの米屋は綺麗な米を扱っている』『高架下の米屋は卑劣さ』といった米話で盛り上がっている。俺達C型は、そんなB型やD型と話す。C型は先天性のお喋りだから、話していればそれだけで楽しい。特に仕事中は私語厳禁だから、休憩中はここぞとばかりに話す。

 唯一、A型の上司とだけは打ち解ける事が出来なかったが、そもそも上司とはそういう物だ。それにA型は酷く気難しい。監督が仕事であり、現場指揮を円滑に行う為、頭部ユニットを三つも四つも付けているから、思考の統制が困難なのだ。理性的であるが分裂気味でプライベートで付き合いたい相手ではない。


 毎日が楽しかった。俺はごく普通の労働者C型であるが、普通の生活に満足していた。だが、あの男は現れて言った。

「君の中身を売ってほしい」

「俺のかい?」

「そう、君の腹の中にある物を売ってほしいんだ。これだけ出す」

 不思議な男だった。服は作業服ではなく、ホワイト達が着るような真っ黒いスーツを着ていた。黒いネクタイを締めていて、黒い革手袋を嵌めて、黒い皮のスーツケースを持っている。みんな真っ黒だ。男はスーツケースから金を取り出して、俺に見せつけた。それは見たことも無いような大金だった。

 目がくらんだ。

「すげぇな。俺の中身を売れば、その金をくれるっていうのか?」

「ああ、あげよう。そもそも中身なんてたいした物ではないんだ。それは七十キロの重りでね。身体を安定させるために詰められているだけなんだよ。確かに七十キロの重りは重要な事かも知れない。だがね。そんな物の代用は、そこらを転がっている石ころにだって出来るはずだよ。ようは、身体をどっしりさせるためのウェイトでしかないんだからね。そんな取るに足らない代物に、これだけのお金をあげようと僕は提案しているんだよ。どうだい。これは良い話じゃないか」

「うん、うん。良い話だ」

「よし、商談成立だ。君の中身は僕の物だ」

 男はねじ回しを取り出すと、俺の腹の四隅にあるネジを外してしまった。ネジはプラス頭の丸ネジで、男がねじ回しをくるくるする度にチャリンチャリンと落ちていく。その度に俺は無性に眠くなる。

「なんか眠いな」

「なら、眠っていても良いんだよ。その間に僕は君の中身を貰っていく。腹には重い石を入れて、すっかり元通りにしておく」

「うん、うん」

 起きると手に大金があった。その代わり、腹からはからからと音が鳴るようになった。風が吹くとよろめくようになった。今までは、どんな風にもびくともしなかったのに――


「俺の中身はからっぽだ」

 何をしていても、どうしようもない空しさだけが付きまとうようになった。仕事も楽しくなくなった。食堂で仲間達と話をしていても、ずっと気持ちは沈んだままだ。中身と引き替えに手に入れた金も、慰めにならなかった。それどころか、その金と引き替えに大切なモノを売り払ったのだと、金を見る度に陰鬱になった。何のために大金を手に入れようとしていたのか、それすらも分からなくなっていた。何も欲しくなかった。売ったときは、金を何かの為に使おうと思っていたのだが、腹の中に詰まっていた『何か』が消えてしまった瞬間、俺の望みは消えてしまった。

「中身が欲しい。中身さえあれば、俺は……」

 腹には石が入っていた。だが、それは失った『何か』とは違う。中身は金に代えてはいけなかったのだ。失って、俺は中身の大切さに気が付いた。

 男を捜した。仕事の合間を縫っては街に出て、そこら中で聞き込みをした。だが、黒い男が街で目撃される事はなかった。あれだけ目立つ姿なのに、誰もそんな男は見ていないと言う。

 俺以外は。


「どうも。初めまして先輩!」

 CⅡ型が仕事場にやって来たのは、そんな時だった。

 彼は労働者C型の改良型で、脚部の衝撃緩衝機構が最初から新式の物になっている他、我々CⅠ型(今までは単にC型と呼ばれていたが、CⅡ型が製造された事で俺達の名称も変更された)が蓄積してきたノウハウが各所に詰め込まれていた。洗練されていると見た瞬間に思った。

「まだ至らぬ点がありますので、ガンガンご指導お願いします!」

「ああ、よろしくな新型」

 新型は良い奴だった。旧型となった俺の事を何かと立ててくれる。明らかに新型の方が優れているが、経験と実績に敬意を払う。こちらがミスをしても気に障らないよう指摘する。能力があって、和を乱さず。何の文句もない素晴らしい新型だった。

 だが、一つだけ新型の我慢ならない点が俺にはあった。

 目つきだ。

 俺の腹がからからと音を鳴らせる度に、新型は釣られて俺の腹を見る。その時の目つきが耐えられなかった。彼は俺の腹を見て『なんだろう?』と不思議そうな顔をする。その顔つきが気に障った。とっさに首を絞めて殺してしまいそうになる程、目つきが俺を傷つけるのだ。

「いっそ本当に殺してやろうか」

 そう考えたことも一度や二度ではない。殺害する方法や安全に犯行可能な場所を検討した。あの新型の細い首をワイヤーで絞め殺してしまおうか。事故を装って高所から突き落とそうか。ハンマーで頭をかち割ってやろうか。場所は街よりも高所作業の最中がいい。ちょうど今、建設途中の八本足思想塔がおあつらえ向きだ。あの上で作業するのは俺と新型の二人だけだ。下にはB型なんかが蠢いているが、空中の我々が何をしているのか分からないはずだ。今の現場でなら、俺は新型を後腐れ無く殺せる。

 俺が妄想する殺人現場である八本足思想塔は、八本足思想を体現した思想塔だ。八本足思想は主にホワイト達の間で信じられているもので、人は徳を積むごとに足が一本ずつ増えていき、最終的には八本足の聖人となるという肉体変容思想の一種である。御神体は巨大な蛸。その為、八本足思想塔は蛸を模した八本の足で立つ建造物になっている。完成まではまだ遠く、骨組みしか出来ていないが、将来は立派な思想塔として街の中心に聳える事だろう。

 その塔の上で新型を殺す。俺は何度も妄想を重ねた。あの新型の細い首にワイヤーを引っ掛ける。すると新型は慌てて「せ、先輩、どうしたんですか?」と尋ねてくる。その時、風が吹いて身体が揺れる。からからと腹から音が鳴る。新型は俺を、あの厭な目で見る。俺はとびっきりの笑顔を浮かべて「えいや!」と威勢よく、ワイヤーを引っ張る。新型の首にワイヤーが食い込む。新型は悲鳴を上げるが、その声は風に流されてしまってどこにも届かない。なすすべなく、新型はピクピクと痙攣して死んでしまうのだ。そうして死んだ新型の腹から、俺は中身を引きずり出す。

 それを腹の中に収めれば、また楽しい日々が戻ってくる。

「先輩、どうかしたんですか?」

「なんでもない」

 俺は想像を止めた。

 結局のところ。新型への殺意は羨ましいという事なのだろう。自分がなくした中身を持っている。楽しい日々を過ごしている。だから、許せないのだ。だから、殺して中身を奪いたいのだ。そうすれば、俺は幸せになれるだろう。

 新型への殺意は、結局そういうことだ。

 今のところ、俺は自制している。殺害を想像で止めている。労働者CⅡ型と表面上は仲の良い先輩後輩を演じている。だが、俺の腹から音が鳴る、からからという音が俺を惑わせる。中身の代わりに詰め込まれた石塊は、俺に新型を殺せと囁く。


 ある日、作業が一段落したとき、新型が俺に言った。

「先輩」

「なんだ?」

「現場って楽しいですね!」

 ああ。

 滑り落ちて死ねば良いのに。

 その言葉を押し殺し、俺は「そうだな」と言葉少なに同意した。新型は何も知らず、無邪気に笑っていた。

 風が吹く。

 からからと、俺の腹から音が鳴った。

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