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ジャッジ  作者: 柏木椎菜
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シャル・ノヴェスの場合

「三十......二匹、三十......三匹」

 やった。今日は昨日より多くつぶせた。もっとつぶそう。

「三十四匹......」

 ずっと下を向いてたから、首が疲れた。私は空を見ながら頭を回すように動かす。ぐるり、ぐるりと何度も回して、また地面に目を向ける。黒いつぶつぶが転がる横を、動くつぶつぶが通り過ぎようとしてる。そこをすかさず――

「三十五匹......」

 足をどけると、黒いつぶつぶは変な形につぶれてた。もうちょっときれいにつぶされてよね。

「......四十一匹、四十二匹、四十――」

 次のつぶつぶを探したけど、自分の影で地面が暗くてよく見えない。顔を上げると、周りはもう暗くなり始めてた。つぶすのに熱中しすぎて、夕方になってたのに気づかなかった。

「もう帰る時間か......」

 帰りたくない。でも帰らなくちゃ。最後に一匹だけ探してつぶそう。つぶしたら帰ろう。暗い地面に目を凝らして探すけど、なかなか見つからない。みんなちりぢりに逃げちゃったみたい......。

 その時、暗い地面に、横から別の影が重なってきた。何だろうと思って顔を上げると、すぐ近くに男の人が立ってた。白いローブを着てて、背が高くて、優しい目をしてて、かっこいい人だった。

「こんな細い路地で、何をしているのですか」

 声も優しかった。でも知らない人だから、あんまり話す気はなかった。

「......何にも。もうすぐ帰るの」

「そうですか......」

 男の人は立ち去ってくれない。何をしたいんだろう。私は無視して最後の一匹を探し続けた。

「何してるの?」

 女の子の声がして、私は顔を上げた。その子は男の人の陰に立ってこっちを見てた。知らない子だ。私と同い年かちょっと下に見える。男の人の子供なのか、お揃いの白いローブを着ていた。顔はかわいいけど、私のほうが勝ってると思う。

「何にもしてない」

「嘘。アリを探してるんでしょ?」

 おとなしい子かと思ったら、意外に言ってくる。

「なんでわかるの?」

「だって、あんたの足元、アリの死骸だらけだもん」

「......そうだね」

「あんたが殺したんでしょ?」

「うん」

「なんで殺すの?」

「こうすると、気分が晴れるの」

 私は正直に言った。知らない人だから構わないと思った。

「命を奪っているという自覚はあるのですか」

 男の人のしゃべり方は変わらず優しかった。だけど私を叱っているんだろう。

「アリなんて何の役にも立たないんだから、別にいいと思うけど」

「小さくても命なのです。無益な殺生はするべきではありません」

「他人に命令されたくない」

「他人も何も関係ありません」

 この男の人、かっこいいけどなんかうざったい。

「私、帰る」

 最後の一匹は諦めよう。また明日にしよう。

「ちょっと待って。あんた、また明日も殺すつもりでしょ」

 親子一緒にうざったい。

「......ねえ、どこの学校の子?」

「学校? 学校なんて通ってないけど」

 貧乏の子か。

「この町に住んでるの?」

「住んでない」

「......何それ」

 外の人間? なんで部外者に注意されなきゃいけないのよ。早く帰ろう。

「お待ちください。まだ話は済んでいません」

「私が何しようと勝手だと思う」

「勝手では困るのです」

「なんで? 誰も私のすることなんて見てないし」

 本当に、誰も見てない。

 男の人は小さくため息を吐いた。何なの?

「アリを殺すと気分が晴れる――その理由を詳しく聞かせてもらえませんか」

 言われて私は思った。理由? そんなこと考えたこともなかった。いつからかアリをつぶし始めてた。そうすると気分がよくなるのに気付いた。でも、つぶすと気分がよくなる理由なんて......わからない。なんでだろう。ただ私は、家にいたくないから、ここでアリをつぶしてた。ちっちゃいアリを、つま先でぎゅっと。家にアリはいないから。

「わかんないよ......家に帰りたくないから、ここでこうしてただけだもん」

「では、なぜ家に帰りたくないのですか」

 なんか、嫌な質問だと思った。

「お父さんもお母さんも、私を見てくれないから......」

 お父さんとは、一日に二回しか会わない。私が朝ご飯を食べてる時と、私が夕ご飯を食べ終わった時。朝のお父さんは、仕事の身支度をしてさっさと家を出ていく。私の顔も見ないで。だから話しかける暇もない。私が夕ご飯を食べ終わった後、お父さんはいつも帰ってくる。疲れた顔で椅子に座って、お母さんの料理を食べ始める。その時には私はもう自分の部屋に戻ってる。明日の学校の準備をしてベッドで眠って終わり。お父さんと話す時間がない。だから、私はお父さんと話したいと思った。自分の親なのに、お父さんのことを私はよく知らなかった。優しいのか怖いのかも。

 夕ご飯を食べながら私はひらめいた。このご飯を遅く食べ終われば、お父さんと一緒にご飯を食べられるかも。そう思って私はわざと遅く食べた。そのうちお父さんが帰ってきた。いつもならいないはずの私を見て、お父さんは何も言わなかった。私のことなんか見えてないみたいに、椅子に座って料理を食べ始めた。私のと同じシチューを食べてたから、私は「おいしい?」って聞いてみた。そしたらお父さんは、ちょっとだけ私を見て、「早く食べなさい」と一言だけ言った。もっと話しかけようとしたら、なぜかお母さんに止められた。お父さんとはそれ以上話してない。お父さんが楽しい顔をしないから。

 お母さんは主婦で、ずっと家にいる。よく友達を呼んで一緒にお茶を飲んだりしてるけど、家事とか料理は絶対にさぼらない。だから家の中はいつもピカピカだし、料理も毎日おいしい。

 でも、お母さんは私のことをあんまり褒めてくれない。私から掃除や料理のお手伝いをしても、何にも言ってくれない。学校の先生に褒められたと言っても、「へえ、そうなの」で終わる。お父さんよりは話す時間があるけど、お母さんの言葉は適当な感じがして寂しい。

 私の前だとそんなだけど、それがお兄ちゃんになると、お父さんとお母さんはすごく変わる。

 私には十九歳のお兄ちゃんがいる。昔から天才なんて呼ばれてて、私が今通ってる学校で、歴代に残る成績を収めてるって前に先生達から教えてもらった。今はすごい大学に通ってるみたいだけど、何がすごいのか私にはわからない。とにかく、ずっと天才だから、周りの人達はみんなお兄ちゃんを褒める。その一番がお父さんとお母さんだ。「自慢の息子です」って言ってるのをよく聞く。「自慢の娘です」なんて一度も言われたことないけど。

 私だって、お兄ちゃんほどじゃないけど、天才みたいなところはある。前に、町の絵画コンクールに、史上最年少で選出されたことがある。その時は友達とか先生にいっぱい褒められた。でも、お父さんとお母さんは「よかったね」の一言で終わった。私にはすごいことだと思えたけど、お父さんとお母さんは、お兄ちゃんのほうがもっとすごいと思ってたんだ。確かになんでもできる天才のほうがすごいけど、人より上手く絵が描けることだってすごいことだと思う。私が自慢できるのは、絵の上手さだけなのに、なんで見てくれないんだろう。

 そんな一つだけの自慢を見てくれたのは、お兄ちゃんだけだった。絵を飾ってる会場まで見に行ってくれて、私に感想を言ってくれた。自分でも上手く描けたと思う赤い花を真っ先に褒めてくれた。「シャルは絵の天才だ」って言ってくれたけど、私はなんだか嬉しくなかった。本物の天才が、私を天才なんて本当に思ってるわけない。兄妹だし、かわいそうだから、頑張った妹を少しは褒めてやろうっていう、どうでもいい思いだったんだ。そんなのちっとも嬉しくない。逆に馬鹿にされたみたいで腹が立つ。

 結局、家族みんな、私のことはどうでもいいんだ。私がいなくても悲しくないんだ。

「家にいたって、誰ともしゃべらないし、つまんないし、意味ないもん」

「ご両親は、あなたとお話をしてくれないのですか?」

「しても......すぐ終わる」

「なぜ話してくれないのでしょう」

「知らない。私のことが嫌いなんじゃない」

 お兄ちゃんだけでよかったのに、私が生まれちゃったんだ。きっと。

「自分の子を愛さない人間がいるんだ。これは発見じゃない?」

 女の子が驚いた声で言った。

「お父さんとお母さんは、お兄ちゃんのことは好きだけど」

「あなたにはお兄さんがいるのですね」

「天才だから、みんな好きなの」

 私はそうでもないけど。

「......どうやら、ご家族との間が上手くいっていないことが原因の一つのようですね」

 そんなこと、わかりきってる。

「なんでお兄さんだけ愛されるの?」

「言ったでしょ。天才だから」

「じゃあ、あんたも天才になれば?」

 この子、学校行ってないからこうなの?

「天才って、生まれつきのものなの。今からお兄ちゃんみたいになれるわけないから」

「ふーん......でも、あんたの絵の才能、それは天才のうちに入らないの?」

 びっくりした。まさか外の人間が私の絵のことを知ってるなんて。

「......コンクールの絵、見たの?」

「見てないけど、知ってる」

 噂ってこと?

「でも、今は少し腕が落ちたんじゃない? 前よりいい絵とは思えない」

「!」

 偉そうに......何様のつもり?

「私の絵、どこで見たのよ」

「だから、見てない」

「あなた、私を馬鹿にしてるでしょ」

「してないって。正直に言っただけ」

「見てないのに、なんでそんなことがわかんのよ!」

 女の子は頭をかいてニコッと笑った。

「それは秘密」

 ......みんな、私のことを馬鹿にしてるんだ。

「確かに、最近はコンクールの出品作に選ばれてない。最後に選ばれたのは五年前だし。でも、私の絵が悪いんじゃない。絵の良さがわかんない周りがいけないのよ」

「絵を見る人間の目がおかしいってこと?」

「二週間前、クラス内で優秀作品が選ばれたの。誰だったと思う? 授業中いつも寝てるような不真面目な男子だった。絵も色使いはばらばらだし、線だってふにゃふにゃにしか描けてないし、なんで選ばれたのかまったくわかんない。あんな絵より、私のほうが何十倍も何千倍も上手く描けてたのに、先生は何を考えて選んだか......」

 私が抗議しても、先生は変えなかった。課題テーマの「優しさ」に一番合ってる絵だって評価した。それってつまり、テーマに合ってれば、どんなに下手な絵でも上手いことになるわけで、そうしたら赤ちゃんだって画家になれる。そんなの絶対におかしい。

「絵には、表現力と同じくらい技術力が必要なの。でも、あの男子に技術力は全然なかった。誰が見たってわかるくらい」

「では、なぜあなたの作品は選ばれなかったのでしょう」

「多分......クラスで一番絵が上手いから。いつも私の絵ばっかり選んでたら、みんなのやる気がなくなっちゃうから、わざと下手な絵を選んだんだと思う。私の苦労を踏みにじって」

 先生は公平でいなきゃいけないのに、ひどすぎる。私の才能を埋め戻そうとしてる。クラスのための犠牲に――

「もしかして、犠牲者だとか思ってるの?」

 女の子が私を見つめてた。

「選ばれなかった理由、ちゃんとわかってるみたいだけど」

「先生が私よりクラスを――」

「それじゃなくて、その前。表現力と技術力のこと。選ばれた男子は技術力がない。一方のあんたにはある。でも男子の絵が選ばれた。そこであんたの言ったことをうのみにすれば、それはつまり、男子の表現力がずば抜けてたから選ばれたんじゃない?」

 幼い顔なのに、なんだか難しく言う子だ。

「わかんない? 技術力はあんたが上だけど、表現力は男子があんたを随分上回ってるってこと。あんたの表現力は、男子に大きく負けてるわけ。技術力の差を埋めちゃうほどにね」

 私が、負けてる? やっぱり私を馬鹿にしてるんだ、この子。

「いい加減なこと言わないでよ!」

「え? 今の、いい加減に聞こえた?」

「私は毎日絵を描いてるのよ。技術力も表現力も、あんな男子に負けるわけない」

 筆づかいや絵の具の塗り方は先生にしっかり教えてもらってるし、学校が休みの日は、美術館に絵画を見に行って勉強してる。私はいつだって絵のために努力してるんだから。

「では、最近、絵を描いていて楽しいと感じましたか」

「いつも、思って......」

 言いかけた言葉に違和感があった。――楽しいなんて感じてない。おかしい。昔は楽しいって思ってた気がするけど、今はなんか違う。どうしてだろう......。

「表現とは、技術力だけでは成り立たないものだと思うのです。何かに迫られ、焦りの中で描いても、きっとそこにあなたの表現したいものは描かれない。あなたは今、絵を描く楽しさを見失っているようです。その原因は、おそらく......」

 家族だって言うの? そんなのおかしい。だって、私は絵の天才だって、お父さんとお母さんに知ってもらいたいから、だから絵を描いてるのに。それなのに、見せたい人達が原因で絵が下手になってる? そんなはずない。家族が原因なわけない。もっと他に楽しくなくなった原因があるんだ。絶対......。

「一度、絵から離れてみてはどうでしょうか。ご家族のことが残っている限り、上達することは難しいと――」

「ここ何日か、眠れてないの」

「......それが何か」

「きっとそれだ。よくわかんないけど、寝不足が続いてるの。なんでかな」

 男の人と女の子はお互いの顔を見た。

「何か、頭から離れない考え事でもあるのではないですか?」

「つまり、か――」

「うるさいのよ」

 女の子の丸い目が私を見た。

「朝ね、近所のニワトリが暗いうちから鳴いてうるさいの。何度も何度も鳴いて、耳をふさいでも聞こえる。あれのせいで眠れないんだ」

 あの能天気な鳴き声、あれに起こされて一日が始まる。迷惑以外の何物でもない。

「鳥で思い出した。学校にもうるさい鳥がいるの。絵を描いてる教室の横に池があって、そこに何十羽もアヒルが住んでるんだけど、絵を描いてる最中、突然鳴き始めて集中力が途切れることがよくあるの。学校で描いた絵が評価されないのは、きっとアヒルのせいなんだ」

 鳥が全部邪魔するんだ。私が絵を描くことを邪魔するんだ。

「ちょっと、神経質になりすぎじゃない? たかが鳴き声くらいで」

「あなた、絵を描いたことあるの?」

「ないよ」

 何堂々と言ってんのよ、この子。

「そんな人に神経質なんて言われたくない。鳴き声聞いたことないくせに」

「......あのさあ、本当にそれが原因だと思うわけ?」

「それしかない」

 描くのが楽しくなくなったのは、うるさい鳴き声で眠れなくなったからだ。いつも眠いから楽しめないんだ。それ以外ない。

「では、それが原因だとして、あなたはどうやって解決するつもりですか」

 聞かれて考えた。鳥がもう鳴かないようにすればいいんだから――自分の足元を見たら、黒いつぶつぶがあった。そうか、これと同じにすればいいんだ。

「首を絞めるの」

 二人が私を見た。女の子の目がやけに大きく開いてる。

「本気で言ってる?」

 私はうなずいた。

「首を絞めたら、鳥がどうなるかわかっていますか」

「死んじゃう」

「死んでも、構わないと?」

 私はまたうなずいた。だって、うるさいし、邪魔なんだから、いなくなってもいいと思う。あんな鳥。

「殺す必要はないと思うけど。あんたが鳴き声の聞こえないところに行けば、済む話じゃない」

 一瞬、なるほどと思ったけど、すぐにだめだとわかった。

「私の部屋を変えたって、あのニワトリの声は家中に聞こえるもん。うるさいもとをどうにかしなきゃ意味ない」

 空を見たら、もう太陽が見えなかった。周りも薄暗くなり始めてる。このくらい暗ければ、ニワトリの飼い主に見つからないかもしれない。私はその家を探しに行こうと思った。

「どこ行くのさ。話、終わってないけど」

「ニワトリ探しに行く」

 私は歩きだした。

「ちょっ、ちょっと待ってって。もっと話しようよ」

「もう暗いから」

「お待ちいただけませんか」

 後ろの声がどんどん遠くなる。もう話すことなんてないから、私は無視した。

「......もうっ」

 女の子の声が最後に聞こえたけど、そこでなぜか目の前が真っ暗になった。

          *

「......仕方なかった」

「わかっています」

「あのまま行かせたら、ニワトリの命がなくなってた......。なんで人間は無駄に命を奪うんだろう」

「わかりません。ですが、今の女の子、シャルに関して言えば、彼女は家族からの愛を欲していたようです。それが関係あるのでしょうか」

「さっぱりわかんないな......シャルの家族を捜してみる?」

「なぜです?」

「どうしてシャルを愛してあげないのか、聞くの」

「聞いたところで、人間が無駄に命を奪う理由はわからないと思いますが」

「そうかもだけど、なんか......人間のことがちょっとわかる気がすると思わない?」

「やはりあなたは好奇心が旺盛ですね」

「こ、好奇心じゃない。人間を知るためだってば」

「わかりました。シャルのご家族のことは、心に留めておきましょう」

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