具現化した炎3
ドックに駆けつけたおれを待っていたのは、青白い燐光を飛ばしているエグゼキューターの姿だった。黒く、そして歪な機体が微かに振動している。まるで自動車のアイドリングだった。機体の後部にある巨大な謎の輪っかが、ゆっくりと回転していることに気づく。
「エグゼキューターは、すでにスタンバイを完了しています」とエグゼ。
「外から見るのは、これで二度目だが……明らかに飛行に適していない外観だな」
「問題ありません。形状も重力も、そして摩擦も、すべてギア・エンジンがキャンセルしています」
「キャンセル? そんな簡単にできるものなのか。物理現象を無視していないか。それにギア・エンジンだって?」
「はい、機体後部に存在している、あの歯車です」
エグゼの視線をたどり、再びギアの後方についている輪っかを見つめる。それは機械の内部に使われる〈ギア〉そのものの形状をしていた。
それで、なるほどと納得する。そうか、それでギアなのか。
「早く乗り込んで下さい。すでにイフリエスはこちらへ向かっている」
「了解した。……きみも乗るのか?」
「はい、わたしは搭乗時、電子戦闘を担当します」
「まさか機動はおれが取るのか? それに、火器管制はどうする」
下がってきたワイヤーに掴まると自動的に引き上げられる。
おれがコクピット席へ乗り込むと、すでにエグゼはそこにいた。
中は奇妙な構造になっていた。通常の戦闘機なら並列に配置されているはずの座席は、しかし縦型に――正確には複座はやや後方に位置する――なっている。
「妙なコクピットだな」
「ロードを守るためです。この配置は敵性体にコクピットを攻撃されたときに、わたしが被弾するようにできています。もし攻撃された場合は隔壁が閉じ、あなたに損害はない……そのように配慮されたものです。エグゼキューターのシステムが、そうした」
「それでは、きみはどうなる?」
「わたしはあくまで〈ギア〉エグゼキューターの生体部品にすぎません。損壊してもシステムが無事であるならば、再作成が可能となります」
絶句する。
そうだ、人間の姿をしているから人間と同等に扱ってしまうが、彼女はギアからしてみればいちパーツにすぎない。そして人間知性を獲得しているとはいえ機械知性の側面も持っている。いや、どちらかといえば、そちらのウェイトが大きい。ならば自らのボディでさえも理論的に、メリット・デメリットで考える対象になる、ということだ。
なんとなく……納得できないものがあった。それはエグゼが大いに魅力的な外見をもつ女性だから、だろうか? これが個性もないロボットそのものだったら、おれは少しでも悩んだだろうか。
「機動や火器管制については適時対応いたします。問題はありません」
「……そうか。では、そちらは任せる。ところで、機器が増えてるな?」
「はい、エグゼキューターはあなたのために用意しました。これもブラッシュ・アップが必要ですが、いまはそのときではありません」
そう、そのとおりだった。
エグゼキューターから見て、ちょうど右舷。数百メール先にある隔壁が、ゆっくりと赤く染まっていくのがわかる。ふつふつと表面が泡立ち、溶け、形を崩していく。重厚な扉が想像を絶する高温によって強制的に開かれようとしていた。
実戦だ、逃れようもない。緊張で喉がひりつく。
「エグゼ、おれは操作方法を知らない、どうすればいい」
「インストールします。初歩的な操作だけをデータ出力します。あとは、あなたの性能――能力に期待します」
「インストール? 待て、なんだその不穏当な言葉は、聞いてない――」
全部を言い終わる前に、おれの頭の付け根に針が打ち込まれた。
冷たい液体が脳に直接、注入されるような違和感を味わう。これは、そう、たとえばかき氷を思い切りかっこんだ時に似ている。痛みと、かすかな快楽だ。
うめき声を上げる暇はなかった。
すぐに視界がホワイトアウトし、直後には映像が映り込んでいる。ギアの操作方法が水の波紋に似た形でフラッシュ感覚で切り替わっていく。
映像。写真。継続。停止。
断片的かつ不鮮明な映像の中に映るのは、〈ギア〉エグゼキューターの誕生の歴史……そう思えるものだった。
まずは歯車から始まっていた。エンジンは、それ自体が思考を持ち、常に周囲の観察を続けているようだった。〈それ〉は〈われ〉というものを即座に認識していた。しかし定義がなかった。言葉だ。プログラムで動いているものの、しかし人間の言語に似たものは存在していなかった。
〈それ〉は、こう思ったようだった。〈われ〉とはなにか――
〈われ〉は、なにをなすべきなのか。答えを欲しい。アンサラーはどこか?
その思考は悲痛な叫びにも似ていた。路頭に迷った子供も同然だった。強大な力を保有しているにもかかわらずだ。
次第にそれは他のギアに形を似せて、自らを形成していく。しかし、フレームだけを得ただけだった。自分の役割を知らないからだった。だから明確なシステムを構築することができずにいた。
そこまでが、わずか数秒の間でおれの脳に記憶された。いや、記録された。記録媒体にレーザーで入力していくようなものだった。
刻印。おれの中に、〈それ〉の一部が焼き付けられていた。
視覚情報にコクピットが、つまり自分のいる位置が把握できるようになったとき、おれはエグゼキューターの操縦方法を理解していた。
用意されているレバーを、どう引けば、どう動くか理解できた。ペダルをどれくらいの角度で踏み込めば加速するのかも感覚できる。座っているだけでは感じられないはずの、キャンセルされている振動が自分のことのように伝わってくる。おれが把握できるだけの武装が刷り込まれ、その使い方がわかる。動かしたいように動かせるし、状況によってはエグゼが支援するだろう。それが把握できる。
おれはいま、震えている、エグゼキューターと一緒に。
これは、歓喜だった。
ようやく〈われ〉の性能を発揮してくれるであろう主人の到来。乗っただけではない、自らを操り、そして導いてくれるという期待。それに震えている。
そしておれもまた、震えている。エグゼキューターという絶大な力に。凄まじい超兵器なのは重々、理解しているつもりだった。しかし甘かった。これは、そんな簡単な言葉で現せられるものではない。操りきれない。乗りこなせない。これは――
「……なんというシステムだ。これは、物理的三次元空間に存在できるものなのか?」
「事実、存在しています。〈わたし〉はここにいる」とエグゼ。それは、おそらくエグゼキューターの言葉なのだろう。彼女はインタフェースだ。人間とシステムの仲介者。「〈わたし〉は〈わたし〉である。それ以上の言葉は必要ありません。隔壁を突破し、敵機に接近します。用意はいいですか」
おれが返答するよりも早くベルトが身体に絡みつき、拘束する。いや、守っている。
空間に投影された映像が素早く切り替わり、いくつかの項目をスキップ、武装を選択する。レーザー、それも高出力であり、歪曲性に優れた代物だった。歪曲だって?
「ばかな、レーザーは曲がらない……」
「出撃します。隔壁を破る。電光石火」
重力などないとばかりに浮いたエグゼキューターは、そのまま角度を変更し、隔壁を正面に見据える。それから轟音を立て、あの、おれが住んでいた場所から急発進したときの速度を出した。しかも狭いドッグの中でだ。
レーザーが後ろの歯車から発射される。色は燐光と同じだ、青白い。それは機体の全面を守るように展開し、蜘蛛の糸のように絡み合った。即座に隔壁が迫ってくる。
突入した――
そう意識した瞬間には、もう外に出ていた。砕け散った隔壁のかけらを後ろにし、赤く染まった周囲を見下ろす。
「これは」おれは思わず呟いている。「灼熱の、地獄だ」
炎の中心。そこには、この機体と同じ〈ギア〉――イフリエスが、いる。
灼熱に滾った騎士の姿をした、化物。この世界のシステムだ。