即時戦への帰還5
一発の銃弾が、人の命を奪った。
自らが引いた引き金は重く、そして平和への第一歩として大きな犠牲を払うことになった。この世界に必要な犠牲だったとは言え、それは簡単に納得できるものでは決してなかった。
自動小拳銃をもった三神少尉の腕が、だらりと下がる。そして力を失った膝が地面に音を立ててついた。目にたまった涙が頬を滑り落ちていく。
「三神少尉」
叫んで、慌てて駆け寄る才条少尉の声が聞こえる。そちらに振り向こうとし――別の声を聞いた。
「三神少尉」
まったく同じ言葉だったがしかし、今度は才条少尉の声ではない。もちろんエグゼでもなかった。中性的な、つい先程まで耳に届いていたもの。
これは、エールの声だ。
あたりを見回し、探すも、エールは当然いない。あるのは死体、魂の抜けたあとに残る肉体のみだった。
幻聴。いいや、違う、と三神教我は即座に否定する。それは聞き間違いや、気のせいで済ますには、あまりにも鮮明で、偶然ではないという確信があった。
いるのだ、おそらく。姿は見えないが、近くにいる。隣か。違う……背後、違う……もっと近いところ。
それは、自分の中だった。
三神少尉は、即座にそれが〈同期〉による影響だと検討をつける。彼/彼女の意識は、まだ死んではない。
いままではコントロールできなかった、この〈同期〉を、自らが望んで使うときがきたのだ。しかし、リスクもある。脳にかかる負荷は見過ごせないものだ。それにエグゼキューターのAWシステムも、どうやら自動的に起動されるもので、任意でとはならなかった。
やれるか、自分に。三神少尉は自身に問いかける。自分のうちなるところに語りかける。他者と〈同期〉した際は、いつもそうだった。テレパシーや、サイキックのように能動的に相手の心を覗きに行くのではなく、他者を――強制的なりとも――自分のうちに納める、理解し共有する。
ただ、今回は偶然に発動するものではなく……自分自身で、その引き金を引きたかった。先程の自動小拳銃のように。今度は命を奪うのではなく、誰かを救うために、そうしたかった。
そう、もっと言うなれば、簡単な思いだった。エールに会いたい。もう一度話したい。そんなシンプルな欲求だ。
手を伸ばす。視界に自らの腕が映る。が、しかし腕は動いていない。これはイメージだ、と冷静に判断する。エールを求めて宙をさまよう。すると、その手は優しく他者の手によって包まれた。
「エール」
〈三神少尉……〉
意識が拡張されていく。まるで〈自分〉が空間に広がっていくようだ、と三神少尉は思った。膨張する感覚に近いが、それは物理的には実行されていない。あくまで、精神的作用のみにすぎない。
そして、世界の見え方が変わる。余計なものは排除され、人の意識のみにフォーカスが当たる。先ほどの〈同期空間〉へと変質した。
目の前で、三神少尉の手を、自らの手で包み込んだエールが現れた。
〈エール、これは、幻想か〉
〈それは違うと、あなたは知っているはずだ〉エールは微笑む。〈わたしは死にました。でも、最後の瞬間……わたしは、あなたと同期したのです。まさに、一緒になったのですよ〉
〈一緒になった……〉
〈そう。あなたの、わたしを想う意識が、わたしを手繰りよせた。だから、いまここに存在できている。ある意味では、あなたは自分と語り合っているだけにすぎない……かも、しれない。でも、わたしはたしかに、ここにいる〉
死者との対話。いいや、それは違うと、三神教我は即座に否定する。これは自分の思考ではないことも同時に意識した。残留思念ではない、〈同期〉されたことによって彼/彼女の自我は自分へと〈移った〉のだ。
〈そう。わたしはもはや、あの肉体にいないだけ。肉体は器だ。それ以上でも以下でもない。器だからと軽んじてもいけないし、重視しすぎてもいけない〉
〈そうか、わかったぞ、ここが、きみの言っていた限りなくリアルに近い世界か〉〈正しくはリアルに近い世界と人間の意識が融合した世界――ということになるでしょう。本来的に言えば、ギアが見ている世界は人間には認識できない〉
〈ギアが見ている世界? これが?〉
世界はあまりにもシンプルに纏められていた。たしかに、人間が世界を、物――事象と言い換えてもいい――を見るときには、必ず主観が入る。そしてハードウェア、つまり肉体の限界という部分においても制限が入る。しかしこの〈同期世界〉には、それがない。
まったく見たことがない光景なのに、それが、わかる。いま三神少尉の目に映る景色は、鮮やかな赤い華が咲く光景と、エールの肉体が横たわる世界が二重になっている。そのどれもが、情報的に『余計なものがない』のだ。
〈あなたの機体、ギア・エグゼキューターの使うAWSは、いわばESG-01のシステムのエミュレーションをしていると言ってもいい〉
〈きみは、ESG-01のシステムを知っているのか〉
〈全部ではないですけどね。そして、いまや、わたしの知り得ていることは、あなたも知り得ていることです〉
情報が、まるで濁流のごとく流れ込んでくる。それは"フォメリア"という人物の歴史だった。
フォメリアに生を受け、両親の愛情と国民の声援を受けた。成長し、ひとりの男性と恋に落ち、そして人間の悪意を知った。彼女は知っていたのだ、すべてがアクアフィールドのせいではないと。それでも許せなかった。自らの子を、まるでミイラの標本のようにされたことが。
怒り。憎悪。悲しみ。失望。それは炎のような感情だった。
人類に復讐する。それは彼女にとって、至ってシンプルな発想だった。
そしていつからか、ESG-01のシステムに取り込まれていた。しかしそれは不都合ではなかった。むしろ、輝ける世界に導かれたのだ。
情報によって統制された世界。合理的で、不完全性がなく、数多の可能性に満ちていながら、決定された物事で動く。ある種、電子的な空間と言えなくもない。
明瞭さを手に入れたフォメリアは、すぐに〈イフリエス〉の中枢コンピュータと演算処理能力が、ただ〈火〉という現象を操作するだけでなく、ひとつの極めて優秀な演算回路として使えることに気がついた。
そこからの展開は早かった。クローニング技術で自らの複製を作り出し、戦争の道具とする。決して消えない憎しみを、代々受け継がせるために。
彼女にとって誤算だったのは、血液消失を消しされなかったことだった。同性能の〈アクエリエス〉が施したものまで解除できなかったのだ。
嗚呼、我が子、愛しい我が子。憎悪の化身たる分身よ。
苦しい……苦しい……苦しい……苦しい……。誰か助けて。
憎い……憎い……憎い……憎い……殺し尽くしてやる。
救いを求めながらも、しかし人の不幸をこれでもかと願う、強烈な二律背反。人の真骨頂。そして、それは彼女の遺伝子とともに〈複製〉された。その記憶とともに。
ESG-01のシステムは〈ヒト〉を制約の多い物理的三次元空間から強制的に解放させる。高次元とここの間、情報の大海へと送り出す。そして、エグゼキューターはそれを模倣していると考えられた。
強制的解放ではなく、その補助機能として。そして、人と人が対話するための、言葉によらない方法としての模索。意識拡張だ。
だが不幸にも初代エールが出会ったのは、エグゼキューターではない。
〈結局のところ、わたしたちは炎の中で死のタンゴを踊っていたということなのでしょう。焼かれながら、高笑いをあげて、踊り狂っていたのです〉
〈エール、そんな悲しいこと、言うな〉
〈ですが事実です。あなたも感じているはずだ。いや、突き動かされているはず。わたしと同期したあなたなら、この憎しみもわかるはず〉
〈ああ、わかるよ。この喉が焼け付くような、頭がガンガンと痛むような、目もくらむような怒りが、憎悪が〉
〈そして、あなたと同期したわたしは、あなたの心を理解した。あなたはどうしようもなく、人が好きなのですね。世間から目を背け、心を受動のみにしてもなお、人を信じた。ああ、エグゼキューターがあなたを選んだ理由が……よくわかる。あなたこそ、まさに調停者となるにふさわしい〉
〈そんなたいそうなものじゃない〉
〈なら、言葉を返しますよ。あなたは、わたしが、いいえ、次に生まれてくるセリアこそ、国を導くにふさわしいと感じている。ですが、それこそ、そんなたいそうなものじゃない。もっとも、わたしの自慢の娘は、これから大成しますが〉
〈言うじゃないか〉
同期空間で、二人で笑いあう。それこそ、ただひとりで笑っているだけなのかも知れないのに。
〈エール、だが、まだ決着はついていない〉
〈わかっています。この裏で、背後で、糸を引いている人物たちがいる。そして、このあとの結末について、わたしとあなたの考えは一致している〉
〈ああ、だが相手がなにを企んでいるのか、それがわからないでいる〉
〈あなたと同期したことによって、わたしはひとつわかったことがあります〉
〈……宇宙空間に、ギアが?〉
エールの知っている情報が教我になだれ込んできた。いや、記憶が定着化した、と言ったほうが正しいのだろう。そして理解する。エールが知っているギアはエグゼキューターを含む全六機。〈イフリエス〉、〈アクエリエス〉、〈ケレース〉、エグゼキューター、件のESG-01。惑星観測用航宙艦型ギア〈テスタメント〉だ。
〈上から見つめられていた感覚は、これか〉
〈おそらく、テスタメントと見て間違いないでしょう〉
〈惑星観測用航宙艦型ギア、とはな。まさか宇宙船が出てくるとは思わなかった。でかいのか?〉
〈ここ数百年、その姿を確認されていませんから、なんとも言えませんが……変わっていなければ、全長は数キロにもおよびます〉
〈でかいな。まるで戦艦じゃないか。しかし、人が乗っているのか?〉
〈テスタメントはその性質上、基本的に無人運用のはずですが……そうか、あなたは見つめられていると感じた時に、人の気配を感じ取ったのですね? AWSが起動していた〉
〈そうだ。おれの同期能力と、AWSは人相手でなければ機能しない。ということは、あれに誰かが乗っている〉
〈そうなると、おかしいですね。ロベルト=ローウェンも、リリシアール・エル="カルォーシュア"も、どちらもエクスに居る〉
〈そこがおかしいんだ。素直に考えるなら、他の第三者が乗っている可能性を考えるところだが……〉
〈ありえない、と断言しましょう。あの二人は自分たち以外誰も信じていない〉
〈だろうな。それはおれにもわかる。くそう、誰か他の知恵を借りたいな〉
〈なら、借りるとしましょう〉
〈どうやって? いや、そうか。なるほどな〉
〈まったく。あなた自身の能力なのに、あなたが理解していないとは。わたしが先に方法を思いついてどうするのです〉
〈不甲斐ないことだ。だから才条少尉にもよく怒られる〉
〈信頼しているのですね、才条少尉を〉
〈もちろんだ。彼女以上に頼れる人間は、このエクスにはいない〉
〈羨ましいです。三神少尉、わたしは、あなたが心の底から羨ましい〉
エールから三神少尉へ、感情が〈同期〉される。最初は諍いがあったかもしれないが、信頼し、背中を預け、ともに戦える存在がいることを、羨望していた。
〈なにを言っている、エール。いや、ここで言っているというのはおかしいのか……何を無駄なことを、だ〉
〈わたしもまた、あなたの友人。あなたはそう考えている〉
〈そうだ、おれはこの同期空間で、おれというすべてを解放している。きみにもわかるはずだ〉
〈ええ、わかります。とても……温かい〉
エールは、これは幸いだ、と思った。孤独に苛まれ、戦いに身を落とし、死を望んだが、最後の最後で友人を手に入れた。これ以上ないほどの土産だ、と。
〈終わりには、まだ早いぞ、エール。きみはセリアに継ぐための想いがあるし、おれは戦いを継続している。きみのプランを実行する〉
同期しているのは、エールだけではない。エグゼキューターに繋がるために、エグゼとも同期している。
エグゼはまさに、正しく仲介インタフェースとしての役割を果たしている。この情報を、エグゼを通してエグゼキューターに伝え、さらに才条少尉に伝える。
〈マイ・ロード。受信しました。才条少尉は、対〈テスタメント〉作戦の立案を、わたしとともに行うことを提案しています〉
〈エグゼ、了解した。即時、実行しろ。才条少尉を全面的に支援するんだ。協力は惜しむな。才条少尉に、一時的におれと同等の権限を与え、少尉が望むならエグゼキューターで可能なことは、すべて行え〉
〈イエス・マイ・ロード。あなたの望むままに〉
〈こちらで入手した情報は、全部伝える。あらゆる方面から〈テスタメント〉攻略作戦を練るんだ〉
〈了解しました。それと、才条少尉から伝言があります〉
〈伝言? 自分で同期しないのか。……拒否されてるな〉
〈イエス。あまり長い同期は推奨できないため、ひとつのプランを提案すると。それと同様に、自分が接続しても負荷をかけるため拒否しています。マイ・ロードではコントロールできないため、AWSでフィルタリングしました〉
〈了解した。プランは……AWSの自閉モード?〉
〈はい。あなたがこれから得る情報はとても貴重です。それを他のもの、具体的に言うのであれば、リリシアール、ローウェン両名に渡すわけにはいかない〉
〈それで自閉モードか。了解した〉
〈三神少尉。才条少尉に伝えていただきたいことがあります〉
〈どうした、エール〉
〈先程もお伝えしましたが、〈テスタメント〉は無人運用です。そして、隠れるために空間の位相を変え、物理的三次元空間では通常、目視や、レーダーでは確認できないようになっています〉
〈位置をしぼることはできるか?〉
〈難しいでしょうね。そもそも、空間座標をずらしていますから、正しいポイントを攻撃するのは難しい。迷彩のようなフィールドを展開していますから、それを破壊できれば、わかるかもしれませんが〉
〈きみのイフリエスのように現出させる必要があるのか。エグゼ、例の兵器は完成の目処が立っているのか?〉
〈イエス。カルォーシュアに帰還すれば、即座に〉
エグゼからデータが転送されてくる。それは思考と記憶に即座に定着した。機械たちのやり取りとは、こういうものになるのだろうか、と三神少尉は考えながらも受け入れる。そして手に入れた情報をそのままエールに渡した。
〈……なんですか、これは〉と絶句した様子のエール。
〈エグゼキューターは攻撃力不足を懸念していたようだ。そこで、AF海域で見せた虚偽情報に使われた、大出力重粒子砲の実装をしたというわけだ〉
〈なにを吹き飛ばす気なのですか、これは。本当に大陸から大陸まで狙い撃つと? いいえ、これは、そういうレベルじゃない。大陸を、島を、そのまま破壊し尽くす威力だ〉
〈そのとおりです、エール・エル="フォメリア"。これはそういう抑止力として機能させるべき兵装でした。しかし、今回はその威力こそを必要とされている〉
〈なるほど。地上から衛星軌道上まで狙撃できるわけですか〉
〈可能です。これは試算ですが、〈テスタメント〉の迷彩フィールドを破壊することも〉
〈なんという危険な兵装を。しかもそれを望んだのはあなたですか、三神少尉。正直、予想外でしたが、今ならわかる。あなたにも力が必要だった。理不尽を圧倒する、さらなる大きな力をもった理不尽を執行する存在が〉
〈そのとおりだ。もはや言葉はいらないな〉
エグゼの接続が切れ、遠ざかっていくのを感じながら、三神少尉は、またも説明できない感覚があることを意識していた。もちろん、今も充分に言葉では説明が難しい、自分の中に他人がたしかに存在していて、言ってしまえば、妄想や幻想と一言で片付けられてもおかしくはない、そういう現象が起きていることは、自分でも了解している。ただ、そうではなく、ここではない、つまりフォメリアではない違う場所を感知していて、それは自分に向けて意識を向けている。これは幻想ではなく、自分の中に確信をもって断言できるなにかだが、いったいどういう内容なのかを言語化することができずにいた。
そう、言うなれば、と三神少尉は思う。まるで虫の知らせだ。どこかで親しい人が危機にあい、それを感知しようと体中のセンサ、シックスセンスとも言えるものすら作動させて、フルスペックで対応しようと無意識的に稼働している、そういう状態に似ているがしかし、それよりももっと明確に自分の中に意識するものがあることを理解する。
非常にもやもやとして、なんとも後味が悪い。喉の奥に引っかかって、出てこない、そういうもどかしさがある。
そして三神少尉が味わっている感覚は、確実にエールに伝わっていて、そして彼/彼女はまったく違う思考と記憶をもつ人間であるということを、改めて意識させられた。なぜなら、エールは、こう思い、伝えてきたからだ。
〈あなたのその現象は、確信をもってよいと、わたしは思う〉
そもそも〈ギア〉の特性を思い出すべきだ。地球とエクスは量子空間通路で繋がっているが、その壁は厚い。光や音の通信を拒み、物理的手段でしか情報伝達の手段がないのに、エグゼキューターはそれすら無視した。それは何も、あの機体だけではなく、〈イフリエス〉もできる。当然、ほかの機体も可能だろう。
そこから考えられるのは、〈ギア〉にとって、あまり空間は関係ない、ということだ。もちろん物理的に作用することは言うまでもないが、〈ギア〉にとっては、あくまでも座標でしかない。存在位置をここに固定しているだけ、という可能性すらある。そもそも物理的三次元空間において絶対的なスペックを発揮する〈ギア〉が空間や、人間が概念を作り出した時間に縛られるとは思えないからだ。
そして三神少尉の能力、同期能力は、そもそもなにが元となっているのかすら不明だった。物理現象としてはあり得ないことで、もし光や音以上の速度を発揮できる、ある種の通信回線のようなものを持っていて(これはあくまで、たとえである。思念=通信回線、と見てもいい、重要なのは、今はそこではない)、もしそれを利用しているのであれば、〈ギア〉の機能を使った場合、それこそ時間や空間すら超越するのではないか。そういう可能性すら考慮に入れるべきだ、とエールは思考した。
だが、と三神少尉は反論する。過大評価は危険だ。自らの能力、これを能力と見ていいのか疑問はあるが、とにかく、評価を見誤れば大きな失敗をする可能性がある。失敗から学ぶことはあるが、それは今、していいことではない。これから行われる戦闘や調停、交渉は、限りなく失敗をゼロにして挑む必要がある。
〈それはもちろんわかっています。しかし、今はわたしも、あなたと同じ。わたしはあなたで、あなたというハードウェアの中にいる。わたしも感じる。情報を同期しようとしている〉
〈この感覚は、璃々、か〉
おれには、わかる。璃々がおれを気にかけてくれている。遠い地、地球から祈っている。おれという液体の中に、璃々という水滴が垂らされ、混じりゆく。
だから、こちらも、彼女を気にかけた。健やかであることを祈った。同時に、心配するな、と。心から信頼する者に向ける、ひたむきな意志を。
安堵する感情が〈同期〉される。それはもはやオリジナルと同等のものとして、おれの心に残った。
〈三神少尉、あなたは今、証明した〉
〈タイムラグはゼロ……か。とんでもないな〉
エールが通信回線と例えたものは、光より速いようだった。光はたしかに凄まじい速度を誇るがしかし、物理的距離に開きがある以上、タイムラグはどうしても発生する。が、今回の〈同期〉でそれは感じられなかった。
そもそも人間の記憶や感情というものは、とてつもないデータ量だ。必要データのみに絞れば、そう大きいものではない。だが、人間というものは常にノイズで満たされている。単純に演算できない、ある種デフラグが必要とも思える断片の数々だ。
それをAWSを用いた〈同期〉は一瞬にして処理を完了させる。
璃々の他にも、あとひとつ、情報がおれの中に入ってきていた。それは、さっきのような、言ってしまえば生の情報ではなくて、少し古い。しかも断片的だ。
同期した時間は一瞬。すぐに相手が男性だと気づいた。まるで頭の中に直接響くような声が、男のものだったからだ。
〈妻と子に、会いたい……〉
三神教我は息を飲んだ。
男性が最後に頭の中に思い描いた言葉だった。残留思念と言ってもいい。あまりにも生々しかった。それでいて、かつて、彼が味わったことのない哀愁に満ちていたのだ。今まで三神少尉が〈同期〉した相手に子は居なかった。エールからすればセリアは子どものようなものだが、実子ではない。が、今度のは違う。愛した女性との間に生まれた子ども。その二人に会いたい、しかしもう、絶対に会えないという死の瞬間の思考だった。
〈エグゼ、調べろ。この人は、おれたちに何か情報を残している〉
〈照合完了。カルォーシュア特殊情報軍、クランク=ウェールム中尉。最後の通信記録を調べました。即時戦司令部に向けて、特殊情報軍の暗号通信および暗号文で送信していることを確認しました。送信先は即時戦ですが、エグゼキューター宛になっております。解析します〉
〈頼む、エグゼ。解析した情報は、才条少尉にも共有しろ〉
〈イエス・マイ・ロード。解析終了〉
エグゼからもたらされたデータは、教我に衝撃を与えた。
どうやらクランク=ウェールム情報軍中尉という人物は、宇宙開拓事業を行っているヴィードと、そしてハードウェアを受注していたSOCCOという企業を追っていたようだ。
さらにエグゼキューターは、それを糸口にして恐ろしく細かいあみだくじのように情報を巡らせていく。
エグゼと中枢コンピュータが調査をしている間、おれは、クランクという人物に思いを馳せた。
断片的かつ限定された情報だったため、そう多くを知ることはできなかったが、それでも、三神少尉は思いを馳せた。そして最後に情報を残し、やるだけのことはやってこの世をさった男の冥福を祈った。
〈やはり、あなたは優しい人だ、三神少尉〉
〈おれは優しくはない。ただ優柔不断なだけだ。甘いだけだ。でも、これだけは言っておくつもりだ。このクランク=ウェールムという人を、犬死、なんてさせたくない〉
〈あなたなら、やれるかもしれない。リリシアール・エル="フォメリア"を、止めることが〉
〈どうかな〉
〈あなたは、《わたし》だ。なら、わかっているはずですよ〉
〈たしかにきみを《同期》した。でもな、おれは、おれなんだよ、エール〉
〈それでいい。忘れないでください、三神少尉。あなたが自身をたもっていられるのであれば、きっと、勝てる。わたしたちが味方をする〉
現実空間では、どれだけの時間が経ったのだろうか。
エグゼは数回に渡って同期を重ね、エグゼキューターが収集した情報をおれに流し込んでいく。その中に、いくつか調停者、つまり両親と、それに関わった人たちの情報も含まれていることに気づいた。
エグゼキューターは今回の一連の流れに疑問をもっていた。人間風に言うのであれば、あまりにも『できすぎている』と。誰かが仕組んでいるのではないか、そういった観点から、エクスとは違う第三勢力の介入に目をつけていたようだった。
一切の妥協のない、データの精査だった。もっとも人間のおれには膨大すぎるデータ総量であり、もしそれを受信してしまえば、ハードウェアである脳がもたないため、それらは選別されていた。
クランク=ウェールム情報軍中尉、二階級特進して少佐になったが、彼がもたらした情報は入り口に過ぎなかった。だが、逆に言うと入り口に立つことができた。エグゼキューターはそこからメリス=マーニー卿という人物までたどり着いた。
調停者の出資者。地球の武器商人。即時戦の創設者。そして……宇宙事業を行う上で、エクスは地球に比べて非常に劣っていたが、その差を一息に埋めることになった、そのわけは、その老婆こそが技術と知識を提供していたからだ。
〈気づきましたか〉とエール。〈このメリス=マーニーという人物。ロベルト=ローウェンと接触した形跡があります〉
〈かなり入念に消されているが、エグゼキューターはその足跡を追跡することに成功したようだ。SOCCOのデータベースの中に、カルォーシュア軍の次世代候補機プロミネンスの情報も含まれている〉
〈それもありますが、驚くべきはローウェンでしょう。まさか、世界で六○%以上のシェアを誇るSOCCOすら手中に収めていたとは〉
それに関しては三神教我はもう考えるのを辞めていた。というのも、あまりにも綿密かつ、気の狂いそうな作業を経て、ロベルト=ローウェンはSOCCOを手に入れていたからだ。
七年前、カルォーシュアが滅び、再建に着手してから、土地の誘致が可能だと判断したローウェンは、まず経済航路を作り、安価な流通ルートを確保し、さらに単価の安い衣服に移り着手。衣服から業務用の作業服に手を伸ばし、そこで手に入れた綿密作業ができる人員を選別して、コンピュータ事業に着手。産業スパイとして他国のコンピュータ関連会社に潜り込ませ、基礎知識を得た後に、地球と外交し知識と技術、製品を手に入れ改良を加えていく……といったふうに連鎖していくのだった。それも、ひとつやふたつではない。ゆうに二桁に届く事業に着手して、それらをすべてローウェンが仕切っていた。
常人のわざではない。だが、おそらくその手腕を見たメリス=マーニーは、目をつけ、接近したのだろう。
だが、なぜだ。それがわからない。マーニー卿の情報はおそろしいまでに秘匿され、ある種の禁忌と化していた。その存在自体が、だ。
〈こうなったら、メリス=マーニー卿に直接聞くほかないな〉
〈あなたは時々、大胆なのか、繊細なのか、わからなくなります〉
〈才条少尉いわく、いつも自信がない人間、らしいが〉
〈信じられませんね〉エールは微笑んだ。〈楽しい対話の時間は終わりです、三神少尉。わたしも、そろそろ溶けゆく頃合いだ〉
〈セリアの中に行くのか〉
〈行くのか、それとも戻るのか、それはわかりません。でも、わたしはあの子の傍に居てあげたいと思うのです〉
〈そうか〉
寂しさはあった。しかし、と三神少尉は思う。これも一時的な別れだ。そもそも本来的に言うのであれば死者と対話などできなかったはずなのだから。
〈そう、これもまた奇跡なのです。一瞬の、まぼろしのような〉
〈きみとの約束は果たす〉
〈ええ、セリアに、優しくしてあげてください〉
同期空間と呼ぶべき場所が、徐々に崩壊をはじめていた。透けていき、その存在が希薄になっていく。
〈さあ、目覚める時間です、少尉。ここから先は戦いです〉
〈ああ。さようなら、エール。セリアとともに、また、会おう〉




