紅蓮の涙4
アクアフィールドから飛び出し、フォメリアへ向かう。そう長い移動時間ではな
かったが、その間にすることは多い。新しく追加された武装のチェックを行わなけ
ればならなかったからだ。いきなり実戦で使うことになる、というケースは避けた
い。それは戦闘を回避したいという思いももちろんあったが、対〈ギア〉戦におい
てはぶっつけ本番などというのは通用しないことを、おれは学習していた。
テュポーンとフェイクファーは幸いにして性能をアップグレードした状態であっ
たので、使用感に大きな違いはなかった。しかし新たに追加された武装群がくせも
のだった。特に重粒子ライフルは威力が高すぎて、使いどころを誤ればあらゆるも
のを吹き飛ばしかねない代物だ。
まったく、人に相談もなしに、とささやかに愚痴るとエグゼが『失礼しました』
と返答した。
シミュレーションを実行し各武装の総チェックを行うが、処理が追いつかない。
才条少尉に手伝ってもらっているが、それでも多い。過剰武装もいいところだ。
それに、なにより不明なシステムの名称があることが目についた。AWシステム
と名付けられていた機能は任意にアクティブ化できない。しかしオンラインにはな
っているのだった。エグゼに起動させろと命令しても、不可能です、という回答の
みで、なぜそうなのかとは返答しない。
しかたなく残りの武装をチェックしていると、才条少尉が手を止めずに、
「教我、少し質問しても?」
と声をかけてきた。
「どうした?」
「あなたはフォンと同期したと言っていましたね」
「ああ」
「フォンは、どういった人間だったのですか」
「どういった人間なのか……か。難しい質問だ、それは。しかし、急にどうしたん
だ? きみが他人に興味をもつとは思わなかったな。なにか気になることがあるの
か」
「いえ、ただの世間話のようなものです。というより、あなたが気になった点を私
は知りたいのですよ。われわれはチームです。情報の共有は必要でしょう」
たしかにと、おれは同意する。そして思い出す。
おれはフォン・ポァクス="アクアフィールド"と同期し、その一端を共感した。
本来的に言うのであれば彼女は非常にストレスフルな環境に居たはずだが、その負
荷をまったく感じていなかった。
そもそも彼女は特別な生まれではなく、一市民として生まれた。〈アクエリエス
〉の前ロードが死亡したあとに後継者として〈アクエリエス〉の中枢コンピュータ
に見出され、現在の地位に収まった。急激な環境変化と、その責務の日々は、彼女
に重くのしかかっていたのだが、それを苦にすら思わなかった。
なぜならば彼女にとって、すべては明瞭であったからだった。
「負担に思っていない?」才条少尉は怪訝な声を隠そうともしなかった。「明瞭と
は、どういうことですか」
「そこが問題だ」おれは作業の手をとめる。「本当にそうであったかはともかくと
して、彼女にとって、やるべきことは、すべて理解していた。そしてそれを疑問に
思うことなく実行する。滑らかに、そしてつつがなく。つまりは心に負担がかから
ないんだ。ストレスがない。快適だからな。まさに水の流れのように、というわけ
だ。だから戦争が必要なら戦闘行為も行う」
「分かりませんね、あなたの言葉を聞いていると、まるで洗脳されている人を見て
いるようだ」
「そこだ、才条少尉。彼女は洗脳などされていない。あくまで自意識で動いている
」
「ではその明瞭さはどこから来るのです。疑問に思わない生活などあり得ない」
「きみの言っていることは正しい。あり得ない状態だ。しかしそれが実際にあるの
が、このエクスだという世界だとしたら?」
「……そうか、わかりましたよ。あなたとエグゼキューターが斬った、あの光です
ね? ES-G01、ナンバリングから最初の〈ギア〉と思われるもののシステムが、こ
のエクス世界に影響を与えている。思えば、あれが消えてからフォンも、〈イフリ
エス〉も活動を停止した」
「フォンもそう思っているようだ。実際、エグゼキューターが斬ってから、フォン
はその明瞭さを失ってしまった。まるで、天国から墜とされたようだと、最初は絶
望していたよ。だが、同時にこうも思っていた。なぜ疑問に思っていなかったのか
、それが疑問だと。その疑問を抱ける現在の状況こそが、本当に必要なことではな
いのかと。苦しみながらも考える、その能力が彼女にはある」
「フゥム、ES-G01がどのようなシステムを使っているのかはわかりませんが、教我
の言葉が本当なら、洗脳せず、かつ脳を覚醒状態にさせている、というところでし
ょうか。ある種の興奮状態になっていると予想できる。戦場で会ったフォンと、宮
殿で会ったフォンでは明らかに言動の違いがあった」
しかしと、おれとは違い手を休めずに才条少尉が続ける。
「わかりませんね。〈ギア〉はなぜ、そのようなことを? そして、すべてが明瞭
な状態とは、本当のところ、どのような気分なのでしょうね」
才条少尉の問いには答えられなかった。答えられないというのは、前者、つまり
〈ギア〉がなにをしたいのか、ということについては現状では不明だから、という
こと。そして後者については、同期したおれにはわかっていた。フォンの感覚は共
有できている。しかし言語化することが難しかった。
素晴らしい世界だった。感覚は研ぎ澄まされ、心は穏やかだが、静かに高揚して
いる。おれにも、近しい経験はあった。わかりやすいところでは学校のテストや問
題、課題だ。難問という壁にあたり、頭に血を巡らせて考えぬき、その回答がでた
とき。そのあと、するすると問題が解けていく快感。わかる、すべてがわかる。手
がとまらない。紙に書かれている事柄すべてが、自分の手中にあるというような、
あの感覚。
フォンは常時その世界にいたのだ。さぞ素晴らしい世界に映っただろう。だが、
だからこそ、このエクスの非情で、そして非常な状態に気づかなかったのだ、とも
言える。
繰り返される日常は、それが平凡なものなら幸福だが、しかし変化する機会も失
われる。そう、誰かが言ったのを思い出す。あれは、誰の言葉だったか。考えて、
思い出した。劉猫だ。本当の名前は、劉菲。調停者パーティの一人だった。ふらり
とやってきては、意味深な言葉を残していく女性だった。まれに、どうやってか、
おれの通っている学校のテスト問題と回答を持ってきて、おれの前に出しては、に
やにやと笑いながら「どうする? それを使うか?」と目線だけで問いかけてきた
。
おれは決まって首を横に振っていた。手を伸ばしたい欲に何度かかられたが、そ
の都度、理性を振り絞って断った。すると、劉は尋ねてきた。
『なぜ、それを使わない? それを不正行為だと思うからか? わたしは別に咎め
たりしないぞ』
『……必要を感じない。たしかにこれは不正行為だよ。でも、どうしても欲しかっ
たら、おれは、使うかも知れない。でも、いまは、どうしても使いたい時じゃない
よ』
『どうしても必要なら、不正行為でも行う?』
『自分のためなら、使わないかも知れない。変な仮定になっちゃうかも、知れない
けど』
『いい、構わない。拝聴しよう』菲は腕を組んで、こちらを愉しそうに見つめてい
る。『どうぞ?』
『例えば、おれの大切な人が、テストで眼を見張るような得点を取らないと、命を
失うとする。そうなったら、おれは、不正行為だろうがなんだろうが、使うだろう
さ。不正? 知ったことじゃない。引き換えにできることと、できないこと。その
天秤を測れないことこそが、悪だと思う』
おれが出した例えは、あまりにも幼稚だった。ありえない仮定。しかし、そのと
きのおれには、そのようにしか応えられなかったが、しかし菲は微笑んで頷いた。
『いい、いいね。正解だ。少なくとも、わたしの中では。きみの思考は母上の影響
が大きいな。しかし正義軍人のアルバートや、潔癖症だった、きみの父上からの評
判は悪そうだ』
『父さんも、母さんも、どちらも、もう居ないよ、菲。褒めてくれる人も咎める人
も、どちらも居ない。ただ、アルバートに怒られるのは嫌だな。あの人の説教は長
いから』
『違いない。では、この件はふたりの内緒ということで、頼むよ』
あの人は、菲は、エクスに来たことがある人間だ。そうか、といまさら理解する
。彼女はエクスという現状を知っていて、もしかしたら、おれがいずれ来ることに
なるのを予見していたんじゃないか? 誰かが定義した『わかりやすい』善悪の定
義ではなく、それら地球の常識が通じない、この世界に来た時のために、あのよう
な質問を?
だとすると、と唸る。おれの知る、調停者パーティのひとり。人の心を〈感覚〉
できるサイキック能力の持ち主だった人も、同じことを予見していたかも知れない
……
「明瞭か」おれの物思いは、才条少尉の言葉で中断される。「ま、私には無縁な言
葉です。いつまでも、ノイズに悩まされることでしょうね。それと、エグゼ、訊き
たいことがある」
『なんでしょう、才条少尉』
「なぜ、常時、このバリア……ギアフィールドというのか……を、張っている?
無駄なエネルギーだとは思わなかったか。効率を追求する機械が、非効率極まりない。これは三神少尉を守るためか?」
「才条少尉、いくらエグゼでも、そこまで過保護ではないさ」
おれは苦笑をしつつ作業に戻ろうとしたが、エグゼからの返答がないことに気づ
き、手をとめた。
「……エグゼ?」
『そのとおりです、才条少尉。わたしはマイ・ロードを守るため、このフィールド
を展開しています』
「それはエグゼキューターの中枢コンピュータからの指示か?」
『いいえ、わたしの意向です』
「大変結構なことだ。しかし過剰なエネルギーを使用している。無駄だ、これは。
もう少し効率的な運用をしろ。いざというときに出力できなければ、守るものも守
れない。このテュポーンという兵器や、重粒子ライフルも然りだ。私が調整を加え
る。そのとおりに使え、そうすれば少尉を守りやすくなる」
『申請にはマイ・ロードの許可が必要です』
「面倒くさいやつ。教我、いいですか?」
「構わない、やってくれ」
「了解。到着までに終了させます」
才条少尉がキーボードを叩く音を心地よく聞きながらも、おれは再度の思考にふ
ける。
エグゼが、中枢コンピュータではなく自分の意向で……?
彼女は自発性というものを持たない。自我があまりにも希薄だからだ。インタフ
ェースという役割に徹している。仲介者に感情は要らない。自意識もまた、そうだ
。だが、その枠内に収まらず、エグゼがエグゼという個を認識し始めているとした
ら?
それは、おれにとって喜ばしいことだ。だが、エグゼにとっては、どうだろう。
『マイ・ロード』
「どうした、エグゼ」
『まもなくフォメリアの主権領域に入ります。また、その境界線上において、機体
を確認』
「〈イフリエス〉……」
高々度カメラが幾重にも拡大表示をし紅い機体を映し出す。
空に穿たれた赤い点。なにものよりも灼熱にして、炎を統べる者。火の支配者〈イ
フリエス〉だ。




