ウォーター・クラウン2
イフリエスとアクエリエスを、装甲であり、また巨大バーニアの役割を果たしている翼で弾き飛ばしたことで、もともとないに等しかった大半の空力特性は死んでいた。さらにエグゼキューターのタックルを受けた影響で、脆い関節部は分解され、腕が吹き飛んだ。空を飛ぶのは絶望的なラインになっている。
それでも諦めてなるものか、と思う。セイヴのフライトコントロールシステムを強制解除、手動に切り替えて加熱したバーニアを、落下速度を利用したエアフローで急速冷却させる。再点火すれば、海への落下衝撃は緩和できる、そう計算しているが、しかし思惑どおりにはいかないだろう、と予想する。
カメラはぎりぎりと言えるレベルで生きていて、ノイズ混じりの酷い映像だが、見えている。自分をかばったせいでエグゼキューターは二機のギアの猛攻を受けることになっていた。
黒い、漆黒のギアの分厚い外殻が、ガラス細工のように砕け散るのを確認した。かろうじてフレームと巨大なショルダーシールドが残っている程度で、もはや戦闘は不可能だ。が、そう推測したのもつかの間だった、エグゼキューターが唸り声をあげる。巨大な獣の咆哮だ――そのように感じるほどの、巨大で、高らかな音だった。その正体は、あの機体の背後についている、いや、浮いている歯車だ。
次の瞬間には爆発量の青い燐光が吹き荒れる。瞬間的に、空が、海が、空間が染め上げられていく。
エグゼキューターの姿が消えた。
そのように錯覚するほどのスピードだった。あの質量で、いったいどうやったらそんな機動が取れるのか、世界の七不思議に加えたいほどの加速度だった。挟み込んでいたはずの、青と赤のギアの前から姿を消し、次に出現したときにはアクエリエスの後ろにいる。青き司祭の肩に左腕をぶちこむと、レーザーを多段発射させる。アクエリエスの背中が爆発を起こした。
アクアフィールドのギアは、水を使って光学兵器であるレーザーを屈折させ、威力を弱めたようだったが、それでもギアを破壊するほどの一斉発射を行っていた。アクエリエスが振り返る、だが、遅い。一発のミサイルがすでに発射されていた。
あれは、空間歪曲弾だ、私は瞬時にそう把握している。局所的な空間歪曲が発生し、アクエリエスにとっては見えない壁であり強烈な衝撃波となり、エグゼキューターには盾になっているはずだった。しかし、あろうことかエグゼキューターは巨大な処刑刀、機体と同じ名前の兵装、エグゼキューターを構えて歪曲地点に突っ込んでいく。
「やめろ、三神少尉、自滅行為だ――」
私は通信が行われていないにも関わらず、そう叫んでいた。あのダメージで空間歪曲の反動爆発を受けたら、今度こそ本当に大破する。そう思っての絶叫だったがしかし、エグゼキューターは爆発して大破するどころか、その姿を消していた。
今度は超高速で動いたわけではない。まさか、と閃きが頭を駆け抜けるが、瞬時に否定する。それはあまりにも危険な行為であり、エグゼキューターの性能をもってしても可能かどうか判断できなかった。
これは賭けになる。それも非常にシリアスな賭けだ。はたして、天運はどちらに転ぶのか、そう考えたときには、重大なダメージを負ったアクエリエスに追撃をかけようとしていた、イフリエスの真横に出現したことで、はっきりとした。三神少尉は、危ない橋を渡りきった。
あれは、こういうことだろう――機体をコントロールし、体勢を立て直すよう努力しながら、私は別の思考に浸っている。空間歪曲地点に突入したエグゼキューターは、縮小した空間に突入し、次に膨張し一時的にでも拡張された空間を利用して、別の地点に移動したのだ、おそらく、そうだろう。
理論的には、そう、可能かもしれない。空間反動爆発の、空間反動部分のみを利用した移動。しかし、もし空間のきしみに巻き込まれたら、どうなる。引き裂かれるだけだ、しかし彼は、やったのだ。
なんという胆力。おそるべき精神的タフネスをもっているか、この戦場に触れて、彼の狂気を目覚めさせたのか、どちらかだろう、普通ならそう考える。だが、私は違った。得体の知れない、なにかを感じ取ろうとしていた。それはなにか、と自分の心を探る。そう、さきほど私は、彼の心を読み取りかけた。それは幻想だろう、人に心があるかどうかは、人の想像力が作るものだ、そう思っている私の中に、彼の思考が入ってきた。おれは、そうは思わない、人には心がある。だからこそ決別するし、逆に、理解もできるのだ。そうじゃないと、あまりにも悲しすぎるじゃないか――そう考えている、彼を、理解した。
これもまた幻想だろうと思うが、それにしては、あまりにも生々しい感覚だった。心を読んだ、理解したというのとは、また違う。まるで混ざり合うような感覚だった。彼は私で、私は彼、というように。
セイヴのエンジンを再始動させる。バーナー点火、スムーズとはいかないし、出力は通常時の二十パーセント以下にまで落ち込んでいるが、体勢を立て直すことはできる、落下スピードは減速したが、危険域であることに変わりはなかった。
その間に、戦場はまた変化を迎えている。
イフリエスは炎へと変換されているが、完全に形を失う前に、エグゼキューターがその頭部を掴む。そして空いた拳を胴体に叩き込んだ。紅蓮の騎士が身体をくの字に折る。それでも諦めずに胸部から熱線を放射しようとして、周囲に展開されたフェイクファーと呼ばれていた兵装に邪魔された。強烈なジャミングを受けているのか、巨大な機体が痙攣するという不可思議な光景を露呈させる。
それを隙と見たのか青い司祭型のギアが、煙をあげながらも追撃をしようとする、狙っているのはどちらか、わからない。もしかしたら両機かもしれないが、それはサイレントの狙撃によって阻止された。残った片目を正確無比の射撃が撃ち抜く。衝撃に揺らめいた刹那を、オーダーが見逃すはずもない。ミサイル支援が殺到し、爆発がアクエリエスを包み込んだ。
その炎をイフリエスが吸収する。残った火は、アクエリエスが水でかき消した。
二機の注意が、戦隊機に向く。
いまのうちにエグゼキューターを退かせなければ。しかしセイヴのシステムのほとんどが機能していない、かろうじて繋ぎとめている状態だ。自機のコンピュータ支援は期待できない。それならば、と残っている機能を駆使する。幸い、ここには二機の支援機が来ている。サイレントとオーダーの戦術支援機、スフィンクスⅡ。
『要請を受け取った』と、ノイズ混じりの、ブランドン中尉の声が届く。『サイレント支援機スフィンクス、セイヴとの戦術データリンクを実行する。Q-5、才条少尉、オーダー支援機との戦術データリンクも繋ぐが、構わないか』
「頼む、エグゼキューターを緊急退避させたい、このままでは沈む」
『了解した』
二機のスフィンクスの支援を受けたことにより、セイヴのコンピュータが復活する。正確には、スフィンクスの中枢コンピュータを間借りさせてもらう形になっている。これで三神少尉に連絡が取れる。
「Q-7、三神少尉、聞こえるか。聞こえているなら応答してくれ。それ以上の戦闘行為は危険だ、退避しろ。あとはサイレントとオーダーに任せるんだ、もう、充分だ」
応答はすぐにあった。音声通信ではなく、文字応答という形で。
〈Do not interrupt.TF/I execute.〉
――邪魔をするな、タクティカルフォロワー。わたしがやる。
「……三神少尉?」
あまりにも機械的すぎる返答だった。三神少尉の言葉とは思えない。彼はもっと、熱に溢れている。返答可能であれば、もっと、違う言い方を選択しているはずだ。エグゼとも、違うだろう。あのインタフェースなら、三神少尉の代理としての言葉を使うはずだからだ。
誰だ、私に返答をよこしたのは、まさか、エグゼキューターの機械知性か?
『才条少尉、聞こえる?』オーダーの支援者、カルマン大尉からだ。『なるべく出力を上げて、戦域から離脱して。エグゼキューターが、なにか、おかしい。三神少尉からの応答もない』
「少尉からの返答がない?」
『そう。エグゼキューターのコクピット部分は損壊している。中の人間が無事とは思えない。なのに、あの異常な機動、不自然すぎる。それに、あの、大剣。あそこに力場が収束しているのよ』
「力場……。了解した、カルマン大尉。可能な限り離脱する。スフィンクスは、エグゼキューターのデータをなるべく確保してくれ」
『言われなくても、そのつもりよ。通信アウト』
二機のスフィンクスから受けた戦術データリンクを利用して、フライトシステムの再起動にかかる。一部のデータが損失してしまっているため、再入力が必要だったが、いまは時間が惜しい。最低限のデータを読み込ませ、海面に向かっていくようコントロールを取る。
エグゼキューターの処刑刀に、光が収束していく。空間に幾何学模様が走った。なにか、回路のように見える。それらはリアルタイム通信でもしているかのように、光がとおっている。その先にあるのは、イフリエスとアクエリエスだ。エグゼキューターの目標は、どうやらそれのようだ。
イフリエスの片腕が、白い輝きを帯びる。また、あの膨大な熱量を誇る攻撃だ。今度はすぐに放たれたが、エグゼキューターは回避する。目標は青い機体だった、直撃コース。だが、黙って見ているフォンではない。瞬時に巨大な水のカッターが出現した。それらはぶつかりあい、弾きあう。白熱の球体は海に直撃し、ドーム状の爆発を引き起こす。水のカッターは小さな島を真っ二つに切り裂いた。破壊的な衝撃波がこちらを襲う。余波だけでもギア以外を寄せ付けない、そういう威力だった。
二機の戦いを他所にフェイクファーがエグゼキューターの背中に収まる。ブースタ点火、まっすぐ突っ込んでいき、二機のギアではなく、その幾何学模様が走った空間を〈斬った〉。
青と赤の機体がもがき苦しむように痙攣する。いったい、三神少尉はなにをしたんだ?
『これが、エグゼキューターの、力だと、いうの』フォンの力ない声。『新型の環境管理システムは、そう、そういうこと……三神さん、あなたにこの〈力〉を扱いきれて?』
アクエリエスが最後の抵抗とばかりに、手の平に水球を生み出している。エグゼキューターは力を使いきったかのように、空中静止していて、動かない。その隙をフォンは狙う。
凶悪なスピードで飛んで行く水が、エグゼキューターを打ち抜き、ついに残った装甲のすべてを吹き飛ばした。黒い機体の全身から煙が噴き上がり、小爆発を起こす。
「往生際が悪いぞ、フォン」
セイヴの装甲についているマシンガンをアクエリエスに向けて連射する。それらは青い装甲に傷をつけられず、代わりに水が飛んできた。
直撃した。今度こそ、フライトが不可能なまでに破壊される。機体が空中分解をはじめた。
まずい、このままではセイヴとともに海中へ沈む。脱出レバーを引き、コクピットシェルタを強制パージ。シートごと射出される。
戦域離脱のために海面へ向かっていたのが悪かった、高度が低い。このままパラシュートを開いても、海に激突する。この速度では緩衝材にもならない、むしろ凶悪なコンクリートと同じと言えた。
ここまでか、そう覚悟する。三神少尉という面白い人間に出会えたのに、ここで死ぬのは少々惜しい。だが、いくつもの戦争に介入し、いずれは地獄に堕ちるだろうと覚悟していた身だ。自分のときだけ関心ごとを優先させて欲しいと願うのは身勝手と言うものだ。
来る衝撃に、せめて心を穏やかに、と思っていた私に、影がさした。エグゼキューターだ。
エグゼキューターは私に手を伸ばすが、力尽きたように失速する。機体が横に逸れていくが、しかしコクピットから誰かが射出された。三神少尉。彼は私を抱き締めると、自らが盾となって海面に着水する。かなりの衝撃とともに、水が一気に襲いかかってきた。
ごぼっ、と水を吐き出しながら、三神少尉を見る。
少尉……無事か……
そう声をかけることもできず、三神少尉の腕の中で、ブラックアウトした。
才条少尉は、そこまで語り終えて、水の入ったコップを一息にあおる。白い喉がコクコクと忙しなく動いた。
「そのあと、どうなったんだ」
「二機のギアは、どういうわけか撤退しました。私たちはオーダーの戦術支援機に助けられ、いまはアクアフィールドの病院にいる、というわけです」
「アクアフィールドに?」
「そう、機体も回収されている。フォン=ポァクス="アクアフィールド"が受け入れると」
「どういうつもりなんだ……」
「わからない。戦闘終了後、帰還したフォンから通信があり、ビゼン少尉とフィーニアス少尉が、それを受けた。『あなたがたを受け入れる用意がこちらにはあります。敵意はありません。エグゼキューターとセイヴも回収します』と。両少尉は少佐に判断をあおぎ、結果、受け入れました」
「フゥム」
あれだけ苛烈な戦闘を行ったあとだというのに、どういうわけなんだ。なにかの罠だと考えることもできるが、しかしそんな陰湿な手段を取るタイプにも見えない。目的は、エグゼキューターか。それとも、カルォーシュアとの同盟を律儀に守った、ということか。
「三神少尉」少尉はコップを両手で抱えるように持つと、おれに真摯な眼を向けてきた。「私の命は、あなたに助けられた。言ってみれば、この命は、あなたのものだ。どのようにも使うがいい。私は、あなたの刀にも、盾にもなる。そうするだけの覚悟はある」
「おれに、きみを助けた記憶はない」
「あなたに記憶はなくても、それが事実です」
はっきりと断定する物言いをされて、返ってこちらが言うべき言葉を失った。
この融通のきかなさは、戦場でも発揮されていたように思うが、どうやら彼女の命を助けたという、おれの記憶にない部分でまで表現されてしまっているようだった。
才条少尉は決して悪い人間ではない。しかし、どうにもやりづらいタイプだ。
「三神少尉、どうか、私を使って欲しい。そうでないと、私の気が収まらない」
おれは溜息をひとつつくと、身体を持ち上げる。
「……才条紅雪少尉。きみ、いや、あなたは、おれの副官になる予定だったな」
「そう、そうです。そのようにレッドフォード少佐から言われています」
「なら、おれの副官として働いてくれ。おれはこの世界にも、即時戦にも……いやあらゆることに疎い。未熟だと感じている、それは知っているだろう。だから、頼む。おれを助けてくれ」
「了解した……必ず、あなたを守る。私が、あなたの副官だ」
おれは手を差し出し、才条少尉はそれを見つめ、力強く手を握り返してくれた。
才条少尉の手は、暖かった。




