来訪者3
「――ん」
小鳥の小さなさえずりが聞こえた気がして、目を覚ます。いや、それだけではなく、小川のせせらぎや木々が風に揺らめき、葉と葉をあわせる音すら鼓膜を震わせた気がして、まさか、そんなはずはと思うが、しかし時間をかけて眠りを振り払うと、確かに聞こえるのだ、自然界の音色が。
『お目覚めですか、マイ・ロード』
「この音は?」
『お休みになられたのを確認したので、勝手ではありましたが、ヒーリング・ミュージックを流させて頂きました。心地良い眠りを提供できたようですね、脳波が安定しています』
「ヒーリングミュージックだ? 戦闘兵器が、そんなものを搭載しているのか」
『お気に召しませんでしたか』
「いや、よく眠れたが、そういう問題じゃなく、なぜそんなものを流す機能があるのかと、不思議に思った」
『あなたが快適に搭乗できるように、搭載しました。気分を害されたなら謝罪いたします』
「謝ることはないが……」
まったく、本当に不思議な機械だと改めて思う。戦闘兵器だと思っていたが、音楽を流せるなんて、まるでカーステレオを載せたクルマのようだ。ただし思考し、自動で動くクルマだが。
しかしクルマには超機動で動いたり空を飛ぶ機能はない。あくまでこれは、未知の兵器だ。
「いまは、ここは、どこだ?」
『大気圏の突入は完了し、もうすぐ北極、スカイ・ウェルズ付近に到着します』
「大気圏突入? なんのために」
『一度、宇宙空間へ移動し、そこから垂直に降下しました。そのほうが安全だと判断したためです』
「単独で大気圏の離脱、突入すら可能なのか。本当になんでもありだな」
『当機にとっては、造作も無い行動です』
「まったく、本当に常識はずれだよ」
呆れて物も言えない、というのはまさにこのことだろう。当然のようにやってのけるが、いまの地球科学ではどんなに背伸びしても作れまい。宇宙に出るのでさえ大事なのに、この機体はわずか数分のうちに実行してみせたのだから。まあ、見ていないので本当かどうかは分からないが、まず間違いなく事実だろう。そう確信させるだけの性能を、このエグゼキューターと自称する機械は持っている。
『通信を確認』
「どこからだ?」
『UFANです。こちらにコンタクトを求めているようですが、応答しますか』
「してくれ。迂闊に動いて攻撃されたくない」
『地球の科学力では、この〈ギア〉エグゼキューターを損傷させることは不可能です』
「そういう問題じゃない、気分の問題だ、分かるか?」
『理解できませんが、しかし教我様の判断に従います。応答を実行』
機械音声が告げたとたんにノイズ音が響く。
『――聞こえるか、応答せよ、聞こえるか』
『聞こえています』
『妙な声だな。こちら国家間共同戦線、南中央戦線、空母トリスメギストス。返答せよ』
『こちら〈調停〉の後継者に従属している機体、〈ギア〉エグゼキューター』
『〈ギア〉? まさか、噂に聞くエクスの超兵器か。驚いたな、まさか本当に存在するとは……現在、返答しているのは搭乗員で間違いないか』
『いいえ、わたしは〈ギア〉エグゼキューターのインタフェイス。代理です』
『代理? まあ、いい。ではパイロットに応答させてくれ』
相手の、空母トリスメギストス搭乗員の声が、一瞬で聞こえなくなる、ノイズも消えた。
『どうしますか』無音の空間に機械音声の声だけが聞こえる。『応答の必要は感じません』
「いや」とおれ。「構わない、応答する、させてくれ」
『了解しました』
インタフェイスと言う〈声〉が返答すると、ノイズが復活する。
『聞こえているのか? くそ、まったく、わけがわからん――』
「こちら、〈ギア〉エグゼキューターの搭乗員だ」
『やっと反応してくれたか。パイロットで間違いないか?』
「いまのところは、そうなっているらしい」
『妙な返答ばかりが返ってくるな。一応、名乗ってくれ』
「了解した。こちら、三神教我。現在エクスに向けて飛翔している最中だ」
『三神。なるほど、たしかに〈調停者〉の後継が現れたというわけか』
「どういうことだ、なにか知っているのか?」
『ゲートを通るには許可が必要だ、普通の関所となにも変わらん。それくらいはわかるな?』
「ああ」
『その、エグゼキューターといったか、ともかく機体と、搭乗員である三神教我の通行許可が降りている。到着し、確認次第、通過させろとな』
「どこからだ」
『カルォーシュア』
「なんだって?」
『なんだ、聞いてないのか、カルォーシュアだ、エクスにある国家のひとつだよ。そこが、きみたちの通行許可を本日付けで申請していた。この通信はその確認だ。ああ、可能なら識別番号も出して欲しいが、可能か』
「少し待ってくれ」通信士にストップをかけて、今度は〈声〉に問う。「できるか?」
『はい、可能です。お待ちください。識別番号を発行、それを実行中。完了。送信します』
作業は一瞬で行われた。驚くことに空間に映像が現れ、おそらく通信が行われていると思われる数値が並び、そして消える。
『確認した』と通信士。『なるほど、調停者の再来ということか。だが、迂闊に手を出せば火傷では済まんぞ。気をつけることだ』
「やはり、危険な地域なのか」
『危険というレベルではない。ま、行ってみればわかるさ。グッドラック』
「ありがとう」
幸運を祈る、という言葉に返答すると、通信が切れた。通行許可が降りた、ということだろう。
『マイ・ロード。いまの、グッドラックとは、どういう意味ですか』
「幸運を祈る、だ。挨拶だよ、軍人流と言ってもいいが、分からないのか?」
『不明です。幸運を祈ることに、意味を見出せません、無意味な言葉だ』
「それが機械の回答か、だとしたら、おれはとんでもない相手に支援を頼んだものだ」
『どういう意味でしょうか?』
「きみは、人が、どういうものか、まるで知らないで乗せている、ということだ」
『あなたの言葉に対する正確な返信を検索しましたが、ヒットしませんでした』
「なら、考えろ。それくらいの余裕はあるだろう。リソースを使っているようには見えないからな」
『命令を受諾しました。思考します』
それっきり、機械音声は黙った。律儀というより、もはや不良クラスタにまみれて異常な反応を示し続けるコンピュータのようだが、融通のきかない人間のようにも思えてくる。
この音声はおれを支援すると言った、おれの目的は、璃々を助けることだ。人の命を救うことが、どれだけ困難か、こいつは知らない。人というものがどういうものか、それがわからなければ、ずっと知ることはできないだろう。いくら思考しようとも。
目前に量子跳躍ゲートが迫る。虹色に光るそれは、しかし空にかかるものとは違って、素直に美しいと思えない。禍々しい、などとは違う、だが人の心をかき乱すような不安にさせるものだ。
これが、人類と多種族を、同じ人タイプの生命体を引きあわせた通路か。この向こうにエクスがある。
『思考を一時中断し、スカイ・ウェルズに突入します』
「了解した、さあ、ここまできたら導いてもらおうか、〈ギア〉」
『了解しました』
機体はゆっくりと、しかし確実に進んでいく。揺れはない。重力も感じない。ただ静かに画面が迫ってくる様はリアルな映像のようにも感じられる。
だが、と思う。これは現実だ、紛れもなく。この緊張からくる鼓動の高鳴りは、おれ自身が、身体で、脳で、感じていることだからだ。手に取れる〈実体験〉といえる。
空間に突入する瞬間、頭の中がかき回されるような衝撃を受けた。痛みはない。
「う、く、あっ」思わず声にならないうめき声を上げる。「なんだ、これは」
思考と感情がばらばらに砕け散り、散逸し、無数の床に散らばったガラス片のように尖っていて、触れたらさらに小さく砕けてしまいそうな、普通では味わうことない異常感覚が襲いかかる。
『ゲート、突破します』
おれの心は手に取れそうなほどに浮かび上がり、周囲の空間に満ちているようだった。それは、まるで自分すら気づいていない感情が言語化されて、そこからさらに抽象的だが確かにある物質にエンコードされたように、そこらじゅうに散らばっている。
そんな妄想に近い感覚は、時間にしてみれば、わずか、おそらく一瞬だ。
ゲートを抜けた先、そこには、青空が広がっている。