カルォーシュア即時戦9
「理由が、ない?」おれは語気を荒らげずにはいられなかった。「理由もなしに、経済封鎖や弾道ミサイルを放ったというのか? その大国とやらが? そんなふざけた話があるのか。いったい、何人の人が死んだんだ、馬鹿げている」
「そう、実に、馬鹿げているのだよ」
ロベルト=ローウェンは口の端を吊り上げ、一語一語を区切るようにして話す。まるで本当に、教師が教え子に言って聞かせるように。彼の中でこれは授業なのだ。ただし、亡霊が行うものとして。
「おかしいとは思わないかね。わたしは狂っていると思う。質問に答えよう。最終的な死者は六千万人だ。総人口の実に八割が死亡した。ほとんどが弾道ミサイルによって焼かれた。それはあの状況では幸いに値するのだ、三神教我。痛みも、恐怖も、感じる間もなく蒸発したのだから」
腰の前で手を組み、ゆっくりとした足取りで歩み寄ってくる。それは、過去という概念がこちらへ、現在に到達しようとしているようなイメージを抱かせる。
「幸いという言葉に反感を覚えるかね? もし感じているのならば、きみは正常だ。まったく普通の人間だ。それでよい。しかしエクスでは、これが通常なのだ、正常とは言わんがね、平常運行なのだよ。この狂った状況こそが惑星エクスにおいては日常であり、わたしが語った悲劇も、いまこの瞬間にも起きているかもしれない現実なのだ。だが――」
テーブルに指を置き、トン、トン、と二回たたいてから、おれの目をじっと見つめる。そこからはなにも読み取れはしない。エグゼの機械的な目線とは違う……あまりにも複雑に入り混じった感情が、その真意を隠している。何重にも覆われた霧が、彼の奥底に眠っているであろう本音を遠ざけていた。
「だが?」
「……だが、実際に、その悲劇にあったものは、どう思うだろう」
「どう、って――」
「果たしてなにを思うだろうか、三神教我。きみにはわかるか」
おれは何度か口を開きかけ、閉じ、そしてまた口を開いて……結局、なにも言えなかった。
いまこの場で、どんな言葉を飾っても、多くの嘆きを口にしても、嘘にしかならない。そう思った。戦争のつらさは両親を亡くしたという点で直接的にしても間接的にしても味わっている。しかし、おれという個人が直接被害を受けたかといえば、しかしそれは違う気がした。
たしかに父と母がいなくなったとき、あの空っぽの棺桶をみたとき、おれは大いに傷ついた。この世のすべてが虚ろになり、なにもかもがうそ臭くみえた。
しかし、とおれは思う。彼女が味わったのは、そんな次元の話ではない。
もうわかっている。彼の話に登場した少女というのが、誰のことなのか。
「……わからない」
そう答えるのがつらく、ロベルト=ローウェンから視線を外した。そして、その絶望を味わった少女……正面に座る女性、リリシアール・エル="カルォーシュア"をみたとき、それは起こった。
彼女の視線がゆっくりと、滑らかに、上を向く。首が持ち上がり、目線が正面へと向く。
目が、あった。
「――ひっ」
おれはあまりの恐怖に心から悲鳴を上げた。全身が硬直し頭の中が真っ白になる。
彼女がこちらを見ている。見ているはずなのに、決しておれを映していない。なのに、見ていると感じる。肉体という表面的なものではなく、こちらの意識――自我といってもいい――に直接アクセスしてくるようだ。手がないにも関わらず、しかし心臓を握り潰してきそうな恐怖を本能的に感じる。
生存本能が〈イフリエス〉と相対したとき以上に激しく警鐘を鳴らしていた。
逃げ出せ。ここは危険だ、己の生命を確保するため、即座に撤退しろ――
おれが泣き喚く子どものように背を向けなかったのは、ひとえに少佐とエグゼが居たからだ。
大量の汗を噴き出しつつ、あるだけの理性をかき集めてリリシアールを見つめ返す。
すさまじい、の一言だ。その目には黒い感情しか宿っていない。これはロベルト=ローウェンやエグゼとは、ある意味で正反対だ。あまりにも内面が現れている。しかしそこから察せることは、おれには多くなかった。だが貴重な情報源として記憶する。
あったものは、憎悪、殺意、疑心、失望、絶望、恐怖、怨念、破壊願望。
ここまで負の感情をたたきつけられたのは生まれて初めてで、喉元までせり上がってくる胃酸をこらえるので精一杯だった。これ以上、彼女とまともに相対してはこちらがもたない。危うくなにかを共感しそうになり、〈自分〉をたもつことに、すべてのリソースを使用する。脳裏に浮かべるのは璃々の言葉だ。柔らかな声から発せられた「必ず帰還せよ」の言葉。それが〈おれ〉を強く形成する。
「なるほど強い少年だ、きみを支えているなにかがあるのだろう」
「ロベルト=ローウェン。あなたはなぜ、亡霊になった。なぜそうも力強き、生者になった」
「わたしは小国の兵士だった。と言っても、情報軍将校だったがね。それでも国を背負っているという自負があり、市民を守る軍人だという誇りがあった。だがあの日、わたしが愛した祖国は滅んだ」
老人は背を向け、天井を仰ぎ見る。
「理由がない。それが信じられなかったのだ。経済封鎖にも、弾道ミサイルにも、それなりの理由付けを見つけたとき、愚かにもわたしは喜んでしまった。祖国が滅んでしまったことにも、なにかしらの理由があったのだと……道理にはかなわずとも、そこに意味があるのなら、すがることもできよう、そう思っていた。しかし、違った。封鎖した理由も、ミサイルを放った理由もあったが、肝心の攻撃を開始した理由がまったく見当たらなかったのだ。ただ、そこにあったから。足を一歩踏み出したとき、たまたま石ころに当たって、跳ねた。地面を転がり、どこかへいった。それと同じことだったのだ」
静かな語り口は、静かな怒りと悲しみの、両方を体現していた。それに気づく。
たしかに彼の言葉はテキストではわからない歴史の〈重み〉を持っていた。
「祖国が滅んだとき、守護するべきものを失ったとき、わたしは一度死んだ。生の意味を失った。しかし、まだ失われていないものがあった。リリシアール様の存在は、わたしを蘇生させた」ローウェンが身体の体勢を変え、再びおれを見据える。瞳には複雑に入り乱れた感情の代わりに、染みるように広がる激しいまでの意思が宿っていた。その意思が、なにを意味するかまでは、わからない。
「もう一度。まだ失われてはいない。もう一度やりなおすことができる。リリシアール様さえご存命であれば、何度でも。何度でも繰り返し、国を建てなおしてみせる。わたしはその決意のもと、あらゆることを行った。手段は問わない。たとえ皇国が、資本を根本とする企業へと変わっても」