カルォーシュア即時戦5
医務室の扉をくぐるとすぐに、おれは少佐を手で制した。
「どうした、三神」
「すまないが先にやっておきたいことがあるんだ、いいか」
「どのような用事かによるな。すぐに終わることか?」
「ああ。この前も言ったとおり、連絡を取っておきたい相手がいる」
「そうだったな、忘れていたよ。フム、相手も心配しているだろうからな。許可しよう。わたしはここで待っている。聞かれて困る会話か?」
「いいや。そういった類のものじゃない」
「わかった、では待っている」少佐は微かに表情を和らげたのち、廊下の壁に背を預け、豊かな胸を押し上げるように腕を組み目を閉じる。「きみには失礼を働いたんだ、先方を待たせるくらい、どうということはないだろうさ」
「助かるよ」
やはりこの人は悪人ではない。その職務に忠実なだけなのだ。それを悪と見る人間も世の中には五万といることだろう。だが、おれはこの軍人然とした人を嫌いにはなれなかった。
「エグゼ、この場でチャンネルを開くことは可能か?」
「可能です。あなたは相手に電話をかけるだけでいい。エグゼキューターのシステムを使って、その携帯電話から発信される電波をキャッチ、変換したのち、地球の相手さまに確かに届けます」
「わかった。たしか事前に相手の番号を教えてくれとか、言っていたよな」
「はい。情報を提示してください、記録します」
おれは璃々の電話番号と、念のため、自分の番号と携帯電話の機種名を伝える。エグゼは一度だけ首を縦に振ると、「エグゼキューター、認識しました」とつぶやいた。
電話を発信しても、最初はうんともすんとも言わなかった携帯スピーカーから、コール音が聞こえてきた。五コール待って切ろうとしたとき、息を切らせながら「はい」と応答があった。
『教我くん?』
「璃々か、そうだ、教我だ。連絡が遅れて――」
『エクスに行ったんだって?』
おれの釈明は、意外な言葉をもって途切れた。
「どうしてきみがそれを」
『教我くんが、あの黒い戦闘機に乗っていっちゃった日、〈UFAN〉の軍人さんに保護されたの。自衛隊の基地に入って、そのあと、一日は警戒態勢だった。それが解除されると、〈UFAN〉の軍人さんはどこかと通信して、それで、教えてくれた。〈調停の後継者〉サガ=ミカミが〈スカイ・ウェルズ〉を通過した、って。それでわかった。ああ、教我くんはエクスにいったんだなって。
また無茶をしようとしてるのは、すぐにわかったよ。どうせわたしを守るためとか、言うつもりなんでしょう。こっちが心配してるのもしらずに、いいご身分だよ』
璃々は一息にまくしたて、それから沈黙した。微かに嗚咽混じりの声が聞こえてくる。マイク口を手で覆っているのか、それはくぐもっていた。どれだけ心配してくれていたかは、それですぐに理解した。おれがこうして連絡してくるまで、不安に身を焦がしていたことだろう。
彼女は常におれの身を案じてくれていた。おれが璃々を心配するように、もしくはそれ以上に。改めて連絡が遅れてしまったことを悔いた。もっと早く連絡できるかをエグゼに確認するべきだった。
「本当にすまない」
『心配してる、こっちの身にもなってよ。教我くんまでいなくなったら、わたし、どうしたらいいか』
「大丈夫だ。いまのところは」
『怪我とかしてない?』
「していない。頑丈なやつが守ってくれてる」
そう言いながら、エグゼを横目に見ると、なにを勘違いしたのか丁寧にお辞儀してみせた。
『そっか、よかった』璃々は心底安心したように息をはき、『そっちはどんな世界なの?』
「まだわからない。わからないことだらけだ。いま理解しているのは、エクスは常に戦争状態であることと、それは全世界規模で行われていることだ、ということだ」
『……帰って、これないの』
璃々の声はおれから、どのような回答が来るか理解しているものだった。それでも、聞かなければならないという、ある種の使命感に似たものを感じさせた。苦く、熱く、うまくもないものを飲み込みながら吐き出す言葉に、それは酷似していた。それほど言いたくないのだろうと思わせるものだった。
「いまはまだ、帰れない。やることがある」
『それは教我くんがやらないといけないことなの』
「少なくとも、おれにはやる義務があると感じている」
スピーカーは沈黙し、微かに吐息が聞こえてくるのみになった。
十数秒、あるいは数十秒が経過した。ゆっくりとした時間が流れる。
エグゼは腹部の前で組んだ手を解かず、微動だにしない。一言も発さずおれの傍に控えている。一方の少佐もまた、腕を組み、壁に寄りかかったまま目を開く気配はなかったが、トン、トンと指を一定のリズムで動かしていた。
『わかった』
璃々の返答は短かった。おれはそれに対し、なにかを言おうとし……言えなかった。
言う言葉が見つからなかった。
『教我くんは頑固だからね。たぶん、わたしがなにを言っても無駄だと思う。だから、わたしはアルバートさんの言葉を借りることにする』
「アルバートの?」
『そう』璃々は微かに笑い、続けた。『三神教我、きみは任務を続行せよ。そしてそれを完遂し、必ず帰還せよ。貴殿の帰還をもって作戦は完了とする。繰り返す、必ず帰還せよ、それ以外は許可しない』
予想もしなかった言葉の数々を告げられ、おれは唖然としてしまった。たしかに璃々はアルバートと面識がある。軍人らしい言葉の数々は、しかし似合わなかった。だがおれの心には届いていた。
おそらくアルバートの真似をしたのは、おれに告げる上で、相応しい言葉が見つからなかったからだろうと予想できた。より説得力があり、よりおれを『拘束』するには、命令に似た形式しか該当しなかったのだろう。そうではないと、いうことを聞かない、と判断したと思われた。まったく、璃々には気を使われてばかりだと苦笑しかでてこない。
「了解した」だから、おれはそう応えることにした。「命令を受諾する。必ず帰還する」
『よろしい。帰ってくるときは教えて。絶対に迎えにいく、あなたを』
「ああ」
そして通話は切れた。わずか五分ほどの会話だったが、この世界に来てから、おれは初めて身体と心に活力が満ちていることを実感した。いまなら戦えるだろう。
携帯電話をポケットにねじ込むと同時に、少佐が身を起こした。
「戦う気力は充分か、三神。これからきみが相対する者は、亡霊であり、死者であり、この上なく強力な生者であり、そして利益を最上とする資本家だ。同時に戦士でもある。〈モンスター〉だよ」
「それが、ロベルト=ローウェンという男か」
「そうだ。カルォーシュアを守護するために怪物へと変じた、人間の末路……いや、一形態と言っていいのかな。彼は守護者としての役割を理解している。手段は選ばない。必ずきみと、〈ギア〉エグゼキューターを手に入れようとするだろう。他国に大きなアドヴァンテージを得るために」
少佐の言葉の背景に、強大な闇が潜んでいるのを、おれは感じ取った。物理的に感じるほどのプレッシャーの正体は、恐怖だった。引きずり込まれそうな、少佐というゲートをとおしてこちらを睨んでいると思えるほどに強力な威圧感だった。〈モンスター〉と呼ばれているのは間違いではないのだろう。
これからおれは〈言語〉という武器を用いて、これと対峙しなければならない。相手は国を背負っているだけあって、決して負けない状況を構築してくるだろう。この状況構築とは、すなわち『理論』だ。おれを打ち負かすために完璧な理論を用意して待っていることは、たやすく予想できる。
「わたしは、きみの味方になろう、三神教我」
「少佐?」
「わたしは道具としてのきみに興味はない。そして即時戦もまた、それを求めていない。即時戦が求めるのは自律した、戦争を終結に運ぶという強い意思をもった者だ。オペレータも、整備士も、戦隊機に乗るパイロットたちにももちろん、例外はない。全員が戦争終焉への戦闘を〈即時〉実行できる者たちだ。
きみが〈調停者〉たらんと行動するか、それはわからん。しかし戦争を終わらせるという戦いをする気があるのなら、われわれ即時戦はきみを支援しよう。カルォーシュアの理念も、ロベルト=ローウェンの思惑も、知ったことか、われわれには関係ない」
少佐の気迫は、すさまじいものがあった。鬼気迫る、というものとは違う。確固たる意思を披露しているだけにすぎない。簡潔にして、そして完結している。彼女が即時戦というステージでどれだけのパフォーマンスをもっている人間かはしらない。しかし主役を演じるだけのポテンシャルをもっていると、そう思わせるだけの口上を魅せられては、少なくとも否定はできなかった。
「なんというか……失礼を承知で言えば、あなたは生きづらそうな生き方をしているな」
「わたしもそう思うよ」苦い笑いを浮かべ、肩をすくめる。「しかしきみに言われたくはない」
「まったくそのとおりだと、自分でも思う。だからこそ、あなたの返しは耳が痛いな」
少佐はくすりと笑い、そしてすぐに真顔に戻る。
「どうする。選択の時間は、あまりない。これはロベルト=ローウェン、そしてリリシアール・エル="カルォーシュア"に相対する前のみ行うことのできる交渉だと思って欲しい。少なくとも損はさせない。きみとは対等な取引を望む。われわれはきみに居場所を提供しよう。必要なら物資と戦力もだ。その代わり、きみには即時戦の一員として行動して欲しい。もちろん、先ほどの電話相手を守るために動くというのなら、それもいいだろう。支援する。しかしある程度は即時戦の規律に従ってもらうが」
「フゥム」
悪くない話だった。少なくとも少佐は信頼できる人物だと思う。
おれはエグゼの考えを訊きたくて、ちらりと視線を向ける。
「少佐の言動に嘘はありません。すでに即時戦メンバーは、あなたの支援をするために行動を開始しています。それはすなわち、あなたの回答をすでに予測していると言っていい。彼女の、少佐の、脈拍や脳波に乱れはないことから、信用に値する言葉であると判断します」
「エグゼ、おまえ……」
おれは頭を抱え、うなだれる。隣で少佐が再び肩をすくめ、呆れたため息をつくのが聞こえた。
「なにか問題が」
「エグゼ、端的に言うぞ。空気を読むんだ。いまはおれと、少佐は、言葉で信頼を勝ち取るために対話していたんだ。人体ステータスを読み取って嘘かどうかを判断するんじゃなく、きみの考えをおれは訊かせて欲しかったんだ、わかるか?」
「あなたの考えは不合理であることが多い。たしかなデータから判断することが適当だと考えますが」
「少佐、エグゼが反抗期なんだ」
「どうやらそのようだな。しっかり躾けろ、ギア・ロード」
エマ=レッドフォード少佐はおれの背中を軽く叩くと、どうする、と選択を迫った。