カルォーシュア即時戦4
結局、回復して動き回れるようになるまで、二日の休養が必要だった。
思ったよりもダメージが溜まっていることに驚きながらも、まったく知らない土地で、理解のおよばぬ性能をもつ兵器で戦闘行えば、平和な日本で育ってきたおれにとって、疲れが蓄積されているのは当然だったし、事実、少佐はその点を大いに指摘した。
『休め』イフリエス襲撃から立ち直るため、忙しく動き回りながらも定期的に様子を見に来てくれた少佐は、短くそう告げた。『まずは自分の身を心配しろ、そのほかは二の次だ。いいな』
少佐の口調はぶっきらぼうだったが、心配してくれているのは理解できた。
温かい野菜スープと思われるものを口に運び、再び生きている実感を味わいながら、ナイフを片手に隣でりんごを〈切断〉しているエグゼを盗み見る。やはり無表情だ。なにを考えているのかわからない。
「りんごの形状を平均的に切除することに成功」本当に均一に切り取られている果物が乗った皿を、おれの前に差し出す。得意げな様子はなかった。「幅、二十三ミリ。あなたが摂取する上で、形状的問題は発生していないと判断します。どうか、お召し上がり下さい、マイ・ロード」
なんとも食べる気の失せる言葉の数々だ。しかし無碍に断ることもないので、ひとつ取って口の中に運ぶ。瑞々しい果物の香りが、鼻孔いっぱいに広がった。
エグゼに人とはなにか、ということを教えるつもりだったが、これは予想以上に大変そうだと認識を改める。まずは言葉選びからだな、とりんごを噛みながら思う。基本的にデータ前提であり、人間として喜ばしい単語を選ぶ気はなさそうだった。いや、知らないのだろう。
まあ、いい。これからだ。まだおれたちは出会ったばかりなのだから。いつまでエクスに滞在することになるかは、正直不明だったが、その間は努力しよう。
今回エグゼが発した言葉の問題点を指摘すると、素直に「了解しました、改善します」と返答した。いまは、とりあえずそれで満足することにして、りんごを口にする。
「失礼する」先日と同じ言葉を前置いて、少佐が入ってきた。「調子はどうだ、三神」
「少佐か。ずいぶんとよくなったよ。このとおり、りんごだって食える」
「そうか、それはなによりだ……もう少し、うまそうに食ったらどうだ?」
さっきのエグゼの言葉を聞いて、あなたは美味しくりんごを頂けるのかと問いたかったが、やめた。エグゼの手前ということもあったし徒労に終わりそうな予感もあったからだ。
ただ溜息をつくだけのおれを見て、少佐は首を微かに傾げたが、すぐに佇まいを正す。
「きみの処遇について、検討が終わった」
「処遇、とは」
「処遇という言い方ではあんまりだったな。きみの今後をどうするか、という検討会がさきほど終了したところだ。会談は即時戦を代表してわたしと、カルォーシュア軍の最高責任者、それにカルォーシュア代表が一同に会する席で決定した。決定したと言っても、まずは前提となるものだ。
あくまでも、きみの意見は尊重する方向で、われわれはことを進めるつもりだ。ついては、三神、きみの意見も訊きたいので、もし体調が戻っているのであれば、招集に応じて欲しいが、可能か」
「承知した」
皿からりんごを取り上げて、口の中に運び一気に咀嚼し飲み込む。
「少佐、わたしも同席してよろしいでしょうか」いままで黙っていたエグゼが首だけを少佐に向ける。
「なぜおまえが同席する必要がある」
「マイ・ロード、三神教我はわたしと〈ギア〉エグゼキューターの最高責任者です。逆説的に、わたしとエグゼキューターは彼に従属している。そして、彼の決定は〈われわれ〉の今後を左右する。付け加えるのであれば、我が主はこの世界に対する知識が乏しい。それを補完する上での同席を希望します。
彼が現状を正しく認識できている可能性は低い。その状態で決断と決定を強いるのであれば、われわれは戦闘行為をも辞さないことを、あなたに伝えなければなりません」
エグゼの声は淡々としていて淀みなかった。迷いなどいっさいなく、本当に、おれに危害や不利益があれば即座に戦闘に移るだろう。それを意識させる言葉だった。
守られているはずなのに、背中にナイフを突きつけられているようで、冷たい汗が流れる。
「それと」エグゼはなおも続ける。「わたしが、あなたがたの会話を聞いていないとでも?」
「おまえは」少佐の顔色が瞬時に険しいものへと変わる。「聞いていたのか。どこでだ」
「即時戦のシステムの八割以上を、わたしは掌握しています。どこからでも、どこにいても、確認可能です。ご希望でしたら、あなたがたの会話ログを提出してもいいですが、どうされますか」
少佐が歯ぎしりする音が、はっきりと聞こえてくる。
どちらが正しいのかは歴然だった。エグゼが先に言った言葉から察するに、どうやらおれは不利な状況で意見を述べることになっていたらしい。この世界に対して知識が不足していることは、認めざるをえない。それは自他ともに認識していることだ。限定的な情報を与え、自らの求める回答をするよう、意図的に選択肢を狭め、誘発する。交渉を行う際には有効的な手段だ。
しかしそれは大きなリスクをともなう。いまのようにバレてしまえば相手からの信頼は失墜する。重いコンクリートのように浮上は望めない。また、パワーバランスが勝っていれば問題はない。次なる手段として力による抑圧、もしくは脅迫に似た一方的な要求を突きつけることが可能だが、実際は逆の構図になっている。ギアは強い。少佐はそれを認めている。そしておそらくは、同席した高位権力者たちもだ。
なるほど少佐はリアリストだった。同時に、強大な力を欲するロマンチストでもあるようだった。
「やってくれたな、少佐」とおれは言ってやる。「いったい、どんな『意見の尊重』を行う気だったかは知らないが、これで交渉などできるとでも思っているのか」
「悪かった」少佐が肩から力を抜く。「認めるよ。われわれはきみと、〈ギア〉の力、その両方を手に入れるつもりだった。あまりにも魅力的な果実だからな」
残ったりんごを見つめながら、ため息を漏らすように告げる。
「では、どうする。カルォーシュアをでていくか」
「再考を望む、カルォーシュア即時戦、エマ=レッドフォード少佐。おれが同席する場でだ。もちろんエグゼも同伴する。その上でおれは意思決定をさせてもらう。了解か」
「了解した」レッドフォード少佐は盛大な息を吐いた。「負けたよ。〈ギア〉と人のインタフェース・エグゼ。その性能と、きみを舐めていたわれわれが悪い。むしろ寛大なきみの判断に感謝するべきところだろうな、これは……」
くしゃくしゃと手で髪をかき混ぜる彼女を見て、おれはふと思った。この人は、善人ではない。しかし悪人でもない。今回の決定は悪意に『似た』利益を追求するものになっている。まだエマ=レッドフォードという人物を掴みきれていないが、どうにも器用な人には思えない。彼女はここまでのことをするだろうか? そう、まるで資本家の考え方だ。しかし軍人然とした、それも前線タイプの少佐が、このような回りくどく、粘りつくガムのような交渉の方法を取るだろうか?
「……エグゼ、この無茶な交渉方法は、少佐が考えたことか」
「いいえ。ことの提案はカルォーシュア国防長官、ロベルト=ローウェンの考えであり発言です。カルォーシュア最高権力者、リリシアール・エル="カルォーシュア"はそれを承認。少佐はそれに反対意見を述べるも、その立場上、否定はできない。よって決定した方針になります」
「なるほど。食わせものがいるわけだ」
魔物が潜んでいる、とおれは思う。カルォーシュアと折り合いをつけねばならないときは、すぐそこに迫っている。剣や銃ではない。言葉による戦闘は、すでに始まっている。