カルォーシュア即時戦2
まぶたを開けると、白い天井が眼に入ってきた。
ここはどこだと、しばらく考えて、ようやく思い出すことができた。
灼熱の魔神、イフリエスとの戦闘を終えて、戦隊機――サイレントとオーダーだ――に誘導されてカルォーシュア即時戦ドックに戻ると、おれは激しく嘔吐した。迫り来る死の恐怖、初めて体験する実戦の緊張感、そして無事に生還できた安堵で心身ともに耐えられなくなっていた。
真新しく思える清潔なコクピットの中で、吐瀉物のつんとした刺激臭に汗の臭いが混じり、より気持ち悪くなって吐きつづけた。身体をくの字に折って、目に涙を浮かべて。
その間エグゼはおれに一声もかけなかった。同情も怒りもしなかった。ただ無感動に見つめつづけ、端末を操作すると、悪臭は一瞬で消え、今度はガスが噴射された。
意識が遠ざかっていくのを微かに感じながら、エグゼキューターの中に乗り込んできた人間たちに、自分の体が持ち上げられるのを最後に、記憶は途切れ、いまに至るというわけだ。
天井も含めて全面が白く、いくつかの医薬品が棚に収められているのが見える。特別な機器はなにもない。ということは、ここは医務室かなにかか。
汗で貼り付いた髪をくしゃくしゃと手でかき混ぜ盛大に溜息をつく。頬がひりつく。涙の跡がついていた。
「父さん、母さん……」
涙声になるのをとめられなかった。あの夢は、ついさっき起きた出来事に感じられる。
「もっとあなたたちと、話をしていたかった。おれは、もっと、あなたたちと、過ごしたかった」
別に調停者と謳われる人たちでなくてもよかった。世界中から尊敬を集める人ではなくてよかった。ただ一緒に過ごし、笑い、喧嘩し、ありふれた面白みのない家庭で充分だったんだ。それなのに、あの人たちはおれの前から姿を消し、二度とその姿を見せてくれることはなかった。
璃々の両親に不満を持っているわけじゃない。それでも、そう思わずにはいられなかった。
「調停者ですか」
そこへ澱みのない美しく、しかし感情の一切を廃した声が混じった。
「エグゼ」
「おはようございます、ご気分はいかがですか」
「気分か……いまは、いいとは言えないな」
「了解しました。いま、お身体をスキャンします。そのまま動かないでください」
エグゼの眼が上下する。まばたきもせず、こちらを見つめつづける姿は薄ら怖いものがあった。少佐が気味が悪いと称したのもわかる気がする。一分ほどして「終了しました」と言い、眼を閉じた。
「胃と肺に少々のダメージが。薬を飲まれるといいでしょう」
「まさか薬も作れるのか?」
「可能ではありますが、人間の薬は人間が作ったものを服用することを推奨します」
「そこまで万能ではないか」冗談のつもりだったのに、真顔で答えられ、おかしくて笑う。
「エグゼキューターの性能は万能とは程遠いものです。それが今回の戦闘で再確認できました。つまり、インタフェースであるわたしもまた、万能からはかけ離れている、ということです」
「……失望したか、エグゼ?」
「ご質問の意味がわかりかねます」
エグゼが首を傾ける。一見すると少女らしい、可愛らしい仕草だが、しかしその動作は機械的だ。まるでそうすることが、人間の模倣になると思っているように、トレースした行動をそのまま実行したように映り、それが彼女の外見とかけ離れたギャップになり違和感を増していた。
「おれはエグゼキューターのシステムが求める能力を発揮できなかった」白く清潔なシーツを、悔しさで握りしめる。「イフリエスを倒すどころか、少佐の支援がなければ負けていた。死んでいたし、ギアは破壊されていただろう。きみも、ただではすまなかったはずだ」
「結果から見れば、イフリエスは撤退し、エグゼキューターも存続しています。あなたも生きている。なにも問題はありません」
「だが、エグゼキューターは損壊した。腕をもがれてしまった」
〈ギア〉はどう考えてもワンオフの機体だ。それがたとえ一部でも破壊されれば、どれだけのデメリットがあるか、おれはわかっているつもりだった。
「問題ありません。エグゼキューターは修復をはじめています」
「カルォーシュアが整備を?」
「いいえ、違います。自己修復を行っている最中です。詳細なデータをご希望でしたら、わたしから提供できます。リアルタイムで修復状況が送られてきていますので、すぐにでも提示可能です」
唖然として、だらしなく口を開けてしまっている自分を意識する。
エグゼから聞くに〈ギア〉とはエクスという世界をコントロールするシステムだ。地球では考えられない性能を持ち、現在では決して到達できない技術によって作られている。常に想像の上をいくことを理解しなければいけない。それは承知しているつもりだったが、まさか自己修復までするとは。
「付け加えるのであれば、エグゼキューターのセントラルコンピュータは、あなたの能力に満足しています。初戦でイフリエスを退けたことは、データとして記録されている。
またエグゼキューターの性能が不足していたことも認めています。現在は修復を行いながらも、戦闘データの解析を行い、武装のブラッシュアップを実行中です。装甲にも十三の問題点が見つかっており、改善に努めています。完了は百六十八時間後を予定していますが、マイ・ロード、改善が必要ですか?」
「なにもないよ」
十全な内容だった。機体はエグゼに任せておけば、すばらしい状態になって戻ってくることが簡単に予想できる。次に見るときは形状が変わっているかもしれない。
「では、おれは今後もエグゼキューターに乗っていいのか?」
「あなたが降りる理由はありません。エグゼキューターはあなたを主として認めている」エグゼは目を閉じる。「そしてわたしも、あなたを主として認識しています」
「……そうか」おれは、笑みを作らずにはいられなかった。エグゼに向かって手を差し出す。「では、これから少しの間になるだろうが、よろしく頼む、エグゼ」
「マイ・ロード、三神教我。その手はいったい、どのような意味が」
「握手だよ、知らないのか、握手だ。友好をあらわす挨拶だ。人間の習慣だよ」
「友好。挨拶。この世界にはない概念です」
「それは参ったな。では覚えてくれエグゼ。おれはきみと、友好的な関係を築きたいと思っている」
「了解しました」
白く細い、しなやかな指が、そっとおれの手に触れ、握られる。ひんやりとして気持ちいい。
そう思ったのもつかの間だった。バチリ、と音がし皮膚に痛みが通り抜ける。静電気だった。
「失礼を、マイ・ロード」
無表情で頭を下げるエグゼが面白く、おれは気づけば笑い声をあげていた。
おかしくてしかたなかった。美しい外見をした女の子、しかしその内面は機械知性だ。少なくとも、おれはそう思っていた。あまりにも機械としてのウェイトが大きい。人間として感じられるものは、その容姿だけだと。それが静電気ときた。
「マイ・ロード、三神教我」
「失礼を、はよかったな。いや悪い。しかしこんなに笑ったのは、いつぶりだろう」
そっと手を離す。痛みはとうに通り過ぎ、残ったのは愉快な気持ちだけだ。
エグゼはしげしげと自らの手を眺め、指先から手の付け根までスキャンでもするように――実際にしているのかもしれないが――見つめると、そっと下ろした。
「マイ・ロード。あなたは笑っているほうがいい」
抑揚がないながらも、思いもよらない言葉をかけられ、まだ残っていた笑いの残滓が抜け落ちる。
「わたしのヒューマン・インタフェースが、そう判断しています。あなたは笑っていてください」
「それは、なんとも難しい相談だ、この世界では。しかし、承知した。心がけよう」
おれはゆっくりと、エグゼにもわかるように、了解したと頷いた。