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カルォーシュア即時戦

 目の前に、父と母の姿があった。

 父は手にペーパーボードとペンを持っており、複雑な表情を顔に貼り付けていた。もともと表情が豊かな人ではなかったが、いまは無表情に深い眉間の皺をプラスしている。そして、そんな父を母は楽しげに見ていた。手には琥珀色の液体が入ったグラス。肩には突撃ライフルを下げていた。

『どうしたの、あなた』グラスの中身を、唇が湿る程度に傾ける。『そんなに難しい顔をして』

『どうしたもなにもない』父はため息をつく。『あまりにも経過が順調だ。僕らの息子は、とても運動神経がいいらしい。特に空間把握能力が抜群だよ』

 さらさらと素早くボードにペンを走らせる父は、ちらりとおれを見る。なにを思ったのか、ぎこちなく笑みを浮かべようとし、失敗した。不器用な人だ――そう思い、しかし当時のおれは、そんなことは思わなかったと思い出す。そうだ、これは過去の記憶であり……おそらくは、夢なのだ。

『笑うなら、もう少し、ちゃんと笑ったら?』こらえきれなくなり、母が噴き出す。『ほら、教我が変な顔してるじゃない。ごめんねー、無愛想なパパで』

『僕が無愛想なのは昔からであって、いまに始まったことじゃない』

『そんな話をしているんじゃないの。わかる? ところで、どうなの』

 急に真剣な顔をした母が、ボードを覗き込む。

『さっきも言ったとおりだよ、どうしたもない。アルバートがこの数値を見たら、すぐにでも将来は士官学校を、と勧めてくるだろうね。パンフレットを片手に、熱心に語りだすだろうさ』

 父の言葉を聞いた母は、豪快に笑うと一息にグラスの中身を飲み干す。

『あの石頭が言いそうなことだね。いまの教我は軍隊のリクルートよりも、特撮ヒーローの映画パンフレットに興味がある歳だってのに、ねぇ、教我』

 視界がゆっくりと上下に揺れる。おそらくは、頷いたのだろう、そんな記憶がある。そういえば特撮ヒーローに興味をもたなくなったのは、いくつのときだったか。もう思い出せないが、璃々が隣に座って一緒に見てくれていた記憶はあった。そう、そのとき両親は一緒にいなかった。海外に行っていて、おれは親戚――璃々の家に、預けられていた。

『そういえば、あなた』肩から下げられたライフルを鬱陶しそうに直しながら、『〈井戸〉の向こう側のネゴシエーターとの会談が決まったわ』

『……そうか、決まったか。いつだ』

『一週間後。アルバートは三日後に、まず先行する。ついでウォッチャーと劉猫が現地入り。ルクセインは予定どおり、こっちに残るわ。最後にわたしたちが井戸を潜る』

『了解した』

『よろしくね、情報軍大尉どの』

 母が茶化したようにウインクする。父は苦笑して肩をすくめた。

『教我』

 父の顔がアップになる。

『また、少し留守にする。いい子にして待っていられるかい』

『今度はいつ帰ってくるの?』

『それは……』

『教我がいい子にしててくれたら、早めに戻ってくるよん。だから、璃々ちゃんと一緒に、おかあさんたちが帰ってくるの、待っててね』

『うん、わかった。帰ってきたら、どこかいきたいな』

『オッケー、じゃあ教我が前に言ってた、すごいジェットコースターがある遊園地に行こうか。あれ、わたしも乗ってみたかったんだよねー』

『……僕は遠慮しておこう』

『ヘタレ』

 父も、母も、そしてきっと、おれも。笑顔だった。短く、数少ない家族だんらんのとき。

 しかし、ふたりは帰ってこなかった。

 二度と。

 


 場面が急に切り替わった。それでおれは夢だと確信する。七年前の日本だ。

 アメリカで両親の葬儀が終わり、棺とともに帰国するとまた葬儀が待っていた。しかし今度は盛大なものではなく身内で行われる密やかなものだった。偉い人も綺羅びやかな装飾をつけた者もいない。ただ父と母の死を悲しむ人だけが訪れる。厳粛な場だった。

『教我くん』

 璃々が、おれの隣で泣きそうな顔をしている。あのときと、同じだ。アルバート。両親のために涙を流してくれた遠い異国の友人を思い出す。彼も、彼女も、泣いている。おれだけが、泣けない。それがどうしようもなく悲しい。それは、いまのおれの心だろうか? それとも、過去の自身か?

 手の平に柔らかな感触が伝わってくる。幼なじみであり、従姉の細く優しい手が包み込んでくれる。

『教我、これを』同じく、目に涙を溜めた璃々の母親が、おれに花を手渡す。『これを棺の中に入れて。送りだすの。天国で幸せに、って。あたしたちを見守っていてくださいね、って』

『……わかった』

 おれは花を握り、璃々と一緒に棺の前にいく。周りからはすすり泣く声が聞こえてくる。

 璃々の父親が棺をゆっくりと、ずらすように開ける。中は暗い、暗すぎる。よせばいいものを、おそるおそる中を覗き込む。

『あ、ああ、あああ』

 棺の中には、なにも入っていなかった。父の分にも、母の分にも。どちらにもない。

 なにもない。

 漆黒の空洞だけが、ぽっかりと口を開けていた。いまにも手が伸びてきて、おれを引きずり込もうとする妄想が頭の中を支配する。しかし、ない。なにもないのだ。誰も入っていない。父は、母は、どこにいった? どうして遺体がない? このからの棺になにを入れ、なにを願えばいいんだ。

 隣で、どさり、と音がした。璃々は腰が抜けたように膝から崩れ落ちている。宙空を見つめ、放心したように瞳から涙だけを流していた。それでもおれの手は離さない。


 それで、おれは、ようやく我に返った。


 璃々の分の花を受け取り、ふたり分を棺に収める。それぞれ、父と母の棺に。

 そっと棺桶は閉じられた。

 

 おれの脳内にアメリカでの葬儀が思い起こされる。勲章をつけた軍人たち。実弾の伴わない空砲。本当に心がこもっているのか、間近で問い詰めたくなる演説。そして……からの棺。

 なにもかも、からっぽだ。おれの心さえも。なにを考えたらいいのかわからない。なにに怒りを覚え、なにに対して悲しみを抱けばいいのかすら、わからない。わからないことだらけだ。

 いま確かだと断言できるのは、この手に伝わる微かなぬくもりだけだ。

 璃々。彼女こそおれの現実だ。決して裏切られることのない、現在。これだけは絶やしてはならないと奥底の意識が、こちらに必死に発信している。それこそ自己を保つためだと言うように。

『璃々』おれは低い声で、座りこんでいる彼女に告げる。『璃々だけは、おれが守る。どんなことがあっても、たとえ離れてしまっても、必ず。手段は問わない』

『……教我くんは、わたしが守る。たとえ力がなくても』虚ろな眼に光が宿っていく。『教我くんの心はわたしが守る。絶対に』

 固く、固く、絶対に手が離れないように、葬儀が終わるまで、おれたちは手を握り合っていた。

 

 そうだ、と現在のおれの意識が叫ぶ。璃々こそがおれのリアルであり、この〈おれ〉を〈おれ〉とする支柱なのだ。自らの意志と感情が量子空間通路を渡ったときのように可視化されていくのを感じる。

 次第に心と、そして意識が浮上を始めていた。

 

 ――だからこそおれは、エグゼキューターに乗り、その支援を受け入れたのだ。

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