来訪者
暖かな風を受けて、美しく咲いた桜の花びらが散って、舞う。色
褪せた墓石を鮮やかな桃色で包み込んだ。
「父さん、母さん。今年も春がきた。穏やかな季節だ。少なくとも
日本では、そうだ」
両親の墓に水をかけながら呟く。桜の花びらが水分を吸って、い
っそう強く石に貼り付いた。
「おじさま、おばさま。お久しぶりです」
隣で、従姉の璃々が持ってきていた花束を置いた。薔薇の花だ。
この手のシチュエーションにはそぐわないが、しかし母が好きだっ
たので、あえて選んでいた。
「 教我くんが選んでくれたんですよ。綺麗ですよね」
そっと墓前に添えると、なぜか、急に顔を赤くした。
「どうした?」
「う、ううん。ただ、今年も制服で来ちゃったから。代わり映えし
ないね、って笑われたりしたら、どうしようかと思って」
「気にするな。学生なんだから当然だ。むしろ、わざわざ喪服を着
てきたほうが笑うだろうな」
「ああ、うん、そうかも。おじさま、おばさま、教我くん高校二年
生になったんですよ。わたしは、三年生」
くすくす笑いながら、亡き両親へ報告する璃々を横目に、線香に
ライターで火をつけた。先端が熱され、赤くなっていく。
「…………」
「教我くん、大丈夫?」
「ああ」
もう何年経った。七年か。世界中の人々に〈調停者〉と呼ばれ、
讃えられた両親が死んでから。
父と母は、素晴らしい人だった。優しさと強さを兼ね備えた、親
としても人としても尊敬できる人たち。いまでも亡くなったことを
信じられない者は多い。毎年、命日になると海外からダイレクトメ
ールが届く。彼らの死を偲ぶ方々からだ。
〈調停者〉パーティ。およそ戦争に関わる、国際機関に所属して
いて、この名を知らないものはいない。言葉による対話を実践し、
世界中の紛争と戦った集団だ。
彼らの活躍で終結した内乱、紛争は十三を数える。どれだけの命
が救われたか分からない。その偉業は、教科書に載るほどと言えば
話は早いかと思う。
しかし、それで世界が変わったか?
その答えを出すことはできない。容易ではない。現に、いまだ人
の歴史は戦争とともにあり、終わることはない。テレビをつければ
イブニング・ニュースで、すぐにでも見ることができる。
そうだ、変わっていない。あの頃から、ずっと。
◇
七年前。両親の葬式がアメリカで行われた。アメリカ軍首脳部の
強い要望だった。というのも〈調停者〉が最後に介入した紛争は、
アメリカが主導で行ったものだったようだ。
『彼らは常に誠実で、そして勇敢だった。その魂は、大いなる父の
懐に抱かれ、永遠の安息を、得ることだろう』
胸にたくさんの勲章を付けた軍人が、マイクを前に、声高にして
言っていた言葉だ。
『〈調停者〉に、門出の祝砲を』
突撃銃を抱えていた軍隊が、一斉に空に向かって空砲を撃つ。そ
れに応えるように、雨が降り始めた。
『誇れ、教我』
隣で、空砲と同時に敬礼した軍人が、震える声で言う。両親の友
人、アルバート=ウッド少佐。〈調停者〉パーティの一員。
『なにを?』呆然と立ったまま、両親の友人に問いかける。『ぼく
は、なにを誇ればいいの?』
『両親を。おまえの父と母は、実に素晴らしい人だった』
『でも、死んだ。そうでしょ? どんなにすごい人でも、戦争で死
んでいった。違うの?』
『そうだな……彼らは、彼らの戦いをして、死んだ』アルバートの
声は、やはり震えている。『それが、誇らしいのだよ』
『分からない、ぼくには分からないよ』
『そうか。まだ早かったか』
アルバートは空を見上げる。つられて上を向くと、大粒の雨が目
の中に入った。
『教我、雨はいいな。涙を隠してくれる。おまえも悲しかったら、
泣くがいい』
『ぼくは……』頬を流れていく雨を袖で拭う。『泣けないよ、アル
バート』
◇
「璃々。両親のしたことは、正しかったのか?」
「教我くん?」
「どうしても、頭から離れないんだ。ふたりは無駄死したんじゃな
いか、やったことは、意味がなかったんじゃないか。本当は、死ん
だことを笑っている奴がいるんじゃないか、って」
両親が死んでから七年だ。それだけの歳月が経ったと言うのに、
明確に否定するための材料が揃うことはない。
きっと、一生、揃わない。
「教我くん」
璃々が、俺の頭を抱え、抱き締めるように包み込む。子をあやす
母のように、そっと優しく撫でてくれる。
「大丈夫。そんなことないよ。立派な人たちだったよ」
彼女はいつも優しかった。そして穏やかだった。つらいとき、悲
しいとき、どんなときも傍に居てくれた。ありがたい、なんて言葉
では簡単に片付けられないほど感謝している。
「ああ、ありがとう」
「教我くんは、まだまだ甘えん坊さんだね」
「馬鹿にするな」
「はいはい」
まったく、かなわない。ひとつしか歳が離れていないというのに
別次元の人間のように感じる。
両親が死に、アメリカで葬式を行なって以来、すべてがうそ臭く
感じて仕方なかった。虚飾に塗れた軍首脳部、平和を口にしながら
平然と他人を殴る人々、全部が、ハリボテに感じる。
〈調停者〉と呼ばれた人たちですら、この世界を変えることはで
きなかった。なら、なにをしても無駄だ。虚ろなんだ。
いま、はっきりと分かる現実とは、従姉の璃々だけだ。両親が死
んで、孤児になったおれを引き取ってくれた本郷夫妻の娘。姉のよ
うな人だ。
「璃々、勝手に死ぬなよ」
「もう。なに言ってるの? そう簡単には死なないよ」
身体を離すと、手を差し伸べてくる。
「さ、帰ろ。今日はなに食べたい?」
「なんでもいい」
「そういうのが、一番困るんだけどなぁ」
冷蔵庫の中身を口にしながら、今日の献立を考え始める璃々を尻
目に、両親の墓に軽く頭を下げる。次に来るのは、夏か。そのとき
までのお別れだ。
墓石に背を向ける。すると、そこには黒服の男が立っていた。外
国人だ。白人の男。かなり大きい。
「教我、三神教我で間違いないな」
英語だ。息が荒いため乱れているが、イギリス系の訛りはない。
イントネーションからアメリカ西岸部の出身か、と検討をつける。
「そうだ」久しぶりの英語を思い出しながら応える。「〈調停者〉
の墓なら、そこにある」
「違う」男が詰め寄ってくる。「用があるのは、きみだ、サガ=ミ
カミ。すぐに避難しろ、もう、来ている」
こちらの腕を乱暴に掴み、耳につけたインカムで何者かと会話を
しながら、忙しなく辺りを見回している。
「さ、教我くんになにするの!?」
おそらく英語を聞き取れなかっただろう璃々が、必死な顔を作っ
て男に追いすがる。
「くっ、きみに構っている暇はない」
「なに言ってるか分かんない!」
「おれも同感だ。どういうことだ、避難とは」掴む腕を払いながら
言ってやる。「事情を説明しろ。そうでないなら、同行を拒否する
しかない」
「時間がないんだ」と白人の男。「素直に従ってくれ、サガ=ミカ
ミ。〈調停者〉の息子を、むざむざ殺させるわけにはいかない」
「では手短にいこう。何者なんだ」
「われわれは」男は懐から写真入りのIDカードを取り出す。「〈
UFAN〉だ。きみなら知っているだろう」
「国家間共同戦線……北極が主な活動地域の、国際軍事組織が、
なぜ日本に?」
「きみを助けるためだ。きみが、ターゲットになっている。もう、
すぐそこまで来ているぞ、ああ、だめだ、間に合わない」
男の声を遮るように、爆音が空を掠める。すぐに強風が襲ってき
た。瞬時に街が明るく照らされる。ライトアップされたのかと思っ
たが、違う。爆発だ。建物が、道路が、炎の舌に絡め取られる。
「間に合わなかったか」軍人が叫ぶ。「来てしまったぞ」
街の上空に、なにかが留まる。人型だ。それも大きい。
「人型兵器? そんな、馬鹿な」
人型兵器と言えば、アニメーションや映画の定番だ。大小はある
ものの、総じて脅威に描かれる。戦争の象徴的存在と言える。
それが現実に、ここにある。信じがたい光景だ。
街の上空に浮かぶ人型の兵器から、小さななにかが一斉に発射さ
れる。それは着弾すると、小規模の爆発をいくつも引き起こした。
再び炎が燃え上がる。
「な、なに、これ……」璃々が地面にへたり込む。「街が、燃えち
ゃう……どうしよう、どうすればいいの?」
見慣れた街が、あっという間に形を変えていく。日々虚ろに、ど
うでもいいと感じていたものが、壊れていく。リアルなものは璃々
だけだと思っていたのに、こうして実際になくなっていくと、必死
に頭の中で見たものを否定しようとしている自分がいた。
それは想像以上の破壊力を持って、おれの心を侵食した。
「なんなんだ、これは……」
「間に合わなかったか、いや、まだだな。きみを救い出す。ここから
脱出させる」軍人が俺の腕を掴む。「行くぞ、早く」
「わ、分かった。璃々も、来てくれ」
せめて璃々は守る。そう思って彼女の手を取った瞬間、第六感と
言うべきなのか、ともかく強烈な恐れを感じた。
振り向くと、街の上に留まる兵器が、こちらを向く。
見られた。
死ぬ、ということを強く意識した。自分のではない。璃々のだ。
彼女の死は、穏やかなものであるべきだと考えている自分を、完全
に否定される。
もう、間に合わない。その思考は、再び襲ってきた爆音によって
中断される。
真上を通過する大型のなにかは、高速で人型兵器に向かって行く
と、まるで掠めただけにしか見えないのに、即座に機体を落として
見せた。悠々と、通りがかっただけのように。
(戦闘機……? いや、なんだ、あれは)
それは物理法則を無視したような機動で旋回すると、こちらまで
戻ってくる。
「あれは、なんだ。〈UFAN〉の機体か?」
「違う」軍人が、信じれないと言った様子で答える。「あれは、わ
れわれのものではない」
「では、いったい――」
『ようやく見つけました』
おれの疑問を打ち消すように機体から声が聞こえてくる。女だ、
若い女性の声。それも日本語だ。
『無事で良かった、わがロード。〈調停〉の後継者』
「きみは、何者だ。なぜ助けた」ホバリングする機体の音に負けな
いように叫ぶ。「答えてくれ」
『議論の時間はありません、マイ・ロード』抑揚のない、無機質な
声。『すぐに機体に乗って下さい。敵勢力を排除します』
ゆっくりと地表に降りてきた機体は、ぱっくりと口を開く。座席
が見えて、ようやくコクピットだと認識した。
それくらい黒い謎の機体は歪であり、機能美に欠けていた。空を
疾走していたときは戦闘機に見えなくもなかったが、近くで見ると
なにか分からない。
『お早く』
「待て、サガ=ミカミ。迂闊な行動は危険だ。敵の罠である可能性
が否定できない。まずは確認を」
『わたしは、三神教我様の思う通りに行動します。人間のように嘘
をつく必要性を感じません』
「おれは、この状況を打開したい」軍人を無視して、おれ。「協力
してくれるのか」
『あなたがそう望まれるのでしたら、そのように行動します』
「分かった」
突起に足を引っ掛け、手で掴みながら機体を登って行く。
「教我くん!」
「すぐに戻る。〈UFAN〉の軍人、その子を頼む」
振り向いて、簡単に声だけをかけてコクピットに乗り込む。
空間は、暗いからか、とても狭く感じる。手探りで当たったシー
トは、弾むように柔らかだ。小さな、唸り声に似た駆動音が聞こえ
る。しかし、人の気配がない。
『戦闘行動を開始します』
照明が点く。同時に、外の光景、周囲三百度近くが見渡せるよう
になった。外部カメラが作動したのかも知れない。
しかし、やはり人が居ない。シートはふたつあるのに、乗ってい
るのは、おれだけだ。
「まさか、人工知能? どこが開発したものなんだ」
『だれにも。わたしは、自らわたしを構築しました』
「なにを言って――」
おれの言葉は、しかし急速浮上を始めた機体によって押しとどめ
られた。璃々たちが離れていくと思った瞬間、急加速。
一呼吸する間もなく、街に接近する。迫る人型の兵器を、この機
体が掠めた。
『敵機、撃破』
「ありえない」
自機が飛翔する。右斜め後ろあたりで、敵兵器がミサイルか、も
しくはそれに似たものを発射したのが見えた。回避しないと、と思
う間もなく、撃った対象に接近、やはり撃破する。
「おかしい。少なくとも、人が開発したテクノロジーの産物とは思
えない」
もっとも恐ろしかったのは、この異常な機動性に対して、まった
くGを感じていないことだった。温水の中をたゆたうように穏やか
で、戦場の空気をまるで感じ取ることができない。
『殲滅します』
機体の周囲を青い光が、ライン上になって旋回する。それは戯れ
るようにグルグルと回ると、一斉にどこかへ飛んでいった。
『敵機体、全機、撃破しました』
「…………」
おれは、なにも言えなくなっていた。十七年間、必死に培ってき
た常識というものが破壊されていく。
『このまま〈スカイ・ウェルズ〉まで飛翔します』
しかし呆然としている暇も与えてもらえず、この、果たして人工
知能なのかも疑わしいなにかが、そう告げた。
「〈スカイ・ウェルズ〉? 北極の上空にある、異空間ゲート。そ
らの井戸のことか?」
『はい。惑星エクスに繋がる量子跳躍ゲートです。そこへあなたを
導きます』
「なぜ」
『それは』人工知能は淡々と言葉を続ける。『あなたこそ、戦争を
終わらせるもの、だからです』




