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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女の条件

魔女の条件3~天啓の女

作者: 源 三津樹

※ 基本的に葬式が主たる場面となります。目の前に死体が出てくる等の描写はございませんが、気になる方は Let's Back!


彼女は愛された女。

様々な人に、時代に、夫に。

ただ、夫は彼女以外も愛していた。

そして彼女は愛されていたから知っていた、己の過去と未来を。

次に続く、その時を。


ただ、判らない事は一つだけある。

彼女は何を思って、一本の映像を残したのか。

それはまだ20世紀に起きた話。

科学万能と想像された21世紀には程遠く、人々は夢に溢れ、けれど心根は何一つ変わる事なく存在している時代。


 ある女が、死んだ。

 色々と逸話の多い女ではあったが、その女は天恵とも天啓とも呼ばれる女だった。

 神に愛された女、運命を手にした女など呼び名に困らない女でもあった。


 結婚前は、植木(うえき)菖蒲(あやめ)と言う名前だった。


 幼い頃はともかく、ある程度に成長したら勉学に励み高い学歴をもって企業に就職。ある程度の期間を会社に貢献したが、時代的に女性がトップに躍り出る事が皆無だった事もあって職場結婚的なお見合い的な出会いの果てに結婚。

 結婚後、何がいけなかったのか。それとも当然の事だったのか、菖蒲の結婚生活は金銭的にはともかく女として妻としてはどうだと言えるのだろうか……その意見については諸実あるだろう。

 少なくとも、結婚した男は順調に会社での経歴を積んで出世を上っていたのは確かだ。一気に駆け上がるというわけではないが、教養のある妻、会社での出世、そして女遊び……。


 今、ここに一人残された男が居る。

 菖蒲の夫、名前は朝霧(あさぎり)智雄(ともお)と言う。

 何も知らない世間の人々は、彼に同情するだろう。

 美しいとまでは言わないものの、愛嬌のある夫を支える貞淑な妻を失った男盛りの夫。会社でも評判の悪くない、これからも出世すると言われている男。

 仕事も家庭も何の問題もない……唯一あるとすれば、子供が居なかったことくらいだろうか?

 だが、それは大した問題ではなかった。結婚してまだ数年……確かに子供が出来ないのか、それとも作らなかったかのどちらかは判断がつきにくいけれど、まだまだ時間はある筈だった。

 でも、もう全ては遅い。


 お通夜が行われたのは、菖蒲が亡くなったと聞いて可能な限り早かった。

 死因は事故だった。車の事故だった。少なくとも事件性はないと、警察は言った。

 だから智雄は、あらゆる手を尽くして葬式までの手配を行った。身近な人だけを呼び、手近な会場を押さえたのは遺体が無残な姿だからだと説明した。実際に開かれた棺の小窓から見える姿は、顔の半分が爛れているほどの姿となっていたので嘘ではない。

 訪れた弔問客は皆、妻の遺体の姿に悲しむ夫の苦しみ故だと思うだろう。

 概ねは間違っていない。


 智雄の側には何人もの人が通り過ぎたが、菖蒲の血縁者は今のところ来ていない。

 生前の菖蒲に言わせると「うちの家系って行方不明になり易いらしくて、あんまり残ってる親戚の数が多くないのよね」と控えめに言っていたが、実際には控えめに言いすぎな程度は行方不明になっていた。

 でも、菖蒲は行方不明にこそならなかったけれど死んでしまった。

 だから、智雄はその人物が現れたときに驚いたものだ。

 菖蒲が生前契約していた弁護士と言う人物達が、思いのほか早く現れた時には。

「菖蒲の遺言を公開しに参りました」

 書類をカバンから出した人物は、どこからどう見てもサラリーマンに見えた。

 銀縁のフレーム眼鏡、どこにでもあると言えばそうだが、特に変わった所が見えないからだろう。人ごみの中にあったら埋没してしまいそうな、ある意味で存在感が薄い。

「菖蒲の遺言……ですか?」

 貰った名刺を眺めながら、智雄は戸惑う。智雄の側で寄り添っている腹の膨らんだ女性は灰色のスカートと白いブラウスを着ている所を見ると、どうやら妊婦らしい。彼女もまた、智雄の置かれた状況を戸惑った顔で見ている。

「はい、殺される事が判っていた彼女は事前に遺言を用意していました。

 ……ああ、どうぞ皆様も立ち会っていただきたい」

「殺される……?」

 物騒な台詞が出てきて、戸惑わない者は少ないだろう。

「ええ、そうです。

 大変残念な事ではありますが、弔問に訪れた皆様には立会いの証人として話が終わるまで帰らない様にお願い致します」

 これは任意のお願いであって強制ではないと言われても、突然のイベントに不謹慎ながら弔問客達の心が躍らないわけはない。表向きは戸惑うだけではあったけれど、人々の目に隠しきれない好奇心が見えるのは当然と言うものだろう。

 智雄も、他人事であるならば同じ様な目をして想いを抱いたかもしれない。けれど、残念ながら智雄は当事者だ。気持ちに苛立ちが先に立つのは当然と言うものだろう。

「会場の管理にお願いして、遺言のビデオ上映をさせていただきます。

 恐れ入りますが、皆さんは各々でお休みになってご覧下さい」

 にこやかに語った男の背後では、もう一人が黙々とモニターにセッティングを行っていた。


     □


 モニターの画面には、コードが延びている。

 伸びたコードの先にあるのは映像を再生する機械だ。

 スイッチを操作して始まったモーターの音は、周囲に居る人達の好奇心によって掻き消されている。


『もう始まってる? まだ?』


 画面に光が灯った瞬間に、聞こえてくる声。

 特別に心惹かれるものは感じない、耳慣れた声。

 けれど、もう聞く事はない。

「先に申し上げて置きますが……」

 その声は、弁護士だと名乗った人物のものだった。

 特に高い声でもない、通る声と言うわけでもないけれど耳に残る言葉だ。

「この映像が私の捏造ではないと言う証拠として、複数作製した上で編集をしていないと言う研究機関の保証書つきで補完しております。私の捏造ではないと言う証拠に、少しでもなれば良いのですが……」

 聞こえた声にゾクリとしたのは、別に同性愛的な意味ではない。ないったらない。

 どちらかと言えば、背中にナイフか拳銃でも突きつけられたかのような冷や汗の感覚がするからだ。


『OK?

 こほん……じゃあ、始めるわね。

 さて、このビデオが上映されていると言う事は私がすでに殺されていると言う事なのよね……そう言えば、どんなにメディアが変わってもビデオって言い方は変わらないのね……え、どうでも良い? 気にするな? 仕方ないじゃない、気になったんだから……判ったわよ、動画。動画って言うから。これで良いでしょ?

 どうせ……ああ、もう! いちいちツッコミ入れなくて良いから!』


 彼女は、菖蒲の死因は事故だった。

 少なくとも、警察はそう判断したからこそ遺体は帰って来た。

 けれど、映像の中の彼女は生きていた時と同じ顔をしながら見たことのある様な、ない様な顔で語る。

 目の前に今、彼女の体は棺の中に居ると言うのに。

 今の今まで画面の外にいる誰かに語っていたと思ったら……こちらをじっと見つめてきた。


『先に紹介しておきます、このビデオが真実遺言であると言う証人として二人用意しました』


 最初、菖蒲の姿は見覚えのある部屋のソファに座っていた。

 見覚えがあるのも当然と言うもので、それは朝霧家の居間だった。

 そこに、テーブルを横にしたのだろう。菖蒲が深く座っている、くつろいだ姿で棺に納める前の姿とは違う服装で座っている。

 誰もが不思議な気持ちでいる……当然だ、まだビデオカメラなど庶民の手に届く価格ではないのだから。

 そんな高価な品物を使ってまで作った「遺言」を、菖蒲はどんな気持ちで作ったのだろう?


『こちら、私の証人のお二人……ふふ、良い男でしょう?

 お二人とも、私の古くからの知り合いなの。

 でも……私は朝霧と同じで人を見る目が無かったのね。これを仕方が無いといって諦めるべきか途中ですごく悩んだわ、いっそ浮気でもしてしまおうかと思ったくらいよ。でも、そんな暇もなく打ち込んでいたから結果的には何も変わらなかったわ。いいえ、それが悪いかどうかと言う意味に置いては正直な話をするとよく判らない、これが誰にとっても良い結果ではない事は確かだけれど、かと言ってこの事実だけは最終的には変わらないのよ。悲しい事にね、人ってそう言う所があるから』


 誰もが菖蒲の言っている言葉の意味を真実理解する事はない、まるでどこか。ここではない何かを見つめているかの様な瞳で、口調で語っている菖蒲のそれは深く菖蒲と知りあった事のある人ならば、少しは知られている癖だ。

 菖蒲の両側に一人ずつ、男性が座っている。

 記憶力の良い人なら、そのうちの一人が弁護士だと言う事が判っただろう。もう一人は見慣れない男だ。


『カメラマンは彼女にお願いしたわ』


 三脚にでもついているのか、どこからかパタパタと言う音がしてから「こんにちはあ」と気の抜けた声をした少女が顔を見せた。

 すぐに姿を消したのは、恐らくビデオカメラの前に戻ったからだろう。


『私は、法律上の夫である朝霧智雄によって殺されました。いえ、殺されるが正しいかしら?

 何故なら、映像の中の私はまだ生きている。時間軸で言えば、まだ私は生きている……けれど、夫は私をこれから殺す。すでに殺す事を決めている。

 そうね……恐らく、夫の隣には今。若い女性がいるのではないかしら?』


 菖蒲の言葉に、一同の視線は一斉に向けられる。

 夫である智雄ではなく、智雄の隣にいる腹の膨れた女性……彼女の存在を誰もが気にはしていたが誰もが口にはしなかった。

 視線を向けられた女性……若い女は、一斉に向けられた視線に怯えている。怯えて、連れ添った出来の良い妻を亡くしたばかりの夫―――智雄にすがりつくように腕を捕まえている。

 でも、当の智雄はすがり付いてきた若い女が腕を捕まえている手も、沢山の人達から向けられる視線にも気が付かず、熱心に画面の中の妻の姿を見つめている。

 そうなのだ、法律では朝霧智雄はまだ画面の向こうにいる菖蒲の夫。

 書類上で死亡手続きを行うと同時に、葬式を行おうとしているのだから書類は受理されていない。


『名前は……確か、エリ? まどか? よしみ? ゆき?

 それとも、ヴィクトリア? クロヴィエ?』


 幾つも出てくる女性の名前に、智雄の顔が引きつったのを見たのは何人も居なかっただろう。


『全然違う、河西(かわにし)曜子(ようこ)。まだ成人もしてないが数々の男を手玉に取る女……源氏名はマコ』


 弁護士が淡々とした、けれど衝撃的な台詞を吐いて場内は思わずもれる声に包まれる。

 智雄は、河西曜子と呼ばれた女性の手に力が込められるのが判ったが無反応だ。


『高校に入る前に地元から逃亡、上京、そのまま誘われるままに水商売の世界に足を踏み入れて現在は正妻のお前……菖蒲の後釜を虎視眈々と狙っている肝の据わった女』

『そう言う言い方はどうかと思うわよ、体を売って生活をしている人は、それが出来るからするのよ。もしかしたら、他に方法がない、または方法がないと思わされている可能性もあるわ。でも、残念ながら薬漬けにはなっていないから頭が良いし運も良いって事なのよね』


 ざわめく声が増えては行くが、ビデオの中は止まらない。誰も止めないから。

 これは、過去の出来事に過ぎない未来を話している映像なのだから。


『ただ、ええと……誰だったかしら?』

『河西曜子』

『ああ、そうね。曜子ね。

 貴方達、どっちも間抜けなのよね……そろそろかしら?』


 ふと、映像の中の菖蒲が何かに気が付いた様子となった。


『皆さん、特に弁護士の先生? 後ろに気をつけてくださる?

 きっとへ……いえ、てん……じゃない、緊張のあまり混乱した朝霧がビデオに何かしようとする筈だから』


 言われて、一斉に人々が目を向けると智雄はぎくりとした様子だ。

 その立ち位置は、河西曜子の立ち位置が変わっていなければ随分と映像に近いところに位置している。手にはパイプ椅子を持って。

 誰もが「放っておけば、この男は亡き妻の遺言を無かったことにするに違いない」と思うに十分な行動だった。


『本当……馬鹿な事をするわよね。この映像は、これから編集無しで複数の場所。弁護士事務所の金庫や貸金庫、コインロッカーに……あとは、せいぜいが警察かしら? 複製して送りつけたり保管する予定なんだから、この場で今モニターをパイプ椅子で破壊した所で何の意味もないって言うのに……判っていたのに。

 私は、朝霧智雄に殺されるって言う事実を。それでも、私は貴方と結婚したのに』


 寂しそうな顔をして、映像の中の菖蒲はじっと見つめてくる。

 念のためにと、弁護士と一緒にいた男が何かで智雄をぐるぐる巻きに拘束している……智雄は暴れて逃げようとするが、何かを囁かれてぐるぐる巻きにされてから何かを見せられたら、大人しく自らが振り上げようとしたパイプ椅子に座らされていた。

 河西曜子と言われた妊娠中の女は、どうしたら良いのか判らなくて戸惑っているが。やはり、男の側で見張るようにされている……智雄と同じ様にパイプ椅子に座らされているのは、恐らく妊婦だから気を使ったと言う事なのだろう。


『私も、朝霧も……曜子だっけ? あなたも皆、愚かで馬鹿だわ』


 ぽつりと零された言葉は、本当の気持ちに見えた。

 無力な自分自身に、絶望に落とされた人の顔に見えた。


『ねえ……貴方達は知っていたかしら? どうして私と朝霧に子供がいなかったのか。

 好意的な周囲は「まだ若いんだから大丈夫」と言われていたけれど、私は原因と言うか理由を知っているの。

 朝霧は無精子症なのよ、だから子供が出来る確立はとても少ないの……よしんば出来たとしても、どうかしらね……簡単に言って、朝霧は女を孕ませる確立が非常に少ないと言う事。ほぼ0%に近いわ』


 言われて、曜子は顔を僅かにそらした。意味は判らない。

 聞いて、智雄は曜子の顔を見ようとしたけれど間に立った男の姿がそれを阻んだ。

 ちなみに、周囲の方々は一体何をどうしたら良いのか反応に困っていた。


『世の中の大多数の人達は不妊症は女のせいと言う風潮があるけれど、実際には男が原因と言う事もあるのよね。まだまだ一般的には広がっていない知識ではあるし、格式高いお家柄だと知っていても隠す事もあるんだけど……だから、曜子の腹の中に居る子供は少なくとも朝霧の子ではないわ』

『……それ、本当なのかい?』

『ええ、そうよ。何なら、子供の血液検査をすれば良いわ……勿論、生まれてからになるし遺伝子検査はまだまだ失敗も多い上に大した事は判らないでしょうけれど。

 少なくとも、朝霧とは違う血液型である事が判明するだけだけれど』


 一拍置いてため息をついて、画面の中の菖蒲は口を開いた。


「『化物』」


 声が重なった事に、気がついた人はいただろうか?

 少なくとも、曜子はあまりの事に椅子から立ち上がっていた。


『恐らく、今あなたはそう言ったでしょうね。河西曜子サン?』


 にやりと笑みを浮かべた菖蒲は、カメラのレンズに向かっていた筈なのに。

 曜子は、自分自身が見つめられている気分になっていた。


『当然と言えば当然なのかしら? そりゃそうよね、まだ生まれても居ない子供の事を言い当てられ、自分達がやった事を相手が死ぬ前に映像として記録に残されているのだから。今の技術ならば、これほど確かな証拠はないと言うものだわ。

 ねえ、朝霧はきっと知らないと思うのよね。少なくとも、女は私を朝霧に目を付けた瞬間から殺す気まんまんだったわ。でも、自分自身で手を汚すつもりはさらさら無かったの。怖いわねえ。

 ねえ、智雄。貴方は私を殺害しようなどと最初は思って居なかったわね、だって色んな人に手をつけていたんだもの……ああ、でも横文字の人を相手にするのはどうかと思うわよ。少なくとも、男と女の区別くらいつくようになっていた方がこれからの人生が少しはマシになったかも知れなかったけれど遅いし』


 なんだそりゃ。

 誰もが思った台詞ではあったが、少なくとも朝霧智雄と言う人物が水商売の女を孕ませたから正妻を殺したと思い込んで、実際には浮気相手は別の男の子を孕んで智雄との子だと偽って正妻を死なせたと言う事と。智雄は男も行ける口らしいというのは判った。


『あ、でも皆さん誤解しないでくださいね? この人、男でも女でもない人を男だと見抜けないだけなんです。

 水商売の女と部下と取引先と行きずりには手を出しまくって、それはもう大変な状態ですけど……私は妻ですからね、そのあたりもきっちりカタはつけてあります。それでも、第一級の殺人と言う犯罪者を相手に金も社会的地位も何もかも無くした男を相手にしてくれる女性が居れば尊敬しますけど』


 いっそ、無邪気とも言える笑顔で。

 持ち上げたかと思ったら、叩き落して潰してハイヒールの踵でえぐるかのような台詞を吐いた菖蒲を曜子でなくとも「恐ろしい」と感じただろう。

 当事者でなくて良かったと、大半の人々は思っただろう。

 半ば茫然自失でモニターを見つめているしかない人々だったが、その恐ろしさはこれから染み渡って行く事になる。


『朝霧は女が妊娠したと思っても、最初は私を殺すつもりは無かったみたい。子供を降ろさせるか、それとも子供を生ませて私の子として育てるつもりか……随分と人を馬鹿にした台詞ではあるけど、きっと私が妊娠しない事を持ち出せば何とかなるとでも思っていたのでしょうね。

 でも、女は納得しなかった。私が生きて妻の座に収まっている事もだんだん腹立たしくなってきたのか……嫌がらせは沢山されたわ、その証拠はすでに集めてあるし。これから私を殺す為の手順関係についての証拠固めもある程度はできているし。

 あとは、私が殺されなければ出来ない相談だけど……』


 自嘲気味に笑った菖蒲は『そうそう』と手を叩きながら続けた。

 無邪気な微笑のままで。


『偉い人にお願いして、すでに私と朝霧との離婚は成立しているの。本当に私って出来た妻よね、ここまできちんとできる妻なんてなかなか居ないんじゃないかしら?

 だから、警察と役所の人にお願いしておいたの。

「もし、私が死んだ後で朝霧智雄が私の死亡届と再婚する為の婚姻届に何かしようとしたら、それは私を殺した証明の一つになるのではないかしら?」

 ってね。だって、届け出た日なんて役所の人じゃなければ判らないわ。例え知っても口を割る可能性はあまり多くないし、一年くらいたってから披露宴でもして籍は披露宴の日に入れたとか言えば誤魔化せるでしょう?

 罪悪感が無ければ、そんなの簡単だもの』


 ざわざわとした声が、響いた。

 椅子に座ってる筈の朝霧智雄は、全身をガタガタと揺らしているのだろう。けれど人々は気が付かない。

 河西曜子は椅子から立ち上がりたそうにしているが、肩を押さえつけられて身動きが取れないようだ。


『では、そろそろ時間もないので結論を先に……。

 私、これでも生前は結構頑張ってお金を貯めていました。でも朝霧菖蒲の名前ではあんまり残していないの。

 だけど、結婚するときの契約書があるから土地家屋は当然私のもの。朝霧には三日以内ならば引越しをする猶予を差し上げてもよろしくてよ?』

『甘いんじゃないか?』

『別に、即効で出て行ってもらっても構わないのだけれど……それで取りこぼしがあるから会いたいとか言われても嫌じゃない?』

『まあ、確かに……』


 朝霧家は、土地着きの平屋建てだ。

 近隣の古くからある一般的な家庭よりは多少手狭ではあるが、将来子どもが生まれたら建替えれば良いと言っていた。二階建てなんて素敵だと言っていた、だから二人で住むには十分ではあったが、元々は菖蒲が両親から受け継いだものだ。

 勝手に、とは言っても離婚を成立させる為の条件は全て整えてある。

 智雄はぐるぐる巻きの上に猿轡的なものもかまされているので、何かを言いたがっているのかも知れないが人としての言語になっていないので誰も理解出来ない。勢い余って椅子ごと倒れたりもしたが、椅子の倒れた音に気が付いた人はいるけれど、誰も一瞬見つめてから画面に視線を戻した。


『でも、私はもう居ないんだけどね……』


 菖蒲の言葉は今、とてつもなく重いものとなった。

 実際に朝霧菖蒲……否、植木菖蒲と言う人物が居なくなってしまったのだから。


『ねえ、貴方達は今。満足している?

 私を殺して、これからの明日を夢見ていた貴方達。

 そこに、私と言う、妻と言う、憎い女と言う相手の命を奪うと言う現実を。貴方達は本当に事実として受け入れて認識していたのかしら?

 ……阻止してやったけどね!』


 いっそ、清々しいというほどの笑顔で語られる言葉は。

 とてもではないが、自らを殺した……時間軸にしてみれば、これから自分自身を殺す相手に向けられるものとは見えないし思えない。

 でも、誰かが「あやめさんらしい……」と涙を零した言葉は他の人達にも納得するほど染み入る的確な言葉だった。


『私の遺産の一切については、こちらに居る私の弁護士をしている従兄弟の植木夫妻に。ある条件下のもとに遺産管理人として任命します。詳細については、こちらに別途契約書を用意しています』


 こちら、と言われたのは先ほどから唯一会話をしている弁護士とカメラマンの女性。

 どうやら、この二人は夫婦の様だ。


『幾ばくかの大した財産ではありませんが、先生にもお力添えを頂きたくお願い致します』


 反対側の男性に、菖蒲は初めて頭を下げた。

 男性は、鷹揚にうなずいた。


『貴方のご両親とは、今でも長い付き合いだと思っている。

 私の後見する娘をこんな目に合わせた男を社会的にも物理的にも、幸福の二文字とは程遠いところに送ってやろう』


 ぞっとするほどの目に込められた力は、画面の向こう側だと判っていても恐怖心を覚える。


『まあまあ先生……お手柔らかにお願い致しますわ。朝霧にはもう、先生に逆らい立てる余裕などありませんでしょうし……』

『君のご両親もそうだが、君自身も私にとっては可愛い娘である事に変わりはない。そんな君を相手に彼らが何をしたのか、自覚が全く無いと言う事実が私には許せないのだよ!』

『先生……ありがとうございます。

 私も、そう思っていただいて光栄です。ですが』


 憤っている男性を見つめていた菖蒲は、こちらを向いた。


『もう、お別れです』


 菖蒲の言葉は、怒りは無かった。

 悲しみは無かった。

 苦しみは無かった。

 当然、喜びも無かった。


 ただ、淡々と受け入れているだけだった。


 誰かが、植木弁護士の反対側に座っている男性の事をどこかの代議士の名前で呼んでいたりしたかも知れない。

 だが、もうどうでも良い事だった。

 関係のない事だった。

 信じられないとも思いながら、けれど理解していた。

 朝霧智雄は、知っていた。


 菖蒲と言う女は、ただの一度も智雄に嘘をついた事が無かった。

 少なくとも、智雄はその嘘があったとしても一度も見抜く事が出来なかった。

 河西曜子は、嘘をついている時とついていない時との差が激しく判りやすかった。そのあたりを可愛いと思っていた。でも、それだけで。だが、避妊に失敗してしまった事で仕方がないと思ったのは確かだった。

 菖蒲は、確かに常識を持って世間的に出来の良い妻と言えただろうが頭が良いだけに智雄は自分が馬鹿にされているのではないかと言う気が常に付きまとっていた。器が大きく、懐が広く、決して声を荒げるでもなく大抵の事はそつなくこなす菖蒲を、最初は好ましかったけれど結婚してからは鼻につくようになった。

 浮気しているのだって、全くばれていないとは思って居なかった。もしかしたら、一人くらいはバレているかも知れないとは思った。

 どうやら、全員バレていたみたいだが。


     □


 その後の話が、すこしある。

 まるで未来を知っていたかの様な菖蒲のビデオと、菖蒲の従兄弟である植木弁護士の提出した書類及び証拠品によって朝霧智雄は殺人罪で捕まった。

 河西曜子に関しては、一部殺人教唆としても良かったのだが……何故か、植木弁護士はその点については特に何も追求しなかった。

 期せずして、渦中の人物となった河西曜子はひっそりと赤ん坊を生んだけれど行方はわかっていない。

 ただ、生まれてへその緒がついたままの赤ん坊を。ただの一度も抱く事は無かった河西曜子は、その夜のうちに病院から姿を消して問題となった。

 赤ん坊は施設へと送られ、それから数年。


「お父さん……お母さん……」

 心配そうな顔をした娘が、いた。

 居心地の良い居間には、眼鏡をかけた自慢の父親。常に笑顔を絶やさない母親がいる。

 娘は、長い黒髪をしている。

 両親のどちらにも似ていないけれど、可愛らしい顔をした日本人的な容姿を持った彼女は自慢の娘。

 兄にも弟にも愛されている……少々どころではなく将来が不安になるほど愛されている娘だ。

「心配しなくて良いんだよ、あやめ」

「そうよ、あやめちゃん。

 確かに貴方は、私がお腹を痛めて生んだ子供ではないわ。でも、私たちは血のつながった紛れもない家族なのよ」

「最初は、確かに遺言があったから菖蒲……あやめにとっては全く関係のない小母さんになるのかな?

 彼女の遺言があったのは、確かだ。あやめが生まれてから、どこでどういう目に合うのかを彼女は全て知っていて、それを私に知らせてくれた。植木菖蒲の遺産と引き換えに、お前を育てると言う事が遺言に盛り込まれていたのを私たちは驚いたよ」

「でも……最初は驚いたけれど、あやめちゃんを引き取って。暫くは普通に暮らしていて、この間の事件があって……輸血がうまく合ったおかげで、今では私たちは本当の血縁者になったのよ」

 計算と理論が好きで、時々は子供っぽい所がある茶目っ気のある父親は息子には少々手厳しいけれど、あやめにとっては極甘の自慢の父親で。

「それに、私たちはとても似ているじゃない?

 顔形じゃないのよ、あやめちゃんはお父さんに似てとっても計算が好きだし。お母さんに似てとってもお料理が上手だわ」

 常にどこか浮世離れして、とんちんかんな事を言って、どじな所があって、でも甘い匂いをさせて器用に色々なものを作って愛してくれる母親で。

「あやめ、心配しなくても将来は俺が戸籍をいじくってお前を嫁に……いって!」

「あやめちゃん! 僕が一生守ってあげるからね!」

 四文字熟語が似合うあまり、嫉妬される事もある過保護な兄と。

 兄とは年齢が離れすぎているせいか、お姉ちゃん大好きな消極的に育った弟と。

「ありが……とう……」


 幸せだと思っていた家族が、全員赤の他人だと知らされて。

 植木あやめは、不幸のどん底に突き落とされたと思った。

 けれど、あやめは今。幸せだ。

 例え、遺伝子上の本当の父親がどこの誰だか判らなくても。

 例え、遺伝子上の本当の母親がどこへ消え去ったのか今でもわからないとしても。

 自分自身が生まれる経緯が、あやめ自身にとっては理不尽以外の何物でもないものであり、今もそれが原因か否かは判らないけれど少しばかり事件に合い易い人生であるとしても。

 あやめにとって、家族は目の前の人達だけなのだから。


 だけど、植木あやめの人生が。

 真実、恐ろしい不幸の元にあるのかも知れない事を。

 誰も知らない。


植木菖蒲(旧姓:朝霧):没人

まるで未来を知っているかの様な言動の数々を上手く隠して生きてきたおかげで、周囲には運が良いと思われている。実際には未来を「知っていた」為に上手く立ち回る事が出来たと言う人物。

何故、彼女が己の死を受け入れたのかは誰も知らない。


植木あやめ:?歳

朝霧智雄と愛人の河西曜子の間に生まれた女の子。植木菖蒲の遺言により従兄弟の植木弁護士の養女として遺産を受け継いでいる。しかし、何故愛人の生んだ女の子に遺産を譲られることになったのかを本人も含め誰も知らない。

と思っていたら、遺伝子上の父親はどこの誰だか知らないまま遺伝子上の母親が失踪してした後で色々あって、結局は実父が誰だか判らない。その後、実はなんやかんや起きる事が決まっている。


朝霧智雄:主人公の夫

特に派手な人物ではないが、堅実な仕事に定評があった。が、実際には菖蒲が色々とフォローしていてくれたおかげで様々な事が上手く回っていたことに気が付かなかった人物。己の手に入った評価を全て自力で行っていたと勘違いした為に浮気の上に孕ませた下半身無節操男。正妻との間に子供が出来なかった為に妻の殺害を決意。それまでは別にいいかーと思っていたあたり幸せな脳みその持主でもある。

とか思っていたら、実は無精子症だった為に女を孕ませる能力が著しく低かった事が判明。ここで警察にお縄になる事がなかったら「やった、遊びたい放題!」と思っていたと言う起こらない未来が待っていたりする…起きないけどね。

証拠を抑えられて殺人罪で収監、禁固刑の後で色々あって…(自主規制)


河西曜子:19歳

最初は田舎から出てきた感じのぽっと出の地味な女の子だったが水商売の客で仕事のできる男に迫られて流された事で腹黒悪女にジョブチェンジ。悪い男とはまだ付き合いがある。妊娠はきっかけになったが最初から強奪する気まんまんだった不倫相手。実家でも色々と(自主規制)の為逃げてきた。

罪状としては殺人教唆的に操った事が精神分析異によって判明、さり気なく強者に擦り寄る傾向があるので可愛がられる所があるが、そこまでの力量がないので一部の人には嫌われる傾向がある。

警察に捕まった後で子供を生むが一度も抱く事なく施設送りにした上に病院(と言うか保健室?)から脱走。後日捕まって刑期が延びた。石に齧りついてでも大金持ちになって幸せになるんだと言う執念は恐ろしいほど。


植木弁護士夫婦:主人公の従兄弟夫婦

毎度おなじみの行方不明体質の植木一族の一人だが、血が濃くないせいか三人いる子供(全員男)あーんど養女が誰も行方不明になっていない事で密かに不安と安心をしている常識人。そう言う意味では菖蒲の言動に振り回された感がある。妻は基本善人でぽややんで機械に強い。

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