愛するつもりはない、ですか。それは全然構わないのですが……それならお酒造ってもいいですか?
「君を愛するつもりはない。この結婚は契約結婚だ」
ロッタ王国は北部にある、華やかなりし北都オルガニア。
そんなオルガニアの中央部にそびえ立つマイネンシュトシュ公爵家の屋敷にて、一組の男女が向かい合っている。
「……」
向かって右側にいるのは、金の髪を内側にカールさせている女性だ。
シャギーになる髪をつまみながら話を聞いている彼女は、ベルヘイム侯爵家長女ヴァイオレッタ・フォン・ベルヘイム。
ヴァイオレッタは結婚式を終えた日の初夜、目の前にいる今日夫となったばかりの男の言葉を黙って聞いていた。
切れ長で玲瓏な青い瞳と、微動だにしない表情筋。
とにかく冷たい氷のような印象を与える男の名は、アイザック・フォン・マイネンシュトシュ。
若干二十五才ながらマイネンシュトシュ公爵家の領主を努める彼は、王国において武勲に並ぶものなしと言われている天才だ。
その軍才は本物であり、今まで騎馬民族に押され続けていた北方戦線をほとんど単独で盛り返してみせたのは、ほとんど彼の功績というのは有名な話であった。
彼はおそらく戦場での指揮と一切変わらぬのであろう抑揚のない言葉で、ただ淡々と続ける。
「君もわかっているとは思うが、この婚約はマイネンシュトシュ公爵家とベルヘイム侯爵家との結びつきを強めるためのものだ。故に君には妻としての責務は何も期待していないし、俺にも妻として口出しするのは避けてほしい」
軍事に秀で、王国内随一の魔導騎兵軍団を持ちながらも産業が育たず経済的に脆弱なマイネンシュトシュ公爵家。
南部の肥沃な領土や鉱山を多数抱え経済的に繁栄しながらも、戦力的にやや不安が残るベルヘイム侯爵家。
今回の婚姻はこの両家を結びつけ、互いの足りないものを補い合うための婚姻である。
そんなことは言われなくてもわかっているわ、とヴァイオレッタはコルセットの締め付けで痛みを発している腰をそっと撫でる。
ご飯を食べると戻してしまいそうになるほどの締め付け地獄から解放されたと思ったら、いきなり旦那からの冷たい言葉。
だがこの程度のストレスには前世の頃から慣れている。
互いに不干渉でいられるのなら、ヴァイオレッタはそれだけで十分だった。
私を労ってくれるものはお酒だけね、と彼女はゆっくりと公爵家の特産品であるビールを飲む。
そしてビールを飲んで、思わず眉間にシワを寄せた。
その様子を見たアイザックは、ヴァイオレッタが機嫌を悪くしたのだと思ったのか、少し慌てたように言葉を継ぐ。
「だがもちろん、公爵家夫人として君に何不自由ない暮らしをしてもらうつもりだ。好きなように過ごしてもらって構わない。北都オルガニアが田舎くさくて嫌だというのであれば王都に行ってサロンに出向き、社交に精を出してもらっても構わない」
「好きな、ことを……? でしたらアイザック様、一つだけでいいので私のお願いを聞いてはもらえないでしょうか?」
ヴァイオレッタには前世の記憶がある。
ベルヘイム家での何不自由のない暮らし、そしてこれから始まるであろう快適な契約結婚ライフ。
基本的には不満はない……たった一つ、あることだけを除いては。
「俺に聞ける範囲のことであれば構わないが……」
「もちろん問題ないです。アイザック様にお願いしたいのはただ一つ……私がウイスキーを造ることに反対をしないでもらいたいのです」
「ウイ、スキー……?」
彼女がこの世界に生まれ落ち、ずっと抱えてきた不満。
それは……この世界に、ウイスキーが存在していないことであった。
前世の彼女は、大のウイスキー好きのブラック社畜OLだった。
華金には行ったことのないショットバーに出向いてグラスを傾け、土日休みには近くの都市で開催されているウイスキーフェスに出没、連休が取れた時には遠出をして蒸留所見学をしてしまうくらいのウイスキーフリークだったのだ。
もっともこの世界では彼女は御年二十一才になったばかり。
ようやくお酒も飲めるようになり、ビールやワインなども一通り飲んできた。
無論この公爵領のビールもそう悪くはない、悪くはないのだが……やはり彼女からすれば、物足りない。
飲んべえは度数が高ければ高いだけ美味いと思ってしまう罪な生き物。
蒸留酒からしか得ることができない栄養というのが、たしかにあるのだ。
「ウイスキーの魅力は、熟成によって得られる様々な香味。ビールやワインのような様々な酒の魅力を併せ持つことができるのはウイスキーだけなのです!」
ヴァイオレッタはここしばらくの間温め続けてきた自分のウイスキーにかける情熱を、全てアイザックにぶつけることにした。
契約結婚上等である。
それでやりたいことができるのであれば、契約の一つや二つなど結んであげようじゃないの。
「そして何よりも度数が高い! アイザック様もビールよりワインの方が度数が高いから美味しいと思ったことはありませんか!?」
「あ、ああ……たしかにビールの度数がもっと高ければと思ったことはあるな」
「でしょう!? そしてウイスキーの度数は、なんとワインの3倍以上あります! つまり3倍美味しいということです!」
ヴァイオレッタは侯爵令嬢として、何不自由ない生活を送ってきた。
けれど彼女はその分、侯爵令嬢として恥ずかしくない行動を取らなければいけなかった。
彼女は何度か父であるベルヘイム侯爵に恥を忍んで、お酒造りの事業をやらせてくれないかと頼んだことがある。
だが父には、
「産業を育てそこから税を取るのが貴族だ」
とにべもなく断られてしまった。
「というかヴァイオレッタ、お前はまだ未成年だろう……」
と続く言葉は正論過ぎて、正直ぐぅの音も出なかった。
顔を真っ赤にしたヴァイオレッタは、以後父に同じことを聞くのが憚られてしまったのだ。
けれど父の目がなくなり、好きなことをしていいというお墨付きがもらえたのであれば、もはやヴァイオレッタに自重する必要はない。
「……というわけで私はウイスキーを作りたいのです!」
「あ、ああ、わかった、好きにすればいい……」
都合二十分に渡ったヴァイオレッタの熱弁を聞いて頭が痛くなったのか、アイザックは額をさすりながらそのまま追い払うように彼女を部屋から追い出した。
初夜に夫婦の寝室から追い出されるなど、公爵夫人となったヴァイオレッタからすれば激怒してもおかしくないような処遇だ。
だがその手にアイザック直筆のウイスキー製造の許可証を握るヴァイオレッタは、にこにこと笑みを浮かべながら、軽い足取りで自室へと向かっていく。
明日からのお酒造りに胸をときめかせている彼女はワクワクしながら、部屋の主が帰ってきたことに目玉が飛び出るほどに驚いたメイドにドヤ顔で許可証を見せつけ、ベッドでぐっすりと眠るのであった……。
次の日から、許可を得たヴァイオレッタは大手を振ってウイスキーを作っていくことにした。
まず彼女が行うことにしたのは、職人の勧誘である。
だが初日にして、ヴァイオレッタのウイスキー造りは暗雲に乗り上げてしまう。
「もう、ぜんっぜん職人がいないじゃない!」
マイネンシュトシュ公爵領は産業基盤が脆弱。
話には聞いていたが、実際に職人を探してみるとそれが事実であることがよくわかった。
金物屋はあるものの、どれも巨大な工芸品などを造るというより日常で壊れた鍋やフライパンなどを治すような小さなお店ばかり。
蒸留器のような巨大なものを造れる職人がまったくいなかったのだ。
北部の人間は質実剛健な者が多く、そもそも華美な贅沢品を求めない。
それは気質としては素晴らしいことのように思えたが、蒸留器造りにとっては深刻な問題であった。
戦いが多いせいか武器を作れる職人は多いのだが、あいにくヴァイオレッタが求めているのは尖った剣ではなく丸い蒸留器だ。
自分一人で探せるだけ探してみたのだが、あいにくこの土地は来てからまだ二日しか経っていないため勝手もまったくわからない。
そのためヴァイオレッタは、素直にお願いをしてみることにした。
「愛するつもりはなくて構わないので、職人を紹介してくれませんか?」
「……わかった。桶と樽の職人を呼べばいいか?」
「いえ、桶と樽に関してはもう用意しました。ですので私より巨大な銅を加工して自在に変形できる、口の固い職人をお願いします。愛するつもりはなくて大丈夫ですので」
「……そんなに何度も言わなくてもわかるから、少し待っていろ」
今更ながらに自分がひどいことを言ったことを自覚したのか、アイザックは少し憮然としながら使用人を呼び出す。
そしてトントン拍子で、公爵家が細工を行っている職人を一人貸りられることになった。
やっぱりすべきは、愛なき契約結婚なのかもしれない。
「なぜ、酒を造るのに金属加工が必要なんだ?」
「度数が高いお酒は、桶と樽だけでは造れないからです。蒸留する必要があるからですわ」
ヴァイオレッタはウイスキー造りをベルヘイム家からの持参金として用意された大量の金貨や鉱山の権利などからポケットマネーで行うつもりである。
なので本当なら企業秘密を口にする理由はないのだが……一応仮にもアイザックは旦那様だ。
職人を融通してもらった恩もあるし、ある程度話は通しておいた方がいいだろう。
「そういえば前も言っていたな……蒸留とはなんなのだ?」
「説明しても構いませんが……二度手間になるので、職人と一緒にでもいいでしょうか?」
「一応この地で産業を興すのなら、公爵の俺に先に話しておくのが筋だと思うが……」
たしかにそれもそうか、とまずはアイザックに練習がてら説明をしていくことにした。
「蒸留とは沸点の差を利用して、特定の液体を気化させてから冷却して液化させることです」
「フッテン……キカ?」
何もわからなさそうな無表情をするアイザックに、ヴァイオレッタは頭を抱えた。
この世界には魔法が存在し、魔石と呼ばれる天然のエネルギー源がある。
魔石を使ったコンロや冷蔵庫などというものも普通に存在している。
そんな便利な魔法なんてものがあるせいで、この世界では化学がまったく発達していない。
ヴァイオレッタはまず、手のひらからゆっくりと水を出した。
「無詠唱魔法が使えるのか……」
「淑女のたしなみです」
「……そんな淑女が早々いてたまるか」
巷では一部の天才しか使えないと言われている無詠唱魔法を、ヴァイオレッタは普通に使うことができる。
彼女は炎が酸素を下に燃焼していることや、水が水素元素と酸素元素からできていることを科学的に理解している。
おそらくその辺りの化学知識が効いているのだろう。
「まずはこの水を熱していきます。するとどうなるかわかりますか?」
「熱湯になるな」
ぶくぶくと泡を立てながら沸騰する水を見ながら、アイザックはそう呟いた。
以前家庭教師のバイトをしていたこともあったので、この辺りの教え方はお手の物だった。
「それでも熱し続けたらどうなりますか?」
「湯気になって消えていく」
「正解です。その湯気の正体は水蒸気……つまりは気化した水なのです」
沸点とは、このように液体が沸騰する温度のことである。
小学生の理科でも習うが、水の沸点は100℃。
そして液体ごとに沸点は異なっている。
ウイスキーの主成分であるエタノールの沸点は約78℃だ。
「つまり蒸留を行い、その沸点の差を利用してアルコール成分であるエタノールだけを分離させて取り出すのです」
「なるほど……新人の騎兵が熟練騎兵達についていけなくなっていくようなものか……」
「まあそんな感じですね(適当)」
一通りの説明を終えると、納得したらしくアイザックは去っていった。
そして公爵から直々の呼び出しということで慌ててやってきた職人のマーカスに、ヴァイオレッタは再び蒸留と蒸留器の説明をすることになるのであった……。
(やっぱり二度手間だったじゃない!)
♢♢♢
ヴァイオレッタはそれから、マーカスとマンツーマンで蒸留器を造っていくことになった。
彼女は蒸留器の完成形を知っているため、最初から試行錯誤をする必要はなく、工期自体は大幅に短縮することができた。
だがそれでも銅製の巨大な単式蒸留器……ポットスチルを一から造るのはかなりの重労働であり、完成までにはおよそ一ヶ月半ほどの月日が必要となった。
「ずいぶん待たせてしまいましたが……完成しましたよ、ヴァイオレッタ様!」
鍛治師であるマーカスは、二十代後半ほどの黒髪黒目の大男だった。
猫を思わせるようなアーモンドアイと、少し浅黒い肌。
その童顔からは想像が付かないほどに逞しい体躯を持つ彼は、誇らしげに胸を張っていた。
彼はこの若さで工房を持てる腕利きの職人であり、ヴァイオレッタが指示した通りの形にきちんと仕上げてくれるその調整力は、正にプロの職人だった。
マーカスの視線の先には、今日完成したばかりの銅製のポットスチルの姿がある。
ちなみに材料が銅なのは、蒸留の際に発する銅イオンが蒸留により生じるネガティブな味……オフフレーバーを取り除いてくれるからだ。
(すごいわ、前に蒸留所で見たものとそっくり……)
その見た目は、キセルをひっくり返し火皿の部分を地面にくっつけたような形をしている。
ポットスチルはサイズや形によって作り上げられる原酒の味が大きく変わる。
今回は工作の手間を考えポットスチル自体は小型にし、ランタン型と呼ばれる蒸気を溜める部分であるヘッドの表面積を広めに取ることで、加工の難易度と飲みやすさの両立を目指している。
ヴァイオレッタが蒸留器に触れると、加工を終えたばかりだからか銅はまだ少し温かかった。
つるつるとした光沢を発しているこの蒸留器が、彼女が待望した蒸留酒造りの第一歩となるのだ。
「そうしたら早速造っていくわね!」
「もちろんです!」
もう待ちきれないと、ヴァイオレッタは早速蒸留器の運転を始めていくことにした。
まずヴァイオレッタは開閉式のポットスチルの蓋を開き、両手にもろみの入った桶を抱えた。
糖化させた大麦麦芽を酵母によって発酵させて造るこのもろみをポットスチルで蒸留することで、ウイスキーは造られる。
このもろみを造るのにも一苦労だったわ……とヴァイオレッタはこの一月半の日々を振り返る。
ウイスキー造りには実に工程が多い。
大麦を水に浸して発芽させ大麦麦芽……モルトを作成し、砕いて糖化させるところまでは問題なくできたのだが、そこから先の酵母による発酵がなかなか難儀だったのだ。
白パンの作成に使われているイースト菌やビールに使われている酵母など、一通り使えそうなものを集めてどうにかそれっぽいものを造ることができたのはここ最近のこと。
「えいやっ!」
一月半分のうっぷんを晴らすかのように、ヴァイオレッタは開かれた開閉式のポットスチルの中にもろみを入れていく。
ちなみに侯爵令嬢がこうして手作業でもろみを造ったり入れたりしているのを見ても、マーカスが何かを言うことはない。
ヴァイオレッタが手ずからやらないと済まないタイプの人間であることをこの一月半で嫌というほど理解した彼は、同じ職人仲間としてヴァイオレッタのことを認めていたからだ。
職人から職人仲間として認められる侯爵令嬢は、世界広しといえどヴァイオレッタだけだろう。
「よし、運転開始!」
ポットスチルにつけた魔道具のスイッチを付けると、大きく振動しながらポットスチルが加熱され始める。
ここの温度管理もなかなかに大変で、しっかりと80℃前後の温度を保ち続けるのにはずいぶんと苦労した。
魔道具造りを自身の手でやるのも初めてだったが、そもそも温度を一定に維持する魔道具が存在しないため、自分で造るしかなかった。
魔道具技師であっても造れぬような魔道具をなんとかして形にしてみせたのは、ひとえにヴァイオレッタのウイスキーへの執念故だろう。
低く唸るような音を鳴らしたポットスチルが熱され始める。
側面につけてあるのぞき窓から見てみれば、もろみがぶくぶくと泡立ち始めているのがわかった。
そして下で熱されたアルコールの主成分であるエタノールが、気化して上へ昇っていく。 そのまま伸びている金属管、ラインアームを通って冷却器へ。
この冷却器を使って熱されて気化したアルコールを冷まし、液体として取り出すのだ。
もちろんこの冷却器も魔道具であり、あっという間に冷やされたアルコールがポトポトと桶の中へ落ちていく。
そして一度もろみを取り出して中を綺麗にしたら、先ほど取り出したアルコールと余留液を混ぜて再度蒸留を行っていく。
ウイスキーはこうして、ポットスチルで二度蒸留を行う必要があるのだ。
「ふぅ……ようやく原酒が出来たわね」
「おおっ、これがウイスキーですか!」
「いえ、これはウイスキーじゃないわね」
「これはウイスキーじゃないんですか……?(困惑)」
ウイスキーは蒸留して造ったお酒をオーク……樫材の樽に入れて熟成することで造り出すお酒だ。
世界で最も有名なスコッチウイスキーや前世で流行っていたジャパニーズウイスキー、渋いお酒として有名であったバーボンなどには細かなルールがある。
ただ蒸留しただけの液体はニューメイクとして、ウイスキーと区別されるのだ。
なぜそんなことをする必要があるのかといえば、ウイスキーとは熟成によって輝くお酒だからである。
蒸留したてのウイスキーは言わばまっさらな赤子のようなものであり、入る樽の影響を大きく受ける。
ビールの樽を使えば若干苦みを伴うようになるし、ワインの樽に入れれば酸味やフルーティーさなどが前に出るようになるのだ。
中でも最も有名なのは、ブランデーを入れたワインであるシェリー酒の樽を使ったシェリー樽熟成のウイスキーだろう。
この世界には蒸留器が存在していないため、シェリー樽熟成のウイスキーを造るためにはまずブランデーを造り、その上でシェリーを生産し、シェリーの樽を用意するという長い手順を踏む必要がある。
ヴァイオレッタが求めるウイスキーを造るまでの道のりは、まだまだ長い。
だが自身の手でウイスキー造りを行える今は、そんな道のりもまったく苦ではなかった。
「とりあえず今回は、バーボンを造っていくわ」
最初に造るウイスキーに関しては悩んだが、ヴァイオレッタはバーボンを造ることにした。
バーボンというのはざっくり言えば、オーク材の新樽の内側を焼いたものにウイスキーを入れて熟成させたものを指す。
厳密な定義の話をすれば連邦アルコール法でコーン比率や蒸留方法、蒸留時のアルコール度数や熟成年数などなど細かな決まりはあるが、そもそもここは異世界だ。
ウイスキーに関してはヴァイオレッタがルール。
彼女がバーボンと言えばそれがバーボンなのである。
「それじゃあまずは樽造りから」
ヴァイオレッタは用意しておいた新樽の内側を、無詠唱魔法で生み出した炎で焼いていく。
「ヴァイオレッタ様は無詠唱魔法まで使えるんですか……」
「淑女のたしなみね」
「絶対にそんなことないと思いますが……」
感心しながら呆れてみせる器用なマーカスに微笑みながら、ヴァイオレッタは内側を焼いた樽の中に蒸留で造ったウイスキーを詰めていく。
最初に出てきたウイスキーは有害物質が出る可能性があり、最後の方のウイスキーは香味などが落ちるため、入れていくのはミドルカットと呼ばれる蒸留されたものの真ん中の部分だけだ。
樽の中に詰め終えたら、更にその中に焦がした板を入れる。
これはインナーステープと呼ばれ、ウイスキーに樽の香味成分を素早く移すための手法の一つである。
「これで……そうね、二ヶ月くらい待ったらひとまず試作品は完成にしましょうか」
「結構待つんですねね」
「本当なら8年くらい待ちたいんだけど」
「そんなに待つんですか!?」
バーボンは比較的熟成年数が少なくて済むが、ヴァイオレッタが好きなのはワイルドチキンの13年やVWハーパーの12年等、比較的長熟のバーボンだった。
飲み手の時はわからなかったが、作り手になって初めて前世の日本で飲めていた長熟ウイスキーのありがたみがわかる。
「まずはウイスキーの赤ちゃんを飲んでいきましょうか」
当然ながら、ウイスキーが大好きなヴァイオレッタはただ造ってお預けを食らうことには耐えられない。
なので製造したウイスキーの赤ちゃん、ニューメイクをマーカスと一緒に飲むことにした。
グラスの中に入れ、まずは中の液体をゆっくりと光に当てる。
恐ろしいほどに透き通った、水のような無色透明。
二度の蒸留を行ったことで、そのアルコール度数はおそらく60度は超えているだろう。
かなり粘度も高いらしく、液体がグラスの中を落ちていく速度は非常にゆっくりだった。
続いてスワリング、グラスを軽く左右に振って香りを立ち上らせる。
粘膜が驚かないように少し距離を離してから香りを嗅げば、ふわりと甘い香りが鼻腔を刺激した。
乳酸菌飲料のような独特の優しく甘い香り……かつて蒸留所見学に行った時の記憶が脳裏に蘇る。
(ああ、まさかまたこの世界で蒸留酒が飲めるようになるだなんて……)
うっとりとしながら、ヴァイオレッタがゆっくりとグラスを傾ける。
ピリリとした強いアルコールの刺激、そして遅れてやってくるモルトの素朴な甘み。
アルコール感は思っていたほど強くなく、思っていたよりするすると飲めてしまう。
熟成もされていなければ、舌がビリビリとするほどに度数も高い。
けれどニューメイクを飲んだヴァイオレッタは、思わずほぅと熱い息をこぼしてしまう。
「美味しくて……すごく、懐かしいわ」
「……強っ!? こいつは……すごい酒ですね」
そのアルコールの強さにたじろいでいるマーカスを見ながら、ヴァイオレッタは笑った。
たしかに初めて蒸留酒を飲んだら、そういう反応になるのも無理はない。
正直に言えば、彼女も前世で初めて飲んだ時はなんだこの消毒液はと思ってしまったものだ。
飲んでいると懐かしさがこみ上げ、思わず目の端に涙が溜まってしまう。
もう二度と飲めないかもしれないと思っていた蒸留酒を、こうしてまた飲むことができる幸せ。
せっかくならこの幸せを、契約結婚とはいえ書類上は夫であるアイザックと共有してもいいかもしれない。
ヴァイオレッタはそんな風に思うのであった……。
♢♢♢
マイネンシュトシュ公爵、アイザック・フォン・マイネンシュトシュは現実主義者である。
彼は父である前マイネンシュトシュ公爵と公爵夫人である母の冷え切った関係性を、幼少期の頃から見て育ってきた。
彼は夫婦というのは愛がなくても成立することを成人するよりも前には理解していたし、父がサロンに呼び出す女性の何人かが彼の愛人であることも、継承権こそないものの何人か血の繋がった兄弟がいることも知っていた。
そんな両親を見て、結婚生活に理想を抱けるはずがない。
アイザックは両親を反面教師にして自分は永遠の愛を誓える伴侶を探そうなどと思えるほど、ロマンチストではなかったのだ。
だが彼自身公爵であり子を為す必要がある以上、やはりどこかのタイミングで結婚はしておく必要がある。
そこで嫁を取ろうという話になった。
そしてそこで結婚してもっとも利益を得ることができるのが、ベルヘイム侯爵との婚姻だった。
彼がヴァイオレッタとの結婚を決めたのは、たったそれだけの理由である。
「君を愛するつもりはない。この結婚は契約結婚だ」
故にこれは、彼にとって必要な線引きだった。
結婚生活には愛は必要ない。
親族から養子を取ってもいいのだから、極論夫婦の営みすらも必要ない。
彼にとって妻とは暇さえあれば社交に精を出し、夫の愚痴を延々とこぼしながら浪費を繰り返す母のような存在だった。
だがヴァイオレッタは、アイザックが想像していたような女性とはなんというかその……ずいぶんと違っていた。
「アイザック様にお願いしたいのはただ一つ……私がウイスキーを造ることに反対をしないでもらいたいのです」
「ウイ、スキー……?」
どうやら彼女は、マイネンシュトシュ公爵領でお酒を造るつもりらしい。
マイネンシュトシュ公爵領は寒冷な地域であり、主食である小麦は領民全員に行き渡るほどの量が生産できない。
代わりに大麦の生産の方が盛んであり、現在は大麦を食べて育つ軍馬や大麦から作るビールで外貨を稼ぎ、小麦を買っているという状況である。
公爵領では大麦は比較的余り気味なので、てっきり道楽でビールを造るのかと思ったのだが……ヴァイオレッタが造ろうとしているのは、未だこの世界に存在していないまったく新しいお酒なのだという。
大した熱の入れようで、彼女は契約結婚だと言い放った自分に対していかにウイスキーが素晴らしいかという気合いの入ったプレゼンをし始めたのだ。
一体何が彼女をそこまで駆り立てるのだろうか。
それにそんなものがすぐに作れるようになれば今頃酒造は苦労していないとも思うのだが……好きにすればいいと言ったのは自分だ。
アイザックは契約書にサインをしたら、次の日から軍務に戻ることにした。
現在は小康状態が続いているが、北方蛮族との戦いは今も油断ならない状況だ。
アイザックが防衛のための準備を整え軽く小競り合いを済ませてから戻ってきてみれば、ヴァイオレッタは既にものすごい勢いで準備を進めていた。
「ヴァイオレッタ様が大麦を発酵させた匂いが屋敷中に広がっておりまして……」
「ヴァイオレッタ様が大量に麦粥を作っているせいで使用人達は三食麦粥生活を送っており……」
家令のカビアからされる報告は、頭を抱えるようなものばかり。
話を聞いてもヴァイオレッタは社交などにはまったく興味がなく、彼女のエネルギーはその全てがただ自分が飲みたいウイスキー造りに捧げられているようだ。
現在はその試作のために大麦を使ってあれやこれやをしているらしく、そのせいで使用人が迷惑を被っている。
ただ虐めたりしているわけではなく、純粋にフードロスをなくそうとしているだけらしく、自身も三食麦粥を食べたりしているらしいので怒って良いのかは判断に困るところだ。
好きにやっていいと言ったのは自分なので、アイザックは自身の仕事に集中しながらヴァイオレッタにさせているのと同様、自身も領地経営と領地防衛に精を出すことにした。
そんなことを続けていると、ある日カビアから予想外の言葉を聞かされる。
「旦那様、ヴァイオレッタ様から晩餐のお誘いが来ております」
「……ヴァイオレッタから?」
アイザックとヴァイオレッタの結婚は、両者が共に認めた契約結婚だ。
そのため基本的にお互いには干渉せず、各々が好きなように時間を過ごしている。
こんな風にヴァイオレッタから直接呼び出しがかかるのはかなり珍しい。
屋敷自体が広いおかげで会うことすらほとんどなく、食事も別々で取っているために最後に顔を合わせたのがいつかすらも覚えていないような状態だ。
さすがにそれではまずかろうと思い二つ返事で晩餐の席についたアイザックは……自分よりも先に到着し、嬉しそうににこにこと笑う彼女の顔を見てその要件を察した。
「まさか……できたのか?」
「えぇ、やっぱりわかっちゃいますか? はい、できたんです! ウイスキーの試作品が!」
「ずいぶんと早いな……」
ヴァイオレッタが酒造りを初めて、まだ三ヶ月も経っていない。
新しいお酒とは、そもそもそんな短期間で造れるようなものなのだろうか?
だがあのヴァイオレッタの執念を見れば、あるいは……と思えてしまう自分もいた。
アイザックは自分の心が躍っていることに気付く。
北方の男は皆大の酒好きだ。
寒冷な地域であるからこそ、酒を飲み身体を内側から温める必要がある。
そして飲んでいるうちに、皆飲んべえになっていくのだ。
無論アイザックとて、その例外ではない。
ヴァイオレッタにその美味しさについて滔々と語られているため、期待も一層膨らんでいる。
料理が運び出されてくるが……一向にウイスキーが出てくる様子はない。
「食中酒としては飲まないのか?」
「やはりまず最初は、それだけで楽しんでいただきたいので」
「なるほど」
生産者としてのこだわりというやつだろう。
一体どのような酒が出てくるのか……楽しみにしながら食事を済ませる。
そして食後のデザートを食べ終えたところで、ようやく給仕の手によって一本のボトルがテーブルの上に乗せられた。
「これが……ウイスキー、なのか……」
ビールような黄金色でも、ワインのような深い赤でもない。
透明なボトルの中に入っている液体は、目を見張るような美しい琥珀色をしていた。
「封切りの一杯は、ストレートで」
ヴァイオレッタは手慣れた手つきで、ボトルに封をしているコルクを引き抜いてみせる。
キュポンと小気味よい音が鳴り、用意されている透明度の高いグラスにウイスキーがトクトクと注がれていく。
「今回用意したウイスキーはいくつかある種類の中でもバーボンと呼ばれるものです」
「バーボン……」
妙に男心をくすぐる名だった。
差し出されたウイスキーを見て、まずは目で見て色を楽しむ。
楽しみ方はワインと同じで良いらしいので、次にゆっくりと鼻に近づけて香りを嗅ぐ。
「これは……すごいな」
事前にアルコール度数が高いという話は聞いていた。
なのでてっきりツンとする刺激臭が来るかと思ったが……アルコール感は思っていたよりもずっと少ない。
鼻をくすぐるのは、バニラを思わせる甘やかな香り。
遅れて続くのはカラメルのような香ばしい甘さと、ニスのようなやや溶剤めいた香りだ。
「アルコール度数は60度ほど……ワインの5倍ほどですので、ゆっくりと飲んでくださいまし」
「あ、ああ……」
3倍という話ではなかったのかと思いつつ、ゆっくりとバーボンを少量口に含む。
すると口の中で、火花が弾けた。
「~~っ!?」
まず最初にやってくるのは、アルコール由来のガツンとしたパンチ。
口の中にあったものを一掃した後にやってくるのは、キャラメルを思わせる砂糖を煮詰めたような甘さと、樽由来と思しきウッディネスだった。
それら二つが互いに混じり合って昇華されることで、不思議なことにリンゴや梨を思わせるような軽快な甘さが押し寄せてくる。
ビールのような苦みともワインからくるベリー系のフルーティーさともまた違う味わいに、一口また一口と飲み進めたくなる気持ちを抑えることができなかった。
「なるほど、新しい酒と豪語するわけだ……」
アイザックは目を閉じてうっとりとしながら、余韻を楽しんだ。
ふわりと鼻から抜けるのは木のアロマ。
口の中には煮詰めたシロップを思わせる甘みが、長く続いていく。
度数が高いというのは本当らしく、一杯も飲んでいないのに既に酔いを感じている。
初めて感じる強烈なアルコールの刺激に喉の奥が驚いており、内側から身体がぽかぽかと熱くなっていくのがわかった。
「どうですか? アイザック様から見て商品になると思います?」
「……ああ、これは間違いなく売れるだろう」
「そうですか、良かったぁ」
ヴァイオレッタはほっと胸を撫で下ろしてから、自身もグラスにバーボンを注ぐ。
やや大ぶりな角張ったグラスには、いつの間にか大きな丸氷が入っている。
カラリと音を鳴らす氷は、どうやら彼女が無詠唱魔法で用意したらしい。
「これはオンザロックといいまして、ウイスキーの飲み方の一つです。氷が溶けることでウイスキーと混ざって冷えて、徐々に味が変わってくるんですよ」
「……そうか」
楽しそうにウイスキーを飲むヴァイオレッタを見て、鉄面皮であるアイザックの表情筋がわずかに緩む。
彼にとって魔法とは、効率よく相手を倒すための手段でしかなかった。
だがヴァイオレッタは魔法の力を戦闘以外の様々なことに、生活に役立つ形で使っている。
聞けばウイスキー造りにも魔法を活用しているらしい。
そして彼女が奇想天外なのは何も魔法だけではない。
ヴァイオレッタは何者にも縛られずに、自分が好きなことをしている。
これほどまでに自由奔放な生き方をしている女性を見るのは、初めてだった。
(無自覚のうちにこんなにとんでもないものを作って……今後の産業にどれだけの影響を与えるか、本当にわかっているのか?)
聞けばこのウイスキーは大麦と蒸留器があれば作ることができるという。
公爵領にある酒造は、どれも王国に数ある酒造の中ではさほど優れているわけではない。 だがこの革新的なウイスキーは、未だ誰も作ることができていないまったく新しい酒。
間違いなくとてつもない値で売れるだろうし、しばらくの間その独占状態は続くだろう。
そこから得られる財貨は、一体どれほどのものになるか……。
ウイスキーを売り出しブランディングを確立することができれば、間違いなく経済的な基盤が脆弱である公爵領にとって、かけがえのない太い柱となるだろう。
(わかっては……いないのだろうな)
酔いが回ったのか、頬を赤くしながら「ウイスキーはちょっと濃いめが美味しい!」と笑っているヴァイオレッタを見たアイザックは、すぐに答えを出した。
――彼女はただ、自分が美味しいと思うウイスキーを造りたいと思っているだけだ。
外交で裏の裏まで読まなければならぬアイザックにとって、ヴァイオレッタのその素直さは何よりも眩しいものに思えた。
……契約結婚をする相手が彼女で良かったと、そう考えるくらいに。
(まあ、その辺りは俺がカバーすれば良いだろう)
おそらく今後も、ヴァイオレッタは自分がやりたいようにウイスキー造りを続け、予想も付かない出来事を引き起こすだろう。
だがそれは間違いなく、このマイネンシュトシュ公爵家にとってプラスになるはずだ。
「アイザック様、ひとまずバーボンを生産ラインに乗せながら、同時並行でブランデーを造ろうと思うんです!」
「……また新しい酒が増えるのか?」
「はい、だってブランデーがないとシェリー樽熟成ウイスキーが造れないじゃないですか!」
「……もうちょっと、俺にもわかるように説明してくれ」
彼女に引っ張り回されているという自覚はある。
けれどそれが、不思議と嫌ではない自分がいた。
こんな結婚生活も、そう悪い物ではないかもしれない。
今までにないほどに強い酒精がそうさせるのか、アイザックは彼にしては珍しいほど上機嫌にヴァイオレッタのこれからの話に耳を傾ける。
マイネンシュトシュ公爵領でのウイスキー造りは、まだ始まったばかり――。
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