第5話:(後編)決意の再出発
宿屋『陽だまり亭』の食堂に、香ばしい肉汁とハーブの香りが立ち込める。
リィンが腕によりをかけて作った特製シチューを前に、ルミナは目を皿のようにして固まっていた。
「……何、これ。こんなにキラキラしてて、温かい食べ物……本当に私が食べていいの?」
「当たり前でしょ。冷めないうちに召し上がれ、ルミナさん」
リィンが少し得意げに胸を張る。先ほどの修羅場はどこへやら、料理でもてなす段になると彼女の「看板娘」としての包容力が勝るらしい。
ルミナがおそるおそる木匙を口に運ぶ。
「……っ! おいしい……! 味がする、温かい……。私、生きてるんだわ……!」
ポロポロと涙を零しながらシチューを掻き込むルミナ。その姿は、かつて世界を震撼させた呪具の化身とは思えないほど幼く、純粋だった。
その様子を傍らで見ていたエレナが、静かにエルへと視線を向ける。
「エル様。……彼女を救ったのは、単なる魔力の浄化だけではなかったのですね」
「……僕がしたのは、彼女の心に触れただけです。あとは、ルミナさん自身が『生きたい』と願ったからですよ」
エルはそう言って、少し照れくさそうに笑った。その無垢な笑顔に、エレナは胸の奥が締め付けられるような感覚を覚える。この少年は、他人のために命を削ることを「当たり前」だと思っているのだ。
夜も更け、ルミナが満腹感と慣れない実体化の疲労で、エルの膝を枕にして眠りについた頃。
食堂の隅で、リィンとエレナ、そしてピコが小さな灯火を囲んでいた。
「……エレナさん。エル君、本当に無茶をしたんですね」
リィンが、ピコから聞いた廃都での戦いを思い返し、声を震わせる。
「ええ。彼の『聖刻』は、呪いを浄化するたびに、彼自身の生命力を燃料にしているように見えたわ。あんな小さな体で、世界の泥をすべて飲み込もうとしている……。正直、正気の沙汰とは思えない」
「それがエルなのよ」
ピコが羽を休めながら、真剣な口調で割り込む。
「先代勇者は力で闇を弾いた。でも、エルは闇を抱きしめて光に変える。それは誰にでもできることじゃない。……でもね、抱きしめるたびに、エルの心も体もボロボロになっていくんだよ」
リィンは、すやすやと眠るエルの寝顔を見つめた。
幼馴染として、ずっと隣にいた。彼がどれほど優しく、そして孤独に耐えてきたかを知っている。
「私……戦えないけど、決めました。エル君が帰ってきた時、一番美味しいご飯を作って、一番温かいベッドを用意する。彼が『帰りたい』と思える場所を守り抜くって」
「……ふふ。なら、私は戦場での彼を守る盾になりましょう。彼が一人で抱え込みすぎないように、私がその背中を支えるわ。それが、夫が私に残した最後の『使命』のような気がするの」
二人の女性の間に、静かな共犯関係のような絆が芽生えた瞬間だった。
翌朝。
宿場の門前に立つ一行の姿があった。
エルの背中には、武器に戻ったルミナ――『断罪の聖大剣』が、美しき白銀の輝きを放ちながら収まっている。
「さて、ピコ。次の目的地は?」
「西にある『断絶の渓谷』だよ。一年中、荒れ狂う暴風が吹き荒れていて、誰も近づけない場所。そこに、かつての聖騎士が身に纏っていたという『呪いの全身鎧』が眠っているはず」
「……鎧。今度は防具ですね」
エルが気を引き締めたその時、背後から声をかけられた。
「エル君! これ、お弁当。あと、新しい替えの下着も入れといたからね!」
リィンが大きな包みを抱えて走ってくる。彼女はエルの頬に、チュッと音を立てて小さなキスをした。
「なっ……!?」
エルが顔を真っ赤にして固まる。
『ちょっと!! 何してんのよ、この泥棒猫ぉぉ!!』
エルの背中で、ルミナが激しく振動し、思わず実体化しようとするのをエルが必死に抑える。
「あはは……。行ってきます、リィンさん」
「いってらっしゃい、エル君!」
騒がしくも温かな見送られ、エルたちは新たな旅路へと歩み出した。
一行が街を離れ、森の陰に消えていくのを、遠くの丘から見つめる青い影があった。
「……運命の糸が、少しずつ太くなっていく。でも、結び目はまだ、解ける可能性を秘めているわ」
時空の案内人、セレス。彼女の手の中にある古文書には、エルの未来を示すページが白紙のまま、眩しく光り輝いていた。
「……次の悲劇が、あなたを待っているわ、エル。それを『愛』で塗り潰せるかどうか……見せてもらうわね」
風に吹かれ、彼女の姿は消えた。
エルの新たな冒険、中目標への物語が、ここから本格的に始まろうとしていた。




