第5話:(前編)決意の再出発
廃都を覆っていた永き霧が晴れ、朝日が地平線を白ませる頃。
エルたちは、数日ぶりに懐かしき宿場町の門をくぐっていた。
「……はぁ、やっと戻ってこれましたね、ピコ」
エルの足取りは重い。限界を超えた浄化と、その後の連戦。本来なら担架で運ばれてもおかしくない疲労困憊の状態だが、彼の右腕には、その重さを上回る「負担」がしがみついていた。
「ねぇ、エル! あの大きな建物は何? あっちの変な匂いがする屋台は!?」
実体化したルミナが、エルの右腕を両手でガッチリとホールドし、周囲をキョロキョロと見渡しながら騒いでいる。
彼女にとって、数十年ぶりに見る「生きた街」の光景は、すべてが輝いて見えるらしい。だが、エルの袖を引く力が強すぎて、小柄なエルの体は右へ左へと引きずられていた。
「ルミナ、少し落ち着きなさい。エルが可哀想でしょう」
後ろから歩いてくるエレナが、溜息混じりにたしなめる。彼女は夫の形見である弓を背負い直し、保護者のような厳しい、けれどどこか慈しむような眼差しをエルに向けていた。
「うるさいわね、おばさん! 私とエルの『契約』は魂レベルなのよ。これくらい密着してないと、私の魔力が不安定になっちゃうんだから!」
「お、おば……っ!? 失礼ね、私はまだ二十代よ。それに、そんなにベタベタするのは聖騎士の品位に関わるわ」
「ふんっ、ただの嫉妬でしょ。羨ましいならアンタも左腕にでもぶら下がれば?」
朝っぱらから火花を散らす二人。その中心にいるエルは、困ったように眉を下げて苦笑いするしかない。
「あはは……。エレナさん、ルミナさん、そんなに喧嘩しないでください。もうすぐ宿屋に着きますから」
エルの拠点、宿屋『陽だまり亭』の看板が見えてきたその時。
勢いよく扉が開き、一人の少女が飛び出してきた。
「エル君!!」
茶髪の三つ編みを揺らし、エプロン姿のまま駆け寄ってきたのは、看板娘のリィンだった。彼女はエルの姿を認めるなり、弾かれたようにその胸へと飛び込んだ。
「あぐっ……!?」
リィンの全力の抱擁を受け、エルの小さな体が宙に浮く。
「よかった、本当に無事で……! 廃都の方ですごい光が見えたから、私、気が気じゃなくて……!」
「す、すみません、リィンさん。心配をかけました……」
再会を喜ぶ温かな光景。だが、それを許さない視線が二つあった。
「ちょっと! アンタ誰よ、エルの胸に顔を埋めて……離れなさいよ、この泥棒猫!」
ルミナが即座にリィンの肩を掴み、エルから引き剥がそうとする。
「な、何!? 誰なの、この派手な女の人は! エル君の腕を掴んで……エル君、誘拐されてたの!?」
「誘拐じゃないわよ! 私はエルの『剣』! 誰よりも近くで彼を支えるパートナーなんだから!」
ルミナの宣言に、リィンは目を白黒させた。
「けん……? 意味がわからないよ! エル君、この人は?」
「ええと、リィンさん。彼女はルミナさんと言って、その……今回の旅で出会った、大切な仲間なんです」
エルが冷や汗を流しながら説明するが、事態はさらに複雑化する。
「あら、忘れないでちょうだい。エルを保護し、導く役割は私が引き受けているわ」
エレナが静かに、だが圧倒的な「年上の余裕」を漂わせながら歩み寄ってきた。
「……エル様。この街に、こんなに元気な『お友達』がいらしたのね」
エレナの微笑みは美しいが、目が笑っていない。彼女はリィンに向けて、優雅に一礼した。
「私はエレナ。先代勇者の遺志を継ぎ、未熟なエル様を補佐する者です。リィンさん、と言ったかしら。エル様のお世話なら、これからは私たちが引き受けますから、ご心配なく」
「補佐……? お世話……?」
リィンは、自分より遥かに大人びた美女エレナと、勝気で眩しいほどの美貌を持つルミナを交互に見た。
「……エル君。修行の旅に出るって言ってたよね? 呪いを浄化しに行くって言ってたよね? なんで、こんな綺麗な女の人二人も連れて帰ってくるの……?」
リィンの背後に、どろりとした黒いオーラが立ち上る。
「え、あ、いや、リィンさん、これには深い事情が……!」
「事情は中でゆっくり聞かせてもらうね。……さあ、エル君。お風呂も食事も準備できてるから」
リィンはエルの左手を掴むと、恐ろしいほどの怪力で彼を宿屋の中へと引きずり込んでいった。
「ちょっと待ちなさいよ! 私はエルの右腕を離さないんだから!」
「私も、主の健康管理は譲れませんわ」
ルミナとエレナも、負けじとエルの左右に張り付く。
一人の少年聖騎士が、三人の美女(と一匹の妖精)に揉みくちゃにされながら宿屋に吸い込まれていく様子を、近所の人々は「エル君も隅に置けないねぇ」と生温かい目で見送るのだった。
「……ねぇ、ピコ。これから、どうなっちゃうんでしょうか」
エルの悲痛な呟きに、頭上の妖精はケラケラと笑って答えた。
「呪具を集めるってことは、こういうことだよ、エル。覚悟しなよ、これからもっと増えるんだから!」
こうして、世界を救う旅の第一歩は、エルの受難と共に幕を開けた。




