第14話:過去を射抜く光の矢
白濁した霧が晴れたはずの森に、再び不穏な地響きが轟いた。
三つ目の呪具『ベル』を浄化した代償はあまりに大きく、エルは右腕をどす黒く変色させたまま、エレナの膝の上でぐったりと横たわっていた。
「エル様! 目を開けてください、エル様!」
エレナが必死に呼びかけるが、エルの呼吸は浅く、その肌は雪のように冷え切っている。
浄化したはずの呪いが、エルの体内で行き場を失い、彼の生命力を内側から食い破ろうとしていた。
「……お兄ちゃん。……ベルのせいだ。ベルが、寂しくてお兄ちゃんを離さなかったから……」
実体化したベルが、ぶかぶかのローブの袖で涙を拭いながら、エルの右手に触れようとする。だが、その瞬間にパチリと黒い火花が散り、ベルの手を弾いた。
「っ!? 拒絶されている……? ベルの魔力じゃ、お兄ちゃんの中の闇に触れることすらできないの?」
「……主様……。……私が、代わる。……私の鎧で、闇を封じ込める……」
ミスティがバイザーを上げ、悲痛な面持ちでエルの胸元に手を当てる。しかし、彼女の重力操作をもってしても、エルの体内を暴れ回る呪いの奔流を止めることはできなかった。
「退きなさい、二人とも!」
鋭い声が響いた。
エレナが、エルの頭を優しく地面に横たえ、立ち上がる。その瞳からは、先ほどまでの迷いや後悔は消え失せ、凛とした戦士の光が宿っていた。
「……エレナ、おばさん?」
「おばさんじゃないわ、ルミナ。……見て、あの中心部を」
エレナが指差した先。森の最深部にある巨大な古木――『幽霊樹』が、ベルの首飾りから解き放たれた残りの怨念を吸収し、禍々しい巨人に変貌しようとしていた。
「あの怪物が、この森の呪いの根源よ。あれを倒さない限り、エル様の中に流れ込んだ毒は消えない。……あの子は、自分を犠牲にして私たちを救ってくれた。今度は、私たちが道を示す番よ」
エレナは夫の形見である弓を引き絞った。
だが、その弓には矢が番えられていない。彼女は空の弦を引いたまま、エルの傍らに膝をついた。
「エル様……。あなたの『光』を、私に貸してください。……もう、過去の幻影に惑わされたりはしません。私は、今ここに生きているあなたを、守り抜きたいの!」
エレナの祈りに応えるように、エルの右手の聖刻が微かに震え、一筋の純白の輝きがエレナの弓へと流れ込んだ。
それは、エルが意識の底でエレナに託した、最後の希望の光。
「――【三相の導標】。……我が魂を弦に、彼の光を矢に!」
エレナの弓に、眩いばかりの光の矢が形成される。
ルミナとミスティも、その光に当てられるようにして立ち上がった。
「……そうね。湿っぽいのは似合わないわ! ルミナ、行くわよ!」
『合点承知! アンタの弓に、私の斬撃を乗せてあげるわ!』
ルミナが大剣へと姿を変え、エレナが放つ光の矢の穂先へと重なる。
「……私も、壁になる。……隙は、作らせない」
ミスティが盾となり、幽霊樹が放つ無数の根の触手を重力波で叩き潰していく。
幽霊樹が咆哮し、死者の叫びを模した衝撃波を放つ。
かつてのエレナなら、その声に夫の面影を重ねて立ち止まっただろう。だが、今の彼女の耳に届くのは、エルの穏やかな寝息と、彼と共に歩むと決めた自分自身の鼓動だけだった。
「――消えなさい、過去の亡霊! 私が見つめるのは、あなたの後ろ姿ではないわ!」
エレナが放った光の矢は、ルミナの鋭さとミスティの重圧を纏い、幽霊樹の核へと一直線に突き刺さった。
聖なる爆辞が森を包み込み、巨大な樹木は内側から浄化され、静かに崩れ落ちていく。
魔物が消滅すると同時に、エルの右腕を覆っていた黒い痣が、スッと薄らいでいった。
「……ん……。エレナ、さん……?」
エルがゆっくりと、その重い瞼を開ける。
「……エル様!!」
エレナは弓を放り出し、エルの体を強く抱きしめた。
大人の女性としての柔らかな温もりと、安堵の涙がエルの頬を濡らす。
「よかった……。本当に、よかった……。私、あなたを失うのが、あんな化け物よりずっと怖かった……!」
「あはは……。すみません、心配をかけました。……でも、エレナさんの矢、とっても綺麗でしたよ」
エルの言葉に、エレナは顔を赤くし、さらに彼を抱きしめる力を強めるのだった。
「ちょっと! エレナ、ずるいわよ! 私も頑張ったんだから、エルを返しなさい!」
「……主様……。……無事。……確認。……私も、抱きしめる……」
「お兄ちゃん、ベルも! ベルもお兄ちゃんの隣がいいですぅ!」
賑やかな少女たちに囲まれ、迷いの森には十年ぶりの平穏な風が吹き抜けた。
だが、その様子を見届けていたセレスは、古文書に刻まれた「次の頁」を読み、その表情を強張らせた。
「……過去を克服し、絆は深まった。けれど、教会の『目』が彼らを見つけた。……エル。次は、人間という名の怪物が、あなたの光を喰らいに来るわ」
セレスの姿が霧の中に消えた。
エルの聖刻は、浄化を終えてもなお、鈍い熱を持ち続けていた。




