第10話:(前編)重なり合う三つの光
渓谷の空が、不吉なほど濃い紫色の雲に覆い尽くされていく。
温泉での束の間の休息を終え、一行が峡谷の出口を目指そうとしたその瞬間、鼓膜を劈くような絶叫が天から降り注いだ。
「キィィィアアアアアアーーーッ!!」
それは、先日エルが討ち果たした嵐冠鳥よりも一回り大きく、全身にどす黒い雷光を纏った、もう一羽の魔鳥だった。
「つがい……!? そうか、前回の個体はメスで、こっちが巣を守っていたオスなんだわ!」
ピコが叫び、エルの髪の中に潜り込む。
「……主様……。……下がって。……空気が、怒ってる……」
ミスティが即座にバイザーを閉じ、エルの前に立ちはだかる。
だが、今回の魔鳥は前回の個体とは比較にならないほどの殺意を宿していた。伴う突風は石を砕くだけでなく、真空の刃となって四方八方から襲いかかる。
「エル様、上よ! 回避して!」
エレナが叫びながら弓を放つが、魔鳥が羽ばたくたびに、放たれた矢は軌道を逸らされ、無惨に岩壁に突き刺さる。
「くっ、風圧が強すぎて狙いが定まらない……!」
魔鳥は上空で旋回すると、その巨大な翼を広げ、無数の「雷光の羽」を雨のように降らせてきた。
「――【守護相】、展開!」
エルが聖刻を輝かせ、琥珀色の障壁を広げる。
しかし、衝突の瞬間、エルの全身に激痛が走った。
「ぐっ……!? 重い……っ」
浄化と休息の直後で、エルの魔力回路はまだ完全には回復していない。そこへ、つがいの死に狂った憎悪がこもった一撃が重くのしかかる。
バリバリと音を立て、エルの障壁に蜘蛛の巣状の亀裂が入った。
「エル! 無理しないで、私の魔力も使いなさい!」
実体化したままのルミナが、エルの背中に手を当てて自身の魔力を流し込む。
だが、魔鳥の攻撃は止まらない。さらに巨大な竜巻を生成し、一行を文字通り「削り取ろう」と迫ってくる。
「……主様……。……私に、預けて。……全部、私が受ける……」
ミスティがエルの前に膝をつき、両腕を広げて盾となる。
凄まじい衝撃波がミスティの白銀の鎧を叩き、激しい火花が散る。彼女の足元の岩盤が耐えきれずに砕け、ミスティの体が深く地面に沈み込んでいく。
「ミスティさん、もういいです! これ以上は鎧が持ちません!」
「……だめ。……私は、壁……。……主様を、一歩も、傷つけさせない……」
バイザーの隙間から、赤い鮮血が溢れ出した。衝撃を逃がしきれず、ミスティの素体が内側から悲鳴を上げているのだ。
その時、魔鳥が急降下を仕掛けてきた。
狙いは、防御に専念して動けないミスティの頭上――そして、彼女に守られているエルだった。
「行かせないわよっ!」
ルミナが大剣を具現化させ、飛び出す。
だが、魔鳥が放った不可視の圧力波がルミナを直撃し、彼女の細い体は紙屑のように岩壁まで吹き飛ばされた。
「ルミナさん!!」
「あ、うぅ……っ。ごめ、ん……エル。風が……重すぎて……」
壁に叩きつけられたルミナが、苦しげに顔を歪めて崩れ落ちる。
「ルミナちゃん! ……っ、この鳥、理性を失って呪具の波動を直接逆流させているんだわ!」
エレナがエルを守るために前に出るが、魔鳥の羽ばたき一回で吹き飛ばされ、崖の縁へと追い詰められる。
バラバラに分断された仲間たち。
残されたのは、ボロボロになりながらもエルの足元にしがみつき、盾であり続けようとするミスティだけだった。
「……あ、あう……。……主様……逃げて……。……私は、もう……」
ミスティの白銀の鎧に、大きなヒビが入る。
魔鳥は勝利を確信したように、最も強力な雷光をその嘴に溜め始めた。これを受ければ、エルの障壁も、ミスティの鎧も、木っ端微塵に砕け散るだろう。
「……逃げません」
エルは震える膝に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。
右手の聖刻が、どす黒い呪いの色と、純白の浄化の光を交互に放ち、激しく明滅している。
「僕が、君たちを信じると言ったんです。……だから、君たちも、僕の『無茶』を信じてください」
エルは膝をつくミスティの背中に歩み寄り、彼女の首筋に、自分の顔を埋めるようにして強く抱きしめた。
鎧の冷たさと、その奥にあるミスティの必死な鼓動。
「ミスティさん。……恥ずかしがらないで、僕に君の『心』を全部預けて。……重力を、愛に変えましょう」
「……っ!? ……主、様……。……ああ、熱い……。……魂が、溶ける……」
エルの聖刻が、これまでにない異質な輝きを放ち始める。
それは破壊でも浄化でもない。二人の魂を、不可分な一つの存在へと「溶接」する、禁忌に近い合一の光だった。
魔鳥の嘴から、絶望の雷光が放たれた。
だが、その閃光がエルたちを飲み込む直前、渓谷の全域が、見たこともない純白の爆辞に包み込まれた。




