第9話:鋼鉄の乙女と安らぎの微熱
断絶の渓谷に朝の光が差し込む。昨夜までの猛烈な嵐が嘘のように、空は抜けるような青さに染まっていた。
洞窟の奥、焚き火の残骸の側で、エルは奇妙な重圧感に目を覚ました。
「……あ、う……体が、動きません……」
エルの右腕には、ずっしりとした金属の質量がのしかかっていた。ミスティが白銀の鎧を纏ったまま、エルの右腕を抱き枕のようにして熟睡しているのだ。
一方で、左側からは柔らかな温もりが伝わってくる。ルミナがエルの肩に顔を埋め、幸せそうに寝息を立てていた。
「……シャットダウン。……主様の腕、密度……高い。……落ち着く……」
ミスティが寝言を漏らしながら、さらにエルの腕を自身の胸元――重厚な装甲の間へと引き込む。
「ミ、ミスティさん……起きてください。腕の感覚が、もうなくなっています……っ」
エルが顔を真っ赤にして小声で訴えるが、彼女はバイザーを閉じたまま、頑として離そうとしない。
「ちょっと! その鉄クズ、寝てる間にエルの右半分を占拠するなんて卑怯よ!」
先に目を覚ましたルミナが、跳ね起きるなりミスティの兜をポカポカと叩き始めた。
「……うるさい、拡声器。……これは、主様の生命維持に必要な、密着。……私の勝ち……」
「何が勝ちよ! エル、今すぐ左側も空けるから、こっちに来なさい!」
朝から繰り広げられる「聖騎士争奪戦」。その喧騒を、少し離れた場所で荷物をまとめていたエレナが苦笑いしながら眺めていた。
「ふふ、元気ね。エル様、お疲れ様です。……さあ、出発の前に汚れを落としてしまいましょう。この先に、隠れた湧き水の池があるわ」
エレナの提案に、一行は渓谷の岩陰に隠れるように存在する、透き通った泉へと向かった。
エメラルドグリーンに輝く水面は温かく、かすかに硫黄の香りがする。どうやら地熱で温められた天然の温泉のようだった。
「わあ……! すごい、本物の温泉ですね!」
エルが目を輝かせる。聖職者として清潔を重んじる彼にとって、旅の途中の入浴は何よりの贅沢だった。
「……主様。……背中、流して。……私、自分では手が届かない……」
ミスティが、こともなげにエルの前に立ち、白銀の鎧の繋ぎ目に手をかけた。
「えっ!? ミ、ミスティさん、ここで脱ぐんですか?」
「……当然。……洗わないと、錆びる。……主様以外には、見せたくないから……協力して」
ガシャン、と重厚な音が響き、パーツが一つずつ外されていく。
中から現れたのは、エルの想像を遥かに絶する、眩いばかりの「素体」だった。
鎧の下に纏っていたのは、肌に吸い付くような極薄の黒いインナーのみ。
銀色の短い髪が陽光を反射し、透き通るような白い肌が露わになる。そして何より目を引いたのは、その圧倒的な肉感だった。
重厚な鎧で抑え込まれていた胸元は、解放されると共に豊かな曲線を描き、エルの視線を釘付けにする。引き締まった腰つきから続く、柔らかな太腿のライン。
内気で無機質な言動からは想像もつかない、あまりに女性的でグラマラスな肢体が、そこにはあった。
「……主様。……どこ見てるの? ……顔、赤い。……私の体、変……?」
ミスティが首を傾げ、灰色の瞳でじっとエルを見つめる。無防備に晒されたその姿に、エルの理性が激しく揺らいだ。
「い、いえ! 変じゃありません! ただ、その、すごく……綺麗で……」
「……綺麗。……嬉しい。……じゃあ、早く流して」
ミスティはエルの前に背中を向けて座り込んだ。
細い肩甲骨が浮き出る白い背中。エルは震える手で布を取り、お湯を汲んで彼女の肌に触れた。
指先に伝わる、吸い付くような肌の弾力と、鎧越しではない確かな体温。
「……ひゃんっ!? ……そこ、弱い……。……主様、もっと……優しく……」
ミスティが吐息を漏らし、身を捩る。その拍子に、彼女の豊かな胸元がぷるんと揺れた。
「あわわわ……! す、すみません!」
「こーらー!! どさくさに紛れて何エロい声出してんのよ、この鉄クズ女!!」
我慢の限界に達したルミナが、服を脱ぎ散らかして池に飛び込んできた。
「エル、私の方がもっと綺麗なんだから! ほら、私の背中も見なさいよ!」
「ルミナさんも落ち着いてください! お湯が跳ねます!」
「あらあら。エル様も、男の子なんですものね」
エレナもまた、優雅に衣を脱ぎ捨て、豊かな髪をかき上げながら池に足を踏み入れる。
大人の色気を漂わせる未亡人、勝気な美少女剣士、そして内気な爆乳鎧。
三人の美女に囲まれ、湯気に包まれたエルの顔は、のぼせたのか照れたのか分からないほど真っ赤に染まっていた。
入浴後。
岩場に腰掛け、髪を乾かすミスティの隣にエルが座った。
彼女はエルの予備のマントを大切そうに肩にかけ、自身の素顔を隠すように少し俯いている。
「……主様。……私、道具だった時、ずっと怖かった。……誰も私に触れてくれないのが、当たり前だと思ってた」
ミスティがボソリと、けれど確かな意志を持って呟く。
「……でも、昨日の戦いで、主様が私を抱きしめてくれた時……世界が、温かくなった。……私、もう壁じゃなくて、あなたの隣にいたい……」
彼女は勇気を出してバイザーを開け、灰色の瞳をまっすぐにエルに向けた。
「……シャットダウン、できない。……主様のこと、好き、だから……」
初めて口にされた、飾り気のない好意の言葉。
エルはその言葉の重みを、自分の右手の聖刻が微かに熱くなることで感じ取っていた。
「ありがとうございます、ミスティさん。僕も、君が隣にいてくれると心強いです」
エルが彼女の手を握ると、ミスティは顔を真っ赤にして、再びガシャン! とバイザーを閉じてしまった。
「……はずかしい。……オーバーヒート……。……でも、幸せ……」
渓谷の出口は、もうすぐそこだった。
しかし、一行が安らぎの時間を終えて出発の準備を整えたその時、空の色が不自然なほど禍々しい紫へと変色し始めた。
「……来るわ。エルの光に当てられて、理性を失った執念の塊が」
ピコが険しい表情で空を仰ぐ。
日常の終わりを告げるように、渓谷の奥底から再び、巨大な羽ばたきの音が響き渡った。




