第1話:聖なる少年の旅立ち
深い森の奥、木漏れ日が差し込む古びた聖堂の庭で、一人の少年が静かに祈りを捧げていた。
エルの髪は透き通るような白銀で、緩く波打って肩に届いている。その顔立ちは、街の娘たちが思わず溜息を漏らすほどに愛らしく、中性的だ。しかし、その瞳に宿る光は、年若き少年が持つにはあまりに深く、慈愛に満ちていた。
「――光の理よ、迷える魂に安らぎを」
エルの細い指先が、枯れかけた一輪の花に触れる。
瞬間、柔らかな白い光が溢れ出し、花はまるで時を巻き戻したかのように瑞々しい色彩を取り戻した。エルの職業は『三相の聖刻騎士』。聖職者としての清浄な魔力と、戦士としての強靭な意志を併せ持つ、この世界でも唯一無二の存在である。
「相変わらず、無茶な魔力の使い方をするのね、エルは」
高い声と共に、エルの頭上に小さな光の粒が舞い降りた。
それは手のひらほどの大きさしかない、透き通った羽を持つ妖精だった。名をピコという。
「ピコ、お帰りなさい。調査はどうでしたか?」
「最悪だよ。世界のあちこちで『歪み』が広がってる。先代勇者が倒したはずの邪悪が、今度は『呪具』という形をとって、この世界を内側から腐らせようとしているの」
ピコの言葉に、エルは悲しげに目を伏せた。
この世界には、かつての戦いで闇に染まり、強力な呪いを宿したまま行方不明となった武具が点在している。それらが共鳴し、再び「世界の終焉」を招こうとしているのだ。
「僕が行かなければなりませんね。呪具を浄化し、その悲しみを止めるために」
「そう言うと思ったよ。でも、呪具の呪いは並大抵じゃない。触れるだけで命を吸われ、心が壊れる代物なんだから。……準備はできてる?」
「はい。この『聖刻』にかけて」
エルは自身の右手の甲を見つめた。そこには、複雑な幾何学模様の紋章――聖刻が刻まれている。これが、呪具の闇を肩代わりし、浄化するための鍵だった。
「その前に、リィンに挨拶していかないとね。あの子、エルが黙っていなくなったら、この聖堂ごと焼き払いかねないし」
「あはは……。そうですね。リィンさんには、ちゃんとお話ししておかないと」
エルは苦笑しながら、聖堂を後にした。
ふもとの宿場町にある宿屋『陽だまり亭』は、今日も旅人と地元の人々で賑わっていた。
「お帰りなさい、エル君!」
扉を開けるなり、元気な声が響く。看板娘のリィンが、エプロンの裾を揺らしながら駆け寄ってきた。彼女はエルより少し年上の十七歳。茶髪の三つ編みを揺らし、太陽のような笑顔を向けてくる。
「リィンさん、ただいま戻りました」
「もう、今日は帰りが遅いから心配したんだよ? ほら、特製のシチューができてるから。座って座って!」
リィンはエルの返事を待たずに、彼の背中を優しく押して特等席へと案内する。彼女にとってエルは、守ってあげたくなる弟のような存在であり、同時に、心のどこかで強く憧れる特別な異性でもあった。
「リィンさん。……実は、今日でお別れなんです」
シチューを一口運んだ後、エルは意を決して切り出した。
リィンの手が止まる。店内の喧騒が、エルの耳には遠く感じられた。
「旅に出るの……? あの、妖精さんが言ってた『世界の危機』ってやつで」
「はい。各地に散らばった呪具を集め、浄化しなければなりません。僕にしかできないことなんです」
リィンの瞳が潤み、視線を泳がせる。彼女はエルの力が、どれほど過酷な運命を強いるものかを知っていた。だが、彼が一度決めたら譲らないことも知っている。
「……ずるいよ、エル君。そんな顔で言われたら、止められないじゃない」
リィンはエルの小さな手を両手で包み込んだ。彼女の手は温かく、少しだけ震えていた。
「約束して。絶対に、ここに帰ってくるって。呪具なんて怖いものに負けないで、ちゃんとお腹を空かせて、私の料理を食べに帰ってくるって」
「約束します、リィンさん。必ず、平和になった世界でまた、このシチューを食べに来ます」
エルの真摯な言葉に、リィンは無理に笑顔を作って頷いた。
その夜、エルはリィンが用意してくれた特製のお弁当と、ピコから授けられた『古の地図』を鞄に詰め、静かに町を出た。
「最初の目的地は、北にある『忘却の廃都』だよ。そこに、先代勇者すら封印を躊躇ったという『断罪の聖大剣』が眠っているはず」
夜道を飛ぶピコが、真剣な表情で告げる。
「断罪の、大剣……」
「そう。その剣を手にした者は、愛する者の記憶を失い、ただの破壊兵器に成り果てるという呪いがかかっているの。エル、本当に大丈夫?」
「大丈夫です。闇が深いほど、僕の光は強く輝けますから」
月明かりに照らされたエルの横顔は、やはりどこか幼い。
だが、その背負った覚悟の重さは、世界中の誰よりも重いものだった。
――こうして、少年聖騎士と、呪われた乙女たちを巡る旅が始まった。
まだ見ぬ「呪具の少女」たちが、闇の中で彼の救いを待っていることも知らずに。




