さよなら、ブスの山崎姫華
「ねぇ、今日もナンパされちゃった」
コンビニのバイトから帰ってきただいちゃんは、相変わらず冴えない顔をしている。前の私も同じ顔をしていた。整形して綺麗になったら、いままでの服が全部気に入らなくなった。こんなに綺麗で可愛い私には、大型スーパーの二階で売っている服は釣り合わない。
薄給を切り詰めて貯めたお金を全部使って、いまの私に似合う服を買った。はじめて行った新宿はどこもかしこもキラキラしていた。店員さんは私をみるなり「お姉さん綺麗ですね」といってきた。
買ったばかりの花柄のワンピースで歩いていたら、店を出て五分もしないうちに男の人に声をかけられた。道を聞くフリをした男の人は、私をカフェに誘った。夢かと思った。
男の人が私に声をかけるなんて、綺麗ですねというなんて、一目惚れだと告白するなんて!
整形する前は、キラキラしたファッションビルや男の人は怖かった。冴えない主婦向けの服を好んで着ていたし、男の人が向こうから歩いてきたら顔をうつむけた。目線があわないように顔をうつむけるだけでは不安で、わざわざ道を変えたときもある。逃げるように、地味に、雑草のように生きてきた。
雑草の人生をおくる山崎姫華はもういない。
薔薇色の人生がはじまっていた。
オドオドしていた自分が馬鹿みたい。女優さんみたいに綺麗になったいまから思えば、前の私はみっともなくて腹が立つ。不細工で暗くて頭も悪い。絶対に友達にはなりたくないし、関わりたくもない。
私に似合う装飾品を買ったらお金はなくなったのも、仕方がない。薔薇色の人生をおくる私にはいいものが似合う。必要経費みたいなものだ。
コンビニバイトでへとへとになった冴えないだいちゃんは、売れ残って値下げを繰り返された一枚五百円のTシャツを脱いだ。夏は終わったっていうのに、まだTシャツを着ている。デブは暑がりだから薄着なんだ。前は私も薄着だったから気にならなかった。季節外れの格好をするだいちゃんが気になって仕方がない。
そんなだいちゃんは、めかしこんだ私に首をかしげた。
「どこか行くの」
「竹下通り。スカウトされちゃうかも」
「いまから?」
シャワーを浴びようとしていた背中がくるりと振り返る。しけた顔。そんな顔してるから、コンビニの正社員にもなれないんじゃないの。
「メシは?」
「自分でつくって」
「今日は山崎の当番だよ」
「姫華って呼んでっていったよね。私にぴったりの名前なんだから。前の名前で呼ぶのやめてよ、その子はもういないの」
「……ごめん。でも、姫華、あれから当番ぜんぜん守らないよね。洗濯も掃除も料理も俺が」
「みて?」
SNSで人気のネイリストに彩ってもらったネイルをみせつける。ちゅるちゅるした半透明のベースに桃色が浮いている。ずっと憧れていたチークネイル。前の私には似合いっこない、ワンホン女子のチークネイル。
「こぉんなに綺麗なネイルしてるのに、玉ねぎなんか切れると思う? 掃除も洗濯もむり。ネイルに傷がついちゃう」
だいちゃんは長いネイルをイヤがった。地味で家庭的な支配できる女が好きみたい。
折りたたみ机の上にひろげた化粧品はそのままに髪を巻く。人気サロンでアレンジしてもらったら、芸能人みたいに可愛くなった。教えてもらった髪の巻き方にも、少しずつ慣れてきた。
化粧品もまだまだ欲しい。パーソナルカラーにあったデパコスが欲しい。骨格診断にも行って、私の可愛さを存分に引き立てたい。
「また買ったの?」
デパコスのアイシャドウをさわろうとする手から、ブラックのケースをひったくった。ぶくぶく太った汚い手でさわらないでよ。手荒いうがいの週間すらない人と、どうして「前の」私は同棲したんだろう。この人しかいなかったから、ほかの選択肢がない私には選ぶことすらできなかった。
「いいでしょ。このピンク、私に似合うんだから」
「こんなに買って大丈夫?」
「なにが」
「お金あるの?」
一着二万円近い花柄のワンピースは即決した。新宿の駅ビルでマネキンが着ていたワンピースは、都会で生きる女の香りがした。
「結婚資金も貯めてるんだから」
「あー、その話だけど、ちょっと考えたいかな」
「え?」
「だって、私、こんなに美人になったんだよ?」
サマーイエローの生地にベイビーピンクの花が咲いている。こんなワンピースを着こなせてしまう女には、ワンルームの木造アパートは似合わない。こんな家にしか住めない給料の男だって似合わない。だいちゃんはいい人だけど、いい人なだけじゃ生きてはいけない。
「いってきまーす」
「姫華!」
呼び止める声を無視して外に出た。憧れだったフリルのついた日傘をさして歩く私をみて、通りすがりの女子高校生が「芸能人かな」と話していた。
「なにこれ、こんなの食べられない」
だいちゃんはいつもカロリーの高い料理をつくる。炭水化物と脂質と糖質でつくられた料理。だから、そんなに太っているんじゃないの。
「何回もいってるよね。野菜中心のヘルシーな料理じゃないと食べない」
「……ごめん。今日は仕事がおしたから、時間がなくて」
「仕事って、コンビニのバイトでしょ」
だいちゃんはくちをつぐんだ。
「カレーライスは脂質と炭水化物が多いのに、豚肉なんかふつう入れる? デブの食べ物」
「……姫華も好きだったから」
「いつの話」
包帯が取れてから三ヶ月。ダウンタイムも順調に終わりへと近付いていた。いまでさえ可愛い顔は、腫れが完全に引けばもっと可愛くなる。楽しみで仕方がない。だから、太るわけにはいかない。
太ったりしたら、フォロワーになんていわれるか。
SNSには私よりも可愛くない女の子ばかりだったから、試しに投稿してみたアカウントは大好評。ダウンタイム中だから顔はのせていないのに、服装や雰囲気から「絶対美人」と騒がれている。元々デブだったから大きな胸もある私は無敵だった。質問箱を置いたら、一時間もしないうちに百件以上の質問がきた。
細いのに胸があるの憧れです!
ナイトブラとかしてますか?
おすすめのダイエット方法を教えてください!
いままで何人に告白されましたか?
お嬢様ですよね
スクロールしてもスクロールしても、私をほめたたえる質問しかない。たまにつく「加工詐欺」とかのアンチコメントは、私よりブスな人の僻みだ。私にはわかる。だって、この顔になる前の私も思っていたから。
「前にもいったよね。私の食べたいものつくらないなら、私の分はつくらなくていい」
「山崎」
「それ、ひとりで食べたら」
冷蔵庫から千切りキャベツとささみ肉を取り出す。レンジで五分加熱した野菜と肉を食べた。これなら絶対に太らない。千切りキャベツはコンビニで買えるから、自分で料理しなくて済む。
皿からこぼれそうな大盛りカレーをおかわりしただいちゃんは「あのさ」と話しかけてきた。最近はだいちゃんの声にすら腹が立つ。醜い人間が同じ空間にいるってだけで、公害だと思うようになった。
「身体は大丈夫?」
「なんで」
「そろそろ、新しい仕事を探すのはどうかな」
睨んだら、だいちゃんは手を振った。
「すぐに働けとはいわないよ。仕事を探すのもいいんじゃないかと、思っただけ」
コンビニの仕事は、入院中に辞めるという名のクビになった。あんな仕事、いまの私には釣り合わないしどうでもいい。
「俺ひとりで、生活費と山崎の小遣い渡すのは」
「もっといい仕事にしたら」
「……え?」
「ふたり分の生活費と私の小遣いも出せないのは、だいちゃんの給料が安いからでしょ。それでよく、結婚しようとかいえるね」
事故で入院したとき、目覚めた私にだいちゃんはプロポーズをした。家族でもないだいちゃんは昏睡状態の私の面会にも行けなくて不安だったと、泣きながらいわれた。包帯ぐるぐるでまともに話せない状態の相手にプロポーズなんて、センスのかけらもない。
退院したら籍を入れようと話していた。籍は入れていない。籍を入れる気は、日に日になくなってきていた。
黙っていただいちゃんは、しばらくすると「そうだね」といった。
「ごめん。俺の給料が低いから」
「そんなんじゃ結婚なんか無理」
もう一度黙っただいちゃんは、やっぱり「ごめん」といった。