コインロッカーベイビー
おかあさん……どこ…?
くらいよ……くるしいよ……
おなかがすいたよ………いきができないよ………
はやく帰ってきて………あんなおこったかおしないで………
ひとりはいやだよ………
建物の隙間から夕日が顔を覗かせる、逢魔時というには少し早いような時間。
黒鳥 京子こと鮫島 恭介はあまりの暑さに建物の影に寄りかかり、休憩をしていた。
「あっちぃ……日本やっぱおかしいんじゃねぇの〜?」
猛暑が続くせいですっかり昼間に出歩くことが億劫になってしまい、買い出しも日が落ちる夕方以降にまとめている。
しかし、幾らかマシといえどもこの暑さ、恭介はたまらずエコバッグからスポーツ飲料を取り出すと、ぐびりと飲み始める。
「くっそ…緩くなってやがる……」
先程スーパーから出た時には冷たく気持ちの良かったスポーツ飲料もすっかり常温と化してしまっていた。
恭介は微妙な顔をしながらも無いよりはマシといったようにゴクゴクと喉を鳴らしながらスポーツ飲料を飲み干す。
「あの〜……すみません。」
壁にもたれかかり、休憩していた恭介にスーツを着た男性が話しかけてくる。
片手にはスマートフォンを持っており、暑さのせいか襟には汗の跡が染み付いている。
「はい、何すか?」
いきなり見知らぬ男性に話しかけられた恭介はキョトンとした表情をする。
何か困りごとだろうかと男性の出方を伺っていると衝撃の言葉を投げかけられる。
「あの……いくらですか?」
「………はい?」
脈絡のない質問に恭介は困惑する。
急にいくらと言われても何のことか見当もつかない。
もしかしたら何か聞き逃したのかもしれないと思った恭介は男性に聞き返す。
「すいません…いくらって何すか?」
恭介が聞き返すと、男性は若干苛立ったように眉間に皺を寄せたが、すぐに返答してくれた。
「だから、いくらならシテくれるの??」
しかしその返答は相変わらず要領を得ない。
何をしろと言うのか?だいたい恭介は何かをしてあげるなど一言も発していない。
恭介が何のことか一生懸命考えていると、男は更に眉間の皺を深くさせ
「チッ!立ちんぼじゃねぇのかよ。紛らわしいとこにいるんじゃねぇよ!」
と吐き捨てその場を離れてしまった。
恭介は言われた時こそポカンとしていたもののだんだんと状況を把握していく。
「は……はぁぁぁーー!!?」
恭介は先ほどの男の失礼極まりない発言に怒りを覚える。
生まれてこの方22年間、男として過ごしてきた恭介は自分が立ちんぼ女子だと思われるなど微塵も思っていなかった。
しかも相手が勘違いしたのを逆ギレされ捨て台詞を吐かれるなど名誉毀損以外の何ものでもない。
「ふ……ふざけやがって………」
恭介はわなわなと怒りに燃えると先ほど飲み干した空のペットボトルを近くのゴミ箱になかば八つ当たりと言わんばかりに乱暴に放り投げる。
今ならヘソで茶を沸かせそうだ。
恭介はムカっ腹をたてながら、帰路につく。
(……それにしてもなんでまた…)
援交などに間違われたのだろう。
恭介はキョロキョロと周りをよく見ると、若い女性が幾人か先程の恭介と同じように壁にもたれ、スマホを弄っているのを目撃する。
しかし、グループという風でもなく個人個人で誰かを待っている様子だ。
(まさか……あれ全部立ちんぼ女子ってやつか………!?)
今まで気にも止めていなかったが、確かに日が落ち始めるとチラホラと若い女性が何をするでもなく立っていることがあったように思う。
(夜中の女の独り歩きとか危ないなぁとか思ってたけどそう言うことかよぉ……)
恭介の足は自然と早足になっていった。
この通りにいると自分もあの中の一員に思われてしまうのではないかと思ったからだ。
(うぅ……今までこんなこと考えたこともないのに……なんか自意識過剰な奴みたいだ………)
恭介はさっさと帰って黒鳥 楓華に癒されようと気持ち駆け足になって通りを抜けた。
その時、ふと人だかりが出来ているのを目撃する。
何事かと視線を向けると駅のロッカーの前でなにやらがやがやと人が集まっている。
「なんだ……?人が倒れてる………っていう雰囲気でもないよな?」
先ほどまで一刻も早く帰ろうとしていた恭介は何処へやら、恭介の足は自然と人だかりへと吸い込まれていった。
「うわ、変な匂い……」
ロッカーへ近づくたびに生ゴミのような腐敗臭が鼻につく。
恭介は集団の中後ろから背伸びして前を覗き込もうとしていると、ちょうど駅員がロッカーの鍵を開けるところだった。
次の瞬間
「きゃぁぁぁぁぁっ!!!」
「うわぁぉあっ!!」
と言った叫び声が野次馬の最前列から聞こえてくると、すぐさま蜘蛛の子を散らしたように野次馬は後ろに下がる。
恭介は押し寄せてくる人の波に抗いながら、ロッカーの中身を確認する。
駅員が腰を抜かし、尻餅をついたその向こうに
でろでろに腐敗しきった小さな赤ん坊が放置されていた。
「貴女はよく事件に巻き込まれる方のようだ。」
恭介はしわがれた声のする刑事に嗜められ、後頭部をかく。
「いやぁ……刑事さんに会ったのはまだ2回目っすよ……」
恭介の目の前には左目に傷のある刑事、八神 杜十郎が呆れた顔でため息を吐く。
ちなみに名前は今回初めて警察手帳を見せてもらい、発覚した。
「お前さん……2回“も”会ってるんだよ。普通刑事と顔見知りになることなんてないんだぞ全く…」
おっしゃる通りで……
恭介は何もいえずに苦笑いだけを浮かべている。
「それで…発見当初はどういう状況だったよ嬢ちゃん。」
「どうって……他の人と変わらないよ。ロッカーに人だかりが出来てたんで、気になって見にきたら……うぇっ」
恭介はロッカーの中の光景を思い出して嗚咽を漏らす。
「おっと、嬢ちゃん大丈夫か?悪かったな…思い出させちまって」
「いえ…大丈夫です……」
恭介はホラーも苦手だがスプラッターも苦手なのだ。
しかもロッカーに入ってたのは赤ん坊……全然許容範囲オーバーである。
「……ったく、最近の日本はどうなっちまってるんだかねぇ……」
八神がボールペンで頭をかきながらぼやく。
それについては全くもって同感だ。
暑さといい、赤ん坊の亡骸といい、普通あり得ないことが多すぎる。
「まぁ、兎も角嬢ちゃんも遅い時間の独り歩きは程々にしておきな、諸々と物騒な世の中だからな。」
「ういっす。」
すっかり夕日が見えなくなった頃、ようやく恭介は帰路につく。
死亡してからスマホを持っていない恭介は黒鳥に連絡することができない……そのため、帰りが遅い恭介のことを心配しているのではないかと焦り、自然と早足になる。
「不味いなぁ……怒られたりしたらどうしよう。」
怒った黒鳥もそれはそれで可愛いのだろうと夢想するが、美人の怒った顔ほど恐ろしいとも聞く。
どちらにせよ嫌われたくないのでできるだけ早く帰宅しようと更に足を早めた。
いつもの通りに出たところで恭介はやっと一息つく。
ただでさえ蒸し暑いというのに急いだためか余計に暑い。
下乳らへんが蒸れて熱がこもっているのを感じ、襟元をパタつかせる。
(前はこんなことなかったんだけどなぁ……)
一生抱えることがなかったであろう悩みに苦しめられつついつもの喫茶店ウィッチがある裏路地へと入る。
次の瞬間、恭介の目の前で何かが振り落とされたかと思うと衝撃と共に恭介の視界が揺れる。
何を考える暇もなく、恭介はふらつき、買い物袋を手放してしまう。
重力の制御化に陥った買い物袋は自然の法則に従い、地面に落ちる。
牛乳パックの角は潰れ、卵のパックは割れ、恭介は頭から血をドクドク流しながら倒れる。
「やば……うっそ………勘違いだった…………?」
いやに遠くから女性の声が聞こえてくる……しかし、それは目の前の人物から発せられているようにも感じる……キーンとなる耳鳴りのせいでよくわからない。
ぐるぐる回る視界と、ぐるぐる回る思考の中、恭介の脳は目のまえの女性をそのまま言葉にするのが精一杯だった。
「地雷……系…?」
恭介の意識は夜闇と同じ暗闇に静かに沈んでいくのだった。
______「おぅい、生きてるかい?死んでるわけないか。」
鈴の音のような心地よい声で恭介は目を覚ます。
「あれ…ここは……」
恭介はむくりと身体を起こすとあたりを確認する。
「………黒鳥さん。」
「やぁ、恭介くん。おはよう。」
嗚呼、黒鳥さんにおはようと起こされるだなんて……まるで新婚さんのようじゃないか。
………ちがう、そうじゃない。
なんで恭介は地面の上で寝ていたのか。
「ありゃりゃ……卵はすっかりダメだね……牛乳パックは角が潰れてるけど無事かな。」
「あの……俺………」
買い物袋から散らばった食材達を集めている黒鳥に恭介は声をかける。
「恭介くん、どうやらキミは誰かに襲われたみたいだよ。」
黒鳥の言葉で先ほどの光景が思い出される。
そうだ……この裏路地へと入る時に何かに殴られて……
改めてあたりを見回すと、地面にはすごい量の血液が流れ、染み込んでいる。
サスペンスドラマで見るような血の量だ、明らかに致死量だろう……。
それとは別に血のついた鉄パイプが床に転がっていた。
これはこの路地裏に何本か放置されているのを見たことがあるのでそのうちの一本だろう……。
「!!?」
恭介は不意に股間の感触に驚く。
目をやれば、黒鳥が恭介のズボンのボタンを外して下ろそうとしているではないか。
「ちょっ!!黒鳥さん……!!?ま…待って!何を………」
何をしようとしているのかなど見ればわかる。
ズボンを下ろそうとしているのだ。
恭介は慌てて黒鳥を止めようとする。
心の準備がまだできていないし、何よりここは野外だ。
「大丈夫、強姦はされていないわ。」
黒鳥は恭介のパンツを捲ると呟く。
恭介の顔面はどんどん紅葉していき、ズボンを上げる。
「く…黒鳥さんっ!」
「あら……ごめんなさいね恭介くん、金銭の類は無事のようだからもしかしてと思って……」
黒鳥の言葉に恭介は身震いする。
強姦される可能性があるというのか……。
「だ…大丈夫ですよ……それに、殴ったのは女性の様でしたし……」
最後に見えた光景……
あれは確か地雷系ファッションと呼ばれる様な服装ではなかったか……
「そう、何はともあれ災難だったわね。今日は早めに休みましょう。」
黒鳥に肩を支えられて恭介は喫茶店へと向かう。
最近好きな人の前で情けない姿ばかりを晒している様な気がして仕方がない。
_______翌朝。
「朝は過ごしやすいんだけどなぁ。」
恭介は少しひんやりとした心地よい空気の中、喫茶店ウィッチの前を掃除していた。
理由は言うまでもなく血の池の始末である。
こんなものが染み付いていたのでは客足の衰退はおろか、近隣住民に通報されかねない。
恭介は人目のつかないうちに血痕を始末する必要があった。
「しかし……なかなか落ちないな…コレ……」
すっかりアスファルトに染み込んでしまった血液はなかなか落ちてくれない。
食器用洗剤が動物性タンパク質を洗い流すのにいいと聞いたので使っているのだが、期待できそうにない。
恭介はため息を吐きながら休憩と言わんばかりに立ち上がり、腰を伸ばす。
「……ん?」
恭介の視界の先にはピンク色と黒のひらひらとした服がチラついていた。
電柱の影に入り、隠れているつもりなのであろうが、その主張の激しい色とレースのついたスカートが否応なく存在を主張している。
「………地雷系」
恭介はその見覚えのあるファッションの人物に狙いを定めると、じりじりと近づいていく。
その人物も近づかれているのに気付いたのか、慌てた様子で逃げる場所を探していた。
しかし、それも虚しく恭介とその人物は邂逅をはたす。
「アンタ………俺を殴った奴だよな……?」
「…………えっと…ちょっと何言ってるかわかんない…です。」
まじかコイツ。
この後に及んで誤魔化せると思ってんのか?流石に無理があんだろ。
完全に目が泳いでるじゃねぇか。バッシャバッシャ泳いでるよ、縦横無尽じゃねぇか自由形ですか?ええ?
恭介は荒ぶる心を落ち着かせる。
見たところ相手もまだ若い……こう言う時は頭ごなしに問い詰めるのではなく、言い出しやすい空気を作ること……恭介は仏の心を意識して深呼吸すると…………眉間に皺を寄せたまま睨み返した。
「俺はまだ警察に被害届をだしちゃいない。素直に謝罪するならあそこの血痕の掃除を手伝うだけで許してやろう。もしホントに違うってんならしゃあないから警察に被害届をだすけど……」
「本当に申し訳ございませんでした!」
目の前の地雷系少女は瞬時に頭を下げる。
恭介は無言でブラシを少女に手渡すと、血痕のある位置に戻る。
「美人が怒ると怖いって…マジじゃん………」
少女は半泣きで呟くと恭介の後に続いた。
少女と恭介はしばらく無言のまま掃除を進める。
地雷系ファッションのせいで多少幼く見えるが、それを踏まえても17〜8歳くらいだろうか?そんな少女が何故人の頭を殴るという様な強行におよんだのだろうか。
「おい……アンタなんで俺のこと殴ったんだ?」
恭介の問いかけに少女はビクリと肩を振るわせる。
相当怖がられている様だ。
「それは……貴女が私のストーカーだと思ったからです………はい………」
恭介は驚きのあまり口をあんぐりと開けて少女を見つめる。
どうしてストーカーなどと見間違われなければならないのか。
視線の意図を察したのか少女は続けて白状する。
「だって貴女私が早歩きになると早歩きでついてくるし……駆け足になると駆け足でついてくるし……!」
「なっ……!俺がいつ………!」
そこで恭介は昨日の行動を振り返る。
そういえば帰宅を急ぐあまり早歩きになったり駆け足になったりしたかもしれない。
しかし、それは黒鳥に心配をかけないためであって、決してこの少女をつけまわしていたわけではない。
第一昨夜は暗かった……前方にこの様な少女がいたのにすら気付いていなかったのである。
「だ……だって………足音だけして…怖くて振り返れなかったし………だからこの路地裏に潜んでここにまでついて来たらストーカー確定だと思って………撃退しようとしたら………….女の人で……買い物袋持ってて……」
それで間違えて殺したと思ってそのまま逃げたわけか……んで、死体をそのままにしたと思って不安になりきてみれば、その死体は元気に掃除をしていたと………
「ついてきたのが女の人だったからストーカーじゃないってのは少し早合点なんじゃないのか?今時同性のストーカーだっているだろ。」
あまり聞いたことはないが、いることはいるはず……同じ女だからといってストーカーじゃないと言うのは早計だろう………いや、ストーカーでも女でもないが……
「いや……ストーカーの大体の目星はついてて……だから………」
なるほど、その目星が男だってわけか……
「そうだとしたら警察に言ったほうがいいぞ。最近は怨恨ですぐ刺されるからな。」
怨恨がなくても爆死もする。
「警察なんて当てにならないし……」
出た。
何の根拠もなく警察が当てにならないと批判する奴。
まぁ、ストーカー被害だと実害がないと動けないのは確かなのだが………
「では調査を依頼してみてはいかがでしょう。」
二人の背後、路地裏の方から鈴の音のような声がする。
少女はギョッとした様子を見せると、いつのまにかチラシを持って背後に立っていた黒鳥に気圧されている。
「うっ……うそ……ドッ……ドドド…ドッペルゲンガー……!!?」
少女は黒鳥と恭介の顔を交互に見合わせ後退する。
「え……?あれ…違うか………」
少女はしばらく驚いていたものの黒鳥と恭介の胸部を見比べて落ち着きを取り戻す。
「……キョウちゃん、やっぱり調査事業の紹介止めるわね。」
黒鳥の表情に変化こそないがだいぶ怒っている様子だ。
何日か一緒に過ごしてきたのだ。彼女の喜怒哀楽の機微には敏感になった。
「ま……まぁまぁ…黒鳥さん…一応話だけでも……」
「キョウちゃん、違うでしょ?」
黒鳥は短く告げる。
可愛い……可愛いのだが………こればかりは羞恥心と男としてのプライドが邪魔をする…。
「ね……姉さん………」
「うん、よろしい。」
恭介は耳まで真っ赤にして固まっている。
おかしい、この時間帯はまだ空気も涼しげで過ごしやすい筈だ………なんでこんなに変な汗が止まらないのだろう。
「お…姉さん……?ああ…姉妹なのね……」
少女は納得したと言うように胸を撫で下ろす。
その様子の彼女に黒鳥は改めてチラシを渡す。
「私達の営業している喫茶店ウィッチは調査事業も請け負っております、失せ物探しから不可思議な出来事まで…様々な調査に対応しております。」
恭介も初めて喫茶店ウィッチを訪れた際勧められた。
思えばこのチラシが全ての始まりだったかもしれない。
「………。」
少女は渋い顔をしながらチラシを見ている。
わかる。
奇抜なデザインで読みづらいよな……。
でもそのデザインは黒鳥 楓華がデザインし、しかも自信ありげに気に入っておりそれがまた可愛いのだ…許しておくれ。
「これって……探偵みたいな話?護衛みたいなこともしてくれるの?」
少女はチラシから目を離すと黒鳥に質問する。
なかなか乗り気のようだ。
「ええ、もちろんです。まぁ、どんな人がどんな手口で襲ってくるのか等最低限の情報は要求しますが……」
黒鳥の言葉に少女は食いつく。
「わかった!頼むわ!!そんであのストーカーをギタギタにのしてちょうだい!」
_______その日の夕方
「なぁ……?ストーカーに悩まされてんだよな?」
「そうだけど?」
恭介と地雷系ファッションの少女こと【三浦 魅堵】は繁華街の路地を歩いていた。
彼女がどうしても寄らなければならない場所があると言うのでボディガード兼調査の一環で恭介がついてきたかたちだ。
「さぁーついたついたー!」
魅堵が足を止めた場所は良くあるホストクラブだった。
「おい……まさか来なきゃいけない場所って………」
「そう!ここ!」
恭介の危機回避レーダーが危険信号を発している。
こう言う場所はぼったくられると相場が決まっているのだ。
騙し取られ、搾り取られて最後には借金漬けに陥る日々……
恭介はそこまで想像すると、魅堵に引き返すように促す。
「ダイジョーブ!大丈夫だってぇ!京子さんって結構ウブなんだね。」
しかし魅堵は恭介の警告を軽くあしらうと行き慣れたと言うように入店していく。
正直入りたくはないが、一人にするのも心配なため、意を決してホストクラブへと足を踏み入れる。
「姫ー!今日も来てくれたんだ!俺嬉しいよー!」
「あーん!タクヤー!魅堵会いたかったー!❤︎」
店に入るや否や、金髪で線の細い、スーツを着崩したようなチャラチャラした男が魅堵と会話をしている。
「あれー?そっち娘は初めましてじゃーん?姫のお友達ー?」
「そー!こういうとこ初めてだってから色々教えてあげよーって思ってー!」
「ふぅー!姫優しぃー!姫のお友達も美人さんじゃーん!よろしくねー!」
恭介の周りを複数のホストが囲んでくる。
やばい、この空気苦手だ。
何というか、パチンコ屋の前を通ったようなあの雰囲気に似てる。
「いやぁ…はは……どうも…」
恭介は苦笑いに似た愛想笑いを向ける。
何というかもうすでにここから抜け出したい。
「やべー!もしかして緊張してるぅー?可愛いねぇー!ねねっ!君名前なんていうの??君になら色々とサービスしちゃうよー??」
「ちょっとー!魅堵のこと忘れてるでしょー!」
「嫌だなぁ!忘れてないよミトちゃーん!」
恭介と魅堵はホストに促されるように席へと誘導される。
魅堵は入店した時に話していたタクヤというホストにベッタリであったが、恭介はなんだか居場所がないような、逃げ出したいような……とにかく気が気ではない。
「なになに?姫のお友達すっごい美人だよねぇー?そんなTシャツだけなの勿体無いよー!もっと着飾ったとこみたいなぁー?」
「は……はぁ…」
ホストが肩を組んできて馴れ馴れしい。
ホントに早く抜け出したい。
「ちょっとー!魅堵は?魅堵はどうなのよー?」
「姫ももちろん可愛いよー!当たり前すぎて言い忘れちゃうんだよねぇー!」
「へぇー?じゃあ今日はどうしよっかなぁー?」
「もち!あれ!あれいっちゃうでしょー??」
周りでどんどん話が進んでいく。
恭介は何が何だかわからないまますっかり借りてきた猫状態であった。
「ふぅん?じゃあ今日もシャンパンタワーいっちゃおうかなぁー!」
「ふぅーー!さっすが姫ーー!世界一可愛いよぉー!!シャンタワ入りましたふぅーー!!!」
周りの掛け声に気圧されて恭介は身を屈める。
シャンパンタワーって結構するんじゃないのだろうか。
恭介はテーブルに置かれた料金表を見て衝撃を受ける。
(ひゃ……百万………!)
あんなグラスに並々と注がれたお酒が百万も……!?
というか仮に百万の飲み物をあんな雑に注いでんのっ!?
恭介は苦学生時の癖で頭の中で計算をしてしまう。
時給が1.480だとして、コンビニバイトで100万稼ぐには……675時間っ!!?28日ぐらい……だいたい一ヶ月の給料をこんな一瞬でシャンパンタワーのために溶かしたのか!!?
「タクヤのー!ちょっといいとこ見てみたいー!!」
恭介が驚愕の表情を浮かべている間に周りではコールが始まっていた。
「「はい!飲んで飲んで飲んで!飲ーんで飲んで飲んで!」」
魅堵とその他のホストたちが飲んでコールをするとタクヤと呼ばれたホストがビチャビチャとシャンパンを浴びていく
(あーあーあーあー!!アレ百万なんだろ!?百万円……!百万円が溢れていく………!)
百万円があったら何ができたろう?家賃や学費は勿論……水道代電気代だって賄える。しばらくの食費も気にしなくて良さそうだ………。
恭介は驚きと呆れが織り交ぜられた感情で端的に住む世界が違うと思い知らされた。
その後も魅堵の宴は続いていったが正直恭介はあまりよく覚えていない。
提供されたお酒も、出されたつまみも碌に喉を通らなかった。
気がついた時には「京子ちゃん次からはアフターも呼んでねー!」というホストの声で店をおくられたところであった。
「やぁー!楽しかったでしょー!?やめられないよねー!」
隣の魅堵は元気満タンというような素振りを見せていたが、正直恭介はクタクタに疲れていた。
ここ最近様々なことが起こったが、今晩が一番応えたかもしれない。
「でもちょっとヤバめになっちゃったかなー?またおぢに貢いでもらわないと。」
「おぢ……?」
疲れきった恭介は聞き慣れない単語を復唱することしかできなかった。
まるでオウムかインコだ。
「そそ!明日あたり立っておぢに軍資金もらわないとねー!」
立つ…おぢ……この二つの単語で恭介でも簡単に連想できた。
この前恭介が間違われたもの……“援交”だ…。
「お前……まさかだけどそのストーカーって……」
恭介は嫌な予感を覚えて魅堵に問いかける。
間違いであってくれ……見当違いの考えすぎで……そんなことはないと………
しかし現実は非常である。
「そそ、前のおぢ。なんか運悪くそいつの子供妊娠しちゃったみたいでさー……しつこく迫ってくるんだよねー。」
魅堵のどうでもいい話と言った様子に恭介は驚愕する。
コイツは……目の前のこの女は何を言っているんだ?
「そ……その子供っていうのは………」
恭介の口から自然とその質問がでていた。
本当は聞きたくない。
こういう場合、事態は最悪な転がり方をしていることが多い。
「勿論捨てたよー!だって子供とかいらんし。」
恭介の頭に駅前のロッカーの光景がフラッシュバックする。
あのデロデロに腐った胎児に近い赤ん坊の亡骸が……
「お……お前………正気か…………?」
恭介はありえないものを見るような目で目の前の存在を見つめていた。
ここ最近あった怪異や犯罪者の誰よりも悍ましい。
「あれ?京子さん怒ってんの?ダル……別にアンタには関係ないじゃない。」
その瞬間、恭介は目の前のモノの襟首を掴んでいた。
目の前のモノは嗚咽を漏らしながら宙に浮き、足をジタバタと動かしている。
その足は恭介の腹部や胸を蹴り上げるが、人造人間である恭介は微動だにしない。
鉄塔に吊るされた人のように、百舌鳥に吊るされた蛙のように、ソレは苦しげにもがいている。
「お前……そいつはお前の子供じゃないのかよ……。お前が産んだ家族じゃないのかよ?」
恭介の問いかけにソレは応えない。
苦しげにもがくだけだ。
「子供が……親をどんな気持ちで待ってたかわかんのかよ………!」
恭介はかつての光景を思い出す。
買い物に出かけた両親がずっと帰ってくるのを待っていたあの玄関を……
「ま……はな…くるし………」
息を漏らすような声に恭介はハッと我に戻り、手を離す。
宙に釣られていた魅堵はドサリという音を立てながら地面に落ち、嗚咽を漏らしている。
「わ……悪い……」
「もう!どいつもコイツもなんなのよ!!」
謝罪しようとする恭介を静止するかのように嗚咽を漏らしていた魅堵が怒号を上げる。
「家族が何よ!子供が何!?親なんてみんな糞みたいなもんじゃない!!あたしの元に産まれてくるのが悪いのよ!あたしのとこに来たって幸せになれるわけないでしょ!!?」
魅堵は半ば八つ当たりのように恭介を睨みつける。
「アンタもアンタよ!!アンタあたしの護衛でしょ!?ストーカーから守ってくれるんだよね!?そのアンタがあたしに暴力振るってどうすんのよ!!」
「……お前なっ……」
近寄ろうとする恭介に向かって魅堵は鞄を投げつける。
「こないで!!あっち言って!!」
魅堵は叫びながら投げつけた鞄を放置して走り出す。
「おい!」
恭介は鞄から散らばった物を急いで拾い上げると魅堵の後を追う。
気に食わない奴なのはそうなのだが、魅堵はストーカーに狙われている身なのだ。
放っておくわけにはいかない。
喫茶店ウィッチの近く、玖波山公園に三浦 魅堵の姿はあった。
ブランコに座り泣き腫らしたのか、アイメイクはすっかり剥がれて黒い涙を流したように頬を伝っていた。
「………ん。」
恭介は魅堵に鞄を渡すと隣のブランコに腰をかける。
「アンタ……よく追いかけてくる気になったわね……普通放置するでしょ……」
「人のもの持って帰れるかよ。」
二人ともそっけないやり取りをしたのち、しばらく静寂がその場を包む。
「あのさ……」
息苦しい沈黙を先に破ったのは魅堵の方だった。
「あたしの親って所謂毒親でさ…褒められたことなんて一度もないし、ご飯だって作ってもらったことない……アイツらのとこにいて幸せだと思ったことないし、口を開けば文句や愚痴ばっかりだし、アイツらもあたしなんて産む気じゃなかったって……じゃあ育てようとすんなよって感じだよねぇ……」
自虐を交えたような独白を魅堵は呟く。
それは恭介にはよくわからない。
彼の記憶の中にある限り、彼は両親には愛されていたのだから。
「だからって赤ん坊捨てて良い理由にはなんねぇだろ。」
「……うん。」
また公園内を静寂が支配する。
恭介はこの言葉が正しかったのかどうかわからない。
だけれど経緯はどうであれ、アレは立派な殺人だ。
不幸の連鎖を断ち切る手段としてアレは最悪の手段だった。
「なんにせよ、今日は送るから……帰るぞ。」
「…………うん。」
恭介の呼びかけに魅堵は立ち上がり、歩き出す。
「アンタはいいよね……優しそうなお姉さんがいてさ。」
「……まぁ」
確かに戸籍上は黒鳥さんが姉ということになっている。
しかし、彼女は本当の家族ではない。
いつの間にかふらっといなくなってしまいそうな…ふと興味を失われてしまいそうな……そんな不安が付き纏っている。
(俺は未だに……家族ってものに強く惹かれているんだろうな……)
養護施設で育った10年間が恭介をそうさせたのだろう。
今はもう霞がかかり、ろくに思い出せないあの日々を恭介は恋焦がれているのだ。
恭介達は電車に乗り、魅堵の澄んでいるアパートへと到着する。
電車に乗った際、女性専用車両の空き具合に驚愕したのは内緒だ。
「待ってて、鍵開けるから。」
魅堵が鍵を開けている最中に恭介はドアの隙間に目が止まる。
死亡する前……この身体になる前は同じようなアパートに住んでいたのもあり、自然とドアの隙間に目がいってしまうのだ。たまに郵便受けではなくこういうところにチラシや手紙が挟まっていることがある。
「…………ん?なんか挟まってるけど?」
「え?」
恭介はドアの下の隙間に何やらカードのようなものが挟まっているのを発見する。
魅堵がソレを手に取り、裏面を見た途端、みるみるうちに顔面蒼白に陥っていく。
「おい、なんだよ。」
恭介は魅堵からそのカードを受け取ると、裏面を読み上げる。
【話は全部聞いていたよ。つまりもう僕たちの愛の結晶はなくなってしまったんだね。残念だよ。】
まるで定規で線を引いたような文字がカードには書かれていた。
恭介は魅堵から鞄をひったくると中身を全てぶち撒ける。
「ちょっと!何すんのよ!」
「わかんないのか!?盗聴器を探してんだよ!!」
“僕たちの愛の結晶”とは多分赤ん坊のことだろう。
つまりこの手紙の主はストーカーになったという前のおぢ……。
ソレでいて赤ん坊を殺したという話は恭介と魅堵の間でしかしていない。
それもつい先ほどだ。
つまり、その会話内容を知っているということは魅堵の持ち物の中に盗聴器が仕込まれている可能性がある。
恭介は魅堵の持ち物を入念に調べていくが、盗聴器のようなものはみつからない。
恭介は必死に頭を捻り、可能性を考える。
「なぁ!?最近スマホのバッテリーが早く消耗するとかないか!?」
恭介の問いかけに魅堵は戸惑いながら答える。
「う……うん…でもこの機種使って結構経つし……」
「もしかしてそのスマホ…そのおぢ……ストーカーに買って貰ったわけじゃないよな!?」
魅堵はこくりと頷く。
間違いない、盗聴器はそのスマホだ。
つまりストーカー調査のことも護衛のことも全部バレている。
「おい!スマホの電源を完全に切れ!スリープモードじゃないぞ?!」
「な…なんなのよもう!」
恭介の剣幕に魅堵は困惑しながらも言われた通りにする。
スマホに盗聴アプリを仕込むような奴だ、位置情報アプリも入れていることだろう。
「魅堵!今日はこのアパートじゃなくて喫茶店ウィッチに泊まれ!ここは危険だ!!」
恭介の圧に押されて魅堵はコクコクと頷く。
二人は蜻蛉返りするように電車に乗る。
駅の改札を通り過ぎ、コインロッカーの横を走り抜け、喫茶店ウィッチのある裏路地へと走る。
「あら、キョウちゃんおかえりなさい。」
喫茶店ウィッチのドアを開けると、ちょうどお風呂上がりの黒鳥と出くわす。
湯上がり美人というのはまさしくこのことを言うのだろう。
「く…姉さん……今日ちょっと事情があって魅堵さんのこと泊めようと思うんだけど……」
「お……お邪魔します。」
全くやましいことはないのだが、恭介は酷く緊張してしまう。
泊まりの許可を取るだなんて産まれて初めてかもしれない。
「あらあら、どうぞ。多分調査の一環よね?」
黒鳥は考えることもなく二つ返事でOKする。
恭介のことを信頼しているからなのか、それとも興味ないからなのか……恭介は前者であることを深く願った。
「あー……でも布団は二つしかないものね……。キョウちゃん一緒に寝る?」
なんと言う申し出だろうか!?
恭介の顔はみるみるうちに赤くなっていく。
本当なら今すぐにでも飛びつきたい。
しかし今晩ばかりはそう言うわけにはいかないのだ。
恭介は血反吐を吐く思いで黒鳥の申し出を断った。
_______その晩。
喫茶店ウィッチの近くをコソコソと動く影があった。
その影はピッキングの道具をポケットから取り出すと、手際よく喫茶店のドアを開け、侵入する。
次の瞬間
その人物をスポットライトのように喫茶店の照明が照らす。
「盗聴もできない、位置情報も見れない……魅堵の家にもいないと分かったら絶対ここにくると思ってたぜ?ストーカーさんよ?」
男の目の前には壁にもたれかかり、照明のスイッチに手をかける恭介の姿があった。
「つーかお前!俺を援交だと勘違いした奴じゃねぇか!!」
ストーカーの姿に恭介は見覚えがあった。
忘れもしない、恭介に屈辱を与えた男その人だったのだ。
「お前…魅堵ちゃんを何処に隠した……?」
男は鼻息を荒くして恭介を睨む。
恭介は落ち着かせるために対話を試みる
「まぁ、少し落ち着けって…こんなことしても意味ないって。」
しかし恭介の言葉は逆効果だったようで男は憤りを露わにする。
「くそがんなこと最初っからわかってんだよ!!意味ないって……誰のせいでこんなことに……女ってのはホントに………!お前みたいな美人は尚のことだ……!産まれた時点で人生イージーモードが確定してやがる!!だから俺みたいな奴を相手にそうやって馬鹿にして!!」
男は日頃の鬱憤を撒き散らすように恭介へと怒鳴り声を上げる。
勘弁してほしい、上では黒鳥さんが睡眠中なのだ…睡眠妨害はやめてほしい。
「あのな……同情はするけどさ?でもだからと言ってストーカーは駄目だろ……?そんなことしてもこれからの人生棒に振るだけだって。話し合いの場なら俺が間に立つからさ……な?」
恭介は相手を落ち着かせようと笑顔で対話する。
しかしソレもまた逆効果だったようで男は恭介に襲いかかる。
「ヘラヘラしてんじゃねぇ!クソアマぁぁっ!!」
男は懐からナイフを取り出したかと思うと、恭介の腹部目掛けて突撃してくる。
「痛っっつ!!!」
恭介は腹を刺されたものの、両腕でその男の腕を掴み、捻りあげる。
「いだだだだだっ!!」
男は痛みのあまり悲鳴をあげるも、逃れることができない。
「ちょっ……!しぃー!しぃー!!黒鳥さん寝てんだからもー!!」
恭介は男の首筋に手刀をいれる。
「痛っ!!お前っっ!!!」
しかし、男は気絶するどころかさらに怒号を上げる。
「あれ?おかしいな……」
恭介は角度を変えてもう一度首筋に手刀をお見舞いする。
しかし、男が気絶することはなく、さらに怒りは蓄積しているようだ。
そんなこんなしているうちに厨房の方から足音が聞こえてくる。
姿を現したのは三浦 魅堵であった。
「み……魅堵ちゃん!」
「お前!何出てきてんだよ!!」
魅堵は恭介達に近づくと、男の目の前に立つ。
「あの……ごめんなさい…お金騙し取ったりして……必ず返すからさ……」
それだけ呟くと、魅堵は男の首筋に何かを当てる。
その何かはバチチっと音を立てて一瞬眩く光る。
「み……とちゃん…?」
男はガクンと気を失うと脱力する。
「お前……何したんだよ?」
恭介が改めて魅堵の手元を見ると、そこにはスタンガンが握られていた。
「ストーカーに狙われてたんだもん、護身用に待っとくよね。」
魅堵の発言に恭介は呆れるも、すぐに話題は恭介の腹部のことに移る。
「アンタ!それっ!!」
「あ、あー……だ、大丈夫大丈夫……痛いけど大丈夫なんだよね。」
恭介は苦笑いをしたあとに歯を食いしばるとナイフを引き抜く。
みるみるうちにTシャツが赤く染まっていくが、話題を逸らすように、地面に倒れている男へと視線を向ける。
「さて……コイツどうすっかな……一応住居不法侵入されてるわけだし……」
「あの…そのことなんだけどさ……勘弁してくれない……?元はと言えばあたしのせいだしさ……」
魅堵の申し出に恭介は驚きを隠せないながらも頭を掻く。
魅堵をストーカーしていたのもそうだが、その間にも恭介を援交と間違えて声をかけたりと普通に他の援交にも手を出していそうであり、危ないような気がするのだが………
「いや、一応警察に突き出すべきだね。魅堵が責任を取るように、コイツもやったことの責任は取るべきだよ。」
恭介の言葉に魅堵は俯く。
厳しいようではあるが、それが一番いいように思うのだ。
「分かった……あたし…警察には自分で行くからさ………そいつのこと頼んでもいい?」
魅堵は顔を上げ、恭介の目を見て答える。
その目には確かに決意が籠っているような気がした。
「まぁわかったよ……じゃあ俺今から通報するからさ……自分で出頭する気ならさっさと行きな。」
「うん………ありがと………。」
三浦 魅堵はぺこりと頭を下げると、喫茶店を後にする。
ドアが閉まると同時にカランコロンと小気味いい音が店内にこだました。
三浦 魅堵は自首する覚悟を決めて駅近くの交番へと向かう。
死体遺棄罪は免れないだろう。
しかし魅堵の決意は固く、これから再出発を行うためにもケジメが必要だった。
駆け足で駅を通り過ぎる際、ふとコインロッカーの方へと視線が向く。
あの場所は三浦 魅堵の罪の場所。
小さな命を奪った場所。
今までなんとも思っていなかったはずなのに魅堵の胸はキュッと締め付けられる感覚がする。
よそ見をしていたせいか、足元で何かがぶつかったような感触がする。
ふと視線を移せば、四、五歳くらいの子供が泣いているではないか。
先ほどぶつかってしまった際に泣かせてしまっただろうか?
「ごめんね、痛かった……?大丈夫?」
心配して魅堵が語りかけても子供は泣きじゃくるばかり……
ふと魅堵は疑問に思った。
こんな夜遅い時間帯にこんなに小さな子供が一人で出歩いているものだろうか?……と
魅堵は泣きじゃくる子供と自分を重ねて心配になる。
「ねぇ…キミ、パパとママは………?」
喫茶店ウィッチのカウンター席でモーニングセットに舌鼓をうつ、初老の男性がいた。
よれよれのスーツを身に纏い、すり減った革靴を履いている。
「おっさん、助かったよ……通報ってしたことないから何言えばいいかわかんなくて……」
黒鳥 京子はカウンター席に座っている八神 杜十郎にお礼を言う。
あの後通報したは良いもののテンパってしまい、支離滅裂な受け答えを通信司令室にしていたのをたまたまその日非番前の夜勤だった八神が変わってくれたことによって難を逃れたのだった。
「いやいや、それにしても災難だったね、夜中に不法侵入されるだなんてさ……」
「ははは………」
結局あの男については不法侵入だけで通報した。
ストーカーの件については遅かれ早かれ発覚するだろう。
「そういや、コインロッカーの件ってどうなりました?」
恭介は白々しく聞いてみる。
あの後魅堵は自首したはずなのだから解決したことは知っているのだ。
「お前さんな……そんなおいそれと操作状況を漏らすわけないだろ?警察舐めんじゃないよ。」
八神の言葉に恭介は多少違和感を覚える。
操作状況を話せないと言うことは操作は続行している?それとも解決したとしても普通に話せないのだろうか?
……恭介は最悪な予感をしてしまう。
三浦 魅堵が自首するふりして逃亡した可能性だ。
そんなことはないだろうと思いたいが……
「それって、コインロッカーに赤ん坊が遺棄されていた事件ですよね?ニュースになっていましたよ、“コインロッカーベイビー”の再来か……って」
八神と恭介の会話に黒鳥が混ざる。
黒鳥の言葉に八神は渋い顔をした。
「なんすか?その“コインロッカーベイビー”って……」
恭介の疑問に黒鳥が答える。
「文字通り、コインロッカーに新生児が遺棄された事件よ。都市伝説として語られることもあるけれどこればかりは本当にあった事件なのよね……。」
黒鳥の説明に八神が付け加える。
「コインロッカーは機密性が高く、第三者が開けることが少ない……そのため今回みたいなことが結構あったんだ………。」
八神は苦々しい顔をしながらコーヒーを啜る。
彼はもしかしたら今回みたいな事件は初めてではないのかもしれない。
「コインロッカーベイビーといえばある都市伝説を思い出すわね。」
「都市伝説ですか?」
独り言のように黒鳥が呟く。
毎度のことながらよせば良いのだが、恭介は反射的に聞き返してしまった。
黒鳥は聞き返した恭介を見つめ返すと微笑みながらいつもの語り句を唱える。
「これは友達の友達から聞いた話なのだけれど……」
この語り句を聞くと恭介は自然と生唾を飲むようになっていた。
「あるところに身籠り、出産した女性がいたのだけれどその女性は子供を望んでいなかったのね。出産したばかりのその子をその女性はコインロッカーに捨ててしまったの………数年後、たまたまそのコインロッカーの近くを通りかかったその女性は近くで小さな子供が泣いていることに気付いたのね?心配になった女性はその子に問いかけたの。大丈夫?ママは何処にいるの?って………そしたらその子、振り返ってこう言うのよ_______
「お前だよ!!」