だるま女
昼過ぎだというのに夜中のように暗い道を白と黒の模様のついた車から降りる漢がいた。
雨はそれほど強くないが、稲光が眩く光り、さほど時間がかかることなく轟音が響く。
「雷さんが近いな……くわばら、くわばら……」
片手で雨を遮りながら、パトカーから降りた男【八神 杜十郎】は黄色いテープへと歩いていく。
慣れた手つきでテープを潜ると、近くにいた鑑識に声をかける。
「仏さんは?」
「……酷いもんですよ。私が第一発見者なら叫び声を抑えられる自信がありませんね……。」
鑑識が指をさす方向にその仏さんは居た。
四肢を綺麗に切断され、乱暴された後の残る痛々しい遺体が………
「………酷いことをする奴がいたもんだ…」
______喫茶店ウィッチ。
「………暇だ。」
黒鳥 京子こと、鮫島 恭介はカウンター席に座りながら頬杖を付き、天井を回るファンをただただ見つめていた。
この喫茶店ウィッチの店主である黒鳥 楓華が材料の買い出しに出掛けている間の留守番を頼まれ、二つ返事で引き受けたは良いものの……あまりの客足の無さに暇を持て余すハメになってしまったのだ。
もともとこの喫茶店ウィッチは客足が少ない。
それもそのはずこの店は廃ビルの中にあり、尚且つ入り口はビルとビルの間の裏道を結構進まないと見えない&わからない場所に位置しており、知る人ぞ知る迷店となっているのだ。
ここ数日で訪れた客と言ったら数人のサラリーマンであり、リピーターは山田 安弘、通常ヤスくらいだ。
よくこの経営で閑古鳥が鳴かないものだと不思議に思う。
「あんな美人が店主をしてるんだぞ?リピーターにならないほうがおかしい……」
自分だったら何がなんでも毎日通おうとする。
というか、死ななければそのつもりだった。
しかし、逆に黒鳥 楓華を目当てにこの喫茶店に通う者が現れたら恭介はその客を敵視せずにはいられないだろう。
複雑な心境というものだ。
「はぁーーーー……なんとか振り向いてもらえないかなーーーー?」
恭介は頬杖を崩し、カウンターに突っ伏す。
ここ最近、恭介の頭の中はそのことでいっぱいだった。
こんな身体になったものの、恭介は未だに黒鳥 楓華のことを諦めきれずにいた。
どうにか自分のことを意識してもらおうと試行錯誤してみたが、逆に自分が更に意識をしてしまう始末……
脱衣所で着替えている時に普通に手洗いに入られるのは未だに慣れない。
(そりゃ黒鳥さんから見れば俺なんて同じ顔をした同性だもんな……しかもこの身体の制作者………)
恭介はふと自分の顔をした男が自分に好意を向けていたらと考えて身震いする。
気色悪いったらありゃしない………そんなことを考えてまたはぁーーっとより一層深いため息をつく。
これでは無理だ……いくら好意を向けてもそれはただ気持ちの悪い行為になってしまう。
「何を振り向いて欲しいでヤンスか?」
不意に声をかけられた恭介は驚愕のあまり床に転倒してしまう。
視界の端にはヤスの姿があり、不思議そうにこちらを見下ろしている。
「お………お前いつからそこに……っ!どうやって入った……!?」
喫茶店ウィッチはドアにベルが取り付けられており、開閉すれば心地よい音色が店内に響くようになっている。これが来客の合図だ。
「どうやってって……普通に入ったでヤンスよ?全然やってこないんで様子を見に来たでヤンス。」
なんということだ……つまり頭を悩ませるあまり来店の合図にも気が付かなかったというわけだ。
恭介は立ち上がり、取り繕うように埃をはらうと
「んで……何か用か?」
と何でもなかったかの様に振る舞う。
「………京子氏…流石に無理があるでヤンス。」
「んぐ…」
ド正論を言われてしまった……
しかもヤスに……
恭介は自らの敗北を認め、肩を下ろす。
「んで?何か注文は?」
「あ!いや、今回は飲食をしに来たわけではなくて別件で来たでヤンス!」
「別件?」
恭介は嫌な予感がした。
この店でコイツが持ってくる別件など碌なことではない。
恭介の脳裏に数日前の凄惨な恐怖体験が蘇る。
「いや!お前……!それはちょっと………」
「おぅーい!入って大丈夫そうでヤンスー!」
相変わらず人の話を聞かない奴だ。
断る前に誰かを呼びやがった。
……………誰かを呼んだ?
恭介は驚愕する。
コイツと好き好んでつるもうだなんて世の中殊勝な奴がいたもんだ。
今、盛大なブーメランが刺さった様な気がしたが、きっと気のせいだろう。
そんなくだらないことを考えているうちにその人物は恭介の前に姿を現す。
その人物は恭介もよく知っている人物であった。
「紹介するでヤンス、こちら拙者と同じ大学に通っている百野瀬 百合矢さんでヤンス!」
_______【百野瀬 百合矢】……。
この人物とはまだ鮫島 恭介だったころに交流があった。
カールがかったツインテールが印象的な誰にでも優しい娘だ。
そのせいか、男子から密かに人気のある人だったりする。
「ど…どうも……」
「あ……あはは…どうも………」
_______気まずい。
こちらは見た目どころか性別も変わってしまっているがために百野瀬からしてみたら完全なる赤の他人!
少しでも変なことを口走ってしまった暁には「え?何でそんなこと知ってるんですか??」と不信感を植え付けるハメになってしまう。
恭介は密かに開催されてしまった恐怖のコミュニケーションに内心震えていた。
「あの……ここでは特殊な相談を受けていただけると聞いて来ました!」
「特殊な相談……」
特殊な相談とは十中八九、都市伝説絡みの厄介ごとだろう。
しかし恭介はもうあんな怖い思いはごめんなのだ。
あんなものは現代日本人には刺激が強すぎる。
恭介はホラーも苦手だが、スプラッターも苦手なのだ。
「えっと……俺だけだと判断がしかねるというか……」
「とりあえず相談内容を話してみると良いでヤンスよ!」
こいつ………!
さっきから人の話を聞かないでどんどん話を進めやがって………次来た時はお前の飲み物にウィンナーぶち込んでやるからな!強制的にコーヒーウィンナーにしてやる……!
「えっと……相談というのは同じサークルの先輩のことなんですけど………」
ん……?何だか相談の語り口が違うぞ?
女子からの相談でサークルの先輩の話とくる質問など恋愛相談と相場が決まっている。
さてはその先輩という人が好きでその恋路の手伝いをして欲しいと……そういう依頼なんだろう、そういう系なら全然大丈夫だ。大船に乗った気でいて欲しい。
……………彼女できたことないけど。
「私、女子テニスサークルに所属しているのですが…」
おっとぉ?恋愛絡みではないぞ?
「そこでお世話になっている先輩と一ヶ月ほど前に一緒に買い物に出かけたんです……。その日は色々とお店を廻って、そろそろ解散しようねってことで最後に服を見にいったんですけど………そこで急に先輩が消えちゃって…スマホに連絡しても応答がないし、いつまで待っても戻ってこないものだからさっきの解散の流れで帰っちゃったのかとも思ったんですけどそれからサークルにも大学にも来てなくて……」
なるほど、人間関係の相談か……たしかにこう言ったことは身近な人間には話し辛かったりするよなぁ……
「そしたら昨日急に家に警察の人が来て……その…先輩が亡くなったって…………!」
………雲行きが怪しくなって来た…
「最後に会ったのが私だけなのもあって警察に疑われてるみたいで………!私どうしたらいいか…!」
要するに警察に容疑者として疑われているというわけか………
しかしそれだけで犯人だと断定できるものではないと思うが…
「だ……大丈夫だよ…だいいち警察はなんて…?」
「先輩との関係とか、死亡推定時刻のアリバイとか色々聞かれて……でもその時間は家でご飯食べてて…でも家族の証言はアリバイにならないって………!」
そりゃ夜なんて大抵家にいるもんだろうよ…
どうにかしてやりたいが、一般人の恭介が出張ったところで焼石に水だろう。
「こんな時鮫島くんが居てくれたら……」
………ん?
「そうでヤンスなぁ…鮫島氏ならこんなことほっとけないでヤンスからなぁ……」
「うん……鮫島くんは優しくて、かっこよくて、いつも黙って話を聞いてくれて…困ってる時はそっと手を差し伸べてくれるし、変な人に絡まれたときも真っ先に助けてくれて………どうして死んじゃったのぉ……?」
百野瀬はまた暗い顔をする。
どうやら自分で思っていたより結構慕ってくれていたようだ。
あまりの高評価にだんだん照れ臭くなり、後頭部を掻く。
「……………あの、何ニヤけてるんですか?」
「へ?」
どうやら思わず顔が緩んでしまったらしい。
いや、こんな目の前で女子に褒めちぎられていてニヤけないのは無理がある。
「貴女……何なんですか…っ!」
「いや……これは…違くてぇ……!」
百野瀬がずいと顔を近づけてくる。
彼女にとって今目の前にいる黒鳥 京子は他人も他人。
そんな人間が友人の死の話をしている最中でニヤけていたら面白くないだろう。
恭介は反省して表情筋を引き締める。
「そ……それよりも!他に何か…その先輩が殺されてしまうような心当たりとか……!」
「そ…そんなことを言われても、先輩は頼り甲斐があってみんなと仲が良かったし…誰かに恨まれてるとかは想像できないです。」
百野瀬は近づけていた顔をすっと引っ込める。
良かった、なんとか話題を元に戻せたようだ。
「拙者も此処を紹介するついでに色々と調べてみたんでヤンスが…けっこうエグい殺され方をしたみたいでヤンして……」
「え………エグい殺され方…?」
正直聞きたくはない。
先ほども言ったが、恭介はスプラッターものは苦手なのだ。
そんなものを見る暇があるなら可愛い猫ちゃんとかの動画を見てた方が百万倍もいい。
「ネットニュースによると、何でも両手両足を切断され、慰み者にされたあとに殺されたようでヤンス…。」
背筋がゾッとするような話だ……。
聞くんじゃなかった。
「…………ん?待てよ??そしたら百野瀬さんが疑われるのはおかしくないか??だってそれって性的暴行されたってことだろ?同性の百野瀬さんを疑うのは筋が通らないじゃないか。」
恭介の言葉に百野瀬はハッと顔を上げる。
どうやら先輩の死と警察が来たことにテンパり、その可能性を失念していたようだ。
「京子氏、それはポリコレ的にまずい発言でヤンスよ?ジェンダーフリーのこの世の中では女性が女性を性的に見るのはなんら不思議ではないでヤンス。その点を言ってしまえば、京子氏が実の姉である楓華氏を見る目つきも結構怪しいものに……」
恭介はヤスにゲンコツを飛ばす。
少しは場の空気を考えろ。
……………侮れない奴だ。
「だから多分アリバイの確認も形式的なもので、単に行方不明になったときの様子を聞きたかったってだけじゃあないかな?」
「そ……そうでしょうか?」
百野瀬は少し安心した表情を見せる。
よかった、悩みの種は落ちたようだ。
「あ、ありがとうございます!山田くんに言われて相談しに来て良かった…!」
「いやぁ!お役立てて良かったでヤンス!」
お前は不安を煽ってたろうが!
恭介は心の中でツッコミを入れる。
「なんだか安心したらお腹が空いて来ちゃった!このタマゴサンドでも頼もうかな!」
「あ、じゃあ拙者はコーヒーを頼むでヤンス!」
百野瀬はここに来店してから初めて笑顔を見せる。
恭介はコーヒーの準備をしながら百野瀬に話しかける。
「憑き物が落ちたみたいで良かった、腕によりをかけて作らせてもらうよ。」
恭介は二人にコーヒーを出したあとに厨房の奥へと引っ込む。
「ちょっと!!なんで拙者のコーヒーにウィンナーが三本も入ってるでヤンスかっ!!!??」
百野瀬 百合矢はタマゴサンドを完食したあと、帰宅した。
喫茶店ウィッチには恭介とヤスだけが残っている。
「何処かで聞き覚えがあるんでヤンスよねぇ……」
「何がだ?」
「先輩殺人事件でヤンス。」
聞き返すんじゃなかった。
正直もう耳にしたくない話題だ。
「行方不明の後に四肢がない状態で見つかる…うーーん……喉元まで来てるのに出てこないのがもどかしいでヤンス!」
「もういいってその話題…解決したじゃん……」
百野瀬 百合矢の容疑は晴れた……ならばここから先は警察の仕事だ。
自分達が関わることではない。
「だるま女。」
不意に背後から鈴の音のような声が聞こえる。
振り返るとそこには黒鳥 楓華の姿があった。
「うわぁっ!びっくりしたぁ……おかえりなさい…あれ?ベルの音……」
「ああ、裏口から入って来たんだよ、話し声が聞こえたからすこし驚かそうと思って。」
「可愛い」
こういうお茶目なところも彼女の魅力だ。
あまりの可愛さにまた脳直で言葉を発してしまったが、黒鳥は何事もなかったかのように話を続ける。
「ヤス君がしたい話題ってだるま女のことじゃないのかな?」
「そう!それでヤンス!!スッキリしたでヤンス!!」
ヤスはポンと手を叩く。
相変わらずこの二人だけで会話を成立されると面白くない。
「そのだるま女って何なんです?」
恭介は話題に追いつこうと質問を投げかける。
このことをすぐに後悔するハメになるのだが……
「これは友達の友達から聞いた話なのだけれど……」
黒鳥は少し微笑むと、いつもの語り句を唱える。
「フランスのパッケージツアーで旅行を楽しんでいたとある女子大生が居たの……フランスのお店はかなり魅力的で、中でも服屋…所謂ブティックね、そのショーケースに並べられた服は女子大生の琴線を大きく揺れ動かしたの。彼女は旅の思い出にと服を買うことに決めてお店に入ったわ……だけれどそれから彼女は日本国内に帰ってくることはなく、数年後同じくフランスに旅行に行った友人が売春宿で見世物になっている彼女の姿を発見したの………両手両足を無くした………まるでだるまのような姿で奉仕する彼女の姿をね……」
恭介は顔面蒼白になりながら黒鳥の語りを聞いていた。
話も相まって恐ろしく、恭介は思わず吐き気を催してしまった。
「これは〈忽然と客の消えるブティック〉という都市伝説とセットで語られる都市伝説でヤンスね!何でもそのブティックに入ると試着室に入ったところを薬物でトリップさせられて誘拐されるらしいでヤンス!心配した両親がブティックに確認するも、そんな客は来てないと知らんぷりされて、そのまま行方不明になるそうでヤンス!」
「もういい……聞きたくない…」
ヤスに容赦なく追い討ちをかけられ、カウンターに突っ伏す恭介。
この苦しさが嫌な話を聞いたからなのか、胸が潰されているからなのかわからなくなってくる。
「そうそう、ブティックで思い出したのだけれどキョウちゃん」
「はい?」
「キョウちゃんの服買いに行きましょうって話を前にしたじゃない?明日、行ってみない??」
恭介はガバッと勢いよく身体を起こす。
「いいんすか!!?」
「ええ、ちょうど明日は定休日だし…」
恭介は両手をあげてガッツポーズをキメる。
つまるところこれはデートだ。
黒鳥から恭介に送るデートのお誘いなのだ。
「京子氏……やっぱり実の姉に対するテンションおかしいでヤンスよ?」
ヤスの冷静なツッコミも先程までの都市伝説の話も今は笑って流せる。
なんたって明日は黒鳥 楓華とのデートの日なのだから。
「全力でエスコートさせていただきます!」
「よっぽど服が欲しかったのね。」
この日、恭介がバクバクして眠れなかったのは言うまでもない。
_______翌日。
最寄りのショッピングモールにはご機嫌に歩く黒鳥 京子とその横を優雅に歩く黒鳥 楓華の姿があった。
(まず服屋に寄ったらちゃっちゃと服を買ってしまおう!そしたらカラオケに入って、いい感じの歌を歌って、いい感じの雰囲気になって……)
すっかり夢見る男子になってしまっている恭介は周りの視線になど気がつくはずもなく黒鳥 楓華との甘いひと時を夢想する。
今まで貯めていた金銭は死亡と同時に使えなくなってしまったために贅沢なデートとはいかないが、カラオケデートというのもそれはそれで学生らしく楽しみである。
「あら、何かあったのかしら?」
ブティックの目の前までくると、黒鳥が足を止める。
恭介もそれにならい、ブティックの方を注意深く見つめていると店の前で年配の男性が若い女性に絡んでいるではないか。
「……ん?あれ?あの娘…百野瀬じゃないか?」
よくみてみれば絡まれているのは昨日相談に来た百野瀬 百合矢ではないか。
なにやら緊張した様子で話をしている。
恭介はただごとではないと判断すると、ずんずんと二人に近づいていく。
「ちょっと…?キョウちゃん?」
黒鳥の静止も虚しく、声をかけた時にはもうすでに二人の間に割って入っていた。
「おい!おっさん!!女の子に絡むなんて恥ずかしくてねぇのかよ!!」
「ああ?」
恭介は胸を張り上げ、両手で百野瀬を覆うように遮ると年配の男性に向かってガンを飛ばす。
「嬢ちゃん……正義感が強いのはいいことだが…少し無鉄砲が過ぎるんじゃないのかい?」
「なんだぁ?」
恭介は睨み上げるようにして年配の男性に詰め寄る。
恭介の経験上、並大抵の相手ならこれで少しはたじろぐはずなのだが、今回は効果がない様子だ。
(コイツ……ただのおっさんじゃない?!)
微動だにせずに涼しげにこちらを見つめる男に逆に恭介が内心たじろぐ。
こんなことは生まれてはじめてだ。
「ちょ……ちょっと!貴女!違いますよ!誤解です!その人は警察の人ですよ!!」
「………へ?」
恭介の後ろで必死に弁明する百野瀬。
相手が警察だと言うことを知らされた恭介は一気に顔を青ざめさせる。
「いや、長年刑事をしていたが、こんな別嬪さんにすごまれたのは初めてだよ。」
「すいません!すいません!!ほんっとーーっにすいません!!!」
恭介は赤べこのように平謝りする。
この刑事、八神 杜十郎は百野瀬の先輩の行方不明当時の様子を証言してもらっていただけなのだと言う。
「いやいや怒ってないよ、今の時代にこんな若者がいるのかと逆に感心してるところだ。」
「いやほんと!若気の至りでして!勘弁してもらえないでしょうか!?」
「じゃあ、公務執行妨害ね。」
「そんなぁ〜!」
刑事さんは冗談だとひとしきり笑うとキリッとした目つきに変わる。
「それじゃあおっさんはここらで失礼…本日はご協力ありがとうございました。」
「あ!いえ…こちらこそ!捜査頑張ってください!」
年配の刑事は軽くお辞儀をした後、この場を立ち去ってしまう。
「百野瀬さん!この度はほんとーーっに申し訳ない!!」
恭介は百野瀬にも謝り倒す。
「いえ!良いんですよ!助けに入ろうとしてくれたんですもんね!………それに…」
百野瀬は喉まで出かかった言葉を引っ込める。
庇う仕草が鮫島 恭介そっくりだということを……
「そういえばお二人はどうしてここに?」
百野瀬は話題を変えるべく当たり障りのない質問を投げかける。
「初めまして、黒鳥 楓華と申します。今日はこの子の洋服を買いに来たんですよ。」
「へぇ…私もこの後少し服を見ていこうかなと……よかったら一緒に見てまわりませんか?」
「あら、よろしいですか?実のところ私も最近の流行には疎くて……」
なんだか恭介をぬきにあれよあれよと話が進んでいく……
どうやらデートプランを白紙にするしかないと人知れず恭介は悟ったのであった。
「それじゃあ入って見ましょうか?」
百野瀬の先導によって二人はブティックに足を踏み入れる。
(……この雰囲気少し苦手かもしれないぞ。)
ブティックに足を踏み入れた瞬間に込み上げてくる場違い感。
まるで自分はここにいてはいけないような雰囲気を過敏に感じとる。
羞恥心と焦燥感を合わせたようなそんな感覚……
(やばい…早くここから出たい……!)
恭介は何故か汗をかく。
一刻も早くここから逃れたい。
(なんか……周りからの視線も強くなってきているような………)
周囲の視線はこの服屋に来る前から…それこそショッピングモールに来た時から感じ取っていた。
しかしそれは美人姉妹に気を取られてのものだった。
しかし今恭介が感じ取っている視線はなんでここに男がいるの?と言ったような場違い感を指摘されているようなそんな視線。
もちろんこれは恭介の思い込みだろう、周りからしたら女性三人で服を選んでいるだけにしか見えないし、何よりこのブティック内には黒鳥達三人しか客はいない。
「ほらキョウちゃん、これとか良いんじゃない?試着して見たら?」
「あ、私はこれとか良いかも…私も試着してみようかな?」
恭介は黒鳥から手渡された洋服を手に視線から逃れるように試着室へと向かう。
百野瀬も同じように隣の試着室へと入っていった。
(な……これ女性ものの服じゃん……)
そりゃそうだ、今の恭介は女性であるのだからこう言う服を勧められてもなんら不思議ではない。
隣からは既に衣擦れの音が聞こえてくる。
その音が恭介にも早く脱げと焦らせてくるようにも感じる、
(でも流石にこれを着るのは抵抗感がある……!)
ひらひらとしたワンピース風の服(決して海賊王の方ではない。)を着るのは些か男として抵抗感がある。
それにその姿を意中の女性に見られるのも恥ずかしい。
しかしその意中の女性が自分のためにわざわざ選んでくれているのだ……無碍にするわけにはいかないだろう。
隣の個室からはもう音が聞こえてこない、着替え終わって外に出たのかもしれない。
「ええい、ままよ!」
恭介は覚悟を決めるとグッと目を閉じてシャツのボタンに手をかける。
下着姿となり、いざ服を着ようと言うところで恭介の首筋にチクリと痛みが走ったかと思うと…急に視界がぐわんぐわんと揺れる。
(な……なんだ…?これ………)
そのうち恭介は立っているのもままならなくなり、壁にもたれかかる。
恭介の揺れる視界に最後にうつったのは
目の前の鏡が扉のように開く光景であった。
「……………遅いわね、二人とも……」
恭介は意識を取り戻すと重い瞼を開ける。
「ここは……どこだ?」
身を起こそうとしたが、それは叶わない。
どうやら身体を固定されてしまっており、自由に動かせるのは首だけのようだ。
「あ!よかった!!目を覚ましたんですね!!」
隣から声が聞こえて振り返ると、そこには同じように身体を固定されている百野瀬 百合矢の姿があった。
「私も気がついたらこの状態で……!いったい何が何やら……!」
百野瀬は涙をいっぱいに浮かべ不安そうな表情を恭介に見せる。
なまじ先に目が覚めてしまったが故に不安感に押しつぶされそうになっていたのだろう……
「と…とりあえず落ち着いて……!俺もなんとかするから…!」
百野瀬を安心させようと、恭介は腕に力を入れる。
しかし、枷は揺れるものの外れる気配はない。
そうこうしているうちに恭介達の下方からコツコツと足音が聞こえる。
「ふぅ…今日も営業ご苦労様…僕。」
その足音の主はやっと恭介達の視界に入る位置に訪れると何やらカチャカチャといじっている。
「貴方なんなの!!私達をどうする気!!!?早く解放して!!!」
隣の百野瀬が力一杯抗議する。
しかし当の男は聞こえないのか、それとも意にも介さないのか、無視して何かをいじっている。
「ちょっと!!!!」
そんな態度に百野瀬はイラついたのか更に声をあげている。
「さて、こっちの子は手足がすらっとしていて綺麗だね……これは是非とも残しておきたい…………彼女は……手足を切り取ってトルソーマネキンにしようかな。」
男が振り返るとその手には裁断用のチェンソーが握られており、エンジンをけたたましく蒸している。
その光景を目の当たりした百野瀬は先ほどまでの威勢を完全に無くして息を呑んでいる。
それもそのはず、手足を斬り落とすと言われた張本人なのだ、これからそのチェンソーで自分の身に何が行われるのかは想像に難く無い。
あたりをよく見れば同じようなマネキンが数多く飾られており、どれも華やかな衣装を見に纏い飾られている。
しかし、その表情はどれも何処か悲しげで……中には嗚咽を漏らして泣いているものもあった。
(まさか………ここにいるマネキンみんな………!)
百野瀬の先輩……“だるま女”はまさかマネキンのなりそこ無い……?
嫌な想像が恭介の脳裏をよぎる。
しかしそんなことを考えている間にも男はどんどん近づいてくる。
「や……あぁ………!…こ……ぃで…っ!」
百野瀬は恐怖のあまり声が出ずにいる。
察するに来ないでと言っているのだろう。
恭介は必死にガチャガチャと自分の枷を外そうと試みる。
しかし無情にも枷はガタガタと揺れるばかりで外れる気配などなく、チェンソーはどんどん百野瀬へと近づいていく。
ここで人間の身体の仕組みについて説明しよう。
普段人はその身体の100%の力量を出し切っていない。
それは脳がリミッターをかけているからであり、普段人間はその20%から30%ほどの身体能力しか出せていないと言うものだ。
何故そんな仕組みをしているのかと言うと人間は普段から100%の力を発揮すると、筋肉や骨などに負荷がかかり、損傷が激しくなってしまうからである。
そして、火事場の馬鹿力といったように有意の際にはその力の一端を垣間見ることができる。
ここで問題なのはそのリミッターの意義だ。
脳がリミッターを設けているのは身体の損傷が激しいからである。
ならば……例えば不老不死などの身体の損傷を気にする必要のない人間にはその仕組みは必要なのか?
あるいは正常にリミッターは作用するのか?
普段無意識に人として活動している人造人間はどうなのか?
チェンソーが百野瀬の真上に到達した時、恭介の手枷がバチンっ!と音を立てて外れる。
「なっ!?」
男はありえないといった様子で驚くも、まるで画鋲でも抜くかのように恭介の枷は次々と外れていく。
「う…うわぁぁっ!!」
男は瞠目し、焦り、手に持っていたチェンソーを恭介に振りかぶる。
………が、ヤスを不良から…百野瀬をガラの悪い男達から庇って見せたように、鮫島 恭介という男はそれなりに喧嘩慣れをしていて、そこそこ強い。
100%の身体能力を発揮した人造人間の肉体は振り下ろされたチェンソーを回避すると、そのまま鳩尾に拳を叩き込む。
「ぐぉおえっ!」
男はあまりの衝撃に吐瀉物を撒き散らしながらチェンソーを落とすと体勢を崩し、そのまま気絶する。
「百野瀬!大丈夫かっ!?」
「あ……ええ…大丈夫………!」
恭介は力任せに百野瀬の枷を引きちぎると、百野瀬をお姫様抱っこの要領で抱え込む。
「えっ!?ちょっ………」
「ここから逃げるぞっ!!」
恭介は男がこの部屋に入ってきた通路を一心不乱に走り出す。
後ろを振り返らず、脇目も降らず……ただただその場から一刻も早く抜け出さんとばかりに…
目を合わせてしまうと私も助けてと訴えられかねないから…………
恭介が通路を走っていると階段が目に止まる。
どうやら上に繋がっているようだ。
恭介が登ろうか、否か考えていると背後からコツン…コツン……と足音が聞こえてくる。
男が追ってきたのだと感じた恭介は必死に階段を駆け上がっていく。
登ったその先には複数のドアがあり、恭介は迷うことなく一番近くにある正面のドアに体当たりをする。
恭介と百野瀬は勢いのままドアの向こう側へと転がり込むと、見知った顔を目撃する。
「……あら、遅かったわね?」
「く……黒鳥さん…」
黒鳥 楓華の顔を見た恭介は緊張感が解け、脱力し、その場に座り込む。
「あの……そろそろ下ろしてください………」
そう言われて下を見ると、顔を真っ赤にさせた百野瀬の姿がそこにはあった。
「わわ……!ごめんっ!」
恭介は慌てて百野瀬から手を離す。
「ところで…お二人さん、何か羽織られては……?その格好はあまりにも目に毒だ。」
恭介と百野瀬はしわがれた声に驚き、目線をそちらに向ける。
「刑事さん!?どうしてここにっ??帰ったんじゃ……」
「あ、いえね、貴女のお姉さんに貴女方が服屋の中で行方知らずになったってんで連絡がきたんですよ……なので署に帰る途中で近くにいた私に連絡が届きまして、捜査をしていたらその試着室から貴女方が……」
そう八神 杜十郎は恭介と百野瀬に説明してくれる。
黒鳥さんが心配して警察を呼んでくれたという事実に京介は胸が熱くなる……黒鳥さんに心配される……悪くない響きだ。
「いやはや、それにしてもまさか試着室の鏡が隠し扉になっていたとは……こんなマネキンまで飾って悪趣味なことだ……」
ん?マネキン?
八神の言葉に違和感を覚えて振り返る。
そこには試着室の隠し扉から今にも出てこようとしているような格好のマネキンが恭介達を見つめていた。
「「ひいっ!?」」
恭介と百野瀬は互いに互いを抱きしめる。
記憶にある限り、あの扉の向こう側にはマネキンなど置かれていなかった。
つまり先ほどまで男のものだと思っていた足音は実際は一緒に逃げ出したマネキンのものだったのだ。
「動くマネキン……」
黒鳥 楓華がぼそりと呟く。
それがなんなのか察しのついた恭介は聞き返すことなく、そのままマネキンを見ないように立ち上がると
「と……とりあえず服を着に行こう……」
と百野瀬の手を取り、その場を離れる。
「お二人さん、災難だったね。あとは警察に任せなさい。」
背後から八神のしわがれた声が聞こえてくる。
恭介は振り返らず、こくりと頷くと百野瀬を連れて少し離れたところで服を着る。
「二人とも、今日は大変だったね。」
黒鳥 楓華は二人のそばに近づくと二人を労う。
「いえ…黒鳥さんも警察に通報してくれてありがとうございます……おかげで百野瀬さんの先輩の事件も無事解決してくれるでしょう」
恭介は黒鳥にお礼をすると、百野瀬に視線を向ける。
なんだか先ほどから百野瀬の顔が赤い。
「百野瀬さん、大丈夫?もしかして具合悪い?」
「へぇっ!?いえ!!しょんなことないでひゅっ!!」
ないでひゅ??なんだか呂律も回っていない。
本人は大丈夫だと言うが、あんなことがあったのだ……疲れが出たのかもしれない。
「今日は帰って身体を休めた方がいいよな……百野瀬さんも今日は戸締りをしっかりしてゆっくり休みなよ?」
「ひゃ…ひゃい………」
なんだか先ほどよりも顔が赤いような気がする。
黒鳥と恭介は百野瀬を自宅まで送った後、喫茶店ウィッチへと帰宅する。
「あの……もしかしてなんですけど黒鳥さん………」
「どうしたの?恭介くん。」
恭介は帰宅する途中で気になっていたことを黒鳥 楓華に質問する。
「今日ブティックに買い物に行こうって言ったの……百野瀬の事件の調査のためだった……とかないですよね?」
黒鳥は喫茶店のドアを開け、一瞬立ち止まると…
「ふふ……秘密。」
と言い振り返る。
「可愛い。」
その仕草にまた恭介は脳直で呟く。
テロリストの時もそうだが、黒鳥 楓華は事件に突っ込みたがる性質がある。
(でもそこが可愛いんだよなぁ〜〜っ!!)
恭介は自分で自分に呆れると、黒鳥に続いて喫茶店の中に入り、ドアを閉めた。
_______これは友達の友達から聞いた話なのだが……
「げほ、っ……くそ………あの女………せっかく美人だったのに……こんなことなら同じ顔のもう一人の方を狙えば良かった………」
メキシコのチワワ州にあるブライダルショップに美しいマネキンが飾られているのだという。
「警察だ!手を挙げろ!!」
その美しいマネキン、“ラ・パスクアリータ”と呼ばれた彼女が着たウェディングドレスはどれも神秘的で美しく、同じドレスが瞬く間に完売したという。
「ちっ!捕まってたまるかっ!!!」
中にはその神秘的な美しさに本当に恋をしてしまい、持ち出そうとした者までいたとか………
「まて!無駄な抵抗はやめろ!!」
その店の店主であったパスクアリータ・エスパルザには、結婚式前日にサソリに刺されて亡くなった一人娘がおり……
「痛……っ!なんだ?何かにぶつかって………」
その容姿がそのマネキンと酷似していたのだという……
「……マネキン…?僕の美しい恋人達…………なんでこんなところに……置いた覚えは……………まて!何を持っているっ!?それは……展示固定用の杭っ!!??」
そのマネキンは店主によるとフランスから取り寄せたものだそうだが………
「おい待て!無駄な逃走は………なんだ……………これは…………………」
一説ではフランスで防腐処理を施された娘の遺体なのではないかと囁かれていたようだ。
「こいつぁ……どうなってやがる………事故にしてもこりゃあ………」