さとるくん
「どうかしら?私の服だからサイズは合っている筈だけれど……」
黒鳥 楓華が脱衣所を覗き込んでくる。
鮫島 恭介は慌てて身体を正した。
「あら……?まだ着替えてなかったのね、分からないところがあった?あ、下着の付け方わからないか……」
いや、そうではない
そうではあるのだが、そうではない。
しばらく自身の身体に見惚れていたのだ。
「ほら、貸して?収めてあげるから。」
恭介は黙って着せ替えられていく。
まるで着せ替え人形のようだ。
「如何かしら?」
「えと……ちょっときついっす……苦しいって言うか…痛ててててててっ!?」
急に頬をつねられる。
怒ってるのかどうなのか表情があまり出ないのが逆に恐ろしい。
「まさか恭介君にマウントを取られるとは。」
恭介はわけもわからずつねられた頬を抑えている。
いったい何が不味かったのか。
「後で服は買いに行きましょうかキョウちゃん?」
黒鳥の呼びかけに恭介はなんとも言えない表情をする。
自分の新しい戸籍、新しい名前には未だに慣れない。
黒鳥 京子。
これが自分の新しい名前だ。
鮫島 恭介はもう……死んでしまった。
あの爆発事件は大々的に取り上げられ、鮫島 恭介は勇猛な市民として取り上げられた。
しかし身寄りのない彼は無縁仏として手厚く葬られることになる。
(まだ実感湧かないけどなぁ……)
自分自身としては今、この場に存在わけで、死んだと言う実感はない。
しかし、アルバイトに追われることは無くなったし、奨学金の返済義務も無くなった。
何より身体が違う……今までの人生がまるまる無くなったのだ。
黒鳥は先に不老不死になられてしまったのを嘆くこともなく次の手段を模索している。
なんでもまたホムンクルスを作るのは難しいらしく、別のアプローチで不老不死になるそうだ。
今度は自分自身が都市伝説や怪異になる方法で行くと言う。
そのためにも喫茶店の調査事業の方にチカラを入れるそうだ。
ちなみに自分は従業員兼助手をやらせてもらっている。
もちろん住み込みだ。
「じゃあ、今日から頑張ってもらうわねキョウちゃん。」
「可愛い。」
黒鳥 楓華の表情は変わらないのだが、顔を覗き込む仕草にまたもや脳直で呟いてしまう。
やはりこの人は可憐で美しい女性だ。
同じ顔でも自分よりも何倍も可愛い。
何度も鏡で試したのだから間違いない。
「まぁ、基本的にお客さんは少ないからのんびりやりましょう。誰かきたら注文をとって頂戴ね。」
「はい、了解です。」
黒鳥はそう言うとテーブルやカウンターを拭き始める。
それを見て、自分も椅子などをふこうとあたりを見回す。
すると、カランコロンとベルの音がした。
その音は入り口のドアが開いた音であり、すなわちお客の来店を示していた。
「いらっしゃいまー……」
恭介は早速接客をするために出入り口へと向かう。
しかしその客を見て恭介は顔をこわばらせる。
そこには顔をぐちゃぐちゃにして泣き腫らした山田 安弘、通常ヤスの姿があった。
「おおおぉおぉおっ!!黒鳥氏ぃぃぃっ!!」
ヤスはべそべそに泣きながらこちらに迫ってくる。
「鮫島氏がぁぁぁぁっ!!鮫島氏が死んでしまわれたでヤンスぅぅぅっ!!!」
尚も号泣しながらこちらに迫ってくる。
「お……落ち着けってヤス!まず一旦鼻をかめ!」
恭介は迫り来るヤスに箱ティッシュを差し出す。
手渡されたティッシュを4、5枚取ると、ヤスはブゥゥッ!というような音を立てて鼻をかむ。
「あれ……黒鳥氏…イメチェンしたでヤンスか……」
目と鼻を真っ赤にしながらヤスは疑問を呈する。
「おあ!?いや……これは…そのぉ……!!」
「私はこちらにいます。その子は京子……私の妹ですよ。」
思わずいつも通り接してしまった。
そうだ、今現在鮫島 恭介は鮫島 恭介ではなく黒鳥 京子なのだ……それを忘れてはならない。
しかし黒鳥さんの妹……良い響きだ…。
「あ……そうだったでヤスか……どおりで雰囲気が違うと……どことなく鮫島氏に……」
ここまで語ったところでまたヤスの目からは大粒の涙が流れていく。
「鮫島氏……身寄りがないとのことで無縁仏扱いで共同墓地に埋葬されることになったそうでヤンス……黒鳥氏もどうかお線香をあげて欲しいでヤンス……」
ヤスはとめどなく涙を流している。
正直、こいつにここまで慕われているとは思ってなかった。
「ヤス……」
「こんなことなら……もっと付き纏っていればよかったでヤンス……!」
「ヤス?」
表現が可笑しいが、要するにもっと一緒にいたかった的なことを言いたいのだろう。
きっとそうだ。
「だから拙者、鮫島氏を迎えにいくことに決めたでヤンス!」
「ヤス?!」
死んだ人間を迎えにいく??
まえまえから変なやつだと思ってはいたが、まさかここまで変なやつだったとは……
「いいか……?ヤス…死んだ人間ってのは蘇らないものなんだ……それが世の中ってもんなんだよ。」
自分の死を自分が説得するのはなんだか変な気がするが、これもヤスのためだ。
それこそ変な信仰宗教にハマってしまったら目も当てられない。
「いえ、妹氏……世の中には不可思議なことが数多く起きるものでヤンス。」
知ってるよ。突然身体を移し替えられたりな。
「そしてその多くは正しい手順を踏めば再現可能だったりするでヤンス!多くはディープステートや13人委員会によって嘘の手順を練り込まれたものがインターネットに流れているでヤンスが、そうでないものが存在するのも事実でヤンス!」
コイツは何を言っているんだ?
黒鳥さんもヤスもこの手の話題になると途端に言っていることがわからなくなる。
「なのでこの10円を手に公衆電話を探し出し、さとるくんを呼び出すでヤンスねぇ!」
「誰だよさとるくん……」
急に知らん名前が出てきた。
何故コイツはこうも人を置いてけぼりにするのだろうか。
「さとるくんは有名な都市伝説でヤンスよ!なんでも質問に答えてくれるでヤンス!」
「何?知恵袋か何かなの??」
とりあえず話についていこうと質問を返す。
すると、ヤスはニタァっというような擬音が聞こえるような表情で笑う。
ヤスがこの手の笑い方をする時は大抵ご満悦の時だ。
「いいでヤンスね!妹氏!なんだか鮫島氏といつものノリをしている気分でヤンス!さとるくんは都市伝説怪異……いうならば電話シリーズの怪異でヤンス!」
「電話シリーズ??」
聞き慣れない単語が出てきた……エ◯ァの◯波シリーズみたいなもんだろうか。
「そうでヤンス!都市伝説の怪異にも電話シリーズや異界シリーズ……はたまたババアシリーズといったようなカテゴライズがあったりするでヤンスよ。」
「変な組分け方だなおい。」
「そのなかでもさとるくんは電話シリーズに位置するでヤンス!代表的なのはメリーさんでヤンスね!」
メリーさん、それは聞いたことがある。
ツ◯ッターで漫画を描いているのを見たことがある。
「えっと確か電話をしながら位置を伝えてきて、最終的に自分の背後現れて殺してくるんだっけか?」
「大雑把に言えばそうでヤンスね。細かくいうならば111という電話番号にかけると呼び出せたりするでヤンス。」
「元々はある少女が引っ越しの時に捨てた西洋人形がメリーさんなのよね。」
話を横で聞いていた黒鳥 楓華が会話に混ざる。
なんだかこの二人だけで会話が成立しているのが面白くない。
「そうでヤンス、それで話をさとるくんに戻すでヤンスが、さとるくんは都市伝説怪異の中でも安全よりの方でヤンスね。」
「安全?怪異だってのに?」
「もともとは子供のおまじないみたいなものなんでヤンスよ、こっくりさんのような……まず10円を入れて自分の携帯電話にかけるでヤンス、そしたらさとるくん、さとるくん、おいでくださいませと唱えるでヤンス……そしたら24時間以内にさとるくんから電話がかかってきて、さとるくんが今どの辺にいるか教えてくれながらだんだん近づいてくるでヤンス。背後にさとるくんが現れたら過去でも未来のことでもなんでも質問に答えてくれるでヤンスよ。」
ヤンスヤンスがうるさくて聞き取りづらかったが、確かに先述したメリーさんと共通点がある。
だが、最終的には質問に答えてくれるという確かにおまじないじみたものだ。
「ちなみに質問がなかったり、振り向いてさとるくんを見ると異界に連れていかれるでヤンス。」
「こわっ!」
「既に知ってる質問やさとるくんが答える前に質問の答えを知っちゃうと怒って殺されちゃうのよね。」
「こっっわっ!!」
前言撤回!どこが安全だ!!そんなものをおまじない感覚でやるな!!
「でもヤスくんの方法って結構新しいものよね?私が知っている方法だと公衆電話から誰もいない自宅にかけて、通話状態のまま帰宅して通話に間に合えばさとるくんの呼び出しに成功するって話だったわ。」
「黒鳥氏、ずいぶん前の手法を知ってるでヤンスね……それはガラケーもなかった昭和の頃の手法でヤンしょ?」
また二人だけで会話をし始める
やはり共通の話題があるというのは強い。
「んで?鮫島 恭介を連れてくるのと、そのさとるくんとがどう関係してくるんだ?死者蘇生の方法でも聞くってのか?」
京子の問いかけにヤスは人差し指を立てながらチッチッチッと舌を鳴らす。
そのウザさに思わず京子も舌打ちをしてしまう。
「今回は直接あの世に鮫島氏を迎えに行くでヤンスよ。さとるくんに連れてってもらってね。」
「はぁ?」
さとるくんにあの世に連れてってもらう……
まさか………
「お前……わざとさとるくんを怒らせて殺されようとしてるなんてことは………?」
「失礼でヤンスね!そこまで無謀じゃないでヤンスよ!!第一拙者が死んだら鮫島氏を現世に引っ張ってこれないじゃないでヤンスか!」
その言葉を聞いて少し安心した。
ヤスもそこまで馬鹿じゃないらしい。
「わざとさとるくんの御尊顔を拝見して異界に連れてってもらうでヤンス。さとるくんの顔も見れて一石二鳥でヤンス!」
前言撤回。
コイツ馬鹿だ。
「おまえ!それ死ぬのとどう変わらないんだよ!!」
「妹氏、古来より異界は死者の世界と繋がっている場所でヤンス…日本神話で有名な伊邪那岐命が妻である伊弉冉尊を迎えに迷い込んだ黄泉の国も異界の一種だと言われているのは有名な話…」
「だから、そのあの世に行くってのは死ぬのと何が違うんだって!」
京子の言葉にまた人差し指を立ててチッチッチッと舌を鳴らす。
こちとら本気で心配してんのになんだコイツ。
「いいでヤンスか?普通に死ぬのと違って異界に迷い込んだ時には帰る道筋というものがあるでヤンスよ!心配せずとも帰ってくるでヤンス!憂慮すべきは鮫島氏があの世のものを食べてないかどうかってところでヤンスね〜!」
そこまでいうと、ヤスは席を立ち玄関に向かってしまう。
「では!吉報を待つでヤンスよー!」
「ちょっ!おい!」
京子の静止も虚しく、ヤスは喫茶店を出て行ってしまった。
恭介の右手だけが虚しく虚空を掴む。
「なんだよ帰る道筋って……」
「異界の帰る道筋っていうと来た道をそのまま戻ることだね。」
恭介の呟きに黒鳥が答える。
恭介は顔を黒鳥に向けて言葉の続きを待つ。
相変わらず顔がいい。
「ヤスくんの言った通り異界ってシリーズ化されるぐらい結構あるの……有名どころで言えば“異世界エレベーター”、“きさらぎ駅”、“異世界トラック”……」
「え!?は??異世界トラックってな◯う小説のネタじゃないの!?」
驚愕する恭介に黒鳥は首を横にふる。
「もともとはそうだったんだけど異世界転生も異世界転移も、物語や夢見る人が多すぎて“噂の効力”が大きくなりすぎたのよ。結果、もともとある異界の都市伝説や神隠しの伝承と合わさる形で固定化されてきてるね。」
今日一番の驚愕ニュースかもしれない……。
「黒鳥さん、前にも言ってましたケド“噂の効力”ってなんなんですか?俺さっぱりなんすケド……」
この機会に昨日から気になっていたことを質問してみる。
ホムンクルスの生成手段に魔女の噂が必要だったり意味がわからなすぎる。
「うーん……そう言われると説明が難しいね……噂話っていうのは大抵が出どころがなんだかわからないものじゃない?“友達の友達から聞いた話なんだけど…”って奴。」
確かに……それって結局は赤の他人では?というようなところから話し始めるものが多い。
「出所不明な曖昧な話……だけれど何故か信憑性が高く、多く広まっていくもの……そうして信じる人が多くなって行って人の共通意識の中で“こういうものだ”っていう認識の確定が定まったもの……それが【噂の効力】」
恭介の頭に?がぐるぐるとまわる。
やはり言ってることがわからない。
「例えば“八尺様”…この怪異はもともとは◯ちゃんねるに投稿された怪談がネットという広大な認知の海で人々の目に留まり、恐れられたからこそ定着した都市伝説なの。経緯は人面犬や口裂け女と同じものだけれど、“効力”をもつスピードが違うわ。」
なるほど、口伝や噂話では人の耳に届くのに時間がかかるが、ネットでは違うということか……
「ネットのおかげで多くの人の認識に残り、“効力”を持った怪異だけれど、ネットのせいで歪められた存在と言ってもいいわね。」
「……それはどういう?」
「白い帽子に白いワンピースという清楚な印象からネットの住民の癖に止まってしまったのよ。しかも子供を狙う怪異という特徴はショタの巨女という印象に変えられてしまった……いまではほとんど怪異らしい恐ろしさはないだろうね……」
なるほど……認識によって生まれた物は認識によって歪められるということか……それなら流行り廃りの多い、大量消費時代の現代において都市伝説とはチカラを維持できないのではないだろうか?
「ネットで生まれ、ネットで死んだ怪異といえば姦姦蛇螺もそうだね。これも元々は2◯ゃんねるの怪談だったけれど、近年は漫画になったりしたことで認知を歪められた……ネット発祥ではないけど、貞子や先ほど話にあったメリーさんもネットに殺された都市伝説の一つだね。」
こう聞くとやはりこのネット時代は都市伝説に怯えなくてもいいのかもしれない。
そうなるとヤスの行動もただの悪戯で済むだろうか。
「だけどね恭介くん、ネットで殺されていない都市伝説も未だ数多くあるんだよ?さっきの話の“異界”なんてほとんどネットで話題にならないし、“異界“の中でも“きさらぎ駅”などの異界駅はネットでチカラを強めるばかりね。」
「え!?なんで??」
「ネット住民の琴線に萌え方面で触れないんだよ……先ほどからあげているネットで認識を歪められた怪異は女性のような姿であり、萌化によって歪曲されたからさ、普通に怖い話の導入に“きさらぎ駅“を使おうと思っても、“きさらぎ駅“に萌える人は“少ない”ってわけね。」
そうか……認識を変えるには少数ではいけないんだ……多くの人の目に触れなければ認識は変えられない。
「それに異界から帰る方法だけれど……来た道順をただ戻る……彼はさとるくんに連れていってもらう気でいるけれど、さとるくんがどうやって異界に連れていくのかわからないのが怪しいよね。」
「え?」
「つまり、さとるくんと目が合った瞬間に異界に飛ばされるなら来た道順なんてわからないじゃないか、異世界転移者が帰る方法が見つからないのと一緒だよ。」
確かにそうだ。
多くの物語では召喚魔法などによって転移させられる。
同じ魔法で帰ることはあるが、それだけだ。
他の方法は見たことがない……
あったとしてもあまり知られていない。
「黒鳥さん!ごめんなさい!!俺今日休みます!!」
恭介は慌ててヤスの後を追う。
もし本当にヤスがさっきと同じ方法を取るのなら最寄りの公衆電話へ向かうはずだ。
(どこだ……?どこにある………?!)
近年、スマホが通信手段のスタンダードになってからは公衆電話は軒並み姿を消した。
あったとしてももう使えなくなったものか、駅の近くにしかおいてない。
「人の多い駅前はまずないと思う……あんな人通りの多い場所でやってたら神経を疑うぞ!」
いや、ヤスならやりかねないが……
とりあえず記憶にある電話ボックスを手当たり次第に探していく。
(いない!)
(いない!!)
(いない!!!)
どれだけ探し回っても見当たらない。
あの目立つ頭ならどこにいても見たかりそうな物なのに。
(まさかもうさとるくんに連れて行かれたんじゃないだろうな!?)
そうだとしたらごめんだ……そんな怖いおまじないなんてやりたくない。
そんなことを思いながら走っていると、一つの電話ボックスに目が止まる。
何故その電話ボックスに目が止まったのか。
違和感があったからだ。
目に止まる違和感。
恭介はその違和感を確かめようと、その電話ボックスをじっと見つめる。
違和感の正体がわかった。
受話器が垂れているのだ。
電話から離れてブラブラと揺れてしまっている。
受話器からはプー……プー………と音がなり、その音は恭介を呼んでいるようにも感じる。
恭介は魅入られたように電話ボックスに近づき、恐る恐る受話器に手を伸ばす。
頭ではわかっている。
この行為はやってはいけない行為だ。
背筋を走る悪寒が恐怖を否応なく実感させる。
恭介は受話器を耳に当てる。
背後のゾォっ……という悪寒が強くなったと思った瞬間、耳に当てた受話器から声が聞こえる。
先ほどまで通話待機中のプー…プー…っという音がしていたにもかかわらずだ。
『もシもシ、僕さとルくン。』
電子音と子供の声が混ざったような声。
恭介の頬を冷たい汗が流れていくのを感じる。
『聞キタいこト、なァニ?』
さとるくんが要件を問いかけてくる。
しかし、恭介は恐怖のあまり口が思うように動かない。
『死ツ問……ナいノ……?』
自身の心臓がバクバクと鼓動を鳴らしているのが聞こえる。
何か……何か問いかけなければ……!なんでもいい!!どんなことでも………!!
「あ………」
恭介の喉がやっと発音する。
この機を逃すわけにはいかない。
恭介は今最も知りたいことを質問する……。
「ヤス……… 山田 安弘の現在の居場所を……し…知りたい。」
振り絞るようにさとるくんへ質問を投げかける。
…………………………。
静寂が電話ボックスを包む。
何分…何時間経ったろう……?いやもしかすると一瞬しか立っていないのかもしれない……。
背中を伝う汗の間隔が…谷間に落ちる汗の感触が……この一瞬を異様なほど長く感じさせる……。
『キミはその人ノ居場ショをモウ知ツテるヨね?』
受話器から声がしたかと思うと、突然身体に衝撃が走る。
おそるおそる首から下へ視線を移すと、腹から小さく細い、小学生くらいの異様なまでに白い手が覗かせていた。
幸いだったのは、この身体の胸のおかげでその手が貫通したであろう腹を見ることが叶わなかったことだろうか。
そう、さとるくんの腕が胴体を貫通したのだ。
「んぎぃぃぃっ!!あ゛ぁっ!!」
実感した途端に背中と腹から熱を帯びた痛みが襲ってくる。
『僕ヲ馬鹿にシテ!バカにして!バかニ死テ!ば鹿ニシて!!』
背中でさとるくんが激昂して暴れているのがわかる。
さとるくんの胴体が揺れるたび、貫通した腕が内臓をぐちょぐちょと掻き混ぜてきてその度に激痛が走る。
「ーーーーーーーっっ!!!」
恭介は涙やら涎やら血やら顔からありとあらゆる液体を垂らしながら言葉にならないような悲鳴をあげる。
いや悲鳴にすらなってなかったかもしれない。
叫んだつもりではあるが、声を発せていたかすらも怪しい。
(コイツ……!)
このままではさとるくんに殺されてしまう。
いや、今自分は不老不死の人造人間なわけだから死ぬことができずに永遠に苦しむことになるのか?それとも不老なだけで不死じゃない??
この傷はどうなるんだ?◯の錬金術師みたいに再生するのか??
痛みから逃れるためか、余計なことばかり頭をぐるぐると回っていく。
違う、今考えるべきはそこじゃない。
なんとかしてこの場を切り抜けなければ………
(コイツは俺がヤスの居る場所をしっていると言っていた……)
ヤスと黒鳥との会話を思い出す。
さとるくんは既知のことを質問すると、激昂して殺してくるらしい。
今現在のこれがそうなのだろう。
つまり、さとるくんは恭介が既に知っているヤスの居場所を聞いたがために怒っているのだ。
そこから導き出される答えは一つ。
(ヤスは異界にいるっ!!)
ヤス自身が言っていたことだ。
さとるくんの顔を見て異界に連れて行ってもらう。
アホとしか言いようのないこの作戦を奴は見事に実行して見せたのだ。
「あの馬鹿ぁぁぁぁあああぁああっ!!!」
あまりの痛みに叫びと共に怒りが込み上げてくる。
理不尽な激痛は時に人を怒りに駆り立てるのだ。
『ばぁカッて言っタぁあアぁァアアァアああァアっ!!』
さとるくんも叫びに呼応して激昂する。
恭介は意を決して背中へ手を回すと、背中にしがみついて暴れるさとるくんを鷲掴みにする。
「お前じゃねぇぇぇええぇえぇぇえっ!!!」
恭介は力の限りさとるくんを引っ張ると顔を向けさせる。
自分の身体の穴が広がることなどお構いなしだ。
しかし、目を合わせた瞬間恭介は後悔する。
さとるくんの目はぽっかりと穴が空いたような黒目をしており、その暗闇は何処までも何処までも続いているような錯覚を覚える。
「あ………あ……」
恭介はさとるくんを持ったまま口をパクパクと開閉させている。
その深淵に魅入られたように動けなくなっており、何処までも深いその瞳に吸い込まれる感覚を覚える。
____ふと気がつくと、恭介は見知らぬ森の中に棒立ちしていた。
手に掴んでいたはずのさとるくんは忽然と消え去っており、あたりは森特有の環境音だけがあたりを包んでいる。
「………ここは…?」
恭介はあたりを見渡そうと身体を捻ろうとするが、すぐに激痛が身体を襲う。
「いぎぃっ!?」
そういえば身体に風穴を開けられているんだった……。
恭介は腹を抑えるようにうずくまろうとするもその動作だけでナイフに刺されるような激痛が襲う。
「ふぅーー……ふぅー………どうなってんだよ…」
腹を抑えた右手を確認すると、血がべっとりとついており、大量の出血を伴っていることがわかる。
「これで……死なないとか………」
普通なら出血多量で意識を失っていることだろう。
しかし意識が遠のくことはなく、以前はっきりとしておりそのために痛みから逃れることもできない。
「こりゃ………ひでぇ…。」
正直、黒鳥がこの身体にならなくてよかったと思う。
この身体の欠陥を知ったらさぞ後悔したことだろう。
「………そうだ…ヤス………」
恭介はさとるくんの目を見たらここに飛ばされていた。
つまり同じ手段でここにきたヤスも何処かにいるはずなのだ。
しゃがむこともままならない恭介は腹を抑えながら足を動かして森の中を彷徨う。
森の中は霧が濃くなっており、簡単に方向感覚を失わさせた。
「こんなとこに……ヤスがいるのか?」
行けども行けどもあたりは一面木や雑草ばかり……
あまりにも退屈すぎて痛みも忘れてきた……
(いや…そんなわけないだろ。)
いくら変わり映えのない風景だからと言って痛みが落ち着くはずがない。
それどころか普通否応なく痛みに集中させられてしまいそうなものだ。
しかし現に恭介に先ほどまでの激痛はなく、ズキズキといった我慢できる痛みに変わってきているのである。
(??)
恭介は抑えていた腹に違和感を覚える。
先ほどまで通気性抜群だった腹に普通の肌の感触があるのである。
「もしかして……傷が塞がってる??」
眼下にある胸のせいでいかんせんどうなっているか目視することはできないが、触っている感じ綺麗な柔肌のように感じる。
すべすべもちもちで……ずっと触っていたいような感触だ。
「…………はっ!いかんいかん!」
正気を取り戻した恭介はあたりをキョロキョロと確認すると、また歩み始める。
何処まで行っても変わらない景色に若干の不安を覚えていた。
「これ…………ヤスを見つけるどころか帰れるかすら怪しくないか??」
そもそも本当にこんなところにヤスはいるのか?だんだん不安になってきた。
正直泣きそうである。
「い………妹氏ーーーーーっ!!!!」
突如聞き覚えのある声が森の静寂を打ち破る。
声の方向に目を向けると見覚えのある丸眼鏡が勢いよく恭介の腹へと激突する。
「うおっ!痛っっ!!!」
タックルされた衝撃で思わず声を漏らす。
「妹氏!妹氏!!妹氏!!!もしかして拙者を迎えにきてくれたでヤンスか!?」
ヤスはべそべそに泣きはらしている。
コイツも相当不安だったことだろう。
「よしよし……やっと合流できたな。」
「うぅ〜……妹氏ぃ〜〜鉄臭いでヤンスぅ〜〜……」
思わずゲンコツが飛び出てしまった。
コイツ……俺がどれだけ苦労してここに来たと思ってるんだ……。
「全く……今日は遭難者によく出くわす日だな………この迷いの森は人の立ち入りが禁止されているはずだが……。」
ふと聞き馴染みのない声がする。
目をやると、ヤスが走ってきた方向からやたら顔立ちのいいイケメンが歩いてきた。
「いくら怪物の脅威がなくなったとはいえ、森はそれ以前に危険なんだ……無闇に立ち入らないでほしいね。」
やれやれといったふうにこちらを睨みつけてくる。
なんだこのイケメン、ムカつくな。
「この森は普段から霧が濃くて迷いやすいんだ。余所者が立ち入ったらすぐに迷う……こっちだ、木々に巻かれている目印の通りに進むといい。」
男はついてくるように合図して歩き始める。
「妹氏!言う通りにした方がいいでヤンス!流石は異界……変な化け物がそこらにいるでヤンスよ!」
やたらめったら震えた様子でヤスは男についていく。
つうかあの剣本物なのか?銃刀法違反じゃないのか?
「お前達…何処の村の人間だ?それとも密入国者か?」
男が案内の暇つぶしと言わんばかりに質問を投げかけてくる。
しかしどうにも変ないいまわしだ。
「いや…俺も気付いたらこの場所にいて……ははっ」
「………?どう言う意味だ?まぁいいか、そこら辺は警備隊庁舎に着いたらゆっくりと取り調べさせてもらおう。」
取り調べとは……なんだか警察みたいなことをいう人物だ……ただのイケメンじゃなくて痛いイケメンか?痛発言もイケメンなら無罪ってことか??
しばらく男の先導に従ってあるくと、霧が晴れてきた。
「森を抜けたでヤンス!」
ヤスが歓喜の声をあげる。
恭介もやっと出られたとため息を吐く。
「さて……幸いここから城塞都市までは1日かからない。早く荷台に乗り込め。」
男の声がけに恭介は驚愕する。
そこにはなんと馬車があったのだ。
「い………いつの時代だよ…!」
恭介とヤスは恐る恐る荷台に乗り込むと、早速男は馬車を走らせる。
「なんだかRPGの主人公になった気分だなぁ」
馬車に乗れる機会なんて滅多にない。
せっかくだから馬車の旅を楽しもうと景色を眺める。
馬車を吹き抜ける、馬の匂いを纏った風……。
ガタガタと揺れ動き、石につまづいては上下する三半規管を刺激する荷台……。
荷台から身を乗り出しているヤスの嘔吐物のにおい……。
恭介はだんだん気分が悪くなってきた。
「なんだ?馬車酔いしたのか?だらしがないな……」
男は呆れた様子でこちらに声を投げかける。
こんなの酔うなというのが無理がある。
気分が悪くなった恭介とヤスは荷台で横になる。
そのうち男も喋らなくて良いと思ったのか、無言になり延々馬車を走らせている。
なんでも良いから早く到着してくれと恭介はただただ願っていた。
馬車のスピードがゆっくりと落ちていき、止まる。
「着いたぞ。」
男の呼びかけにうぅん……と起き上がった恭介はまたも驚愕する。
目の前にはそれこそ漫画やアニメ、小説の挿絵でしか見たことがないような立派な城壁が立ち塞がっていた。
「なんだよここ………」
酔いも忘れてキョロキョロとあたりを見渡す恭介。
その横でヤスは「い……異世界転移でヤス……!」と感動したような声をあげている。
「じゃあ、僕は門兵に話を通してくるからそこを動くんじゃないぞ。」
そういうと、男は大きな柵門の方へと歩いていく。
動くんじゃないぞと言われたものの、何処に行けば良いのかわからず、恭介とヤスはその場にポツンと佇んでいる。
「なぁ……俺達このまま帰れないなんてことないよな?」
「それはごめん被るでヤンス、チートを貰えない異世界転移なんてただの鬼畜ゲーでヤンスから。」
ヤスの発言にはぁ…とため息がでる。
心配するのはそこなのかと少し呆れ返ってしまったのだ。
ふとチーン……と言うようなまるでエレベーターの到着音のようなものが聞こえる。
その到着音は門の脇にある門兵の詰め所のようなところから聞こえてきており、ギィ…………っと一人でにドアが開く。
その先には見覚えのあるエレベーターの室内があり、見覚えのある美しい人物がこちらへ微笑みながら手招きをしていた。
「黒鳥さん!!」
「黒鳥氏!!」
二人は驚きつつもそちらへ駆け寄る。
「あんまり遅いから迎えにきたよ。ささ、はいってはいって」
迎えにきた
その言葉だけでじーん……と胸がいっぱいになる。
この人こそが女神だ。
「それにしてもどうやってここに来たんでヤスか?」
ヤスの質問に黒鳥は扉を閉めながら答える。
「喫茶店の入っている廃ビルがあるでしょう?あそこのエレベーター……電気が通ってないけど動くのよね。」
そう言いながら黒鳥はエレベーターの階数ボタンを出鱈目に押していく。
そんなにいろいろな階数を押して大丈夫なんだろうか?
「まさか……異世界エレベーターでヤンスかっ!?」
ヤスが驚愕と感動が入り混じったような声を上げる。
異世界エレベーター……喫茶店で話していた内容だ。
「まさかあの喫茶店にこんな素敵エレベーターがあったとは!!?はっ!!ということはこの場所まで案内してくれたあの人は“時空のおっさん“!!?」
「時空のおっさん??」
聞き馴染みのない単語に思わず聞き返してしまう。
「“時空のおっさん”とは異界に迷い込んだ人を元の場所に帰してくれる人物でヤンス!口調は荒く、怒ったような素振りをしているところなどまさに“時空のおっさん”そのものでヤンした!」
ヤスが興奮気味に捲し立てる。
あの人はおっさんというよりお兄さんと言った見た目だったような……。
「まぁ、とにかく今回は無事に帰れたけれど異界が危険なのはわかったでしょう?これからは無闇に突っ込まないことね。」
黒鳥が微笑みながら忠告してくる。
忠告する様も可憐で美しい。
「そうでヤンスね……異界と言っても必ず陰世に繋がるわけじゃないようでヤンス……」
ヤスが肩を落としてしゅんとしている。
それなりに長い付き合いであるが、ヤスのこんな姿は珍しい……なんだかんだ言ってヤスも反省したようだ。
「次はさとるくんに死者蘇生の方法を聞き出すでヤンス!」
「懲りてねぇなオメェっ!!!!」
恭介の怒号が狭いエレベーター内を揺らしたのは言うまでもない。