第9話「信用できない」
グレアは聞いた話を忘れることにした。別に他人のことを根掘り葉掘り聞いて知りたかったわけではないし、なによりマリオンが何者であれ親切にしてくれたことは事実だ。それ以上に求めたりする気が起きなかった。
──翌朝にはまだ眠り呆けているマリオンをそっと寝かせたままにして朝食の注文に一階へ向かう。朝の陽射しが窓から差し込んでいる店内の景色と、鼻腔を刺激するソーセージの焼ける香りに誘われてカウンター席に腰掛ける。
「おはようございます。……ティナさんでしたっけ?」
「あら、おはよう。覚えててくれたのね」
「マリオンと親しそうにされていたので。注文いいですか」
「なんでも言って。あの子はまだ寝てるの?」
「ええ、だから持っていってあげようかと」
渡されたメニューを見て、あごを優しく撫でながらにらめっこをする。愛らしい挿絵と共に料理の名前がずらりと並んでいて、ついどれも注文したくなった。しかし誘惑を振り切って、さきほどから香ばしく漂うソーセージと温かい野菜のスープにパンを付けてもらって注文は少なめにチョイスする。
「ぶどう酒は要らないかしら?」
「昨日飲みすぎてるから、やめさせておきます」
「それがいいかもね。二日酔いしてるわよ、きっと」
朝食が出来上がってプレートに乗せ、持ってあがってみればティナの言ったとおりだ。目を覚ましていたマリオンは顔を少し青くして窓辺の椅子に座り、机に突っ伏している。横目にグレアを見て小さく手を挙げた。
「ごきげんよう、マリオン。顔色が悪いね」
「頭が痛ぇんだ。あんたに合わせて飲み過ぎた」
「ハハ、それはごめん。朝食を持ってきたよ」
顔を上げたマリオンがフッと笑う。
「オレが二日酔いしてると思って少なめだな」
「ああ、大当たり。ティナさんも言ってた」
「だろうな。アイツはオレのことをよく知ってる」
マリオンは楽しそうにナイフでソーセージを切り分ける。ウェイリッジでは宿泊先としてだけでなく個人的にもティナには世話になっているので、自分がいかに俗物的で奔放な愚か者であるかをよく理解している、と。
「いいオンナだよ。もうすぐ結婚するらしいぜ」
「へえ、優しそうな良い人だもんね。相手も似た感じの?」
「なんと伯爵家だってよ。ひとめぼれされたんだとさ」
そう話すマリオンは、どこか不満げに見えた。だがそれにはグレアも同じ気持ちだった。ティナは優しい女性だが、伯爵家のほうはどうだろう? と。
「ここらで伯爵家っていうと、ヴィンボルド伯爵あたりかい?」
「よく知ってんなぁ。さすが公爵家令嬢様は博識だな」
「以前、パーティで会ったことがあるんだ」
「で、どんな印象だった。良い感じの男だったか」
うーんと腕を組んで渋い顔つきをする。グレアの記憶にあるヴィンボルド伯爵、マクシミリアン・ヴィンボルドは確かに見目の良いやや若さの残る雰囲気の男だが、〝良い感じの男〟と形容するにはいささか胡散臭い気がした。
「そう言えば数カ月前に利権絡みの問題で、ノルマン子爵から農場を掠め取ったとかどうとかで裁判があったような。結局、契約書に判を押して合意の上であったと認められたことからヴィンボルド伯爵はお咎めなしの結論に至ったんだけど……そうだね、簡単に言えば強かな人だと思う。私は苦手なタイプだ」
マリオンがガックリして頬杖をつく。
「要は金にがめついってだけだろ……?」
「ま、そんなところだ。貴族なんて大概がそうだけど」
へらへらしてグレアはスープを飲む。
「貴族なんてのはさ、昔からそうやって贅沢を好むんだ。カチコチのパンを焼いて皿代わりに使って、あとは奴隷に……なんて話もあるくらいだからね。金を稼いで自分たちのために無駄遣いをする。それがステータスでもあったのかもしれないけど」
からっぽの皿を満足そうに置いて、ひと息つく。
「ヴィンボルド伯爵も中々に執着は強い気がするね。挨拶以外で私に声を掛けたことなんてなかったし、いつもお父様に媚を売るのが忙しそうだった」
マリオンがなんとも呆れた表情で空いた皿の中にナイフで弧を描きながら「嫌な野郎もいたもんだなあ」と口先を尖らせる。彼女はどうにもティナが悪い男に引っかかったのではないかと心配になった。
「その昔、オレの親父もロクでなし共に騙されて商売をダメにされちまったことがあってな? 正直、貴族様ってのは信用してねえんだ。……あ、もちろんあんたのことは別だぜ。けど、やっぱヴィンボルド伯爵は……」
う~んと唸って困った様子なので、グレアはくすくす笑いながら。
「じゃあ、会ってみよっか。私に良い考えがあるんだ」