第8話「ウィンター伯爵家」
それから二時間ほど、ゆっくり話をしながら食事を摂った。気付けばマリオンはすっかり顔を真っ赤にして酔っている様子で、目もとろんとしている。今にも眠ってしまいそうな状態でジッとグレアを見つめていた。
「……あんた、もしかして酒強いのか?」
「どうだろう。浴びるほど飲んだ経験がないからね」
レンヒルト家は代々、いくらでもジュースのように飲み干してしまうほどの酒豪だ。グレアはあまり酒を進んで飲むほうではないので自覚がなかった。パーティに出席しても小さなグラスに一杯分。それだけだ。
ただ、今日だけはマリオンという新たな旅の仲間──そして新たな友人でもある──との祝い酒。いつもより多く飲んだし、なにより楽しかった。誰かと気楽に飲んで、自由に話をする。言葉の中に思惑もなかったから。
そのせいか、次から次へと追加で注文し、マリオンも負けじと飲み続けたがグレアが顔色ひとつ変わらないもので、珍しく先に限界を迎えたことに驚きを隠せないでいた。酔っていても正常な判断はある程度できるらしい。
「くう~、このままじゃオレが吐きそうだ。悪いがギブアップ、先に寝る! あんたはどうする、まだ酔っ払い共がいるみたいだけど」
「君も酔っ払いだけどね。もう大丈夫、まだ飲んでいくよ」
まだ飲めるのかと驚きと呆れが混ざりつつ、彼女が大丈夫というのでマリオンは「そうかい、ごゆっくり」とふらふら千鳥足で部屋へ戻っていった。覚束ない足取りで階段の手すりにつかまって帰る姿をグレアは面白がった。
「よう、お嬢ちゃん。一人で飲むのかい」
マリオンがいなくなって早々、一人の酔っ払いが寄ってくる。今の彼女は先ほどとは違って少し強気だ。あしらうくらいは出来るだろう。
だが、男の視線はグレアよりも二階へ上がっていくマリオンに向けられていて「あの子が連れのために怒鳴るとはねえ」と意外そうにしているのを見て、きょとんとする。
「マリオンのことを知っているんですか?」
「ああ、ここじゃ誰でも知ってる常連だからなあ」
隣の席に座って顔を赤くした男はぷっくり肥えた手で握るカップを包むように持ち、ひと口の酒を飲んで唇を潤す。
「おたく、あいつとは知り合って間もないって感じだな。まあ、連れと一緒に泊まるなんて何年か見てきたが初めてのことだし当然か」
「そうなんですね。普段はどんな感じなんです?」
男はうーんと顎をさすりながら。
「いつも来たときゃあ無愛想で静かに独りで飲んでるよ。みんな、ちょっとでも楽しく過ごしてもらおうと思って声は掛けるんだけど、無視ばっかりさ。今日みたいに怒鳴ったのは初めてなんで、どいつも動揺しちまってねえ」
そもそも、と男はまたひと口を飲んで言った。
「ウィンター家の末娘ってなったら、みんな良くしたがるもんさ。今じゃ事業に失敗して没落しちまったが、この酒場に長年いるような連中はよく世話になった。当主だったゴードンさんも人柄が良くて……毛皮の売買に手を出して、よそに利益を持ち逃げされちまったのさ。本当に可哀想に、そのあとはよく知れた話だ」
男がさも当たり前のように話すので、グレアは首を傾げた。
「あの、すみません。私は帝国出身なのでよく知らないのですが、ウィンター家というのはヴェルディブルグでは名の通った貴族の方だったのですか?」
その問いに、すぐ近くの席で飲んでいた別の男が答えた。
「嬢ちゃん、帝国から来たのか。そりゃあ知らないわな。ウィンター伯爵家っていやあ、このあたりじゃ知らない奴はいねえ。今は知らねえが世話になった奴らは多すぎるくらいさ。だけど他の貴族連中からは目の敵にされていたらしい、それでまんまと嵌められて資産を失くしちまったんだ。で、ある日に、これよ、これ」
首を何かで持ち上げるような仕草をした意味が分からず少し考え、そして理解した。ウィンター伯爵は騙されて事業に失敗、多少は残るはずだった利益も持ち逃げされる始末に首を吊ってしまったのだろう、と。
「だから男みたいに振舞うのも、父親と同じようにナメられないためなんだろうなあ。いつも暗い顔してやがったんだが、今日はとびきり元気いっぱいだった。怒鳴られはしたけど、ああして誰かと笑って飲むなんてのは良い傾向だ」
いつの間にか話を聞いていた他の客たちも便乗するように頷いて、そうだそうだとしんみりする。よほどウィンター伯爵家は彼らの思い出で美しく輝いているのだろう。思い出話は彼らの酔いを蕩かす暖炉の火のようだ。
「……貴重なお話をありがとうございます。私も少し酔いが回ってきたようですので、これで。あ、マリオンには秘密にしておきますからご安心ください。彼女が聞いたら、お酒を飲んでるときより真っ赤になりそうだ」