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気風の魔女─レディ・グレア─  作者: 智慧砂猫
第一部 レディ・グレアと始まりの旅
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第7話「乾杯しよう」

 正直、おとぎ話には憧れがあった。グレア・レンヒルトはいつも暇さえあれば自室であらゆる本を読み耽っていて、外の世界を羽ばたくのを夢見ていたものだ。それゆえに公爵令嬢という肩書きを捨てて、彼女は自由を求めて旅に出ようと決めた。マリオンはまさしく、そんな憧れの世界への案内人だった。


 不老不死になりたいとは思わなかったが、もしそんな方法が存在するのなら『知識として欲しい』とは思った。他の誰もが知らないような秘密の知識を。


 そうして数時間をのんびりと過ごし、ヴェルディブルグ領のウェイリッジまで着いたときには陽も暮れ始め、マリオンは自分の知っている近場の宿があるんだと自信たっぷりに胸を張った。


 連れられたのは『鍋の底』と名前のある宿だ。外観は少しくたびれた雰囲気で、以前に泊まったときと同じく一階が酒場、二階が宿という形式だ。すこし距離があるので多少騒いでても部屋まで聞こえてくることがあまりなく快適で、食事もウェイリッジの中では味が良いと評判。マリオンも顔馴染みになっている。


「あら、マリオン。いらっしゃい、部屋は空いてるわ」


「ティナ、久しぶり。今日は連れがいるんだけど大丈夫か?」


 グレアが深々とお辞儀をする。ティナと呼ばれた女店主は「もちろんよ」と壁に掛かっている部屋の鍵をマリオンに渡す。


「初めてのお客様ね、困ったらなんでも言って」


「ありがとうございます。頼りにさせていただきますね」


 軽い挨拶を済ませたら荷物を二階の部屋に運ぶ。二人部屋は広々としていて、ベッドはそれぞれに用意されている。食事もできるよう窓際に少し大きめのテーブルがあったが、マリオンが「またこっちで食うか?」と尋ねると、グレアはせっかくだからと酒場に降りていくのを決める。


 たまには騒がしいのも悪くない。


 案内された席に着き、メニューを開く。豊富なメニューにどれを選んでいいものかと迷っているとき、他の客が食べているものが目に付く。どれも美味しそうに見えてきて、いっそう何にするか迷った。


「オレはオニオンスープとコーンサラダにして……あとチキンソテーがいいな。バターはたっぷりでよろしく。酒は二人分な」


「あ、じゃあ私もコーンサラダ。あとポークステーキで」


 注文が済んだら、しばらく窓の外の景色を眺めたりして時間を潰す。酒場の喧騒はそれほど気にならなかった。少し酒臭い男たちの揉める声が聞こえるので、マリオンが鬱陶しそうにしているくらいだ。


「大丈夫か、グレア? うるさくねえか?」


「このくらい平気だよ。むしろ新鮮な感じかな」


 公爵令嬢として仕方なく従順に生きていたときは、それなりにパーティにも参加してきた。興味もなければ必要もないものだったが、体裁を守り、自分の夢を叶えるその日までの下準備と考えて。


 比べて酒場は賑やかで、それぞれが自分たちのために酒を飲み、肉を食らい、自由気ままに過ごしている。他人の顔色を伺いながら自分たちの立場を守るか、あるいは出世を狙っているような人々の悪だくみの場でないというだけでグレアは楽しむことができていた。


「よう、姉ちゃんたち。こんな窓際の席でしんみりメシかい? 俺たちといっしょに飲まないか、楽しいぞお~!」


 明らかに泥酔しているだろう男が何人か絡んでくる。周囲の客は助けるどころか気の毒そうに眺めるか、同じく酒に酔って馬鹿笑いしているだけだ。グレアは困りながらも適切な距離を測ろうとする。


 見かねたマリオンが料理が届くと同時にフォークを手に取って、その先で机をドンッと叩く。途端に場がしん、と静まり返った。


「いい加減にしろ、酔っ払い共。こっちは気持ちよくメシ食いに来てんだ。股座(またぐら)蹴りあげられたくなきゃテメーの席に戻って静かに飲みやがれ」


 彼女の低めの声が唸るように響き、さすがにまずいと思ったのか男たちも酔いが醒めたように顔を青くして退散していく。


「やっと落ち着いたな。さ、食おう!」


 と、マリオンが笑顔に戻った。


「君は慣れてるんだね。私にはどうすればいいのか分からなくて、正直ちょっとだけ怖かったよ。いくら悪意がないと言ってもね……」


 気丈に振舞おうとするグレアに、マリオンは真剣な顔をする。


「あんたもそのうち慣れるさ。いつまでもお嬢様じゃいられねえんだし、こんな経験も必要だろうな。……だけど、今日くらいは部屋に戻ってメシにしてもいいぜ。手、震えてるみたいだしよ」


 言われて初めて気が付く。自分はこんなにも情けないのか、と少しだけ嫌いになりそうだった。その分、マリオンの優しい気遣いのおかげで、緊張は陽射しに当てられた雪のように、ゆっくり溶けてなくなっていく。


「ううん、大丈夫。君のおかげで」


「そりゃどういたしまして」


 ぶどう酒のたっぷり入ったカップをそれぞれ手に取る。


「よっしゃ。元気も出たってことで、ここはひとつ」


「私から君への感謝も込めて。──乾杯」


 コンッと小気味良い音が響いた。

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