エピローグ①『新しい朝に』
「……ふわあ。今、何時?」
「朝の九時。メシできてるぞ」
寝ぼけた目をこするグレアの横で、彼女の愛読書をマリオンがじっくり読みながら起きるのを待っていた。既にシモネが朝食の用意を済ませてくれている。洞窟での出来事に対する実感は、まだ二人共はっきり得ていない。
「行こうか。ちょっと寝過ぎたね、ごめん」
「疲れてんだから仕方ねえさ」
マリオンが待った時間は、たった十分程度。グレアが戻ってきたときに生じた僅かな時間のズレのようなもので、ちょっとばかりの退屈を強いられたくらいだ。しかし、グレアは長い一年間を過去に飛び、それなりの慌ただしさの中を帰って来たのだ。疲れていて当然で、むしろもう少しゆっくり寝てても良かったとマリオンは彼女の頭をぽんと撫でた。
とはいえ空腹には抗えないもので、もう少し休むにしても、せめて朝食を摂ってからにしようと二人揃って一階へ降りる。シモネがニコやかに「おはようございます」と迎えると、二人共、小さく手を挙げて答えた。
「今、ちょうどスープを温めなおしたところなんです」
「へえ、そりゃいいや。助かるぜ、シモネ」
「どうも。……しかし驚きましたよ、昨夜は。まさかローズと一緒にいらっしゃるなんて思いもしませんでしたから、なんの用意もなく……」
アロンから馬車を借りて行った話は聞いていたので、しばらくしたら戻ってくるだろうと待っていたら、付き添うようにローズまで来て、もてなすどころか「別に必要ない」と、何も手土産さえ渡せないまま帰らせてしまったのをがっくりしていた。彼女がわざわざその程度のことを気にしないのは知っていても、後悔が押し寄せる。
「じゃあ、また伝えておくよ。私たちも明日にはモンストンを出て、もう一度ヴェルディブルグへ行くことになったからね」
「すみません、お気遣いをありがとうございます」
二人の食事の準備ができたら、ゆったりと町の景色を眺めて、用意されたコーヒーを飲んだ。モンストンの朝は、町の人々の行き交う姿で活気に溢れている。途中、巡回を始めたらしいエドゥレが二人を窓に見つけて手を振りながら去っていく。
「……平和だねえ」
「ああ、まったく」
親しみを覚えるモンストンの町の景色も、あと一日でお別れだ。そのあとは、正式に彼女たちが魔女の代理人として新たに選ばれたことをヴェルディブルグの女王の前で誓い、ローズが証人となれば、長い旅の始まりが告げられる。
「そういやあ、オレはいいけど、お前、家族に何も話さなくていいのか? 結局、バタついちまって土産も買えてないんじゃねえのか」
「うん。そこが悩みどころだよねえ」
シルヴィの話した親馬鹿な一面が事実だとしたら、きっと自慢してまわるに違いない。それはまだいいとしても、娘が魔女の代理人だと分かれば、擦り寄ってくる人間は以前よりもさらに増すことだろう。いざ縁を切っている身として、やはり関わらないほうが互いの影響を受けない気もした。
「……周囲に言いふらすなというのも、たぶん無理だ。私が離れてる以上は『言ってない』なんてしらばっくれるだけだろうし」
「つっても公爵様も馬鹿じゃねえだろ。大丈夫さ」
信頼がないわけじゃない。幼い頃から、あれこれ厳しく教えられたこともあったが、決して公爵家という身分ひとつのためではなく、グレアが今後に何があっても恥をかかないためでもある。本人は言わなかったとしても、多少は察していた。
ウェイリッジのヴィンボルド伯爵のように、軽口を叩いたりはせず、ただ黙して必要なとき以外を語ろうとしないのは重々承知だ。
「うーん……。ま、それもそっか。何がいいかな」
「こっから食いもんは贈れねえしなあ」
以前は本でも贈ろうとしたが、結局それも王城に置いてきて、どうなったか分からない。ローズの手もとに返ったのだろうか? 魔導書を返す際に、近衛隊のディルウィンは持っていなかった気がする、とコーヒーを飲みながら思い返す。
「それでしたら俺に名案がありますよ」
洗い物をしていたシモネがひょこっと近くに顔を出す。
「ローズからたまに頂く魔法の箱があるんです」
「……魔法の箱っていうのはなんだい?」
「ええ、それがとにかくすごいものでして……ちょっと待っててください、すぐに取ってきますから。実際に見た方が早いはずです」
そう言って彼が厨房から急いで持ってきたのが、小さな木箱だ。蓋には特殊な文字が刻まれていて、薄紫に輝いている。
「ふぅ~ん、これが魔法の箱。どういうもの?」
「ええ、まずは中身を見てください」
大き目の箱の中には果物が入っている。
「こちらは一年前に収穫されたものですが、ほら、見て下さい。きれいでしょう、痛んでもないんです。なんと、この箱、中に入れたものの時間が止まるので、どんなものでも大丈夫なんだそうです。これ、使ってみませんか」




