第49話「時間の扉」
ローズに言われるがまま、不気味な洞窟の中へ入る。中は暗いが、冷たい壁に立てかけてあった松明を取って彼女は先頭を歩く。誰も言葉を交わさず、靴音だけが静かに響き、やがて行き止まりに辿り着いた。
目に映ったものを見て、グレアもマリオンも目を見開く。一見は祭壇、対面するように置かれた篝の向こうに構える石造りの巨大な二枚扉。その足下には大きく描かれた紋様がある。魔導書の中にも見た、魔法陣と呼ばれるものだ。
「ここを見つけたのは、もう百年くらい前になるか」
篝の中の薪に火を灯す。ローズは目を細め、扉を凝視する。
「偶然だった。雨に降られた日、モンストンを出たばかりで引き返すのも面倒だったから、この辺りで雨風を凌げたらと良い場所を探してたときに、この洞窟に辿り着いてね。大きな二枚扉に書かれている文言を理解するのに時間は必要なかった」
扉の前に立ち、そっと触れて彼女は語り続けた。
「……不老不死の呪いは、どれだけ魔法を改良しても解けない。方法を見つけてやるといったが、すまない。私にはあれを解く方法は何百年かけても見つけられなかったもので、おそらく今後も変わらないだろう。嘘は言いたくなかったのに」
彼女たちを振り返り、ローズが俯きがちに目を逸らす。
最初から呪いを正しく解く術などなかった。ずっと方法を探し続けたが、結局はどうやったのか、歴代の魔女の誰もが辿り着けなかった呪いの真理に辿り着くことができず、今後も続けていくとしても何百年かかるか分からない。
「じゃあ、どうすんだよ。それで『はい、さようなら』って言うつもりで、こんな訳の分からねえ場所に呼び出したわけじゃないんだろ?」
マリオンに問い詰められて、彼女はこくりと頷く。
「ひとつだけ手段はある。この扉を潜り、過去へ行くことだ」
「過去へ行く……その扉が過去に繋がっているってこと?」
グレアの言葉は半分正しく、半分間違っていた。
「過去へ繋げるというのが正確だろう。この足下にある魔法陣に私が立って魔力を注げば扉は開く。……ただし、通れるのはグレア、お前ひとりだけになる。そしてお前がやるべきなのは過去の改変。今ある未来を別のものにするんだ」
マリオンがぽんと手を叩いて、なるほど、と呟く。
「つまりあれか、あんたと会わなかったことにするって話か」
「……惜しいな。マリオン、それはできないんだ」
「なんでだよ。呪いは、あんたの魔導書を開いたからだろ?」
納得のいかなそうなマリオンに、ローズは呆れた顔をした。
「私と会わなかったことにしたら、この扉を通じて過去へ旅立ったグレアがどうなるのかの保証は出来ない。魔女との繋がりは絶対的に必要になる。だから必ず会ってもらわなければならない。だが、本を開かせなければいいというのは正しいはずだ。その腕輪があれば、過去の私でもお前を信じて力を貸してくれる」
ローズが魔法陣の上に立つと、紋様が上塗りされるように淡く光り輝いていく。どこからともなく紫煙が揺蕩い始め、扉がゆっくり開き始めた。
「この扉の先に何があるのかは知らない。だが扉に書かれた文言には『後悔は過去と共に消えゆく、人々の可能性は遡られ、新たな未来を得る』とあった。そして試しにここを通った奴いわく、たしかに過去へ辿り着いた、と」
いわば賭けに近い話だった。しかし、ローズもこれだけが可能性、これだけが最善という確たる根拠をもって語ったことだ。グレアは少し悩んだが、呪いを解く方法が見つかるかもしれないのなら、と踏み出す決意をする。
「……わかった、行ってみるよ。これで呪いが解けるなら」
しかし、それを制止する声があった。
「いやいや、おかしいだろ。百歩譲って、これが解決する方法だったとしても、戻ってこれる保証なんてあんのか? グレアの安全が確保できてねえのに入っても大丈夫なんて、どうして言えるんだよ。タチの悪いギャンブルじゃねえか」
とにかく心配だった。親友が、見たこともない世界へ飛び込もうとしているのを、軽々しく背中をおすことが出来なかった。もし帰ってこなかったら。時間を飛び越えるという常識外れの話に、とにかく耳を疑うしかできない。
グレアはそれでも「行くよ、大きな賭けだったとしても」と、傍に立って憂いの多分な表情を浮かべるマリオンの肩をぽんと叩く。
「発端は私自身の不出来な行いのせいだし……それに、好奇心には勝てそうもない。永遠を生きたいとは思わないが、神秘には触れてみたい。この期に及んで私は自分が怖くなるよ。君のおかげで、こんなにも前向きになれる」
開いた扉の向こう側は、真っ暗だ。何があるかも分からない。手を伸ばしてみると、漆黒に飲み込まれる。何かがある。だが何もない。そんな矛盾を抱えた空間の中へ飛び込むのには勇気が要るだろう。
しかし、今のグレアに憂いはない。ただ前に進むだけの価値があると信じられた。どんなときでも自分を想ってくれる人がいるだけで、何が起きても怖くない。救いの手は必ず差し伸べられるはずだ、と。
「……わかったわかった! オレが言っても聞くわけないよな。だったら行け、ここでいつまでも待っててやるからさ。絶対帰って来いよ、約束だ」
「フッ、ありがとう。やっぱり君と出会えてよかった」
振り返って嬉しさに口もとが綻ぶ。意を決して彼女は飛び込んだ。
 




