第41話「そんな気風で」
御者の男に連れられて、二人がやってきたのは小さな宿だ。ただの二階建ての民家にも見えるが、玄関の扉には『営業中』と書かれたプレートがぶら下がっている。本当にここなのか、と不安になり御者の男を見ると、彼はニコニコして言った。
「ここは『朝の陽射し』といいまして、小さい見た目ではありますがモンストンでは人気なんですよ。宿泊客は少ないんですが、料金が少し高いので」
言われるがまま扉を開けてみる。内装は至ってシンプルで、穏やかで温かい雰囲気のウッドスタイルな空間が広がっていて、主人らしい柔和な顔つきの若い男が気付き、小さく会釈をした。
「いらっしゃいませ。お食事ですか?」
「ここがモンストンで一番の宿だと聞いたんだけど」
ちらと背後に目をやると、御者の男はもう帰ろうとしていた。宿の主人が「ああ、それはもう」と部屋の鍵を手にする。少し自慢げで嬉しそうに。
「ここを利用するのは限られた人だけなんで、お客様は運が良い。新鮮な魚料理も提供できますから、ごゆっくり。金貨一枚になりますけど、どうでしょう」
かなりの高額に感じたが、グレアは渋らずに差し出す。
「ちなみに、なぜこんな額なんだい?」
「ああ、それは……俺が宿泊客を選んでいるからです」
言っている意味が分からずに首を傾げる。彼は胸に手を当ててまたお辞儀をして、「すみません、自己紹介が遅れました」と優しく笑いながら。
「俺はシモネ・ヴィンヤード。モンストンで数年前から宿を営んでおりまして、魔女の血を継いでおります。ほら、髪が紅いでしょう? これ、染めてないんですよ。とても美しいとよく言われるので自慢なんです」
ああ、とマリオンが手を叩く。
「ヴィンヤードっていやあ、魔女の生まれ故郷じゃねえか?」
「よくご存じですね。今はもう村自体ありませんが」
ヴェルディブルグ領内にある小さな村、ヴィンヤードは、生活の痕跡が残るばかりの廃村だ。近くに墓地があり、歴代の魔女の名がすべて刻まれている石碑が、国から定められた人間の管理によって今も残っている。
「じゃあ、つまり宿泊客を選ぶっていうのは、もしかして魔女を知っている人間だけ、あるいは魔女が認めた人間だけが泊まれるってことかい?」
「そんなところです。ちなみに、さっきの御者は俺の弟でして」
えっ、と二人がまた振り返る頃にはもういなかった。
「髪を茶色に染めてるんですよ。魔女と血が繋がっているというだけで寄ってくる人もいますからね。あいつがここへ連れてくるのは、魔女の関係者だけなので、もし話していないんだったら、何か持ってませんか。紹介状とか」
ハッとして互いに顔を見合わせて指をさす。
「紹介状にあった魔女のサインだ」
声をぴったり揃えて言うので、シモネがくすっとする。
「やっぱりでしたね。ちなみに、ここの料金が高いのは魔女の知り合いだからってのが大きいんです。客を選んで経営を続けていくのって大変なので。でも料理の腕には自信がありますから、ぜひ。宿泊日数も融通は利きますので」
部屋の鍵を受け取り、グレアは期待を込めた言葉を返す。
「魚料理は好きなんだ。特に味付けの濃いものがね」
「かしこまりました。部屋は二階ですので、ごゆっくり」
荷物を持ってあがり、二階へ上がる。部屋はひとつだけで、宿泊客を選ぶため他に必要がなかった。ただ、中は余裕をもった広さで、三人くらいまでは窮屈さを感じないだろう。だがマリオンは気に入らない顔をする。
「なんだい、不機嫌になっちゃって」
ふたつあるベッドの窓に近いほうへグレアが自然と向かい、傍にトランクを置いてから腰かけてマリオンに声を掛けた。
「いやよお。部屋は良いし、メシも美味いんだろうけど、なーんか身内のもうけ話に利用されてる気がしちまってさ。なんとなく気に入らねえっつうか」
「はは、そんなにローズさんは計算高く考えてないと思うよ。まあ、あの兄弟に関しては、そうでもないのかもしれないが」
グレアはベッドに背中から倒れて天井を見上げた。
「別にいいじゃないか。美味しい料理を食べて、見たいものを見て、やるべきことをやる。そのために必要な拠点として、しばらく金貨一枚で自由に過ごせるって言うんだから、これ以上の待遇はそうそうないよ」
深呼吸をして部屋の空気に馴染む。モンストンの町の気配を窓の外に感じて身を起こし、差し込む光をぼんやり眺めた。
「のんびり構えて穏やかに。私たちの旅路は、そんな気風でありたいだろう?」




