第40話「初めての町へ」
────列車に揺られて数時間。モンストンの町が遠くに見えてきた頃、あと少しで到着だ、とマリオンが自分の荷物を小さな鞄に纏める間も、グレアはトランクに最初から詰めたままなので、魔導書をひたすら頭に叩き込んだ。
「なあ、そんなにしかめっ面して読んでて楽しいか?」
「ん。そりゃあそうさ、楽しくないはずがない」
魔女の存在は奇跡と言ってもいい。魔導書とは世界にただ一人、あるいは二人だけの数奇な運命を背負った者が創り出した叡智だ。触れることさえ本来は叶わないはずのものが、今は自由にできる。これ以上の機会は、もう二度とやってこないだろうと思うと、楽しくてたまらない。
しかめっ面は、ただそこに食いついてしまうがゆえの表情だった。
「君も読んでおいたほうが良いよ、そのネックレスにも魔力が籠ってるのなら、ローズさんが君にも使えるようにと考えてくれたからだろうし」
「……いやあ、オレはいいよ。魔法には興味ないからさ」
いざというときは、ネックレスをグレアに使わせればいいくらいに考えている。マリオンが欲しいのはいつまでも旅を続けるための不老不死の呪いであって、彼女たちにしか使えない特別な技術ではないのだ。
「それよりモンストンはどうだ、来たことあんのか?」
「ううん、ないよ。王都以外は孤児院のある町以外に足を運ばないんだ、基本的に。お茶会に誘われても、私は基本的に断っていたからね」
「ハハ、なんかお前らしいな。じゃあ観光は初めてってわけだ」
「その通り。結構楽しみにしてるんだよ、本を読むのも忙しいけど」
魔導書に目を通すのは、ただ楽しいばかりでなく難解な部分にも挑まなければならない。特に魔法をどう使うか? また、いつ適切なタイミングを考えて頭に入れておかなくては、いざというときに失敗しかねない。
胸の内に抱えることになる初めての経験に対する不安を払拭するのに、モンストンでの依頼はちょうど良い息抜きにもなるだろう。
「お、着いたね。降りようか」
「へへっ、やっとだな!」
駅は町から少し離れた場所にある。送迎用の馬車がいくつか並んでいて、観光も少ないのでいくらか暇そうにしている御者が、降りてきた二人を見つけて『乗ってくれないだろうな』とあくびをする。
歩いていけない距離でもないせいで、利用せずにせっかくだからと歩く場合が多いが、依頼の件もあるので早めに町へ入りたかった二人は、すぐ近くにいた御者に「町まで乗せていってほしいんだけど」と、銀貨を渡す。
「ああ、はい! お荷物を荷台に乗せましょうか!」
「や、結構。重たくないから大丈夫だよ、ありがとう」
「わかりました。ではどうぞ乗ってください!」
銀貨を受け取って、いくらか釣り銭を出そうとする御者にチップとして受け取るよう言ってから荷台に乗った。公爵家にいた頃はもっと立派な馬車を日常的に利用していたが、座り心地の悪い馬車も距離が短いのなら、それはそれで風情がある、とグレアはがたごと揺れるのを楽しんでいた。
マリオンは少しだけ尻が痛いのが気に入らないそうだ。
「ようこそ、モンストンへ。観光ですか?」
送迎馬車の荷台に乗る二人に、門番が声を掛けた。ヴェルディブルグの王都、ラルティエ近衛隊やウェイリッジの憲兵隊と違い、彼らはいささか古めかしくもあり、威厳のある紅いラインの入った黒いかっちりした制服に身を包んでいる。
「ええ。仕事で来たんですが、観光もしてまわりたいと思ってます」
グレアが答え、マリオンが手に持っていた手紙を渡す。
「紹介状だ、こいつがあれば通してくれるんだろ?」
「確認させて頂きます。……あ、子爵のお客様ですね!」
モンストンは過去に、嘘をついて町へ入り、違法とされている取引を行った行商人がいたため、観光以外の目的での長期滞在になる場合は紹介状が必要になる。そのためローズは自分のサインが入った紹介状を渡していた。
「どうぞ、お通りください。子爵は夜になれば邸宅にお戻りになられるはずですので、それまでは名産品などを見て回ると時間が潰せるかと思います」
「助言をありがとう。楽しませてもらうよ」
通行の許可が出たら、馬車が進みだす。少しゆっくり走らせて、御者の男が「宿は既に予約されてますか? まだでしたら、こちらでご紹介しますが」と尋ねる。グレアはマリオンに目配せで『良い場所は?』と問いかけたが、彼女は首を横に振った。
「……じゃあ、お願いしようかな。モンストンで一番良い宿を」
「わかりました、それではご案内させて頂きますね!」
 




