第4話「酔い心地に」
宿の食事はグレアには新鮮な味だった。栄養管理などいっさい気にも留めていないような濃い味付けが、ひとくちだけでも大きな充足感を与えてくれる。そのうえ皿に盛りつけられた肉料理の量ときたら、二人には多すぎるくらいだ。
リスのように余分に頬張ったマリオンを見て、グレアも真似をしようとするが「あんたはやめとけ」と制止されてしまった。
「せっかくのお上品な顔がぶさいくになるぜ」
「もともと綺麗な顔なんかしてないさ」
「そうかぁ? オレよりはいい顔してるって」
マリオンはあらためてグレアの容姿をじっと見つめる。
「……人間、こうも綺麗に整うもんかね? 貴族様で見目の良い奴ってのは探せばいくらでもいるが、あんたほど彫刻みたいに綺麗な顔は初めて見るぜ」
フォークを口にくわえたまま、羨ましそうな顔をした。
「オレの知ってる中じゃ一番だ。永遠に残しておきたくなるくらい……ああ、念のため付け加えておくが世辞じゃなくて本心でそう思ってる」
褒められて悪い気はしなかった。食べる手が止まり、頬を薄紅に染めながら「それを言うなら」と今度はグレアがマリオンをじっくり見つめた。
「君も中性的で凛々しいじゃないか。……なんというか、男性よりも女性に慕われそうな印象だ。私の評価なんてあてにならないかもしれないけど」
マリオンはけらけら笑ってフォークで彼女を指し、「大正解だよ」と愉快そうにする。実際、その通りだったから。
「世間知らずって感じに思ってたが、お前は人をよく見てるな。そういう審美眼は大事にしろよ、生きていくうえで本当に頼れる人間を見分ける力になる」
旅は簡単なものではない。貴族同士の腹の探り合いよりも泥だらけになるだろう。楽しいことも多いが、誰もが初対面で何を考えているか分からない。無知を食いものにする人間も多く、貴族以上に命を軽く見ている者たちもいる。
ほんの些細な出来事で二度と会えなくなった友人もそれなりの数にのぼる、とマリオンは寂しげに語った。
「肝に銘じておくよ」
ぱく、と肉料理に舌鼓を打ちながら、彼女の言葉を真剣に聞いていたグレアはゆっくり頷く。旅慣れしているパートナーの有難い助言だ。
「ところで君は旅費をどうやって稼いでいるんだ? いくら昔は稼ぎがあったとしても、遊んで暮らすほどじゃないだろう。上流階級でもあるまいし、新しい事業を始めるにしたって帝国のような貴族中心の社会では目立てば排除されるのがオチだ。長期間空けるってことは旅先で稼ぐ手段もあるんじゃないのかい」
家を出たグレアは、今手持ちにある分以外でお金を持っていない。旅先で稼ぐ方法をマリオンなら知っているのではないかと尋ねた。
「そりゃあ……まあ、いろいろだな」
樽のカップになみなみと入ったぶどう酒を半分ほど飲み、うっすらと頬が紅くなった彼女は、酔いに任せるように話し始める。
「オレはなんでもやったさ。知り合った奴の店を手伝うこともありゃあ、飼い猫を探すのに町を走り回ったり……いちばん困ったときは売春婦の真似事までしたよ。つってもオレの客は女ばかりで、男は寄り付きもしなかったけどな」
思い出し始めると話は止まらない。饒舌になって大声で笑いながら彼女は「他人の女って知らずに寝たときゃあ、大変だった。男が乗り込んで来るんだもんなあ」と修羅場だったときのことを振り返る。
「い、意外と無茶苦茶なことをしていたんだねぇ……」
「それが金になった。けどあんたには向いてなさそうだ」
「間違いない。でも店の手伝いというのは興味がある」
「令嬢のあんたがウェイトレスしてんのは見てみたいな」
ぶどう酒を飲み終えたマリオンが、とろんとした目で舟を漕ぐ。話をしているうちに時間は過ぎていき、まとわりつく眠気に耐えられなくなっていた。楽しそうに話しながらゆっくり眠りに落ちていく彼女を見て、グレアは「面白い人だね、君は」と小さく呟き、自分も大きなあくびをひとつする。
「正直、ちょっと不安だったんだ。言うとおり私は世間知らずだし、両親に逆らってまで縁談も断り、計画もなしに旅なんか始めちゃってさ。だから君に会えて良かったよ。……ハハ、少し飲み過ぎたかな?」
ぐうぐう眠っているマリオンに彼女の言葉は届いていない。それでも、ほんのすこしの感謝の気持ちを口にしてグレアは席を立ち、プレートを持って食器を返しに部屋を出た。一階はすっかり静かになっていて、客もほとんどいなくなっている。もう酒飲みたちも満足して帰っていた。
「ごちそうさまでした、美味しかったです」
店主の男が、そう言われて嬉しそうな顔をしながらプレートを受け取り、「朝食は出来たてを用意しておくよ。ゆっくり休みな」と厨房へ消えていった。
「……さて、私も今日のところは寝るとしようか」
軽く伸びをして、頬に籠った熱を感じつつ部屋へ帰る。机に突っ伏すマリオンを見て、ほんのすこし面白がり、起こさないようにベッドへもぐりこんだ。
そうしてグレアの旅の初日は終わりを迎えたのだった。