第36話「受け継がれるもの」
魔女が立ち去ってから、二人はしばらくコーヒーを飲んでゆっくりした時間を過ごす。収穫らしい収穫はなかったが、ローズが協力してくれると分かって不安は解消され、あとは待つ以外に出来ないので焦るのをやめた。
「ケーキはいかがですか」
宿の主人に声を掛けられて、マリオンは微笑む。
「オレはショートケーキがいいな、おっちゃん」
「私も少し甘いものが欲しくなってきたなあ」
主人が持ってきたケーキを二人の前に並べ、プレートを抱えて「懐かしいですねえ」と穏やかに言った。魔女がよく訪れるだけあって交友関係も広く、グレアとマリオンを見ていると、よく遊びに来てくれたソフィアとリズベットの二人を思い出す、と彼は少しだけ寂しそうだった。
「おっちゃん、仲が良かったのか?」
「ふふ、ちょっとした自慢ですな」
主人の男は顎をさすってニヤッとする。
「ここのケーキ、実はわしが自分で焼いているんですがね。昔はよく揃って食べに来てくれたもんです。多めに作ったときは包んで帰ることもございました。それはもうとてもお優しい方々で……そのネックレスを身に着けているのを見ると、当時の時間が戻ってきたようにすら思います」
少しうるんだ目を指で拭う。両名ともが既に亡くなっており、グレアたちはまったくの他人でありながら、その面影を強く宿しているふうに感じた。
「お爺さんは、ソフィアさんたちの若い頃を知ってるんだね」
「とてもよく。孤児院が建てられる以前からの付き合いでしたので」
懐かしさが胸の中でどこまでも湧き上がってきたのか、宿の主人はプレートをカウンターに置いて「少しお話してもよろしいですか」と椅子に腰かける。彼女たちも興味津々に「お願いします」「聞きたいねえ」と肘をつく。
彼が語るのはソフィア・スケアクロウズとリズベット・コールドマンの物語。どこで会ったのかは言わなかったが、少なくとも彼女たちにとっては幸運が重なった結果らしい。魔女の代理人として活躍し、世界中を旅しては各地で慕われる素晴らしい二人。ソフィアは冷静沈着で知恵がまわり、リズベットは快活で人当たりが良く、誰とでも打ち解けられる。魔女が代理人として名を広めたあとの精力的な活動には、多くの人々が助けられたという。ローズが贈った薔薇飾りのネックレスを身に着けている姿が印象的だった。
孤児院を設立したあと、数多くの貴族たちが彼女たちの活動に賛同し、支援を受けて各地でも孤児たちの受け入れ施設が立ち上がり始めたのは、今でも記憶に新しいくらいだ。彼女が亡くなり、遺産は学校の設立などに使ってほしいという意志を魔女が伝え、女王のリリィを含め家臣たちの賛成多数によって現在は空いた土地への校舎の建築が進められている。誰もが未来を手にすることが出来るように。
「わしも小さい頃に両親を亡くしていてね。そんなとき、手を差し伸べてくれたのがソフィアさんたちだったんです。この宿の経営も『軌道に乗ったら泊りに来てあげる』と仰って……でも結局、大してうまくは行きませんでした。ハハ、他人との接し方もよく分からず、口下手で黙ってばかりでしてね。だけど彼女たちは来てくれたんです。『いい匂いがしたから』って。それから、ちょくちょく泊りに来てくれる人たちが増えたんです。きっとお知り合いに紹介して下さったんでしょうね」
素晴らしい人たちだった。惜しい人を亡くした。まだまだ世のために生きていてほしかった。そんな気持ちが再燃するのは、彼女たちを思わせるグレアたちが来てくれたからだろうか。彼はやはり、また目を潤ませた。
「いやあ、すみません。こんな老人の長話に付き合わせて」
カップは空っぽで、ケーキはぺろりと食べ終えている。
グレアはそっとテーブルに手をついて席を立ち──。
「とても良い話を聞かせてもらえてよかった。ケーキもすごく美味しかったし……余っているのなら、ぜひ孤児院のみんなに包んで帰りたいんだけど」
そう言われて、主人は顔を明るくする。
「ええ、もちろん。まだありますとも」
思い出の詰まった宿で暮らす男の優しさがたっぷり詰まったケーキ。いつしかソフィア・スケアクロウズが来たときのように、また彼女たちの意志を継ぐ者が、その手に抱えて帰っていく姿を見て、深く頭を下げる。
「またのお越しをお待ちしております、レディ」
振り返ったグレアが小さく手をあげた。
「こちらこそ。次は泊まりに来るよ。ね、マリオン」
「当たり前だっつーの。最高に良い宿だったぜ」




