第32話「約束してやる」
誘われるがまま向かったのはキッチンだった。ワインのボトルを数本見つけ、グラスを手にして、それからまた部屋に戻った。暖炉前にテーブルと椅子を用意して、温まりながらワインを注ぎ、向かい合ってちいさくグラスをぶつける。
いつの間にかマリオンのペースに引っ張られて、不安は緩やかに溶けて希望へ変わっていく。
「ありがとう。君のおかげで、また前向きに考えられる」
「そりゃ嬉しいね。にしても列車で助けてくれたって奴が魔女とはな」
王都まで来れば会える可能性もあるかもと最初からいくらかの期待は持っていたが、まさかウェイリッジのときから既に顔を合わせていたとは意外だったとマリオンはワインをジュースのようにひと息で飲んだ。
「しかし魔女の魔導書が不老不死の鍵たあ、せっかくオレの探してたもんが目の前にぶら下がってんのに、中々手に入りそうにはねえな」
「そうだね。私も偶然開いてしまったに過ぎないし」
マリオンはそれを聞いて、あごをさすりながら眉を顰める。
「でもよぉ、不用心だよな。他の奴が開くかも分かんねえってのに、ベルトと金具で簡単に開けないようにするとかしておくべきじゃねえか?」
魔導書に掛かっている呪いは、その人間の生き方を大きく左右しかねない。マリオンのように追い求める人間がいれば、グレアのように不本意から不老不死を得てしまうことも起きる危険な代物だ。
他人の物でありながら好奇心に開いてしまったグレアの失態ではあるが、一方でそういったリスクを理解しているはずなのに管理が甘い、とマリオンは魔導書の扱い方について魔女を批判した。だからといって許された話ではないが。
「わざわざ魔女の私物に手を出そうなんて、実際に話したことがなかったら思わないだろうし、今回はとにかく私が悪かった」
「……ま、仕方ねえよ。明日、また探せばいいさ」
しん、と静まり返り、ワインが注がれる音だけが聞こえる。
「グレアはいつか旅をやめたりとか、考えてるのか?」
「そうだな……限界が来たら、そのときは」
年老いて、身体が感情について行かなくなったら。旅をやめる切っ掛けとして考えられるのは、それくらいなものだった。グレアは公爵家という窮屈さも、資産をこまごまと使いながら慎ましく暮らすのもと好きではない。どこへでも行けるうちは、どこへでも行きたい。多くのものを見聞きしたかった。
だからといって不老不死になりたいわけではない。人間として生き、人間として死んで、より良い最期を迎えるのもひとつの夢だ。
「マリオンは永遠に旅を続けるんだろう?……仮に、仮にだけど、私が限界まで一緒に行きたいといったら、連れて行ってくれるかい?」
グラスに残った一滴まで飲み干したマリオンが、頬をうっすら紅く染める。ほろ酔い気分に彼女はまっすぐ相棒を見つめて──。
「お前が嫌だと言っても引きずり回してやるよ。雨の日も雪の日も、どこだってオレの行く場所にお前を連れて行く。いまさら独りなんて面白くないからな」
ひょんなことから二人で旅行をして、誰かが隣にいるのを楽しいと思ったのは久しぶりだった。ウェイリッジでのひと悶着も、自分だけなら何も起こさず見守っていたかもしれない。けれどもグレアがいたから友人を救うことも出来て、晴れ晴れとした気持ちにもなれた。飲んだくれた翌朝に食べた朝食は、いつもと違う気さえした。
だから彼女が行きたいという限り、マリオンはどれだけ彼女が老いたとしても、例えば足が不自由になったとしても、望めばどこへでも連れて行ける。それくらいの強い信頼を寄せるほどになっていた。
「さあて、飲むだけ飲んだし、寝るとするか」
「うん。明日に備えておかないとだね」
ベッドにもぐりこみ、背中合わせに横になる。寝酒を飲んだにも関わらず、ぼんやりとしながらすぐには寝付けなかった。
「なあ、グレア。オレと一緒に不老不死ってのは嫌か?」
その問いに返事はない。
「そうだよな、ごめん。野暮なことを聞いちまった」
目を瞑って眠ろうとする背中に、グレアが小さな声を返す。
「嫌じゃないよ」
驚いて振り返ろうとするマリオンの背に、こつんと頭が当たる。
「私は嫌じゃない。できることなら不老不死なんてないほうがいい。けど、許されるのなら、君がずっと私といてくれると言うならそれでもいい」
ごろんと寝返って、マリオンが顔を隠すグレアの頭を抱く。
「……いくらでも約束してやるさ。おやすみ、グレア」




