第30話「不老不死の呪い」
グレアはすぐに片膝をつき、頭を深く下げた。魔女の行き先を知る、信頼に足る人物──ヴェルディブルグの女王、その人だったのだ。
「女王陛下に拝謁いたします。大切なものゆえ本を手放さず抱えたままの無礼をお許しください」
察しの良いリリィはうんうんと何度か頷く。
「いいわ、立って。それってローズの私物でしょう」
「はい、その通りにございます」
魔女との親交が深いリリィには見慣れたものだ。分厚い黒の表紙の古ぼけた本を指差して「それを開いたりはしてないわよね」とグレアに尋ねた。
「……? あの、これを開くと何が?」
「魔導書には呪いが掛かっているそうよ」
リリィがひじ掛けで頬杖を突き、つまらなそうな顔をした。
「私も昔、好奇心で読んでみようとしたことがあったけど、ものすごい剣幕で怒られたわ。なんでも開いてしまうと不老不死になる呪いだとか」
どきっとする。開いたときに起きた不可解な出来事が頭の中を過ぎった。言われた言葉に動揺が隠せず、額に汗が滲む。
「で、では……その、これを魔女様に届けておいてもらえますか。私はただ忘れ物を返したかっただけなので……すみません、これで失礼します」
近くの兵隊に本を預け、平常心を装いながら作り笑いで部屋を出ようとする。リリィに「ちょっと待って。伝えておくことはない?」と聞かれても首をやんわり横に振って「ありません。ただの気まぐれみたいなものですので」と立ち去った。
今にも吐きそうなほど気分が悪く、顔は蒼白い。それでも勢いに任せて耐えながら王城を出て、町の喧騒の中へ戻ったときになって、徐々に冷静さが取り戻され始めた。女王の言葉がいまだに頭の中をぐるぐるまわり、後悔の念が全身を圧し潰そうとしている。あれが魔導書だと分かっていれば、開いたりはしなかった。つまらない好奇心で他人のものを勝手に障るんじゃなかった、と。
「う……ど、どうすれば……正直に話すべきだったかもしれない。けど魔女の怒りを買うなんて……まさか本当に不老不死に?」
胸焼けにも似た感覚に苦しくなる。親指の腹をがじがじと甘噛みしながら、どうするべきかを必死になって考えた。魔女に会うべきか、それとも避けるべきか。魔導書を開いたことがバレなければいい。だがもし呪いに掛かっていたら、その解き方は魔女しか知らないはずだ。関わらない選択肢はない。
「痛っ……強く噛み過ぎた……」
仄かに皮膚を噛んで裂いてしまい、びりっとした痛みが走った。血が垂れたかも、と目を向けた瞬間、背筋にひやりとしたものが走った。確かに血は付いていたが、傷はない。塞がっているのだ、綺麗に。
また気分が悪くなってくる。今はとにかく急いで孤児院に戻り、マリオンの顔を見たくなった。彼女がいれば、どんなときでも安心できたから。
(なんて馬鹿なことをしてしまったんだ。そもそも、不老不死は魔法ではなく呪いなのか? わざわざ魔女が忠告をして怒るくらいなのだから、解く方法も楽ではないか、あるいはまだ存在すらしていないか……)
ぼんやりとしか何も考えられなかった。あまりの衝撃に今は余裕もなく、とぼとぼ歩いて、気付けば孤児院に帰って来ていた。庭ではマリオンが集まった子供たちに楽し気に話を披露している姿がある。
「──ってなわけでオレは海賊船から無事に降りられたってわけよ。さ、続きが気になるだろうが、シルヴィがメシの支度を済ませてるだろうから、あとはそのときにな。急いで全部聞いちまったら、楽しみがくなっちまうぜ」
優しい声。包み込んでくれる穏やかさ。いつもと変わらない世界に戻って来た気がして安堵する。
「よう、グレア。いいもん見つかったか?」
「あ……はは、収穫は何もなかったよ」
「そりゃあ残念だな。ま、時間はいくらでもあるさ」
バシバシと背中を叩くマリオンに、グレアは本当のことを言うべきか迷いながら、作り笑いを浮かべて平静を装う。
「ちょうどメシにでもしようって話をしててさ。とりあえず中に入ろう。お前がいねえあいだに、ガキ共とも仲良くなったんだよ。……グレア?」
立ち尽くして俯く彼女の異変に気付き、マリオンが真剣な目つきで「何があった?」と尋ねる。すぐに返事はなかったが、消え入るようなか細い声が「私は馬鹿な奴だ」と震えていた。
一人で町へ出たときに、よほどのことがあったのだろうと、詳しいことは何も聞こうとせずに彼女の肩を抱いてぽんぽん叩く。
「あとで落ち着いたら聞くよ。まずはメシだ、元気出そうぜ」




