第3話「小さな宿の親睦会」
二人が最初に訪れたのは、帝国領内のアルメニーという町だ。帝都と比べれば遥かに小さな町だが、活気があって旅行者も多い。そのためか宿も多く、隣国のヴェルディブルグへ向かう際の中継点のひとつとして利用されている。
温かい空気の流れる町に暮らす人々の表情は穏やかで、道端で話をする女性たちの笑顔が目に映るだけで癒されるものがあった。
「ふい~、やっと着いたぜ。相変わらず列車の椅子は固くていけねえや。クッションのひとつ持ち込むようにしたほうがいいかもしれねえなあ」
尻をさすりながら大あくびをするマリオンの背を、グレアがこつんと肘で突く。
「愚痴はあとにして、ひとまず宿を取ろう。暗くなってきてからでは埋まってしまうかもしれないだろう?」
「ハハッ、んなワケあるかよ。アルメニーは宿が多すぎるくらいだ」
旅慣れしているマリオンは、もう何度とアルメニーを訪れたか分からない。いくら観光客が多いとはいっても空いている宿がどれだけあるかなど想像がつくし、彼女はどこを歩けばどんな店があるかまで記憶しているくらいだ。
「ま、行くとすっか。ついてきなよ、お嬢様!」
「あ……おいおい、急がないでおくれよ」
先を行くマリオンを小走りに追いかける。もう二度と帝都に戻ることはないと思えば、多少は知った町でも、なんとなく新鮮な気持ちになった。
「こっちだ、こっち。オレの知ってる良い宿があるんだ」
しばらく歩き、案内されたのは酒場だ。見るからに飲んだくれている顔を赤くした男たちの騒ぎが外まで響いていたが、扉を開ければそれが勢いの抑えられたものだと分かる。中に入ってグレアは落ち着かない気持ちに捕まえられた。
「おいおい、なんて顔してんだ。もしかして苦手か」
「私にはまるで縁がなくて。というか、ここは宿……?」
「おう。二階に部屋があんのさ。ちょっと待ってろ」
店主に声を掛けるマリオンの姿は気さくで、上品さはどこにもないが頼りになる雰囲気だけは酒場にいる誰よりもあった。ほどなく鍵を受け取って戻って来た彼女は「二階へ行こうぜ」と軽く肩を叩く。
「今日は二人だって言ったら、いちばん広い部屋が空いてるって貸してくれたんだ。しかも値段は一人部屋と同じ! ちょいと安く済むってのはありがてえよなあ」
階段をのぼる途中、マリオンは足を止めて振り返る。
「なあ、メシはどうする。上品なお嬢様にゃあ、連中と一緒に食うのはうるさすぎて落ち着かないんじゃねえか? 頼めば部屋に持ってきてくれると思うけど」
「私はどちらでも。君に任せきりだから文句は言わないさ」
いくら慣れていないとはいえ気を遣わせてばかりでは申し訳ないと思った。普段は自由に過ごしているはずだが、元公爵令嬢であるのを理由にして、彼女に窮屈さを感じさせるのは嫌だった。
しかし、マリオンはフッと彼女を優しそうに見つめて。
「じゃあ部屋で食おうぜ。せっかく旅仲間になったんだから、お互いの親睦を深めるとしようじゃねえか。ヴェルディブルグ領内に入るにもまだ時間は掛かるわけだしよ」
結局気を遣われてしまって少し困惑したものの、彼女の提案を恥ずかしながらもありがたく受け入れることにした。
二階へ案内したあとでマリオンは料理を注文するために喧騒の中へ引き返す。その後ろ姿を眺めて『なんでこんなに良くしてくれるんだろうか?』とグレアは不思議に思いながら部屋で待つ。
造りは質素で、二人で泊まるのにちょうど良い広さ。シングルベッドが二つに、窓辺に小さなテーブルと椅子があるだけの部屋。見るからにいくらか安い宿とは分かるが、旅が初めてのグレアはそれでもワクワクさせられた。
「ここからでも町の景色は悪くないな」
建物はほとんどがフラットな構造で二階建ては少ない。安宿とはいえ二階から眺められる景色は開放的で、窓からすこし身を乗り出すだけで肌に感じられる風が彼女に自由な鳥をイメージさせる。
「なにやってんだ? 落っこちるぞ」
大きなプレートに二人分の食事を乗せてマリオンが戻って来て、「思っていたよりはやいね」とグレアが窓を閉めた。小さいテーブルいっぱいに二人で並べて向かい合わせに座り、プレートは壁に立てかけた。
「今すぐに食える温かいメシが欲しいって言ったら、余ってたモンを色々とな。つっても食べ掛けとかじゃねーぞ?」
「ハハ、分かってるよ。いただこう、とても美味しそうだ」